綾小路清隆が育ったのがホワイトルームじゃなくて白木屋だったら   作:東頭鎖国

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前提からして狂ってるのであんまり細かいこと気にしないでいただけると助かります


一年生編
一年生編①


 白木屋。

 

 それは、ただの居酒屋である。

 

 少なくとも、世間一般ではそう認識されている。

 

 木目調の壁。

 

 薄暗い照明。

 

 個室風の仕切り。

 

 掘りごたつ。

 

 呼び出しボタン。

 

 壁に貼られた季節限定フェア。

 

 店内に漂う油とアルコールの匂い。

 

 週末の夜になれば、そこには酔客の声が満ちる。

 

 笑い声、怒鳴り声、誰かの愚痴、乾杯の音頭、グラスのぶつかる音、店員を呼ぶ電子音。

 

 そして、飲み放題ラストオーダー十分前に発生する、あの独特の焦燥。

 

 オレにとって白木屋とは、そういう場所だった。

 

 同時に、教育機関でもあった。

 

 物心ついた頃から、オレは白木屋にいた。

 

 そこで教わったものは、一般的な学校教育とは少し違っていた。

 

 教科書はあったが、主教材ではない。

 

 主教材は、客だった。

 

 正確には、客が注文し、話し、黙り、怒り、笑い、最後に会計票を見た時の反応だった。

 

「清隆。人間は注文の仕方に本性が出る」

 

 父はよく、そう言った。

 

 父はいつも、奥の個室に座っていた。

 

 入口からは死角で、厨房までの動線が確認でき、なおかつ店内全体の気配を拾える位置。

 

 白木屋における最適席だった。

 

 幼いオレはその向かいで、枝豆を剥いていた。

 

 ただ剥くだけではない。

 

 制限時間は三分。

 

 片手で枝豆を処理しながら、隣席の会話を聞き取り、誰が次に注文を出すかを予測する。

 

 それが白木屋式初等教育の第一段階だった。

 

「最初にサラダを頼む者は、責任を取っているように見える。だが多くの場合、責任を避けたいだけだ」

 

「どういうことだ」

 

「サラダは無難だ。誰も強く反対しない。つまり、自分が選んだことの責任が薄い。唐揚げを頼む者はわかりやすい。場を前に進めようとしている。刺身を頼む者は予算感を探っている。ポテトを頼む者は敵を作りたくない」

 

「何も頼まない者は?」

 

「最も危険だ」

 

 父はオレを見た。

 

「場を見ている」

 

 その日から、オレは最初にあえてポテトを頼むようになった。

 

 警戒を下げるためだ。

 

 ポテトは強い。

 

 取り分けやすく、嫌う人間が少なく、会話の邪魔をしない。

 

 食べる速度も調整しやすい。

 

 ポテトを頼む人間を、誰も危険人物とは思わない。

 

 だが、ポテトは場を制御する。

 

 最初に出てきたポテトがどの位置に置かれるかで、テーブル内の動線は変わる。

 

 手を伸ばす者。

 

 遠慮する者。

 

 取り分ける者。

 

 見ている者。

 

 そこに、人間の癖が出る。

 

 白木屋の教育は苛烈だった。

 

 午前はメニュー暗記。

 

 昼は原価計算。

 

 午後は接客動線の把握。

 

 夜は酔客の心理分析。

 

 深夜は会計時に発生する責任転嫁の観察。

 

 普通の子供が外で遊んでいる頃、オレはグラス交換制の例外処理を学んでいた。

 

 普通の子供が給食を食べている頃、オレは唐揚げにレモンをかける行為がいかに危険かを教え込まれていた。

 

 唐揚げにレモンをかけるか否か。

 

 それは味覚の問題ではない。

 

 自由意志の問題だ。

 

 自分の皿に乗った唐揚げへ、自分の判断でレモンをかける。

 

 それなら問題は少ない。

 

 だが、誰かが勝手に全体へレモンをかける。

 

 その瞬間、人間は小さな自由を奪われる。

 

 人間は、些細な自由を奪われた時ほど強く反発する。

 

 父はそれを「唐揚げ問題」と呼んだ。

 

 白木屋式教育における、最重要課題の一つだった。

 

 そんな場所から、オレは外へ出された。

 

 十四歳の春。

 

 父はいつもの奥の個室で言った。

 

「清隆。お前を高度育成高等学校へ入れる」

 

「なぜだ」

 

「観察だ」

 

「観察?」

 

「白木屋式教育が、外の社会でどこまで通じるかを見る」

 

 目の前には、冷めた軟骨唐揚げが置かれていた。

 

