違和感 作:自給自足
統合防衛研究局・第七解析室。
壁一面を覆う大型スクリーンに、膨大な戦闘ログが展開されていた。
時間軸、弾道軌跡、複数観測点のデータ、被害分布図。
しかし、それらのどれ一つとして、完全に一致するものがなかった。
「フレーム間相関が完全に破綻しています」
若手研究員が、緊張した声で報告した。
「時系列補間を何度も試みましたが、連続性が再構築できません。観測点ごとに、独立した時間列を持っている可能性があります」
「時間列の分岐か……」
主任研究官・槇島は腕を組んだまま、低く呟いた。
「いや、分岐ではないな。未確定だ」
別の研究員がすぐに口を挟んだ。
「UGF-05は、観測されるまでその状態が確定していない……いわゆる非決定状態、量子的重ね合わせに極めて類似した振る舞いを示しています」
「量子論のスケールで語るな」
槇島は即座に切り捨てたが、表情は硬いままだった。
「だが、現象としては近い。観測行為そのものによって、状態が収束しているように見える」
スクリーンが切り替わり、複数の戦闘ログが並列表示された。
発射時刻の欄。
すべてが、完全に同一時刻を示している。
「現場の兵士たちの報告では、発射タイミングにミリ秒単位のズレがあったとされている。しかし公式記録上は完全同期だ」
「後から書き換えられたということですか?」
「違う」
槇島はゆっくりと首を振った。
「最初からそうだったことになるんだ」
室内に、重い静寂が落ちた。
槇島は前に一歩進み、スクリーンを指した。
「仮説を提示する」
「対象UGF-05は、観測依存存在である可能性が極めて高い」
スクリーン上に複雑な数式と模式図が高速で展開される。
「観測点の数と質が増えるほど、状態の収束確率が上昇する。ただし、観測内容に不一致が生じた場合、状態は分散したまま維持される」
「つまり……?」
「見方が揃ったときだけ、位置と実体が確定する」
別の研究員が補足するように続けた。
「その瞬間にのみ、物理的な干渉――すなわち攻撃の命中が成立するということです」
「同期射撃の成功は、この収束条件を満たした結果だと考えられます」
「だが、本当の問題はそこじゃない」
槇島の声が一段低くなった。
彼は着弾ログの欄を指差した。
そこは、ほとんど空白だった。
「命中の“瞬間”が存在しない」
「観測されていないから……?」
「違う」
槇島は首を横に振った。
「観測される前に、結果だけが先に確定している」
室内の空気が、さらに重くなった。
「……因果が逆転している?」
「その可能性が濃厚だ」
今度は被害分布のデータが大きく表示された。
「崩壊地点は明確に記録されているが、崩壊の開始点が存在しない。応力解析も、破断のトリガーポイントも、一切成立しない」
「構造破断のきっかけが、観測できない……?」
「きっかけすらない」
槇島は断言した。
「結果だけが、先に存在している」
若手研究員が、震えるような声で呟いた。
「では、我々は何をしているんですか?」
槇島は静かに答えた。
「撃っているのではない。当たった状態を、成立させているだけだ」
もう一人の研究員が、慎重に言葉を継いだ。
「……観測を揃えることで、結果を強制的に固定している、と」
「その通りだ」
「なら」
一拍置いて、研究員は続けた。
「観測が揃わなければ、結果は確定しない」
「そうだ」
室内の空気が、ますます冷たく張りつめていく。
「追加データです」
別端末から声が上がった。
「戦闘映像の一部に、異常なフレーム混入を確認しました」
スクリーンにノイズが走り、戦場とは無関係な映像が一瞬だけ差し込まれた。白い蛍光灯の光。レジカウンター。無人の店内。
「映像汚染か?」
「不明です。発生タイミングは――」
ログが表示される。
同期射撃の直前。
「……収束の瞬間ですね」
槇島が低く呟いた。
「観測が一致したタイミングで、別の観測系が割り込んでいる」
「観測系の混線……?」
「いや」
槇島はゆっくりと首を振った。
「観測点が“共有”されている可能性がある」
「共有……?」
「複数の観測者が、同一の結果を同時に確定させている」
スクリーン上に新たな式が追加された。
「観測数が一定の閾値を超えたとき、状態は強制的に収束する。その過程で、観測者間の情報の整合性が再構築される」
「だから記録が後から揃うのではなく……」
「揃った形で、最初から確定する」
沈黙が落ちた。
「……危険では?」
誰かが、声を潜めて言った。
「何が」
「観測を増やせば増やすほど、収束は強くなる」
「ああ」
「なら……観測の中心に近い存在は」
言葉を選ぶように、研究員は続けた。
「最も強く現実を固定してしまう、ということになりませんか?」
槇島はすぐには答えなかった。
代わりに、彼は別の戦闘ログを開いた。
成功率が異常なまでに高い、第5交戦記録。
同期誤差が極端に少ない。
「……この戦闘」
「はい。第5交戦記録です。統計的に明らかな外れ値です」
「観測点は?」
「表面的には通常と同じです」
「違うな」
槇島は画面を拡大した。
「観測“密度”が違う」
「密度?」
「同一対象への注視時間が、異常に長い」
誰かが、息を呑むように呟いた。
「……何かが“見続けている”?」
室内が、再び静まり返った。
槇島はスクリーンを見つめたまま、低く、しかしはっきりと言った。
「もし仮に、観測の基点となる存在があるとすれば」
一拍。
「それは、最も強く現実を固定する存在だ」
「……人間が?」
「分からない」
槇島は静かに首を振った。
「だが、もしそうなら」
画面に、再びあのノイズ映像が表示される。
蛍光灯の下のレジ。静かな店内。
「我々はすでに」
言葉が、わずかに遅れた。
「それを共有している可能性がある
」誰も動けなかった。
その瞬間、スクリーンの映像がほんの一瞬だけズレた。
レジの前。誰かが、立っているように見えた。制服の上に薄いカーディガンを羽織った、小柄な人影。
次のフレームで、それは忽然と消えた。
「……今の、見ましたか」
誰かが、掠れた声で言った。
誰も、はっきりとは答えなかった。
しかし。全員が、同じ方向を、同じ映像を見つめていた。