生暖かい目でお見守りくだされば幸いです。
〈大災害〉からしばらく経った頃。
ゲームが現実となってしまったアキバの街。
そのアキバの港で、蒸気船〈オキュペテー〉の進水式が行われていた。
多くの人が見守るなか、〈オキュペテー〉は船台からゆっくりと滑り降り、無事進水した。
探検用スループ船〈コルデーリア号〉を根城にしている〈サイレン〉の団員たちは、その様子を見て完全に固まっていた。
煙突と外輪、広い甲板。
そして、いかにも「これから海に出る」と言わんばかりの存在感。
「…ムゥ」
中島雷電が丸メガネを押し上げた。
「蒸気船である。古代ミノス文明の精霊式火釜にまで遡る由緒正しき方式であり、明美(ミンメイ)書房にも―」
「雷電」
月光が遮った。
「長い」
剣カツヲは、目を輝かせて〈オキュペテー〉を見ていた。
「団長! あれ欲しいっす!」
「うむ」
団長、江田島波平は腕を組み、〈オキュペテー〉を見つめていた。
声は低い。だが、全身から対抗心がにじみ出していた。
「よい船だ」
「団長、うちには〈コルデーリア号〉があります」
松尾が言った。
「小さい」
「探検船ですから」
「狭い」
「スループですから」
「カツヲが転ぶ」
「それは船のせいじゃありません」
東郷が真顔で言った。
江田島は黙って〈オキュペテー〉を見つめた。
「我らにも、船が要る」
「あります」
「もっと大きな船である」
「予算がない」
月光が即答した。
「そこを何とかせよ」
「この月光、生来目が見えん」
「見えてるでしょう、月光さん」
東郷が言った。
月光の視力は両目二.〇である。
ともあれ、〈サイレン〉は動いた。
木工職人、鍛冶職人、造船系の生産職、魔導機械に詳しい職人、船舶アイテムを扱う商人。
思いつく限りの伝手を回った。
結果は、当たり前だが惨敗だった。
「五十人乗れて、遠征できて、厨房があって、船室があって、将来的に魔導機関を積めて、甲板戦闘も可能な船?」
「そうである」
「予算は?」
江田島が横を向いた。
「お帰りください」
どこへ行っても、大抵こうなった。
月光が値切り、マスオが構造と耐久性の話を詰め、雷電は余計な仕様を付け足した。
最後には、どの店でも同じ言葉が返ってきた。
「まず、今の船を大事にしてください」
*
〈サイレン〉の面々は、夕暮れのアキバ港で小さな〈コルデーリア号〉を見下ろしていた。
細いマスト。狭い甲板。こぢんまりとした船体。
朝までは頼もしく見えたその船が、〈オキュペテー〉を見た後では、ひどく小さかった。
「…小さいっすね」
カツヲが言った。
「だが、我らの船だ」
江田島は言った。
「いつか、より大きな船を持つ。それまでは、これを使い切る」
その言葉に、団員たちは一応うなずいた。
納得したわけではない。
だが、江田島がそう言うと、なんとなくそういうことになる。
*
その数日後である。
ヨコハマ方面へ哨戒に出ていた団員たちが戻ってきた。
哨戒、と言えば聞こえはいい。実態は、港周辺の様子見を名目にした半分サボりである。釣り竿を持っていた時点で、言い逃れは難しい。
だが、その団員たちは妙に真顔だった。
「団長。変なものを見つけました」
「変なもの?」
「海岸沿いに、船の遺跡があります」
「沈没船か?」
「いえ。埋まってます。というか、飾られているというか……」
報告を聞いた江田島は、すぐに主要メンバーを連れてヨコハマ方面へ向かった。
浜に上陸し、砂利まじりの砂浜を歩いた。
海岸沿いに、それはあった。
〈ミカサの記念碑跡〉
砂浜と岩礁の間に半ば埋もれ、波に洗われ続けた残骸が、ただ海を向いていた。
かつての面影もなく、どこから見ても「走る船」ではなかった。
それでも、その大きさは〈コルデーリア号〉と比べるまでもなかった。
現実世界に存在したミカサが、〈エルダー・テイル〉の世界では遺跡としてそこにあった。
最新のアップデートで配置されたらしい、古代文明の遺構だった。
江田島がおもむろに言った。
「…三笠である」
「三笠ですけど、動きませんよ」
東郷が言った。
「直せば動くのではないか」
