名前を付けてからも育児は続く。彩葉が泣き出したらミルクかオムツを変え、夜になったら沐浴を済ませて綺麗にする。そうしたら東竹屋で買った子供服を着せてやったら―――全力で可愛がる。
「あなたの名前は、彩葉!」
「あきゃ?」
「ママの名前は、かぐやだよ!」
「きゃっきゃ!」
今のうちに名前を刷り込んでおこう。何度も名前を呼びそれらしい反応をしてくれたら、ほっぺをすりすり、抱っこしてユラユラ、褒めに褒める。その度に愛おしさで胸が溢れそうになるが、特に可愛いのは、1度離れてから再び抱き上げる時に見せる笑顔だ。余りに愛おしい。こんなに愛らしい存在が実在するなんて、少し前までは信じられなかったかも知れない。
時が進んで夕日が沈み既に夜になっていた。その間にも何度かミルクを与えて背中を叩いてげっぷをしてあげる。
(今日は忙しかったなぁ)
昨日の夜に彩葉を拾って、今日は開店と同時に子供用品を買い漁って、人生初の育児を若干ビビりながら完遂した。今日はもう消化試合だ、特に何もすることは……
ピピピッ
「あ、ヤチヨのライブ忘れてた!?」
「きゃ?」
今日は月見ヤチヨのライブ予定日。ライブは一般の動画サイトでも視聴できるが、120%楽しむ為にはヤチヨが活動している仮想空間ツクヨミ内で視聴するのが1番だ。臨場感もあるし、声質が一番良いし、何よりも触れ合えれる機会が偶に訪れる。その時間は通称、ヤチヨタイムと呼ばれ、ヤチヨの気分で行われる。
ヤチヨタイムの最初にして最も有名な例として、視聴者参加型のホラゲー配信中のヤチヨが『きゅっけーい、今日は特別にー!みんなの所にヤッチョが化けて出るよ~』と喋って5秒後、ツクヨミ外縁部の水没空間で視聴していた一般人の元に出現し、後ろからハグして『こんにちは』とASMRモードで呟くという犯罪級の事を仕出かしたのである。
やられた視聴者は興奮の余り語彙力を喪失し、同時にコメント欄は当然加速した。
『は?』
『裏山』
『なんや今の声(´^ω^`)』
etc
それ以来ツクヨミ内視聴者数は激増した。かぐやもその一人である。ただ、今日は流石にできない。ならば
「よし、一緒に見よっか。」
『今日はねぇ、視聴者のみんなから勧められた―――』
「きゃっきゃ♪」
布教するまでの事。かぐやは彩葉を抱き寄せながら、布団に寝転びだらしなく視聴する。ヤチヨの圧倒的なトーク力、飽きない展開、カリスマに惹き付けられて、気づいた時には24時。深夜の域に入ろうとした所で、カフェインを摂取していない状態のかぐやは、カクッ……カクッとして数分後、寝落ちしてしまった。
「あう~!」
ただ一人、彩葉だけは魅入られた様にヤチヨを見続けていた。
1日目を乗り越えた。意識朦朧ながら時折起きてミルクを与えて、身体が勝手に電気とタブレットを消して、気づいたら翌朝になって、仰天するのだ。竹取物語を想像して名付けたものの、実際に翁や嫗と同じ体験をするとは想像していなかった。一夜にして、竹の子の様に10ヶ月程度まで大きくなるとは……
「彩葉、やっぱりおっきくなってるよね?」
朝焼けと共に目覚めた時、昨日と比べて明らかに成熟している姿に目を丸くする。小さかった手や身体も発達していて、昨日よりも動き出しそう感が強くなった。その予感の通り、朝日に照らされて目覚めた彩葉は一目散に朝食の準備を進めているかぐやの元へと向かってハイハイを始めた。
「まぁあー!」
「えっ!?」
経験上、ミルクかオムツ替えの時の泣き声しか知らない訳で、初めての声という声が後ろからした時、かぐやは驚きバッと振り返った。
「きゃぁっきゃ!」
「え、え、ハイハイしてるの!?」
ゆっくりと歩んで来る彩葉の姿に驚きながらも、懐に忍ばせていたスマホを直ぐに取り出し動画に残す。僅か10数秒程度の物だが、貴重な成長記録として後々かぐやが彩葉にお母さんムーブをする為に重宝されるだろう。閑話休題、スマホを向けながら、上手に両の腕を広げて「おいで」とするのを忘れない。
そうして、そこに飛び込んできた彩葉を全力で可愛がるのだ。
「ちゃっちゃ!まんま!」
「抱っこして欲しいのかな、おいしょ。…………あれ、今喋って……彩葉凄いよっ!花丸百点付けたげる。今日も過去最高に可愛いんだからっ、もうっ」