 料理が冷めているということは、父はかなり前からこの話をするつもりだったということだ。

 

「証明ではないのか」

 

「証明は観察の後に生まれる。先に証明しようとする者は、見たいものしか見ない」

 

 父は箸を置いた。

 

「外の場を見ろ。白木屋式が通じるもの。通じないもの。人間が変わる瞬間。変わらない部分。それらを見てこい」

 

「いつ戻ればいい」

 

「会計が見えるまでだ」

 

 会計。

 

 白木屋では、もっとも人間の本性が出る瞬間だ。

 

 どれだけ陽気に笑っていた者でも、会計票を前にすれば表情を変える。

 

 割り勘にするのか。

 

 飲んだ量で分けるのか。

 

 誰かが多く払うのか。

 

 端数をどうするのか。

 

 人間は金額そのものより、自分が損をしたと感じることを嫌う。

 

 だから会計は、宴会の最後にして最大の試験になる。

 

「普通の高校生活を送れ」

 

「普通?」

 

「友達を作り、授業を受け、行事に参加し、恋愛をし、青春らしいものを経験する」

 

「必要があるのか」

 

「ない」

 

 父は即答した。

 

「だが、不要なものの中にこそ人間の本質がある」

 

 不要な二次会。

 

 不要な説教。

 

 不要な見栄。

 

 不要な一杯。

 

 人間は合理性から外れた時、本性を見せる。

 

 そう教えられてきた。

 

 だから、オレは高度育成高等学校へ来た。

 

 ◇

 

 入学初日のバスの中から、この学校はすでに白木屋に似ていた。

 

 座席という席順があり、初対面の人間が近距離に置かれ、誰が話しかけ、誰が黙るかで力関係が見え始める。

 

 山内春樹。

 

 声が大きい。

 

 自己評価が高い。

 

 初対面の相手に対する距離の詰め方が雑。

 

 白木屋なら、開始五分で店員にタメ口を使い、十分後に自分語りを始め、三十分後には女子に引かれるタイプだ。

 

 危険度は高くない。

 

 だが、場を濁らせる。

 

 池寛治。

 

 山内に近いが、より周囲に流されやすい。

 

 白木屋なら、誰かが頼んだものに「俺もそれ」と乗るタイプだ。

 

 単独では問題になりにくいが、集団になると騒音を増幅する。

 

 須藤健。

 

 身体能力が高い。

 

 感情の起伏も大きい。

 

 白木屋なら、酔っていないのにジョッキを強く置くタイプ。

 

 揉め事の火種になりやすい。

 

 堀北鈴音。

 

 孤立を選んでいる。

 

 他人を切り捨てる判断に迷いがない。

 

 白木屋なら、宴会の端で烏龍茶を飲みながら全員の注文傾向と会計能力を記録しているタイプだ。

 

 厄介だが、使える。

 

 櫛田桔梗。

 

 笑顔が自然すぎる。

 

 自然すぎるものは、不自然だ。

 

 全員と話せる人間は、全員分の情報を持つ人間でもある。

 

 白木屋なら、注文を取りまとめながら、誰が何を嫌いかまで記憶している客だ。

 

 善意だけで動いているとは考えにくい。

 

 ◇

 

 教室に着くと、担任の茶柱佐枝が説明を始めた。

 

 毎月十万ポイントが支給される。

 

 校内では現金と同じように使える。

 

 生徒たちは浮かれた。

 

 山内はすぐに使い道を考え、池もそれに乗り、須藤は特に深く考えていない顔だった。

 

 堀北だけは、どこか警戒していた。

 

 オレも同じだった。

 

 条件の説明が少なすぎる。

 

 白木屋でもそうだ。

 

 飲み放題付き三千円コースと聞いて安心する客は、席料や時間制限や対象外メニューを見落とす。

 

 数字だけを見て喜ぶ人間は、会計時に負ける。

 

 翌月、Dクラスのポイントはゼロになった。

 

 教室は騒然とした。

 

 怒鳴る者。

 

 呆然とする者。

 

 誰かのせいにしようとする者。

 

 白木屋の会計時によく見る光景だった。

 

「ふざけんなよ! 十万ポイント入るって言ってただろ!」

 

 山内が声を荒げた。

 

 池も似たような顔で周囲を見回している。

 

 須藤は机を蹴りそうな顔をしていた。

 

 遅い。

 

 会計票が来てから騒いでも、注文した料理は消えない。

 

 茶柱は冷たく告げた。

 

 学校側は、無条件で十万ポイントを支給するとは言っていない。

 

 生活態度、授業態度、遅刻、私語。

 