「団長、無茶です」
田沢が言った。
「あれは元々動きません。港湾施設というか、記念碑というか」
「ムゥ…だが、もし遺物扱いならば、修復判定が通る可能性がある」
雷電が眼鏡を押し上げた。
「何を根拠に?」
「明美書房に―」
そこで話は終わらなかった。
〈サイレン〉には、主要メンバーではないが、珍しいサブ職業を持つ団員がいた。
〈修復師〉である。
壊れたものを、元の状態に復元する技能を持ったサブ職業である。
もっとも、直すよりも作った方が早いため、人気はなかった。
だが、今の〈サイレン〉には必要だった。
「呼べ」
江田島は言った。
「本人たち、釣りに来ただけですけど」
「今日から修復班である」
「ひどいっすね」
カツヲが呆れたように言った。
数名の〈修復師〉持ち団員が、半ば強引に連れてこられた。
彼らは困惑しながらも、遺構に手をかざした。
淡い光が、錆びた砲塔、甲板、艦橋、舷側をなぞっていく。
そして、変化が起こった。
朽ちていた船体が、少しずつ形を取り戻していった。
失われていた部材が補われ、剥げた塗装が整っていく。
傾いた構造物が復元される。
誰もが声を出さず、ただ、その光景を見ていた。
「おお…!」
カツヲが声を上げた。
「動くんすか!?」
「いや」
マスオが艦内を見て、顔をしかめた。
「これは駄目だ。綺麗にはなってる。けど、機械として生き返ってねえ。展示物として復元されてる」
東郷も頷いた。
「もともと記念艦ですからね。船としての機能は戻っていません」
江田島は腕を組んで海を睨んだ。
失敗だったが、完全な失敗ではなかった。
「つまり」
雷電が言った。
「船の遺構は、修復できる」
全員が黙った。
月光が帳簿を開く。
「金がかからない可能性がある」
「いや、素材と人手は要るぞ」
マスオが言った。
「だが、一から造るよりはましだ」
田沢も考え込む。
「港にある遺構や座礁船なら、問題も違ってきますね」
江田島は再度海を睨んだ。
「探せ」
その一言で、〈サイレン〉は動き出した。
大地人の猟師や船乗りに聞きまわった。
北から帰ってきた冒険者に酒を奢った。
怪しい資料を持ち出し、出費を渋りつつも情報を買い漁った。
やがて、ある噂に行き当たった。
北千島の霧深い海。
岩礁に、座礁した船の遺構を見た者がいるらしいと。
*
「出動!」
江田島が言った。
「本気ですか」
松尾が言う。
「本気である」
「遠いです!」
「漕げ」
「帆船ですよ?」
「風がなければ漕げ」
「全員でですか?」
「全員である」
探検船〈コルデーリア号〉は、小型船である。
甲板は狭く、満足な厨房すらなかった。
毎度の食事は味噌汁と握り飯。
交代で船を操り、夜空を見ながら眠った。
それでも、帆を上げて風を受け、時には全員で櫂を漕いだ。
「なんで俺まで漕いでんだよ!」
マスオが怒鳴る。
「推進力である!」
江田島が答える。
「団長も漕げ!」
「漕いでおる!」
「姿勢だけじゃねえか!」
カツヲは楽しそうだった。
「うおおお! 青春っすね!」
「青春どころではない」
月光が冷静に言い放った。
やがて空気が冷たくなり、白い霧が海面を覆い始めた。
静まり返った海域。
船の軋みだけが、やけにはっきり聞こえた。
松尾が舵を握り直した。
「団長。霧が濃いです」
田沢が周囲を見回す。
「この先、戻るのも難しくなります」
東郷が甲板を確認した。
「全員、ロープ踏まないように。転んだら洒落になりません」
江田島波平は、船首に立っていた。
霧の向こうには、何があるか分からなかった。
果たして、座礁船の遺構か、ただの岩礁なのか。
それでも、彼は腕を組んだまま言った。
「進め!」
スループ船〈コルデーリア号〉は、霧の海を進んだ。
サイレンの旗を翻しながら。
用語
修復師:サブ職業。鍛冶師や細工師のように物を作るのではなく、割れた壺や美術品や、古代の魔導機械など、壊れたものを復元する職業。なお、独自オリジナル職です。
明美書房:本小説に登場する架空の出版社。1982年に鈴明美(りん・みんめい)が創業した。