微睡の中、開け放してあった窓から、柔らかい風が吹き抜ける。小鳥がさえずり、陽の光がふわりとソファに投げかけられる。どうやら、朝が来たみたいだ。普段なら起きる時間だが、今日は仕事もない。前日一件捌いたこともあって疲れが出ているらしい。もう一眠りしようと、開きかけた瞼をもう一度閉じ、意識を手放そうとする。
が、それを止まらせる違和感が、私を襲ってきた。
「……て!起きて!ノゥムちゃん!」
それは、幼なげで可愛らしい少女の声。それから、室内で聞こえるはずのない羽ばたく音と鴉の鳴き声。普段ならあり得ない現象に包まれ、考えるより先に反射的にソファから勢いをつけて飛び起き、違和感の正体から距離を取る。が、着地に失敗。足を捻ってしまった。敵襲なら非常にまずい。向こうに動きがないのが逆に不穏だが、まずは状況の把握をするべきだ。いつ戦闘が始まってもいいよう、ラックから短刀を手繰り寄せる。
「いったた…ち、違う!な、何奴…!」
問いかけ、目線を上げた先にいたのは、先ほどの声の主に違わぬであろう、可愛らしい白髪の少女と、その周りを旋回飛行する一匹の鴉。彼女の不安に染まった目を見て、私は昨日あったことを思い出した。
鴉と共に舞い込んできた一件の依頼のこと。依頼人の少女を霧の楽団に呼び込んだこと。夜も更けていて部屋の準備が完全には出来なかったので、一旦自分の部屋のベッドで2人を休ませ、自分はソファで寝たこと。
「え、えっと…ノゥムちゃん…?」
「あ、あー…そうだったわね。疲れてるのかしらね、私。エナ達のこと、すっかり忘れてたわ」
職業柄なのか、当然のように握った短刀をラックに戻し、か弱い視線でこちらを見つめるエナを宥めながら近づく。私が思い出したのを理解したのか、彼女はほっと一息つき、てくてくとこちらに寄ってきた。
「おはようございます、ノゥムちゃん。ベッド、ありがとう…ございました」
「おはよう、エナ。それからオズも。ゆっくり休めたかしら?昨日見ていた感じ、だいぶ疲れていそうだったけれど」
「えっと、はい。おかげさまで…?ゆっくり休めました」
そう言うエナは、まだ少し緊張しているのだろうか。少し肩が強張っている。そこに近づいて肩をぽんと叩いてあげると、ビクッと跳ねた。やはり新しい環境で緊張はしているようだ。
「ま、うちに来たからって何か特別な人間になるわけでもないし、少し肩の力を抜きなさい?そんなだと足元掬われるわよ。あと、昨日も言ったけど、私に対して堅苦しいのはなし。敬語とかいらないから」
「えっと…うん…?こんな感じでいいのかな…?」
「そうそう、これからここが家になるんだから、だらしないくらいがちょうどいいのよ。じゃ、朝ごはんいきましょっか」
「確かに、お腹空いたかも…」
話しながら最低限の身支度を整え、捻った足を気合いで治して、エナを引き連れて自室のキッチンへと向かう。狭いキッチンだが流しとコンロ、冷蔵庫とオーブンと電子レンジ。基本的な機能は揃っている。
何を作ろうかと考えながら冷蔵庫の扉を開ける、が。中身は自分の朝食用のセットくらいしか入っていない。そこまできて、昨日がちょうど買い出しの日であったことを思い出した。
「あ、あー…やったわね、これ。エナ、悪いけどメニューは一緒でもいいかしら?」
「う、うん。ノゥムちゃんが作ってくれるの?」
「そうね、食材もこれしかないし…いつもの感じにするわね」
そう言いつつ、卵とささみを冷蔵庫から取り出して、ささみを電子レンジにセット。加熱中にコンロでフライパンを温めてバターを溶かす。卵はボウルに割り入れて溶き卵に。いい感じにフライパンが温まったらスクランブルエッグにする。
いつもならフライパンから直接食べるところだが、今日はもう1人いるのでちゃんと皿に盛り付ける。あとは牛乳とプロテイン、バナナにオートミールを用意して朝食は完成だ。
「えっと…オズは何か食べるもの持ってるの?」
「あ、うん。私がいつもソーセージを備えてあるから、大丈夫だよ」
「じゃ、これで完成ってとこね」