彩葉を生後何ヶ月で例えるなら、今は生後10ヶ月程度と言ったところか。10ヶ月となると赤ちゃんに出来る事は格段に増える。先ず挙げられる点として若干歩ける様になる事で、部屋中をハイハイしたり、手を取って捕まり歩きを出来るようになる。又、言語の発達が早い子になると既に単語を話せるようになるのだと言う。
と、ここまでがかぐやがスマホで調べた情報。つまり、彩葉は天才ってこと。
「まぁあ!」
「かぐやママだよー。こっち見てー、三二一。よし、アルバムに残さなきゃ」
その日一日のすべき事が決まった。彩葉の成長をアルバムに保存することである。ハイハイするのも、単純な言葉を話すところ、買ってきた離乳食とミルクを食べるところ、全てを。
「はーい、ご飯だよ」
「あんよが上手、あんよが上手」
楽し過ぎる
ただ、成長したことで昨日よりも気にする事が増えた。例えば、気づいたら机に向かってハイハイしていて角に頭をぶつけかけた所を守ったり、あれこれ食べようとしたりと忙しい。夜泣きもしないし大きく泣かないし育て易い大人しい子ではあるものの、これまで以上に目を離せなくなった。
「彩葉危ないっ」
「食べちゃだめ!」
昨日までの大人しさは何処へ消えたのか。メッ、と叱れば賢いので大人しくなるのだが、かぐやは余り多くを叱れなかった。もうとっくに堕とされてしまっていた。甘やかしていた。そんな事もありながら、付きっきりで言葉を教え込んだり、古典から竹取物語や玉水物語、方丈記や徒然草を朗読したり、一緒にスマホで子供向け番組を見たりして一日を過ごす。
気づいたら三連休2日目の夜になっていた。休日も明日の月曜日の一日しか無いなんて信じられない。夏休みや冬休みの終わり頃にも似たような事を思った経験が有るけれど、それと同じで楽しい時間は一瞬だ。
勉強、なにそれ分かんない。期末テスト……は何とかするから大丈夫。三連休が終わったら…………………………
どうしよう
「きゃあっ♪」
「彩葉は元気だねー。お湯かけるよ~」
ざぶーん。お湯を優しく掛けて泡を流してから一緒にお風呂に浸かる。いつもより温めにしたお湯が好きみたいで良かった。心做しか普段よりも声色が高い気がする。その逆で、こっちは少し落ち込んでしまっていた。お風呂に入ると妙に思考がクリアになって色々考えてしまうのは自分だけで無い筈、これまで考えていなかった部分を想起させられて、楽しい筈の時間なのに、心がどんよりしていく。
私、お母さんみたいな、お母さんには成れないよ。
「まあま?」
「いいやっ、私らしく生きよう!それが良いよね、ねっ彩葉?」
「うぇあ!」
翁、心地あしく苦しき時も、この子を見れば、苦しき事もやみぬ、腹立たしきことも慰みけり。今の自分も同じ感じだ。この子の事を思えば何とかなると、何とかしてみせると思える。気分を持ち直し、お風呂から上がって身体をしっかり拭き、もうお眠な彩葉を寝かしつけ。一人ヤチヨの配信を見ながら、電気を消しいつの間にか寝た。
▼△▼△▼△▼△
「まま、かぐやさん?」
その日の夜は夢を見ていた。小さかった筈の彩葉が自分の腰ほどの大きさまで成長していて、布団の中をモゾモゾと動き抱き着いたと思ったら澄みながらも甘い声で名前を呼んでくる夢。夢と言えば、お母さんに何時間も叱られる悪夢、お兄ちゃんが謎のダンスを踊っている面白い夢、稀にお父さんにプログラミングを教える代わりにピアノを教えて貰って……撫でて褒めてくれる優しい夢の3種類がデフォルトだから貴重な体験だ。
夢の中でも彩葉は可愛いね
「よ、し、よ、し」
「ミルク、欲しい…です。」
「ミルクぅ……いいよぉ。」
夢の中なのに妙にリアルだ。布団の中で抱き寄せ濡羽色が美しい髪を撫でる時の気持ちいい触感、目の前の幼女は紛れもなく本物の様に見えるし、立ち上がったら腰にギュって抱き着いてくる感覚もまたリアル。
電気をつけ、手を入念に洗って、粉ミルクの量を測って、お湯を入れてから人肌まで冷ます。作っている最中も、未だ抱き着く彩葉を片手で撫でるのはやめない。ここまで現実をリアルに再現する夢は一年に一回あるかないか。まて、これ本当に夢か?
