違和感 作:自給自足
深夜11時。
いつもの時間。
いつもの店。
蛍光灯の白い光が、変わらない夜を無感情に照らしている。
レジの横に置かれた袋の束を、数える。一、二、三。数は合っている。
それなのに、合っていない感じが指先に残る。
もう一枚分の重さが、確かにあったはずだ。
手を止めて、もう一度数え直す。一、二、三。やはり三枚。
それで正しいはずだ。それで、何かが、決定的に違う。
袋を一枚取り、持ち手を揃える。
結ぼうとする。指が、わずかに迷う。形を整えようとしても、少しだけ歪む。
やり直す。
以前は、何も考えずに同じ形にできた。
今は違う。意識しないと揃わない。
意識しても、完全に揃いきらない。
結び目を見つめる。
どこか遅れているような、奇妙な形だった。
自動ドアが音もなく開いた。
冷たい夜風が店内をゆっくりと撫でる。
顔を上げると、彼女が立っていた。
レジの前に。制服の上に薄いカーディガン。手に缶コーヒーと小さな菓子パン。
いつも通り。
何も変わらない。
変わっていないはずなのに。
「これ、お願いします」
「はい」
商品を受け取り、バーコードを通す。
ピッ。
電子音が、ほんのわずかに遅れて聞こえた。
袋に入れ、持ち手を揃えて結ぶ。さっきより、少しだけ時間をかけた。
差し出す。
少女の手が伸びてくる。
指先が触れ合う。
軽い。
確かに、そこにいる。
「……今日は早いですね」
何気なく言った。
少女は小さく首をかしげた。
「……いつもと同じだけど」
「そうか?」
「うん」
迷いのない答え。
だが、どこか噛み合っていない気がした。
会計を終える。
少女は袋を持ったまま、動かない。
いつもなら、そのまま踵を返して出ていくはずなのに。
ただ立ったまま、こちらを見つめている。
「……どうしました?」
「……ねえ」
少女が静かに言った。
「さっきから、誰に話してるの?」
「……は?」
意味が分からなかった。
「俺は、君に話して…」
少女は穏やかだが、はっきりとした声で答えた。
「私は、ここにはいないよ。ずっと、あなたが私を見ていただけ」
胸の奥が、冷たく締め付けられた。
「……何を言ってる」
「本当だよ」
彼女の輪郭が、ゆっくりと滲み始める。
肩の線、指先、カーディガンの裾が、ぼやけていく。
佐藤は思わずカウンターから身を乗り出した。
「え、……待って!」
手を伸ばす。
あと少しで届く距離。
指先が、空を切った。
そこにいたはずの少女は、音もなく崩れ、消えていた。
残ったのは、指先に残る軽い感触と、途切れかけた言葉だけだった。
「……ありがとう。あなたが、最後まで見てくれていたから……私は、ちゃんとここにいられた」
店内は、再び静かになった。
レジの前には、何もない。
ただ、空間だけが、ほんの少しだけ濃く感じられた。
視線を落とす。
手元に、結んだ袋が残っている。
さっき、確かに渡したはずの袋。
だが、誰も受け取っていない。
「……誰に、渡したんだ?」
思い出そうとする。
彼女の顔。
声。
薄いカーディガンの感触。
軽い指先。
すべてが、急速にぼやけていく。
掴もうとすればするほど、記憶は砂のようにこぼれ落ちる。
胸の奥に、ぽっかりと空いた穴が疼いた。
自動ドアが、再び開いた。
風が入る。
しかし、そこに人はいない。
スマホを取り、画面を見る。
暗いまま、何も映っていない。
だが、ほんの一瞬、ノイズが走った。
白い蛍光灯の下、レジの前に、少女が立っている姿が映った。
袋を両手で持って、こちらを見ている。
次の瞬間、映像は元に戻り、何もなくなった。
スマホを閉じ、ポケットに押し込む。
店内をゆっくりと見回す。
何も変わらない。
いつも通りの、静かな夜。
レジの上には、一つだけ袋が置かれている。結び目が、きれいに揃っている。
それが、どうしてそこにあるのか。分からない。
口を開き、何か言おうとした。しかし、言葉が出てこない。
何を失ったのか。それすら、もうはっきりとは分からない。
ただ、胸の奥に残る、深い空白と、かすかな寂しさだけが、静かに疼いていた。