 すべてが査定対象だった。

 

 この学校は、巨大な居酒屋だった。

 

 しかも、会計が毎月来る。

 

 隣の堀北が、オレを見た。

 

「綾小路くん。あなた、あまり驚いていないのね」

 

「驚いてる」

 

「そうは見えないわ」

 

「顔に出にくいだけだ」

 

「便利な顔ね」

 

 白木屋では、表情を読まれることは未熟とされた。

 

 特に会計時に表情を動かすな、と教えられた。

 

 困った顔をすれば、誰かが押し付けてくる。

 

 驚いた顔をすれば、誰かが付け込む。

 

 だから、表情は動かさない。

 

 ◇

 

 中間試験では、Dクラスの欠点がはっきりした。

 

 勉強ができない者が多すぎる。

 

 特に須藤、池、山内。

 

 退学という言葉が現実味を持ち始めた時、堀北は彼らを切り捨てる方へ傾いた。

 

 堀北の判断は合理的だった。

 

 だが、集団は合理性だけで動かない。

 

 白木屋で言えば、酔いつぶれかけた客を邪魔だからと放置するようなものだ。

 

 確かに、その客だけを見れば切った方が早い。

 

 だが、放置された客が場全体の空気を悪くすることもある。

 

 必要なのは、切り捨てることではなく、まず使える形に置き直すことだった。

 

 勉強会を開いた。

 

 須藤には長時間ではなく、まず十分だけ座らせた。

 

 最初から一時間を要求すれば反発する。

 

 十分なら座れる。

 

 十分座れれば、次は十五分が見える。

 

 人間は、一度に変わらない。

 

 山内には、正解した時にわかりやすく反応した。

 

「お、オレ今の解けた?」

 

「ああ。合ってる」

 

「マジかよ。オレ才能あるんじゃね?」

 

「少なくとも今の問題はできてる」

 

「だろ?」

 

 山内は単純だった。

 

 白木屋で言えば、少し褒めると注文の取りまとめをやりたがる客だ。

 

 扱いやすい。

 

 池には、答えまでの道筋を細かく区切った。

 

 堀北は、その様子を見ていた。

 

「あなた、人の扱いに慣れているのね」

 

「そう見えるか?」

 

「少なくとも私よりは、山内くんや池くんを動かすのが上手い」

 

「向き不向きだ」

 

「あなたは何に向いているの?」

 

 少し考えた。

 

「取り分け」

 

「……取り分け?」

 

「いや、対人調整」

 

「今、取り分けと言ったわよね」

 

「言っていない」

 

「言ったわ」

 

 白木屋の癖が出た。

 

 堀北は、細かい違和感を拾う。

 

 以後、発言には注意が必要だと思った。

 

 その数日後、山内が妙に真剣な顔で近づいてきた。

 

 授業の合間だった。

 

 普段なら、山内は声を張ってこちらへ来る。

 

 だが、その日は違った。

 

 机の横に立ち、周囲を一度見てから、声を少し落とした。

 

「綾小路、ちょっと相談があるんだけどさ」

 

「何だ」

 

「いや、その……女子と飯行く時って、最初に何頼めばいいと思う?」

 

 質問の内容に、堀北が横で目を細めた。

 

 池は露骨に食いついた。

 

「何だよ山内、女子と飯行く予定あんのかよ」

 

「予定っていうか、今後のためだよ。今後の」

 

「今後って何だよ」

 

「うるせえな。大事だろ、こういうの」

 

 山内は無駄に真剣だった。

 

 だが、相談内容自体は軽くない。

 

 最初の注文は、場の方向を決める。

 

 白木屋では、最初の一皿を間違える客ほど、後の会計でも揉める。

 

「ポテト」

 

 オレは答えた。

 

「ポテト?」

 

「フライドポテトだ」

 

「いや、それはわかるけど。もっとこう、センスあるやつじゃなくて?」

 

「最初からセンスを出そうとするな。失敗する」

 

「言い切るなよ」

 

「ポテトは嫌う人間が少ない。取り分けやすい。値段も重くない。手を伸ばすタイミングも自由だ。会話を止めない」

 

 池が感心したように頷いた。

 

「確かにポテト嫌いなやつ少ねえな」

 

「だろ?」

 

 なぜか山内が得意そうにした。

 

「あなたが考えたわけじゃないでしょ」

 

 堀北が冷静に刺す。

 

 山内は咳払いした。

 

「じゃあ唐揚げは?」

 

「悪くない。ただし、レモンは勝手に全体へかけるな」

 

「え、なんでだよ?」

 

「勝手にかける人間は、他人の皿と自分の皿の境界が曖昧だと思われる」

 

