違和感 作:自給自足
朝のニュースは、何事もなかったかのような穏やかな顔をしていた。
画面の中で、アナウンサーが明るい声で言う。
『本日も各地で穏やかな天気が続いています』
その背後。街の映像が流れている。
しかし、ビルの上半分が忽然と消えていた。道路が途中で途切れ、まるで巨大なスプーンで抉り取られたように空間が欠落している。
だが、誰もそれに触れない。誰も、指摘しない。
佐藤悠はスマホを握ったまま、微動だにしなかった。
『続いて、交通情報です』
番組は普通に進行していく。画面の中では、何もおかしくないことになっている。
それが、かえって恐ろしかった。
確実に、何かが足りない。
画面を閉じ、顔を上げる。
店内はいつものままだった。
蛍光灯の白い光、レジ、商品棚。すべてが整然としている。
そして、棚が一列分だけ“抜けた”。
商品ごと、跡形もなく消える。
しかし、次の瞬間には何事もなかったように元に戻った。
何も言わなかった。
言葉にしたら、二度と戻らない気がした。
自動ドアが開く。
若い男の客が入ってきた。
普通に歩き、普通に商品を手に取り、普通にレジへやってくる。
「これ」
「はい」
バーコードを通す。
ピッ。
電子音が鳴る前に、すでに鳴ったような気がした。
袋に入れ、結んで差し出す。男がそれを受け取る。
その瞬間。袋が、二つになった。
「……?」
男が自分の手元を見る。
一つは、確かに男の手に持っている。
もう一つは、レジの上に置かれたままだった。
「……これ、さっきもらいました?」
「……いえ」
答えながら、自分でも分からなくなった。
渡したのか。渡していないのか。
男は戸惑いながらも、袋を一つだけ持って肩をすくめた。
「……まあ、いいか」
そのまま店を出て行く。
ドアが閉まり、静寂が戻ってきた。
レジの上には、袋が一つ残っている。
結び目が、完璧に揃っていた。
手に取る。
軽い。
だが、確かに誰かに渡した重さが、指先に残っていた。
スマホが震えた。
通知。
『広域異常発生』
慌てて画面を開く。
街の映像。ビル群の間に、まるで巨大な穴が空いている。空間そのものが丸ごと抜け落ちていた。そこに何があったのか、誰も説明できない。
『観測不能領域、拡大中です――』
アナウンサーの声が、途中で唐突に切れた。
別の映像に切り替わる。
自衛隊の部隊が展開している。しかし、隊員の数がフレームごとに変わっていた。五人だったものが、次の瞬間には四人になっている。
誰も、それに気づいていない。
『照準合わせろ!』
通信が飛び交う。
砲撃。
だが、弾道が途中で消える。
佐藤は画面を凝視した。
分かっている。揃えればいい。これまでは、そうしてきた。
視線を高速で動かし、複数の映像を同時に追う。
上空、地上、遠距離。
しかし、どれも一致しない。
どれも途中で欠け、途切れている。
その中に、混ざり始めた。この店内の映像。
白い蛍光灯。レジ。そして、レジの前に誰かが立っている。
息が止まった。
見ようとする。
しかし、はっきりと見えない。
それでも、いる前提で世界が動いていることが、痛いほど伝わってきた。
手が、勝手に動いた。
袋を一枚取り、結ぶ。
何もない空間に向かって、差し出す。
自分で、自分の動きを止められなかった。
その瞬間。世界が止まった。
音が完全に消える。完全な無音。
すべての映像が、一斉に固定された。
上空の視点、地上の視点、そして店内の視点。全部が、同じ位置に重なり合う。
そして、そこに二人分の位置があった。
自分と。もう一つ。
「……誰だ」
言葉が、勝手に零れた。
しかし、答えはない。
世界が再び動き出した。
砲撃。命中したことになっている。
同時に街の一部が、音もなく消えた。前触れもなく、建物ごと、人ごと。なかったことになる。
『区域D――』
通信が途中で途切れた。
次のフレームでは、何もなかった。最初から、何も存在しなかった場所のように。
スマホの画面が暗くなる。
店内に、静けさが戻ってきた。
何も変わらない、はずなのに。
レジの前。誰かが立っている気がした。
視線を向ける。
いない。
だが、手はまだ袋を差し出したまま、止まっていた。
ゆっくりと手を引き戻す。
レジの上には、袋が二つ置かれている。
どちらも同じ形。同じ結び目。完全に一致している。
どちらが先で、どちらが後なのか、分からない。
どちらを、誰に渡したのかも。
分からない。
口を開き、何かを呼ぼうとした。
しかし、声が出ない。
呼ぶべき名前が。最初からなかったみたいに。
完全に、消えていた。