違和感 作:自給自足
怪物が出なくなって、二週間が経った。
ニュースはようやく平穏を取り戻しつつあった。
UGF-05――正式名称「未確認災害存在第五号」は、前回の交戦で「排除済み」と公式に発表された。
専門家たちが画面の中でもっともらしい分析を並べ、視聴者は安堵の息をついている。
だが、レジの内側に立つ佐藤悠には、実感などまるでなかった。
「……排除、ね」
小さく呟いた声は、深夜の店内に虚しく溶けた。
あれが本当に“消えた”のかどうかさえ、よく分からない。
ただ、画面の中ではそういうことになっている。
それだけだ。
深夜11時。
いつもの時間。冷蔵ケースの低い唸り、蛍光灯の白く無機質な光。
日常が、戻ってきたはずだった。しかし、何かが決定的にズレている。レジの横に置いた袋の束。一枚、多い。昨日もそうだった。
その前も。数を数えれば合うはずなのに、なぜか合わない。
俺は袋を一枚手に取り、持ち手を揃えた。結ぼうとする。指が、わずかに迷う。形を整えようとしても、少しだけ歪む。やり直す。以前は、何も考えずに同じ形にできた。
今は違う。意識しないと揃わない。
意識しても、完全に揃いきらない。結び目を見つめる。どこか“遅れている”ような、奇妙な形だった。
言葉にできない違和感が、胸の奥に澱のように残る。
そのとき、自動ドアが静かに開いた。
冷たい夜風が店内を一瞬だけ撫でる。
顔を上げると、スーツ姿の男が立っていた。
見慣れない客だ。
男は店内をゆっくりと一周し、飲み物を一つだけ手に取ってレジへやってきた。
「……これ」
「はい」
バーコードを通す。
ピッ、という電子音は、少なくとも正常に聞こえた。
袋に入れ、結ぶ。
いつもより、少しだけ時間がかかった。
差し出す。
しかし男は、袋を受け取ろうとしなかった。
代わりに、じっと俺の顔を見つめている。
「……何か?」
男は、口の端をわずかに上げた。
「佐藤悠さんですね」
名前を呼ばれ、手が止まった。
「……誰ですか」
男はポケットからカードを取り出し、軽く掲げて見せた。
見慣れないデザインだが、ただの身分証ではないことは一目で分かった。
「統合防衛研究局の者です」
静かな、しかし重みのある声だった。
「少し、お話をさせてもらえますか」
「……勤務中なんで」
「構いませんよ」
男はゆっくりと店内を見回した。
この時間帯、客はほぼ来ない。
だからこそ、ここを選んだのだろう。
「ここで結構です」
逃げ場はない。
いや、逃げたところで意味がない。そんな予感がした。
男は静かに切り出した。
「あなた、見ていますね」
「……何を」
「戦闘映像を」
即答できなかった。
沈黙が、答えになってしまった。
「別に、珍しいことじゃないでしょう」
「ええ。視聴者は多い」
男は小さく頷いた。
「ですが」
一拍置く。
「結果が変わるほど見ている人間は、そう多くありません」
店内の空気が、わずかに重くなった。
「……何の話ですか」
「第5交戦記録」
男の声は淡々としている。
「命中率が異常に高かった」
「それが?」
「観測密度が、極端に偏っていました」
意味が分からない。
だが、言葉の端々が胸に引っかかった。
「特定のタイミングで、急激に状態が収束している。まるで……誰かが揃えているように」
「……偶然でしょう」
「そう思いますか?」
男の視線が、まっすぐに俺を射抜いた。
「あなたは、あの瞬間を見ていますね」
心臓が、強く跳ねた。
答えられない。
頭の中に、あの感覚が蘇る。
音が消えた世界。
すべてが静止し、完璧に揃った瞬間。自分が、全部を同時に見ていたという、異様な充足感。
「当たるとき」
男が続ける。
「当たった瞬間が、分からないでしょう」
息が止まった。
「ですが、結果は確かにあります」
男はレジの上に置かれた袋の束を、静かに指差した。
「それと同じです」
視線が、袋に落ちる。
一枚多い袋。
結んだはずの形。
「……何が言いたいんですか」
「あなたは」
男が一歩、カウンターに近づいた。
「観測の中心に、近い」
拒否したい言葉だった。
「そんなわけ…」
「あります」
男は静かに遮った。
「でなければ、説明がつかない」
その瞬間、店内の蛍光灯がわずかに瞬いた。
ほんの一瞬。時間が、引っかかるような感覚。
レジの奥、誰かが、立っている気がした。
瞬きの間だけ。
次の瞬間には、もう何もない。
「……今の」
思わず声が漏れた。
男は反応しなかった。
いや、していないように見えた。
「どうかしましたか?」
普通の声。
しかし、ほんのわずかに遅れている気がした。
何も言えなかった。
今、何かを見た。
だが、それが何だったのか、思い出せない。
「接触している可能性があります」
男が言った。
「……何と」
「未確定状態と」
聞き慣れない単語。
「観測されることで、初めて状態が固定される存在です」
どこかで聞いたような説明だった。
しかし、実感はまるで伴わない。
「あなたは、それを揃える側にいる」
「……そんなこと、あるわけない」
「では」
男は静かに問いかけた。
「なぜ、命中率が上がったのか。なぜ、記録が揃うのか。なぜ、見ていないはずのものを、覚えているのか」
答えられない。
レジの上に、誰も受け取っていない袋がある。
確かに渡した記憶がある。
誰に?
分からない。でも、あった。
「……協力してください」
男が言った。
「観測の条件を、再現したい」
「……嫌です」
考えるより先に、言葉が出ていた。
男は少しだけ目を細めた。
「理由を聞いても?」
「……分からない」
本当に、分からない。
ただ、関われば二度と戻れない。
そんな、根拠のない確信だけがあった。
「そうですか」
男はあっさりと引いた。
しかし、最後にこう言い残した。
「ですが」
カウンターに白いカードを置く。
「こちらからは、観測しています」
その言葉だけが、重く残った。
男は商品を置いたまま、袋も受け取らずに店を出て行った。
自動ドアが静かに閉まる。
再び、静寂が戻ってきた。
スマホを取り、配信アプリを開く。
戦闘はない。
平和なはずの時間。
それでも、俺は画面を凝視した。
何も映っていない黒い画面。
しかし、ほんの一瞬。ノイズが走った。
蛍光灯の光。レジ。誰もいないはずの店内。
違う。
レジの前に、誰かが立っている。
次の瞬間、映像は元に戻った。
視線を上げる。
現実のレジの前には、誰もいない。
ただ、一つだけ置かれた袋の結び目が、わずかに歪んでいた。
手を伸ばし、そっと触れる。
確かに感触がある。
分かっている。
見れば、揃う。で
も。見たものが、本当にそこにあるのか。
それすら、分からなくなっていた。
それでも、俺は目を離せなかった。