盛り付けた皿やその他諸々をテーブルへ運び、皆で食卓を囲む。毎朝、変わらないと思っていた食事の風景が、今は1人と1匹によって変化をもたらされていた。
「「いただきます」」
出来立ての料理を口に運ぶ。こちらはいつもと変わらない味だ。安心感さえ覚えるほどに。
エナの口元も綻んでいる。やはりお腹は空いていたらしい。昨日の段階では、食事もあまり取っていないように見受けられた。聞きたいことは山ほどある。従業員のことは知っておいて損しない。少し探りを入れてみることにする。
「ところでエナ。貴方はここ…ジナヴィの人間なの?その…格好が随分違うと言うか、長旅をしてきたかのような風貌に見えるのだけれど」
「えと…私、元々はジナヴィどころかイルジパンの人間でもないの」
水の都市ジナヴィ。私たちの組織、霧の楽団がアジトを置く都市。運河が栄え、街のあらゆるところで水と船が観測される。普通の道より運河の方が多いと言われても驚かないほどに。港も多く、そこで世界各地と貿易を交わしている。いわば大都市。
「イルジパンの人間でもない…?随分遠くから来たのね。私もイルジパンの外なんて仕事で数回行ったくらいよ」
陽の輝く国、黄金郷イルジパン。この辺り一帯を統べる国で、水の都市ジナヴィもここに属している。昔から金などの高価な財宝がよく取れる土地であり、その産業にあやかった富裕層が都市部に多く暮らしている。が、その反面、労働力となる人材を一か所に集めたスラム街もどの都市でも多く形成されている。
都市部の富裕層と農民やスラム街の住人の軋轢、富の格差が問題となっているらしい。
「最近はお仕事の関係でイルジパンの都に定住してたんだけど…その…パパとママがいなくなってからジナヴィにきて…最近やっと住まいが確保できたんだけど、服とかは買ってる余裕がなかったの。変なのにも追いかけ回されるし…」
「それで、私を頼ってきたわけね」
「うん…この服は、まだイルジパンに来る前の頃から持ってたから、ノゥムちゃんはそう感じるのかも」
「そういうことだったら、後で色々買いにいきましょうか。自室にも置きたいものがあるでしょうし?」
「そうだね…あ。私お金持ってない…」
そういえば昨日、14歳の少女からすればあれだけの大金を出したのだ。彼女が一文無しでも何の不思議もない。そうなれば当然、することは一つだ。
「いいわよ。従業員への投資は私の仕事だし。私が出すわ。必要なものも多いでしょ?」
「じゃあ、お言葉に甘えて…ノゥムちゃんに買ってもらおうかな」
「じゃ、決定ね。エナがご飯食べ終わったら早速いきましょうか。あ、ゆっくりでいいわよ」
私はご飯を食べ終わっていたので、食器を片付けて、洗い物を始める。そのうちエナも食器を持ってきて、隣に立って皿洗いを始めた。妙に手慣れているのは、やはり私と同じで1人の時期があったからだろうか。洗い物はすぐに終わり、出かける時間となった。私は最低限の装備だけ持って、エナ達を連れて裏口へと案内する。
「エナ、こっちよ。ここの扉、覚えておいてね」
霧の楽団内、何の変哲もない扉。その扉の奥には、ジメジメとした雰囲気を感じさせる、人2人分がギリギリ通れるかどうかと言った広さの不気味な廊下が伸びている。途中には灯りが設置されているが、その光も途切れ途切れで、見渡しは決していいとは言い難い。私はエナとオズを引き連れて、その廊下を進んでいく。
「えっと…この廊下は…?」
「ま、隠し通路ってとこね。お父さんが掘ったって聞いたわ。あ、赤の灯りは見失わないように。週1で整備してるけど、この光を辿らないと中で死んでミイラになるわよ」
「ひっ……えと…赤の灯りを辿れば、出口に辿り着くってこと…?」
「そういうことね。他の色にも意味はあるけど、この赤色が……あら、着くわね。こっちよ」
私は暗記している道を辿り、廊下は終わりを告げ、一枚の扉が姿を現す。その扉の向こうからは、苦味を感じる香りとシックな音楽が薄らと漏れ出ている。
私はその扉を勢いよく開ける。眩い光が目を焼き、思わず瞬きしてしまう。薄暗い道を歩んだ後だ。後ろを振り返ると、1人と1匹も同じ反応をしていた。まあ無理もない。
