勇者が冒険に出たその日の夜、ゼノンの家に戻ったクィーリアは、眠れないままごろごろとベッドの上で暇を持て余していた。
思い出すことは勇者のことばかりだ。勇者というものがどういうものかはゼノンから聴いている。おとぎ話の中では魔王を打ち倒して平和を勝ち取っていたが、実際に打ち倒すのは魔王一人で留まるはずがない。
そうなれば、亜人と人間の関係はさらに悪化する。だからこそ、その前に対策を施すべきだったのだが、すでに冒険に出てしまった以上もうどうしようもない。
いっそ冒険なんて失敗してしまえばいいのにと、クィーリアは心の中でひとりごちた。冒険に失敗して、それでもカラルメイカが言ったように何事もなく街に帰ってきて――
――それから彼女達が次の冒険に出向くまでに、自分は一体何ができるんだろう。
クィーリアはごろりと寝返りを打った。人間領にやってくる前に嫌というほど感じさせられた無力感が、黒い靄のように形作られクィーリアの頭と胸を埋め尽くす。
悩んでいても仕方ない。今はさっさと眠ってしまおうと、クィーリアはベッドの上で仰向けになって瞳を閉じた。部屋はしんと静まり返り、クィーリアの耳に周囲のささやかな音が届き始める。
自分の呼吸音。家が軋む音。そして、窓の外で草木を揺らす風の音――。
「……?」
ふと、窓の外から聞こえる風の音に混じって、二人分の足音がこちらに向かって近づいていることに気付いた。よく耳を澄ませてみると彼らの荒い息遣いも耳に届いてきた。どうやらかなり急いでここまでやってきたらしい。
「クー、起きてるか?」
「……バヴェル? アルメット? どうかしたの?」
聴きなれた声を聴き、クィーリアは窓を開けて顔を出す。
家の前に立つのは、先日もゼノンの家にやって来たバヴェルとアルメットだった。定期報告の日はまだ先のはずだ。それなのにクィーリアの元を訪れたということは、何か急ぎの用件が出てきたのだろうか。
開け放った窓からクィーリアはひらりと身を宙に躍らせ、そのまま音もなく着地した。彼女の後ろからは同じく外の様子に気付いたゼノンが、玄関から家を出て三人の方へと歩み寄ってきた。
バヴェルが呼吸を整えている間、二人は静かに彼の言葉を待った。まだ何も起きていないにも関わらず周囲を包む緊張感はすさまじく、クィーリアの心臓が早鐘のように打っている。
そしてしばらくして、バヴェルが一言告げた。
「人間領内で、純白瘴気が観測された」
バヴェルのそのたったの一言で、クィーリアの顔はさあっと青くなる。
「……場所は!?」
「ここ。あくまで遠目から見て、おおまかな位置を記しただけだけど」
クィーリアの言葉に、アルメットが懐から地図を取り出して広げてみせた。地図を覗き込んだクィーリアとゼノンが位置を確認し、お互いの顔を見合わせる。
目で訴えかけるクィーリアに、ゼノンが無言のまま頷き返す。地図上のバツ印は、その日冒険に出た勇者が通るであろうルートからかなり近い位置にあった。
「ゼノン! 早く行かなきゃ――」
「落ち着け。今からこの場所に向かおうにも準備不足だ。遭難者を増やすだけになる」
今にも走り出そうとし始めたクィーリアをゼノンが制した。焦りを露わにし逸る心を抑えきれない様子の彼女に、ゼノンはさらに言葉を続ける。
「まだ勇者と魔物が出くわしたと決まったわけではないだろう。それに、勇者がその魔物に負けたとも限らん」
彼の言うことはもっともだ。
そもそも、勇者の圧倒的な実力はクィーリアも一度見ている。正直今でも、彼女が負けるようなイメージはさっぱり浮かばない。
そんな勇者を倒せるような魔物が現れたとしたら、自分達が助けに向かったところで敵うはずがない。それが準備不足を承知で、突発的に向かうというのならなおさらだ。
「ひとまず今日は休め。明日もう一度ギルドに向かうぞ」
ゼノンの提示した落としどころにクィーリアもうなずいて同意する。バヴェルとアルメットは引き続き純白瘴気が観測された地点周辺の監視と調査を続ける用だ。一応話はまとまり、その場は一時解散となった。
三人と分かれたクィーリアは部屋に戻り、ベッドに横になる。だが、バヴェルの話を耳にして以降、それまで感じていた無力感以上の不安が胸の中で渦巻いて、とてもではないが眠れる状態にない。
結局、一睡もできないまま、翌朝が訪れた。