民泊の朝食には、その家ごとの味がある。
なんていうか、ちゃんと生活の匂いがする。
独り身、彼女なし。
食事といえば外食かコンビニ。
そんな俺みたいな男には、湯気の立つ味噌汁がやたら染みた。
ああ、これが幸せの味か……。
デザートのリンゴを齧りながら、昨日のことを思い出す。
あの一件の後、襲撃を警戒していたが、拍子抜けするほど何も起きんかった。
あいつらがK県から逃げた可能性もあるが、まあそん時はそん時や。
特級が二体もおったんやから、所長も許してくれるやろ。
しかし、あの椎名って子、特級怪異と友達って言ってたな。
常識的にはなかなか受け入れがたい話や。
基本的にほとんどの怪異は、人間の恐怖や嫉妬、殺意みたいな負の感情を喰らって、存在を大きくしようとする。
特級怪異ともなれば人間なんて簡単に殺せるし、そうするのが本能みたいなもんや。
そんな相手と友達て……。
あったとして、調伏した怪異を式神にしてるとか、家系で代々契約してるとかか。
友情みたいな感情を、あいつらが持ってるとは思えんけどな。
友達のフリをして、後から裏切って絶望に突き落とす。
そういうやり方もあるかもしれん。
けどそんなんせんでも、死の恐怖を与えて喰らう方が早いやろ?
回りくどすぎるわ。
しかしまあ、特級が二体おって殺し合いにならんかったのは、あの子がおったからやと思うし。
そう考えるとほんまに彼女らは友達で、ただただ穏やかに暮らしてるだけなんかもしれん。
自分の中の常識と、昨日見た現実がせめぎ合っとる……。
まじで、分からん。
嬢ちゃんに何か秘密があるんか?
天野みたいな……いやいや、そりゃないか。
これ以上考えてもしゃーないか。
忘れてったチャリを届けるついでに、もう少し探りを入れへんと。
でもその前に、ここでも情報収集してみるか。
皿を下げに来た宿のおばちゃんに話しかけてみた。
「お姉さんお姉さん、ちょっとお話ええですか?」
「お姉さんだなんてお上手ね~。
何が聞きたいの?」
「いやー、実は僕、会社を辞めて自然の多い所に引っ越そうと思ってて。
この辺り、のどかでええとこやなと思いまして。
実際に住んでる人の話を聞いてみたくて──」
他愛もない世間話からスタートすると、若い人と喋る機会がないからか、結構饒舌に語ってくれた。
やれあそこの爺さんはケチだの、やれ役場のあの人とこの人は不倫しているだの、正直聞いてもいないことばかりだったが、「そうなんですねー」と聞いてやると、おばちゃんは上機嫌になった。
聞いた感じ、最近変わったことが起きた様子はない。
怪異が集まっているらしいが、その影響も今のところないようだ。
さらに椎名という少女についても探ってみる。
「そういえば昨日、若い女の子を一人だけ見かけたんですけど、こんな所にも若い人がおるんやなーと思いまして。
誰かのお孫さんですかね?」
「あー。音無さんところの椎名ちゃん、だったかな。
確か半年ほど前におばあさんが亡くなって、空き家になったからどうするのかなーと思ってたら、三カ月前くらいから椎名ちゃんが一人で住み始めて」
あの様子やと、怪異と住んでるんやろうけど……親はどうしてんやろ?
「へえ。でも高校生くらいでしたけど、ご両親はどうされてるんです?」
「さあ? こっちに越してきた時から、一人だったみたいだけど」
怪異がらみで家から追い出されたんか?
見えない親からすりゃ、見える子供が気味悪く映ることもある。
病院に連れて行かれたり、お祓いを受けさせられたりしても、それで解決なんかせえへん。
運良くうちの機関や、力のある人に拾われればどうにかなるけど、誰もがとはいかん。
零れ落ちた奴らは大抵、見ないようにして生きるか、怪異に魅入られて死ぬかどっちかや。
あの子がもし後者なら、助けてやらなあかん。
「お姉さんは椎名さんとは交流あるんですか?」
「いやぁ、ないけどなー。
たまにスーパーですれ違うくらいかな?