扉の先は、良く言えば雰囲気のある、悪く言えば古ぼけた喫茶店。所狭しとコーヒー豆や用具が置いてある年季の入った店内に、白髭を蓄えた執事服を着た初老のマスターが1人、カップを磨いている。従業員口の隣の扉から出てきた私たちを見ても微動だにすることはない。
「やっほ、マスター。この子、新人のエナとオズ。これからここを使うことも増えるだろうから、よく見てあげて」
「えっと…エナ・フルーティアです。こちらは私の相棒のオズ。ノゥムさんに雇っていただくことになりました。よ、よろしくお願いします」
エナの自己紹介を聞き終えたマスターはちらりとこちらを一瞥するとカップを拭く手を止め、今まさに磨いていたそれに徐ろにドリンクを注ぎ始めた。深く、だが澄んでいて曇りのない黒い液体。コーヒーだ。
「エナ様、こちらをどうぞ。ミルクとシュガーはおつけいたしますか?」
「あ、ありがとうございます。私はブラックで大丈夫ですよ」
マスターは従業員口から出てきて立ちっぱなしのエナをカウンター席に促し、その目の前にコーヒーを置く。私はコーヒーは分からないが、マスターの腕がいい証拠だろう。香りがいいというのは確かだ。香りは。
「それはそれは、失礼致しました。そちらのノゥムお嬢ちゃんが普段から甘いものしか飲まないものですから、ついそちらに合わせてしまいました」
「マスター!余計なことは言わなくていいの!」
マスターに余計なことをバラされ、少し頬が熱くなる。苦いのは苦手なのだ、仕方ない。そう分かっていても、年上ばかりの環境では珍しい年下の少女にくらいは、少しだけ格好つけたいという気持ちが勝ってしまう。
「もう!とりあえず私にもいつもの頂戴!」
「かしこまりました。作り置きがありますので。冷蔵庫はあちらです」
「本当、一般店のオーナーとかじゃなくて良かったわねアンタ…こんな対応してたらすぐ潰れるわよ…」
「私が軽口を叩くのはノゥムお嬢ちゃんだけですから」
悪態と溜息を吐きながら、冷蔵庫を開けて作り置きのしてあったバナナミルクをグラスに注ぎ、一気に煽る。やはり腕は確かだ。私ばかり何故かマスターに軽口を叩かれるが、やはり子供の頃からの知り合いだからだろうか。
「このコーヒー、美味しいですね。私の好みの味です」
「ありがとうございます。して、本日はどのようなご用事で?」
「今日はこの2人に裏通路の説明と、表で買い出しね。部屋で色々置きたいものもあるでしょうし…私物も後で犬達に回収させるにしても足りないでしょ」
「えっと…ノゥムちゃん、裏とか言って大丈夫なの?」
エナが不安そうな瞳でこちらを見つめる。無理もない。店の事情も何も知らない彼女はまだ、ここが表社会の側だと思っているのだろう。
「ま、そうね。ここは霧の楽団が買い取ってあるから、うちの関係者しか来ないのよ。依頼の相談とかも普段はここでやるのよね」
「そうだったんだ…じゃあもしかして、ツケとかできるの?」
「可能でございますよ、エナ様」
それを聞いた途端、エナの瞳が輝く。ツケに憧れでもあるのだろうか。確かに映画のワンシーンみたいで格好良くは見えるが、あまり使いすぎていいものでもないだろう。私もいつも程々にして払うようにしている。
「まあ、世間話はそれくらいにして…そろそろいきましょ。ジナヴィも案内したいしね。マスター、ごちそうさま。私にツケといて」
「うん、じゃあノゥムちゃん、行こっ。マスター、ご馳走様でした」
「それでは、またのご来店をお待ちしております」
「ま、帰りに通路使いに来るんだけどね」
そんなこんなで喫茶店を後にしようと扉を開く。薄暗い雰囲気の喫茶店から出ると、眩しい日差しが私たちを出迎えた。
ジナヴィの街並みは、運河に支えられている。
港と街を繋ぐ航路だけに限らず、街同士でさえほとんどの流通を蜘蛛の巣のように張り巡らされた運河頼りとしている。むしろこの街で物流に人力や馬車を使う方がもったいないと多くの商人は考えている。
