違和感 作:自給自足
東部方面管制群・即応戦術室。
室内の空気は、いつになく張りつめていた。
「対象、再出現。座標E-17……いや、E-21へドリフト」
報告が途中で書き換わる。
オペレーターの声が、一瞬だけかすれた。
壁面に並ぶ大型スクリーンには、複数の映像が映し出されている。上空ドローン、地上観測車両、衛星画像。どれも同じ対象――UGF-05を捉えているはずだった。
なのに、位置が揃わない。
「観測点ごとに像がズレています。補正をかけると……逆に崩壊します」
「フレーム補間は?」
「無効です。連続性が維持できません」
室内の温度が、ほんのわずかに下がったように感じられた。
統合火力管制官・久我は、腕を組んだままスクリーンを見つめていた。
そこにいる。
確かに、黒い影は存在している。
だが、どこにいるかが確定しない。像は常に微妙に揺らぎ、観測者によって位置がずれる。
「被害報告」
「市街地ブロックC、三棟崩壊。発生時刻は――」
オペレーターが言葉を詰まらせた。
「……不明です」
「またか」
久我は短く吐き捨てた。
崩れたという事実だけがあり、崩れる瞬間がどこにも記録されていない。映像にも、センサーデータにも、人の記憶にも。
久我は端末を操作し、過去の戦闘ログを呼び出した。
前回戦闘の発射時刻、弾道、着弾時刻。
すべてのデータが同一時刻を示していた。
「……揃っている」
誰かが小さく呟いた。
「実際はズレていたはずだ」
別の声が即座に反論する。
「だが記録上は同時だ」
久我は画面から目を離さず、ゆっくりと言葉を選んだ。
「……揃ったことになっている」
重い沈黙が落ちた。
久我は静かに息を吐き、決断を下した。
「同期射撃を実施する」
命令は短く、迷いがなかった。
「全火器、時刻同期を最優先。誤差は±5ミリ秒以内」
「不可能です。現行システムでは――」
「やれ」
久我は遮った。
「できなければ、当たらない」
それ以上の説明はしなかった。
市街地外縁、防衛ライン。
対怪獣戦術車両《ガーディアン》と火力支援ユニット《バリスタ》の砲塔が、一斉に同じ方向へ収束していく。
「タイムコード受信、同期開始」
通信が次々と重なる。
『Aユニット、誤差6ミリ秒』
『Bユニット、補正中』
『Cユニット、同期完了』
兵士たちは、誰も引き金を引かない。
撃てない。
まだ、揃っていないからだ。
UGF-05の像は、スクリーンの中で不気味に揺れ続けている。そこにいるはずなのに、位置が固定できない。
「ロックが滑ります!」
「維持しろ。見失うな」
久我の声が、通信回線に鋭く飛んだ。
見失うな。その言葉が、妙に重く響いた。
何を見ているのか、誰も確信を持てていないのに。
「全隊、カウントダウン同期」
「3……2……1……」
誰も撃たない。
まだだ。
ほんのわずかに、ズレている。
「……待て」
久我が低く言った。
「今じゃない」
根拠などない。それでも、彼には分かった。
まだ、揃っていない。
その瞬間、スクリーンの像が、ぴたりと止まった。
揺れが消え、輪郭が一瞬だけ、くっきりとそこにある。
久我の指が、机を強く叩いた。
「――今だ!」
発射。
全ユニットが同時に火を噴いた。
閃光が夜空を切り裂き、弾道が一本の線のように重なっていく。
完全な同期、のはずだった。
しかし。誰も、着弾の瞬間を見ていなかった。
次のフレームに移ったとき、UGF-05の体表はすでに大きく抉れ、爆発は終わった後だった。
「……命中?」
誰かが、疑問形で呟いた。
「命中確認!」
別の声がすぐに上書きする。だが、その声にも確信はなかった。
誰も当たった瞬間を言葉にできない。
「……今、当たったか?」
別の部隊からの通信が混じる。
「見たか?」
誰も答えなかった。
数秒の沈黙。
その間にも、被害は止まっていた。
UGF-05はゆっくりと崩れ始めている。
結果だけが存在し、原因の瞬間が欠落している。
「戦闘ログ、表示」
久我が命じた。
スクリーンにデータが並ぶ。
発射時刻。全ユニット同一。
完全な同時射撃として記録されていた。
「……違う」
誰かが震える声で呟いた。
「ズレてたはずだ」
現場の記憶と、記録が決定的に一致しない。
「記録が……書き換わってる?」
オペレーターの声が、かすかに震えていた。
久我は答えなかった。
ただ、スクリーンを見つめ続ける。
UGF-05の像が崩れ続けていた。
確かに当たった。それだけは、否定できない事実として残っている。
「……俺たちは」
久我が、ほとんど独り言のように低く言った。
「何を見て撃った?」
その問いは、誰の耳にも届かなかった。
しかし、その言葉だけが、戦術室内に重く残った。
そのとき。別のサブスクリーンの一角に、ノイズが走った。
一瞬だけ。フレームがずれる。
戦場ではない、別の場所。白い蛍光灯の光。レジカウンター。誰もいないはずの空間。ほんの一瞬だけ。誰かが、そこに立っているように見えた。制服の上に薄いカーディガンを羽織った、小柄な人影。
次の瞬間、ノイズは消え、画面は元に戻った。
「今のは?」
「不明です。外部映像の混線かと思われます」
説明は簡単についた。だが、久我は視線を外さなかった。
さっきの何かを、言葉にできなかった。
ただ、はっきりと分かった。
あの瞬間、何かが揃っていた。
「……」
久我は戦場に戻した視線を、わずかに細めた。
UGF-05はまだそこに存在している。
だが、像がズレている。
「次の同期を準備しろ」
声は平静を装っていたが、わずかに硬かった。
「外すな」
その言葉の意味が、少しだけ変わっていた。
外すな。
何を?
誰も答えられないまま、次のカウントダウンが始まる。
全員が同じ方向を見つめ、同じ瞬間を待つ。
その瞬間を。誰も、まだ見たことがないまま。
引き金に指をかけ続けていた。