全然話したことないわね」
「世間話とかもない感じですか?」
「あー、せやね。
そう言えば、世間話もしたことないかも」
ん? これはもしかすると……?
「……他の方と仲が良いとかは?」
「ううん、そんな話聞いたことないけどね。
誰かが椎名ちゃんのことを話してるの、聞いたことないかも」
恐らく、自分への認識を薄くする術か、あるいは怪異の力を使っとるな。
俺みたいに霊気の制御ができれば効かへんけど。
こうなると、この人からはもう聞けることはなさそうやな。
いっちょ乗り込みますか、伏魔殿に。
「なるほど。色々と聞かせてもろて、ありがとうございました」
「また聞きたいことがあったら、いつでも聞いて」
話を切り上げ、宿を出る。
少女が忘れた自転車を押しながら歩き始めた。
『最近、K県のS村というところに怪異が集まっているらしい』という情報。
三カ月前に引っ越してきた少女。
昨日のあいつらの反応。
どう考えても、関連してるやろ。
一次報告をどうするか、非常に悩ましい。
調査中にするのか、対象発見にするのか。
あるいは異常発生にするのか。
悩んだ結果、スマホを取り出し、支部に向けて2コール──調査中の合図──だけかけた。
◆
──ペシ、ペシペシ。
「ん……」
頬がフワフワの何かで叩かれた。
──ペシペシ、ペシペシペシ。
「……きろー」
「あと1時間……」
「欲張りめ!」
──むぎゅぎゅ。
「ぬあ……」
半目を開くと、猫の前足が頬を押していた。
「おじや……まだ早いよー……」
瞼が重く垂れ下がる。
「もう十一時ばい!」
ニャーニャーとおじやが騒いでいると、ふいに、長い腕が私を抱き上げた。
「もう昼前だよ」
「ぬへへ……八尺ちゃん、おあよ……」
そのまま居間まで運ばれると、焼き魚のいい匂いがしてくる。
テーブルには遅めの朝食が並んでいた。
「ご飯、できていますよ」
割烹着を着た女性が言った。
前髪は一直線に切り揃えられ、一本の簪で髪をまとめている。
美しく、儚げな女性だ。
「いつもありがとう、鶴ちゃん」
彼女はスッと微笑み「冷めないうちに召し上がってくださいね」と言って、下がって行った。
八尺ちゃんは私を抱いたまま、畳の上に正座して、私を自身の膝の上に座らせた。
「いただきます」
カチャカチャと食器の音が鳴る。
時々、後ろから手が伸びてきて、焼き鮭や玉子焼きを一切れ、ヒョイと取っていく。
「おいひいね」
「さすがは鶴ママ、私はまだまだこの域には遠いな」
鶴ちゃんは、『鶴の恩返し』から生まれた怪異らしい。
助けられた鶴が女に化けて、若者の嫁になる。
その逸話のせいか、料理がやたら上手い。
今では、我が家の三大ママの一人である。
鶴の恩返しでは機を織るけど、うちには機織り機もないし、服ならネットで買えるから特に困らない。
鶴ちゃんは不服そうにしていたけど、身を削って作られた服とか着れないよ……。
「どうしても織りたい」と言うので毛糸と編み棒だけ渡したら、ニットのセーターやマフラーが量産されるようになった。
使い切れないのでフリマサイトに出すと、そこそこいい値段で売れる。さす鶴です。
鶴ママの料理を食べていると、湯呑を持った橋姫が入って来た。
「ようやく起きてきたか」
「しゅんふぃん、あふぁふひをおふぉえず、ふぁよ」
「これ、口に物を入れて喋るでない」
隣に座って「それで」と続けた。
「昨日の男じゃが、ここに向かって来ておるようじゃぞ?」
「え!?」
昨日の光景がフラッシュバックする。
倒れた八尺ちゃん。炎を纏った剣を持つ男。
八尺ちゃんを傷つけようとした人が、ここに向かってる?