物流だけではない。その独特の文化と、洋風でいてどこか落ち着きを感じさせる景観が観光客を各地から呼び寄せ、観光業にも貢献しているのだ。水質も淀んでいると言うほどではない。水面はキラキラと陽光を反射し、それだけで一枚絵が描けると芸術家が謳うほどだ。そんな素晴らしい街を、エナを引き連れて散歩に出る。
「ね、いいとこでしょ、ジナヴィは」
「うん、旅行で何回かきたことはあったけど…やっぱりどこを切り取ってもこの都市は綺麗だね!」
少しはここで過ごしていたとはいえ、やはり物珍しいのか、エナは目をキラキラと輝かせて辺りを見回している。私からしたら、この辺は自分の庭みたいなものだ。勿論、ここら一帯で仕事をしているのだから、縄張りと言っても過言ではない。裏社会では知る人ぞ知る、ジナヴィ1の暗殺者であり何でも屋、なんて言われたりもする。
「それにここは景観もいいし、住んでる人も観光客も多いから紛れやすいのよ。私たちみたいな暗闇の仕事をするには、うってつけってところね」
「の、ノゥムちゃん。それ外で言ったら意味ないと思う…」
「あ…ま、まあとにかく!そういうことだから!とりあえず買い物しましょ!エナの部屋も整理しなきゃだし!」
「ノゥムちゃん、それ全然逸らせてないからね…」
人気が少ない路地で助かった。たまに口を滑らせてしまうのは私の悪い癖だ。わかっていても直せない。周りを見回し、記憶を消した方がいい人間が存在しないことを確認して、今度はエナを買い物へと連れていくことにした。
次に私たちがやってきたのはジナヴィ市場。その名を冠する通り、ジナヴィ一大きい市場で、地元の人から観光客まで、この市場に来れば欲しいものはなんでも揃うと言われている。今日は特にお客さんが多く、市場の外からでも喧騒が絶えることなく伝わってくる。
「じゃ、エナ。何か欲しいものはあるかしら?今ならなんでも経費で落とすわよ。処理してるの私だし」
「えっと、部屋には一通り家具は揃ってるんだよね?そしたら…オズの止まり木は欲しいかも」
「そしたらペットショップね…ちょうど目の前じゃない。よかったわ。じゃあ、100ドル渡すから自分でいい感じのを見繕ってちょうだい」
「そ、そんなになくても…大丈夫だと思うけど」
「いーのいーの。余ったらお小遣いにしときなさい。私は食料の買い出しに出るから、後でここで落ち合いましょ」
「えっ、あ、うん!じゃあ、また後でね、ノゥムちゃん!」
実は今日は特売の日。当然、街中の人間がこの市場に集まってくるわけである。市場も紹介したかったが、勝手を知らないエナを引き連れて戦場へ入ることはできない。彼女を振り回したいわけではないのだ。笑顔で手を振ってくるエナに少し手を振りかえし、私は仕事モードに切り替え、戦争真っ只中の市場へと足を踏み入れた。
市場の中は、まさに地獄と形容するのが正しい惨状だった。どこもかしこも人がごった返し、内側に入ってしまえば身動きを取ることはだいぶ難しいだろう。どこからともなく聞こえる叫び声なんかは恐ろしささえ感じさせる。市場全体の人々が熱気を発していて、ここだけの目に見えて暑い。ムワムワとした空気が肌にまとわりつく。こんな状態では買い物どころではないが、私には秘策があった。ちょうどよく設置されている柱を登り、市場の建物の屋根の上へ登る。好奇の目で見られるが、そんなこと知ったことではない。
「団長!お待ちしておりました。こちらの準備は出来ております」
「後は、買い物フェーズを無事に済ませるだけです」
「2人ともご苦労様。じゃ、命綱は頼んだわよ」
登った屋根の上には、2人の団員が既に準備を終わらせて待っていた。彼らに手渡された登山用の命綱を体に装着し、私たちは目的の店の屋根の上まで移動する。そう、今回は空から直接店の前へ飛び降り、買い物を済ませたらまた引き上げてもらい、人のいない屋根を移動する作戦。
そのために、暇な団員を2人引き連れてきたのだ。勿論彼らには報酬が先払いで手渡されている。タダ働きはさせない。それが霧の楽団団長としての矜持だから。
「じゃ、いくわよ。合図したら引き上げてちょうだい?この作戦はアンタたちにかかってるんだからね!」
