綾小路清隆が育ったのがホワイトルームじゃなくて白木屋だったら 作:東頭鎖国
クラス移籍が正式に決まった。
堀北、軽井沢、山内。
事前に話していた三人の反応は、大きなものではなかった。
堀北は、静かに受け止めた。
軽井沢は、少しだけこちらを見て、すぐに女子の方へ視線を戻した。
山内は、口を開きかけてから、閉じた。
そして、わざとらしくポテトを食べる仕草をした。
騒ぎたかったのだろう。
だが、すでに一度騒いでいた分、今は周囲の反応を見ることを選んだ。
最初に声をかけてきたのは、平田だった。
「綾小路くん。本当に行くんだね」
「ああ」
「寂しくなるね」
「そうか」
「うん。でも、君が決めたなら理由があるんだと思う」
「便利な解釈だな」
「信頼している、という言い方にしてほしいかな」
平田は穏やかに笑った。
その笑顔には寂しさがあった。
だが、止めようとする色はなかった。
平田もまた、誰か一人を中心に置き続けることの危うさを知っている。
だから、納得できない部分があっても、受け止めることはできたのだろう。
須藤は、しばらく黙っていた。
彼は堀北の方を一度見てから、こちらへ歩いてきた。
「お前、マジで行くんだな」
「ああ」
「堀北は知ってたのか」
「知っている」
「なら、俺から言うことはあんまねえけどよ」
須藤は拳を握ったり開いたりした。
怒っているわけではない。
言葉を探している。
「堀北を泣かせたら許さねえぞ」
「泣かないだろう」
「そういう問題じゃねえ」
「わかった」
「あと、俺らもちゃんとやるからな」
「ああ」
「お前がいなくても、俺らでやる」
「それでいい」
須藤は少しだけ照れたように顔を逸らした。
「何かムカつくけどな」
「そうか」
「でも、まあ……見てろよ」
「ああ」
須藤は、それ以上言わなかった。
去年なら、怒りをそのままぶつけていたかもしれない。
だが今は、堀北のクラスを自分たちで支えるという方向へ感情を変えようとしていた。
櫛田は、少し遅れて声をかけてきた。
以前より自然さを失った笑顔。
だが、完全な作り笑いでもない。
その中途半端さが、今の櫛田桔梗だった。
「綾小路くんって、本当に変な人だよね」
「よく言われる」
「普通、わざわざクラス移る?」
「必要だと思った」
「そういうところが変なんだよ」
櫛田は苦笑した。
「でも、いなくなると困る人だったのかも」
「かも、か」
「まだ素直に褒めるのは無理」
「それでいい」
「一之瀬さんのクラス、優しい人多いからさ」
「ああ」
「優しい人って、たまに怖いよ。自分が正しいと思ってる時、止まれないから」
櫛田らしい言葉だった。
彼女自身が、笑顔と善意の形を知っている。
だからこそ、一之瀬クラスの危うさも別の角度で見える。
「覚えておく」
「うん。あと、うちのクラスの秘密、変に向こうで使わないでね」
「使わない」
「ほんとかな」
「必要がなければ」
「そこは使わないって言い切ってよ」
「嘘は後で会計が重くなる」
「またそれ」
櫛田は呆れたように笑った。
だが、以前のように、その笑顔で何かを隠そうとはしていなかった。
池は、あとから大げさに騒いだ。
「え、綾小路マジで移るのかよ!? 山内、お前知ってたのか!?」
山内は妙に得意げに頷いた。
「まあな」
「何で教えねえんだよ!」
「いや、俺にも心の準備ってもんがあったんだよ」
「何の準備だよ!」
「ポテトを一人で頼む準備だよ!」
「意味わかんねえ!」
そのやりとりに、教室の空気が少しだけ緩んだ。
山内は、こちらを見て軽く手を上げた。
大声で引き止めることはしなかった。
それで十分だった。
軽井沢は女子たちの反応を見ていた。
佐藤や松下たちが、驚きと困惑を口にしている。
「綾小路くん、急すぎない?」
「一之瀬さんのクラスって、何で?」