「は、早く逃げないと!?」
慌てて立ち上がった私を、姫が制止した。
「落ち着け。昨日も言うたが、あやつが本気であれば、わえらは無事で済まんかったじゃろう。
異祓師──今は怪退師だったか。奴らは怪異を祓うためなら、犠牲者が出るのも厭わん。
例えそれが自分であってもな」
姫が湯呑を持ち上げた。お茶を啜る音が、彼女の落ち着きを物語っている。
「よく鍛えられた霊気じゃ、十分に戦えたじゃろう。
なのに、逃げたわえらを追撃せんかった。
それに、今のあやつからは殺気も感じられん。
警戒するに越したことはないが、敵対する必要はあるまいて」
「でも、来たら一発お見舞いしてやるんだから!」
八尺ちゃんがシュッシュッ、と拳を突き出して見せた。
彼女が怒っている所は、なかなか見られない。
可愛い。
「見える者からすれば、八尺ちゃんが椎名に取り憑いているようにしか見えんじゃろ。
祓われそうになって、怒る気持ちも分かるが──」
「違うよ! 私が怒ってるのは、私が咄嗟に手を離さなかったら、椎名も一緒に落ちて怪我したかもしれないからだよ!」
八尺ちゃん……。
彼女はいつも私を守ってくれる。私の一番の友達で、頼れる姉的存在だ。
そして大事な家族を傷つけようとした人に、私も段々と怒りが湧いてきた。
「わ、私も、殴らないと気が済まない!」
私も八尺ちゃんを真似て、シャドウボクシングする。
「こちらの事情を理解してもらうためにも、あまり事を荒立てて欲しくないんじゃが……」
◆
「田舎暮らしに車が必須って言われんのも分かるわ……」
宿を出て一時間は歩き続けていた。
その間、遠巻きにではあるが何種類も怪異を見かけた。
一反木綿、化け狸、かまいたち、くねくね、河童、メリーさん、唐傘小僧、鬼、天狗……。
額の汗をぬぐいながら空を仰ぐと、三本足の鳥が飛んでいた。
「八咫烏もおんのね。
逆におらん奴探した方が早いんちゃうか?」
ほんまどないなっとんねん。
山ン本五郎左衛門でもおんのか?
一生分の怪異を見た気分やで。
頼むからこれ以上増えんといてくれ。
しかしやっぱ変やな。
どいつもこいつも、殺気がない。
普通、メリーさんとか鬼は「いつでも殺れます!」って感じなんやが。
やがてポツンと建つ一軒家が見えてきた。
見た目は普通の家だが、怪異の気配がそこかしこに漂っている。
一匹、二匹なんてものではない。
数十、下手をすれば百を超える気配が混じっていた。
家の前まで行くと、俺を待っていたと言わんばかりに橋姫が立っていた。
表札には”音無”とある。
ここが少女の家で間違いない。
「随分汗だくじゃのう?
せっかく自転車があるのに、乗らんかったんかえ?」
「ええか、年頃の女子のチャリに成人男性が乗る。
それだけで現代では何らかの罪に問われる可能性があんねん」
「難儀な世の中じゃのう……」
「それで……逃げへんと待ってたってことは、俺に何か用か?」
「お主らに追われるのは嫌じゃからな。
わえらについて、理解してもらおうと思うてな」
そう言って橋姫は家に入り、玄関から手招きした。
「おいおい、こんな怪異だらけの家に入れ言うんか?」
「別にわえはここでも構わんが……自転車を届けてくれた礼に茶でも、と思うたが不要かえ?」
「罠でもあるんちゃうやろな?」
「そんなもの、必要と思うかえ?」
神気がドッと溢れ出す。橋姫は笑っているが、大気がひりつくのを肌で感じた。
経験上、神は卑怯な手を使いたがらへん。
人間相手にそんなもん使えば、自分が格下やと認めるようなもんや。
神としてのプライドがそれを許されへん。
せやから罠はないと思うが……結局、虎穴に入らずんば何とやらか。
「聞いてみただけや。
ほな、邪魔するでー」
玄関を上がると、廊下の奥から三つの頭がこちらを覗いていた。
みんなオカッパで赤いちゃんちゃんこを着ている。
座敷童か。
一軒に三匹もおるんは、豪邸でも見たことないな。
……内緒で一匹持って帰ったらあかんかな?