そう2人に忠告をして、私は息を整え、眼下を見やる。雑踏に支配された市場とその熱気がこちらまで伝わってくる。それをしっかりと目に収め、私は壁にぶつからないように勢いよく飛び降りた。
猛烈な風切り音が私を取り巻き、地面がすごい勢いで近づく…と考える間もなく、ぴたりと停止する。そこは間違いなく店の前で、いきなり空から降ってきた私に驚いた人たちが取り乱しているのが、後ろを見なくてもわかった。
「やっほ、連絡してた通り来たわよ、八百屋のおばちゃん」
「本当に上から来るとはねえ…ノゥムちゃんのやんちゃっぷりは、相変わらずだねぇ!付き合わされるお友達も大変だろうに!」
「褒めなくていいのよ。私の取り柄はこれくらいだもの」
「ははっ!褒めてないわよ!で、何がいるんだい?」
「はい、とりあえずこれね本当は昨日来るつもりだったんだけど、まだあるかしら?」
体の大きく威勢のいい八百屋のおばちゃんと軽口を叩き合いながら、私は事前に用意していたメモを渡す。彼女は老眼鏡を取り出し少し顔を顰めたが、すぐに元の明るい顔に戻って商品を一番大きい袋に詰め始めた。
「はい、これでいいかい?見てただろう?」
「えぇ、これだけあればしばらく困らないわ。はい、お代ね」
「まいどあり!今度来る時は、普通に来なね!」
「ま、たまにはそうさせてもらうわね」
パンパンに野菜が詰まった袋を受け取り、買い物が無事終了のを確認して、私は上で控えている2人に端末から電話をかける。そうするとすぐに命綱が引き上げられ、私は屋根の上へと帰還した。
「よし、1軒目完了ね、お疲れ様。じゃ、この調子で行くわよ!」
「了解です、団長!」
私たちは、次の目的地へと向かった。
その後も順調に買い物を済ませ、全ての工程が終わりを告げる。私たちは一番最初の場所に戻り、少し体を休めていた。
「はー、疲れたわね…アンタたちもありがとう。助かったわ」
「いえ、私どもで役に立てることでしたら、いつでもお呼びください」
「そうです、せっかくの団長の指名なんですから」
「そう言ってくれるならこれからも頼ろうかしら?まあ、まずは普段の業務をこなしてから、だけど」
忠誠心の高い部下たちに囲まれ、少しこそばゆい。二代目の私にもこんなに尽くしてくれるなら、お父さんの代の時なんて、命を張るほどに働いていたのだろう。そう思うと、なんだか少し羨ましくなった。
ふと西の方を見る。いつのまにか日が傾き始め、空が少しずつ茜色へと染まり始めている。この時間の空はコントラストがよく映えて綺麗だ。もう少し眺めていたいが、エナも待たせているしそろそろ戻ることにする。
「じゃ、私たちもそろそろ帰りましょ。この後新人を迎えに行かなきゃいけないから、荷物任せてもいいかしら?私の部屋に置いてくれればいいわ」
「はい、お任せください。団長の指示とあらば、従いましょう」
「じゃ、よろしく頼むわね。お疲れ様」
そう言って2人に背を向け、人のいないところ目掛けて屋根の上から飛び降りる。それからペットショップへ向かうと、ちょうどエナが店から出てきたところだった。明らかにオーバーサイズな止まり木を抱えて今にも倒れそうになっている。私でも少し躊躇うほどのサイズだ。
「え、えっと…お疲れ様、エナ」
「あ、ノゥムちゃんっ…ちょ、ちょっと支えてもらってもいいかな…?」
エナが下の方を持っていたので、少し上の方を持って支えてやると、それはやっと安定した。だが、このままでは動けなくなってしまう。
「ありがとう…で、でもこれ、どうしよう…」
「うーん…あ、ちょっと待ってもらってもいいかしら?助っ人を呼ぶわ」
「え、うん…」
私はポケットから端末を取り出し、電話をかける。プルルルと呼び出し音が2回鳴るか鳴らないかくらいで、相手はすぐに電話を受けた。
「もしもし?掃除班?あ、掃除の依頼じゃなくて荷物持ちなんだけど…ジナヴィ市場の前のペットショップまで2人くらい派遣してくれない?おっきいもの買っちゃって…うん、そういうことだから、よろしく」
相手に断る隙を与えず電話を切る。こんなことばかりしているのに信頼されている方がおかしな話だ。まぁ、電話相手は快諾していたが。