 須藤が少し離れた席から口を挟んだ。

 

「それはわかる。勝手にやられるとムカつくやついるよな」

 

「だから、レモンは小皿に置く。使いたい者だけが使えばいい」

 

 山内は真剣に頷いた。

 

「なるほどな……ポテト、唐揚げ、レモンは別。これで勝てるな」

 

「勝負ではない」

 

「いや、女子との飯は勝負だろ」

 

「その考え方が負けに近い」

 

「厳しくね?」

 

 そのやりとりを聞いていた櫛田が、くすりと笑った。

 

「でも、綾小路くんの言ってること、けっこうわかるかも。最初から高いもの頼まれると、ちょっと気を遣うし」

 

 櫛田の一言で、周囲の女子数人も小さく頷いた。

 

 軽井沢も、少し離れたところからこちらを見ていた。

 

「あー、勝手にレモンかける男子は普通に嫌かも」

 

「ほらな!」

 

 山内がなぜか勝ち誇った。

 

「だからあなたが考えたわけじゃないでしょ」

 

「うぐっ」

 

 堀北がまた刺した。

 

 池は目を輝かせていた。

 

「綾小路、他には? デートとかで使えるやつ」

 

「デートかどうかは知らないが、注文を急かすな。相手がメニューを見ている時に自分の話ばかりするな。食べたいものを聞く時は、何でもいい、で終わらせるな。候補を二つ出せ」

 

「候補?」

 

「肉系か軽いものか。温かいものか冷たいものか。分けやすいものか一人で食べるものか。選択肢が広すぎると、相手に負担を渡すだけだ」

 

 山内は口を開けたまま固まった。

 

「お前、何でそんな詳しいんだよ」

 

 当然の疑問だった。

 

 堀北も、櫛田も、軽井沢もこちらを見ている。

 

 須藤と池は、完全に聞く態勢に入っていた。

 

 ここで適当に誤魔化すこともできた。

 

 だが、曖昧にすると、後で余計に面倒になる。

 

 白木屋で学んだことだ。

 

「白木屋で育ったからだ」

 

 教室が一瞬、静かになった。

 

「……白木屋?」

 

 山内が言った。

 

「居酒屋の?」

 

「そうだ」

 

「いや、育ったって何だよ。バイトじゃなくて?」

 

「育った」

 

「白木屋で?」

 

「ああ」

 

 池が噴き出しそうになり、須藤が眉をひそめた。

 

「待て待て。白木屋って、あの白木屋か?」

 

「そうだ」

 

「いや、確認しても意味わかんねえけど」

 

「オレも、今のお前の反応はよくわからない」

 

 山内はしばらくこちらを見ていたが、やがて真顔で言った。

 

「じゃあ、お前が頭いいのって白木屋仕込みなのか?」

 

「頭がいいの定義による」

 

「すげえな白木屋……」

 

「たぶん誤解している」

 

 櫛田は笑顔のまま、どこか興味深そうに言った。

 

「でも、綾小路くんが人の動かし方に慣れてる理由は、ちょっとわかったかも」

 

 軽井沢は呆れたように言った。

 

「白木屋で育ったって、意味わかんないけど妙に納得できるのが嫌なんだけど」

 

 堀北は、しばらく黙っていた。

 

 そして、静かに言った。

 

「あなた、本当に変な環境で育ったのね」

 

「普通ではないかもしれない」

 

「普通ではないわ」

 

 その日を境に、クラス内で妙な噂が広がった。

 

 綾小路は白木屋で育ったらしい。

 

 注文に詳しい。

 

 唐揚げのレモンに厳しい。

 

 ポテトを出せば場を壊さない。

 

 噂は、正確なようでいてかなり歪んでいた。

 

 だが、完全に間違っているわけでもなかった。

 

 以後、山内は困ると時々こちらへ来るようになった。

 

「綾小路、女子と話す時って最初に何言えばいい?」

 

「用件」

 

「終わるだろそれ!」

 

「余計な前置きで滑るよりはいい」

 

「厳しい!」

 

 池も、須藤も、時々混ざる。

 

 櫛田や軽井沢がそれを聞いて笑う。

 

 堀北は呆れながらも、必要な時だけ口を挟む。

 

 白木屋出身という情報は、そうしてDクラスの中に自然と溶け込んでいった。

 

 それは弱みというより、妙な役割になった。

 

 人間関係や場の空気で困った時、とりあえず綾小路に聞けば変だけどいい感じの答えが返ってくる。

 

 その程度の認識だ。

 

 だが、その程度で十分だった。

 

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