橋姫に付いて行く間、色々な怪異が目に留まった。
あれはのっぺらぼうで、これは……小さいが鵺か。
んであっちのが
こんだけ怪異が集まって、誰も襲ってこんのが逆に不気味なくらいや。
俺が通されたのは畳の部屋だった。
中には八尺様が少し屈んで立っており、その後ろに少女がいた。
八尺様の大きさのせいで、少女がさらに小さく見える。
八尺様から漏れ出る霊気が、テレビ台に置かれた達磨をカタカタ震わせていた。
八尺様が、俺を見た。
次の瞬間、長い腕がしなった。
「──っ!」
反射的に防御術を展開する。
だが、拳は俺に届かなかった。
俺の鼻先、数センチ。
そこに、一本の扇子が差し込まれていた。
「こやつとは話し合うと言うたじゃろ。
そしてわえは客人として迎え入れた。
その客に手を挙げるとは、わえの顔に泥を塗ったわけじゃが、覚悟はできておるんじゃろうな……?」
橋姫が、八尺様を睨んでいた。
鬼の形相、という言葉がある。
だが目の前にいるのは、比喩ではない。
柱が軋む。
障子が震える。
家中に満ちていた怪異の気配が、潮が引くように遠ざかっていった。
「ぽ、ぽぽ……」
「言い訳は無用。
そこに直れ。
せめてもの慈悲じゃ、一思いに介錯してやろうぞ」
静かだが、芯から冷えるその圧に、八尺様は膝から崩れ落ち、少女は泣き出してしまった。
しかし、一切表情を変えることなく、橋姫が扇子を持つ手を振り下ろす。
そこで俺は彼女たちの間に割って入った。
本気か脅しかは分からん。
けど、止めなければ取り返しがつかない。
そう思わせるだけの圧があった。
目の前で扇子が止まる。
「ま、まあ待ちいや!
俺も昨日祓おうとした、八尺様も殴ろうとした。
やけどどっちも未遂やし、これで相子や!
な? な?」
橋姫と八尺様を交互に見る。
何で俺が庇ってんねん……。
でもここで動かんと、話どころじゃなくなりそうや。
「……お主はそれでよいのか?」
「も、もちろん!
ほら、何か話があるんやろ?
早よ聞かせてぇな!」
静寂が居間を包む。
家中にあった怪異の気配が、今はこの部屋にしか感じられなかった。
やがて、ぽつりと一言。
「……客人に感謝するんじゃな」
そう言って、橋姫はちゃぶ台の前に座った。
◆
南場さんが止めてくれなかったら、八尺ちゃんはどうなっていたんだろう。
「お、お茶です……」
「お、ありがとうな」
湯呑をお兄さんに渡して、八尺ちゃんの膝の上に腰かけ、三角座りになった。
お兄さんが「あ、そこに座るんや」と小さく呟いた。
「先ほどは家人が失礼した。
お主の寛大な心に感謝する」
私の隣に座った姫が頭を下げた。
その所作はとても美しかった。
『さすが姫って言われるだけあるなー』とぼんやり考えていると、姫が横目にこちらを見てきた。
慌てて私たちも頭を下げる。
後ろの八尺ちゃんに押されて、少し苦しい。
「い、いや、俺も昨日のことはすまんかった。
言い訳にはなるんやが、俺は君が取り憑かれてるんやと思ってな。
やから君の友達に刃を向けてしまった。
知らんこととは言え、申し訳なかった」
他の見える人からしたらそう見えるのかな?