「とりあえずうちの団の人間を呼んだわ。荷物はそっちに任せて」
「なんか、ノゥムちゃんって…団員のこと私物利用してるの…?」
「そ、そんなことないわよ…?みんな言うこと聞いてくれるってだけだから!むしろ怖いくらいよ!」
エナが猜疑の目を向けてくるが、本当になぜか信頼されているのだ。それが信頼かどうかはさておいて、だが。
「まあいいわ、待ちましょ…って…あれうちの団員ね…もう来たの…?」
暮れゆく空でも眺めながらのんびり待っていようと思っていたら、視界の奥から手を振りながらこちらに全速力で向かってくる人影が2人現れる。明らかにこちらを認識している。というか連絡してから辿り着くまでが早すぎる。正直、怖い。
「リーダー!お待たせ!荷物ってこれ?」
「お待たせって…そんな待ってないわよ、早かったわね…」
「偶然近くにいたので!ね!」
「…(コクリ)」
饒舌な方の団員が隣の無口な方にとんでもない勢いで同意を求めている。おそらくこの感じ、無理やり引っ張ってきたのだろう。いつも組んでいるから勝手はわかっているのだろうが、後で労わってあげなくてはならない。
「ま、まあ…とりあえず、この荷物を預けるわね。新人の部屋の前に置いておいてちょうだい。私たちは先に帰るから、後は任せたわよ」
「了解っ、リーダー!」
「え、えっと…私の大事な相棒のおうちなので…丁寧にお願いします」
「任せて!こう見えてもうちら、仕事はちゃんとやるから!」
「ま、この子の言うことは信用していいわ。エナ、帰るわよ」
「あ、うん!じゃあ、お先に失礼しますね」
「じゃね〜!」
団員が笑顔でぶんぶん手を振るのを尻目に、私たちは昼に来た道を辿って喫茶店まで帰ることにした。
エナと2人で日の暮れたジナヴィを歩く。この時間からは、私たちが本格的に動き出す時間。勿論、私たち以外の裏の人間も、だが。
ここら一帯は霧の楽団が近く、制圧しているのでそんなことは起きないが、治安の悪い地区では路地裏では怪しい取引なんかがしょっちゅう起こり、チンピラどもの喧嘩も絶えない。
いくら観光地としての側面があるとはいえ、一歩路地に入ってしまえば、そこは闇の跋扈する世界だ。非力なエナがいるので街灯の多い通りを選んで、裏通路のある喫茶店へと歩みを進める。
それは喫茶店が遠目に見え、少し安心した辺りで私の耳に届いた。
近くの路地裏で、何かが倒れるような音。なんてことない、どうせただの喧嘩だろうと思い意識をすぐに元に戻そうとする、はずだった。
そもそも、この辺りは霧の楽団の直接的な勢力圏だ。そんな喧嘩が滅多に起きるはずがない、と考えた瞬間。それと同時に来たのは、身の毛のよだつような、恐ろしい気配。それから、微かに聞こえるりんりんとなる鈴のような音。何かが、いる。近く、確実に。
「エナ、喫茶店見えるわよね」
「え?うん、見えるけど…どうしたの?」
エナはまだ気づいていないのか、話の流れが読めずきょとんとしている。やはり、霧の楽団へ入ったとはいえ、普通の子であることに変わりはないのだ。こういう現象に突き合わせるべきではない。
「オズと一緒にあそこまで走りなさい。マスターには私が言ってたって言えば匿ってもらえるわ、今すぐ!」
「えっ…?ど、どうしたの」
「いいからっ!説明は後!オズ!エナを頼んだわよ!」
「の、ノゥムちゃん…!?わ、わかった!」
エナとオズがここを去ったのを確認して、私は件の路地裏へと向き直る。何かが光を反射して一瞬キラリと輝いた以外は光がなく、依然恐ろしい気配は漂い、定期的にリンリンと音がする。何か不可解だ。これは、ジナヴィを守るため、霧の楽団の出番だろう。幸い戦闘用具一式は常に携帯している。何かいたとしても、切り伏せるだけだ。
「ふぅ…じゃ、確かめにいきましょっか。なんだか、嫌な予感がするのよね」
深呼吸を一つ。無駄に早くなった鼓動を落ち着かせる。目を閉じて、動きをイメージすると同時に、闇に目を慣らす。そして私は、闇が支配し得体の知れない気配のする路地裏へと溶け込んでいった。一振りの短刀を持って。