違和感 作:自給自足
いつからか、分からない。
時間が、繋がっていない。
気づいたときには、レジの前に立っている。
袋を結んでいる。
その前の記憶が、すっぽりと抜け落ちている。
手が勝手に動く。指が、機械的に結び目を作り、形を整える。
完璧に揃う。
揃いすぎる。不自然なほど正確だった。
顔を上げる。
店内には誰もいない。
しかし、さっきまで誰かがいたという感覚が、粘つくように胸に残っていた。
「……ありがとうございました」
口が動いた。
誰に向けた言葉なのか、分からない。
自動ドアが開く。
風が入る。
誰も通らない。
遅れて気づいた。
今の声は、自分のものだったのかどうか。それすら、自信が持てない。
レジの上に、袋が四つ置かれている。
さっき、いくつ結んだ?
思い出せない。
数える。一、二、三、四。
それで合っているはずだ。
だが、指先には五つ目の重さが、はっきりと残っている。
スマホが、いつの間にか手に握られている。
画面はすでに配信アプリを開いていた。
戦闘は続いている。
しかし、音がない。
映像だけが、無音で流れている。
隊員たちが走り、砲撃が放たれる。
口が動いているのに、何の声も聞こえない。
画面の中の一人がこちらを振り返った。
目が、確かに合った。
次のフレームで、その隊員は忽然と消えていた。
他の隊員たちは、何事もなかったように動き続けている。
誰も、気づいていない。
息を吸おうとした。しかし、空気が入ってこない。
身体の感覚が、すべて遅れている。
手を見る。
指の輪郭が、わずかに二重にずれている。
少女の顔が、断片的に浮かんだ。
同じ時間に現れ、同じ商品を買っていた少女。
薄いカーディガン。静かな声。軽い指先。
彼女は、怪物が現れるずっと前から、この店にいた。
いや、自分が、無意識に彼女を観測し続けていたから、いた。
「……君は、誰だったんだ?」
呟いても、答えはない。
ただ、胸の奥にぽっかりと空いた穴が、静かに疼いた。
視線を上げると、レジの前に客が立っていた。
女性だ。
「これ」
声が聞こえる。
しかし、口が動くのはその少し後だった。
「……はい」
バーコードを通す。
ピッ。
電子音が二回鳴った。
一回は実際に聞こえ、もう一回は記憶の中にだけ残っている。
袋に入れ、結んで差し出す。
女性が手を伸ばす。
指が、すり抜けた。
「……え?」
女性が戸惑う。
もう一度伸ばした手は、今度は触れた。
袋を受け取る。
だが、同時にレジの上に、同じ袋が残っていた。
女性はそれに気づかず、店を出て行った。
レジの上に、袋が五つになっていた。
どれが現実で、どれが渡したものなのか、分からない。
自分の名前を思い出そうとする。
出てこない。
自分の顔を思い浮かべようとする。
輪郭がぼやけ、定まらない。
誰かに見られていないと、自分の形すら保てない。
そんな、恐怖が胸に広がった。
監視カメラのレンズが、こちらを向いている。
赤いランプは点いていない。
録画されていない。
一歩踏み出す。
足音がしない。
遅れて、ようやく音が鳴る。
スマホのカメラを起動し、自分に向ける。
画面には店内が映っているが、自分自身は映っていない。
手を上げてみる。
画面の中には、何も映らない。
現実では、手は確かにそこにある。
だが、誰の目にも映っていない。
誰も、この店にいる「佐藤悠」を観測していない。
「……分かったよ」
佐藤は小さく呟いた。
自分は、もう確定していない。
少女が消えたときから、観測の鎖が解け始めていた。
彼女を見続けていたことで、かろうじて保たれていた均衡が、崩れ始めたのだ。
その瞬間、世界がわずかにズレた。
音が完全に消える。
すべてが静止する。
最後に残ったのは、ただ一つの感情だった。
寂しさ。
「……ごめん。最後まで、見てやれなかった」
声は、音にならなかった。
次の瞬間。時間が、再び動き出した。
店内は、何も変わらないように見えた。
蛍光灯の光。レジ。袋。
しかし、そこに。誰もいない。
レジの前には、袋が一つだけ置かれている。
結び目が、完璧に揃っていた。
それが、誰によって置かれたのか。
誰にも、分からない。
最初から、なかったかのように。