「堀北さんと何かあったわけじゃないよね?」
軽井沢は、その場の空気が変に荒れないように間へ入っていた。
「別に喧嘩別れとかじゃないでしょ。堀北さんも知ってたみたいだし」
「そうなの?」
「たぶんね。だから変に騒がない方がいいって」
軽井沢は、こちらへ一瞬だけ視線を向けた。
それは、取引相手への確認のようなものだった。
余計な説明はしない。
だが、場が荒れないように整える。
彼女らしいやり方だった。
堀北は、最後まで静かだった。
すでに話は済んでいる。
だから、教室で改めて大きな言葉を交わす必要はなかった。
ただ、帰り際に一言だけ言った。
「綾小路くん」
「何だ」
「忘れ物はしないように」
「荷物の話か」
「それもあるわ」
「他には」
「あなたがこのクラスに置いていくものの話よ」
堀北はそう言って、鞄を手に取った。
「こちらで処理するわ。あなたは、あなたの次の卓を見なさい」
「ああ」
その一言で十分だった。
堀北はもう、引き止める側ではない。
自分の卓を引き受ける側になっていた。
◇
一之瀬クラスへ移ることを一之瀬本人に伝えた時、彼女は驚いた。
放課後の廊下。
人通りが少なくなった時間。
一之瀬は、しばらく言葉を失っていた。
「本当に?」
「ああ」
「私たちのクラスに?」
「そうだ」
「どうして?」
「会計票を置きに行く」
一之瀬は目を瞬かせた。
「えっと、白木屋式?」
「そうなる」
「うちのクラス、そんなに危ない?」
「悪いクラスではない」
「うん」
「だが、一之瀬が多く払いすぎている」
一之瀬は、少しだけ笑おうとした。
いつもの癖だ。
場を柔らかくする笑顔。
自分が傷ついていないように見せる笑顔。
だが、その笑顔は途中で止まった。
「そう、見える?」
「見える」
「そっか」
一之瀬は視線を落とした。
「神崎くんにも、似たようなことを言われたことがある」
「そうだろうな」
「文化祭の時も、みんなに助けてもらって……あの時、ちょっとわかった気がしたんだけど」
「あれは一度見えただけだ」
「うん」
「見え続ける形にしないと、また戻る」
「だよね」
一之瀬は、小さく頷いた。
「でも、どうしたらいいかわからなくて」
「全員で払う形にするしかない」
「みんなで?」
「ああ」
一之瀬は、少し考えてから頷いた。
「綾小路くんが来たら、うちのクラスは変わるかな」
「変わるかもしれない」
「良い方に?」
「それはわからない」
「正直だね」
「嘘は後で会計が重くなる」
一之瀬は、少しだけ笑った。
今度の笑顔は、さっきより自然だった。
「じゃあ、よろしくお願いします」
「ああ」
「最初は何をすればいい?」
「ポテトを頼む」
「本当に?」
「半分は本当だ」
「半分なんだ」
一之瀬は笑った。
その笑顔を見て、オレは思った。
この笑顔が、全員分の会計を背負うためのものではなくなるなら、それだけで意味がある。
二年生の終わり。
堀北のクラスを離れ、一之瀬のクラスへ移る準備が整った。
堀北クラスは、自分たちの卓を見始めている。
佐倉の空席も、櫛田の傷も、山内の軽さも、須藤の怒りも、平田の理想も、軽井沢の距離感も、堀北の責任も。
それらを抱えたまま、三年生へ進む。
一之瀬クラスは、文化祭で一度、自分たちの会計票を見た。
だが、まだ見続ける形にはなっていない。
善意の多い卓。
良い客が多すぎる卓。
そこへオレは移る。
白木屋で育った綾小路清隆が、次に見るべき卓だった。
三年生になれば、最後の会計が来る。
その時、誰が何を払い、誰が席を立ち、誰が最後まで残るのか。
それを見るために、オレは席を移す。
ポテトだけでは、宴会は終わらない。
だが、最初の一皿を間違えなければ、場は少し壊れにくくなる。
問題は、その次に何を頼むかだった。