「できたよぉ。ほ~ら」
「その、一人で―――んむっ!?」
出来上がったミルクを飲ませるべく、哺乳瓶の乳首を彩葉の口へと近づけ、近づけ……いつまで経っても吸い出さない。何か言った気がするか聞かなかった事にして、半ば強引に口元に押し付けて吸わせる。
諦め、恥ずかしそうにミルクをコクコクと飲み干していく。徐々に意識が覚醒してきたかぐやは、しっかりとミルクを飲んでいる幼女の姿を昨日の様子と比べて観察する。
「もしかして、これ現実か」
「んん。こく、こく。ぷはっ」
「彩葉……なの?」
2日目も驚いたが、今回はもっと驚いた。竹取物語でも3ヶ月でようやく人並みの背丈になったと記されているのに、それよりも遥かに早い成長だ。物語のいろは姫よりも何倍も成長が早いとは。今時は何もかも早いと言うが早すぎるわい。あ、目と目があった。やばい、ふつくしい。
「ご馳走様でした。ミルク、ありがとうございます。」
「か……か……」
「その、怖がらせたかった訳じゃ……迷惑をお掛けして申し―――」
「可愛いっ!!」
「へ?」
かぐやは彩葉を決して曇らせない。そんな隙など与えない。かぐやは拾い上げたその瞬間から一目惚れしているし、育て上げると決めている。迷惑に感じた事なんて1度だってない。これまでも、これからも毎秒可愛いと愛おしいの世界新記録を更新し続けていく彩葉にゾッコンだ。
「今日も過去最高に可愛いよ彩葉!」
「あ、ありがとう、ございます。」
「それから、かぐやは彩葉の事を迷惑だなんて思った事ないよ!むしろずっとずっと一緒にいて欲しいぐらいだよ!」
彩葉を褒めるBotと化すかぐや、かぐやに褒められて感謝するBotと化す彩葉。それは、かぐやが思い出した事があったかのようにコホンと咳払いをして中断させるまでの数分に渡って褒め合い感謝し合いは続いた。
「コホン、彩葉に聞きたいことがあったんだー」
「は、はいっ。何でしょうか」
「コレ、見覚えある?」
未だ続くヤチヨの配信を写し続けるタブレット。そのタブレットを手に取り、いじり、彩葉へダウンロードをしたあの物語を見せる。名付けした時からいつか質問すると決めていた。当然、その物語とは竹取物語の事であり、聞きたい事とは作品内に登場する”
「一応ストーリーを説明すると、月からやってきたお姫様である
「…………」
「彩葉?」
「すみません。記憶領域が少し壊れてて、以前の事は……」
申し訳なさそうに、悲しそうに身を縮ませる彩葉。すかさず大丈夫大丈夫とフォローするものの暗い表情は緩みもしない。何度も「すみません」と言って頭を下げる。しかも「かぐや」ではなく「かぐやさん」と言ってくる。かぐやの中で、モヤモヤが生まれて、直ぐに答えを得た。
(むむむ、さっきからよそよそしいっていうか……他人行儀っていうか……叱られてる子供みたいになってない、これ?)
似たような場面を何度も何度も体験して覚えている。これはお母さんに激詰めされている時と似ている。何時間も何時間も、理詰めされて泣く事も許されていなかった時の自分にとても似ているのだ。あの時はお兄ちゃんが間に立ってくれたお陰で何とかなったが、今回は自分一人。目の前の自罰的な彩葉を立ち上がらせなければ……元気にさせなくてはならない。
同時に目標が生まれた。
(絶対”かぐや”って言わせるからっ)
その為の行動を開始する。先ずこの場での最適解は、空気感を変え話題を消し去ること。
(空気感を変えなくちゃっ)
「ご飯食べよっか!うんっ、彩葉も食べるよねっ!ねっ!?」
「ありがとうございます」
「よーし、かぐやちゃん特製オムライスを作っちゃる。期待して待っとき!」
あぶねー、と内心で叫ぶ。何とかなった。
じゃっじゃっじゃっ
テキパキとした手際でオムライスを作っていく。淀みなく、丁寧に。これでもカフェで働いているのだ。ホールスタッフだけを担当している訳がない。調理場にも立って調理しているのだ、包丁さばきと卵を割るのはベテランクラス。
同世代の女子の中でもトップクラスの家事力はあると自負しているし、何よりも真美にも美味しいって褒められている。さあ、味わうがいい。かぐやちゃん特製のオムライスをっ!!!
「いっちょ上がり!」
「お、おお……」
「スプーンを使ってお上がりよ。ってスプーン使った事ないもんね。これはこう持ってね――――こう使うの」
「なる、ほど。頂きます」
銀色に輝くスプーンが、オムライスに突き刺さる。ただでさえ深夜にオムライスだ、ソースとトマトケチャップの香りが鼻腔をくすぐり食欲を爆発させる。熱々のご飯と卵をスプーンに乗せ、いざ頬ばる。
緊張の瞬間、かぐやも固唾を飲んで見守る。彩葉の小さなお口が開き、食べた瞬間―――
彩葉は沈黙した。口にスプーンを突っ込んだ状態で何も動かない。
かぐやは悪い意味で緊張を始めた。美味しくなかったのか、はたまた地球産の食材は身体に合わなかったのか、不安を胸に逡巡する。だが、そんな事は杞憂に過ぎなかった。
「うっま!?なにこれっ!?」
感極まった表情で、叫ぶ彩葉。一目散に目の前のオムライスを食べ進めて行くのと同時に、一口事に「うっま」や「美味しすぎるのよ」、「地球って最高なのよ」と小さく呟いている。
これにはかぐやが思わずガッツポーズを取るのも無理もない。明るい空気を取り戻し、感動させたかぐやの完全勝利。
これが記念すべきかぐやと彩葉の料理対決の第一日目。この日はかぐやちゃん特製オムライスの完全勝利として記憶されるとさ。めでたしめでたし