私は小さく頷いた。
「これにて互いに禍根は一切なし。
良いな?」
全員が同意した。
張り詰めた空気が少し和らぐ。
「話を始める前に、まずは互いに自己紹介しておこうかのう。
わえは橋姫──お主は知っているじゃろうが、嫉妬の鬼にして、宇治橋を守る神じゃ」
姫は続けて、私たちを指した。
「こっちの大きいのは八尺様。
最近生まれた怪異じゃが、現代の知名度はわえより上じゃろう。
そしてこっちの
「俺は南場焔──特級怪退師や」
怪退師って何だろう?
怪異を祓う人っぽいから、陰陽師みたいなもの?
気になる……けど、知らない人と喋るの怖い!
私は姫に耳打ちして、代わりに質問してもらった。
「怪退師って陰陽師みたいなもの? だそうじゃ」
「まあ惜しいかな。
陰陽師
その中でも怪異退治を専門としてるんが【晴明機関】。
そこで働いてるんが怪退師や。
これでも国家公務員やで!
世間には非公開やけど」
怪異退治が仕事って……怪異の敵じゃん。
そんな怖い人、さっさと追い出した方がいいんじゃ……?
「特級とはなんじゃ?」
「強さの指標やな。
一番下が三級。
そっから一級まで上がって、さらに上に特級がある。
特級の上もあるにはあるが……事実上、一番上が特級や。
つまり、俺はちょー強くて頼れるお兄さんやで!」
南場さんがニカッと笑った。
目を合わせないように、下を向いた。
薄々感じてたけどこの人、陽キャだ……。
「で、色々と説明して欲しいわけやが」
せ、説明?
私がオロオロしていると、姫が代わりに話し始めた。
「うむ。お主が昨日言っておった”怪異が集まっている件”じゃが……椎名の能力によるものじゃ」
「引き寄せ体質か?」
「ああそうじゃ。
それもただ引き寄せるだけではない。
怪異は椎名の傍にいると、心が凪ぐ。
人間への
だから皆、安らぎを求めて椎名のもとへ集まってくる」
この力のおかげで
それを聞いた南場さんは、絶句していた。
私みたいな人、珍しいのかな……?
「……そ、それは凄いな」
「ゆえにこの辺にいる怪異は椎名と出会って以降、人を襲った者は一匹足りともおらん」
「それがほんまなら、この国に革命が起きるな」
「じゃが椎名にはもう一つ、傍にいる怪異を成長させる能力もある。
これが厄介でな」
「ん? 何でそれが厄介なん?」
「そこにいるだけで害がある怪異は、敵対的か否かは関係ない。
そんな奴が成長すれば、どれだけの被害を出すか分からんじゃろ」
「お、おい、さっき外にくねくねがおったぞ!?
あれも見るだけで影響あるからやばいんちゃうか!?」
くねくね君は本当は、ただゆらゆら揺れてるだけなのに……。
人間が弱いのがいけないと思います!
「くねくねは水面越しにしか見えん場所に留まらせておる。
水の屈折で輪郭を歪ませ、本体を直視できんようにしてな。
とは言え、全てに対応はできん。
せいぜい人間に近づかぬように気を付けさせるくらいじゃ」
人に近づいても良いことないからね。
「なら、そういう怪異は祓ってもうた方が──」
祓う!?
そんなの──
「だ、だめ! ……です」
身を乗り出して声を上げた。
くねくね君を見たら人は狂ってしまう、ということは知ってる。
でもそれは、ただそういう性質を持ってしまっただけで、本人がそれを望んだわけじゃない!
彼は結構お茶目で、音楽を流したらリズムに乗って踊ってくれるし、鶴ちゃんの包丁のリズムに合わせて身体をくねらせたり、本当はただの陽気な子なのに!
心の中では叫んでいても、自分の口から伝えることができず、姫に耳打ちして私の気持ちを伝えてもらった。
「……うむ。椎名にとって怪異は隣人で、友達で、家族じゃ。その性質が人間に害があるといっても、それは本人の意志ではない。
そう生まれてしまっただけで、一方的に排除するのはおかしい、と言っておる」
「……嬢ちゃんは怪異と仲良く暮らしてきたから、大事にしたい、守りたいって思うんやろな。
その気持ちを尊重してやりたいとは思う。
でもな、嬢ちゃん。
友達に悪気がなかったら、傷つけられた人間は納得するんか?
見るだけで狂う。
聞くだけで呪われる。
近くにいるだけで命を削られる。
そういう怪異を、俺らは“友達やから”で見逃すわけにはいかん」
そんな質問、ずるいよ……。
私は別に
だから
なのにまだ足りないの……?
怪異が危ないことくらい分かってる。
くねくね君を見た人が、おかしくなってしまうことも。
八尺ちゃんを怖がる人がいることも。
姫が、ただ優しいだけの存在じゃないことも。
でも。それでも、みんなは私の家族なのに。
どうして、危ないからってだけで、いなくなっていいことになるの?
人間だって、怖いことをするのに。
人間だって、誰かを傷つけるのに。
私の友達が、どうして祓われなきゃいけないの?
でも、それを言う勇気はなくて。
どうしようもなく自分が情けなくて、感情が目から溢れ出してしまった。
「ぽぽ……」
八尺ちゃんが私を優しく抱き寄せてくれた。
彼女のお腹に顔を埋める。
その時だった。
廊下の向こうから、爪が畳を引っ掻くような音がした。
次の瞬間、障子が勢いよく開いた。
「椎名!」
おじやだった。
いつも眠そうな目をしているおじやが、毛を逆立て、尻尾を太くしている。
「ど、どうしたの?」
「大変ばい! 鎌助が──かまいたちの鎌助が、知らん怪異に襲われとる!」
襲われている。
その言葉の意味が、一瞬分からなかった。
「鎌助が……?」
鎌助はいつも庭で薪を割ってくれる働きもので、鎌を綿で拭いてあげると可愛く鳴く。
その鎌助が襲われている?
「知らん怪異って、どんな奴じゃ」
姫の声が低くなる。
「分からん! でも、普通の怪異じゃなか!
声もせん! 匂いも変ばい!
鎌助ば捕まえて、食おうとしとる!」
南場さんの表情が変わった。
「怪異が、怪異を喰う……?」
「場所はどこじゃ」
「裏山の竹藪! 水場の近くばい!」
姫が立ち上がる。
八尺ちゃんの腕に力がこもった。
「椎名はここに──」
姫が言い終えるより早く、私は八尺ちゃんの腕から抜け出していた。
膝が震えている。
怖い。
知らない怪異も怖い。
昨日、八尺ちゃんを斬ろうとした南場さんがいるのも怖い。
でも。
「助けなきゃ」
口から出た声は、自分でも驚くほど小さかった。
それでも、足は止まらなかった。
「椎名!」
八尺ちゃんの声が後ろから聞こえる。
「おい、嬢ちゃん!」
南場さんの声も聞こえる。
でも振り返らなかった。
廊下を走って、玄関へ向かう。
裸足のまま外へ飛び出すと、春の空気が冷たく足裏を刺した。
庭の向こう。
裏山の方。
そこから、黒く濁った何かが立ち上っていた。
煙じゃない。
霧でもない。
それは、私の知っている怪異の気配とはまるで違っていた。
怒っているわけでも、泣いているわけでも、寂しがっているわけでもない。
そこのない穴に、全てを投げ入れようとしている──そんな風に感じられた。
「……なに、あれ」
呟いた時、背後で南場さんが息を呑んだ。
「何や、あの霊気……」
軽い声ではなかった。
姫が私の隣に立つ。
八尺ちゃんが、私を背後から包むように腕を広げる。
おじやが前を向き、低く唸った。
裏山から、また一つ。
黒い霊気が、どろりと空へ滲んだ。
「鎌助……今行くから!」
私は、震える足で一歩踏み出した。