綾小路清隆が育ったのがホワイトルームじゃなくて白木屋だったら 作:東頭鎖国
試験初日、問題はすぐ起きた。
柴田が客の流れを見て、勢いよく呼び込みを増やした。
「今なら待ち時間短いでーす!」
声はよく通る。
人も集まる。
だが、集まりすぎた。
厨房側の処理が追いつかない。
小橋が笑顔で客をなだめているが、列は伸びる。
網倉が女子側の接客を増やそうとするが、裏の作業が薄くなる。
一之瀬はすぐに前へ出ようとした。
「私、列整理に行くね」
「待て」
オレは止めた。
「でも、お客さん待ってるし」
「一之瀬が出ると、誰が全体を見る」
「それは……」
神崎が在庫表から顔を上げた。
「柴田。呼び込みを止めろ。今の客数なら十分だ」
「悪い、ちょっと呼びすぎた」
柴田はすぐに声を抑えた。
「浜口」
神崎が続ける。
「列の最後尾を区切って、待ち時間の説明を入れてくれ」
「わかった」
浜口が柔らかい口調で客へ説明に向かった。
「申し訳ありません。今から並ばれる場合、少しお待ちいただく形になります。こちらで整理しますので、順番にご案内します」
小橋がその横で笑顔を添える。
「お時間かかっちゃってごめんなさい。飲み物だけならすぐご案内できます」
網倉は女子側へ指示を飛ばした。
「帆波、裏に戻って。こっちは私が見るから」
「でも」
「戻って。今、帆波が全部拾う場面じゃない」
一之瀬は一瞬迷い、頷いた。
「うん。お願い」
その一言は小さかった。
だが、意味は大きい。
一之瀬が前に出て解決するのではなく、任せる。
任された側が動く。
それができるかどうかが、このクラスの試験だった。
姫野は列を見ながら言った。
「柴田くん、声出す前に厨房見て」
「悪いって」
「悪いと思うなら次から見る」
「姫野、刺すなあ」
「刺さないと忘れそうだから」
柴田は苦笑した。
「わかった。次から見る」
その日の終わり、売上は悪くなかったが、待ち時間の評価で少し減点された。
柴田は明るく反省した。
「俺、客集めりゃいいと思ってた」
「集めすぎると店が壊れる」
オレが言うと、柴田は頭をかいた。
「だよな。白木屋でもそうなのか?」
「ああ」
「人気店も大変なんだな」
「人気だけで回る店はない」
神崎が売上表を見ながら言った。
「明日は時間帯ごとの呼び込みを調整する。柴田、君は客数を見る前に、厨房と在庫を確認してから声を出してくれ」
「了解。俺、まず神崎見るわ」
「俺を見るな。表を見ろ」
柴田が笑った。
一之瀬も笑った。
その笑いは、負担をごまかす笑いではなかった。
小さな失敗を全員で見た後の笑いだった。
二日目は、浜口の問題が出た。
龍園クラスとの仕入れ交渉だった。
龍園クラスは唐揚げ用の材料を多く確保していた。
一之瀬クラスはポテトの仕入れには余裕があったが、唐揚げが足りない。
浜口は交渉に向かった。
戻ってきた時、彼の表情は穏やかだったが、神崎はすぐに眉をひそめた。
「条件は?」
「唐揚げの材料を回してもらう代わりに、午後の集客導線で一部協力する形になった」
「一部とは?」
「龍園クラスの店舗前を通るルートでも案内する」
神崎は黙った。
姫野が横から言った。
「それ、一部じゃないでしょ」
浜口は苦笑した。
「やっぱり、そう思う?」
「思う。かなり持っていかれる」
網倉も表情を曇らせた。
「女子側の案内も変えなきゃいけなくなるよ。それだと、うちの導線崩れる」
小橋が不安そうに言った。
「でも、唐揚げ足りないと困るよね」
浜口は責められても声を荒げなかった。
それが彼の良さだ。
だが、良さが裏目に出ている。
「浜口」
オレは言った。
「相手の顔を立てすぎたな」
「そうだね。交渉を荒立てたくなかった」
「荒立てないことと、飲みすぎることは違う」
「うん」
浜口は素直に頷いた。
「取り返せるかな」
「今ならまだ」
神崎がすぐに言った。
「再交渉する。案内導線を譲るなら、時間を限定するべきだ。午後一時間だけ。さらに、向こうの余剰在庫の一部を割引で受ける」
「俺が行く」
浜口が言った。
神崎は少し迷ったが、頷いた。
「俺も同行する」
「いや」
浜口は首を横に振った。
「俺が曖昧にした分だから、俺が戻す。神崎は条件だけ紙にしてくれ」
神崎は一瞬驚いたように浜口を見た。
それから、紙に条件を書き出した。
「わかった。だが、戻ったら必ず報告してくれ」
「もちろん」
浜口は再び龍園クラスへ向かった。
戻ってきた時、条件は修正されていた。
案内導線の協力は一時間限定。
代わりに唐揚げ材料の追加分を確保。
さらに、売れ残りが出た場合の一部返品も通した。
「龍園くんには笑われたよ」
浜口は苦笑した。
「何て?」
「最初からそれを言えって」
「その通りだ」
神崎が言った。
「だね」
浜口は素直に認めた。
「次から、柔らかくまとめる前に、ちゃんと条件を見るよ」
姫野が小さく言った。
「浜口くんは、怒らないから怖い」
「え?」
「怒らない人って、相手に譲りすぎる時があるから」
浜口は少し困ったように笑った。
「耳が痛いね」
三日目は、網倉と小橋の役割が重要になった。
女子側のシフトに不満が出た。
表向きは小さな不満だ。
裏方の時間が長い。
接客に出る人間が固定されている。
一之瀬に言うほどではない。
だが、誰かが拾わなければ、後で空気が濁る。
網倉はそれに早く気づいた。
「帆波にはまだ言わない方がいいと思う」
網倉は小声で言った。
「何でだ」
「帆波に言うと、帆波が自分でシフト変えようとするから。まず女子だけで整理する」
「それは悪くない」
「でしょ?」
「ただし、女子だけで抱えるな」
網倉は少しだけ眉を上げた。
「それ、私が一番言われたくないやつかも」
「言われたくないことほど、だいたい必要だ」
「白木屋って嫌な店だね」
「よく言われる」
網倉はため息をついた。
「小橋、手伝って」
「うん。私、空気が悪くならないように話すね」
「それだけだと、何となく丸まって終わる」
姫野が横から言った。
「じゃあ姫野さんも来てよ」
小橋が言うと、姫野は露骨に嫌そうな顔をした。
「面倒」
「でも、姫野さんがいないと、たぶん柔らかくなりすぎるから」
「……もっと面倒」
結局、三人で女子側の不満を整理した。
網倉が本音を拾う。
小橋が空気を柔らかくする。
姫野が曖昧な部分を切る。
その結果、シフトは変更された。
一之瀬が気づいたのは、その後だった。
「私、何もしてない」
少し不安そうに一之瀬が言った。
網倉は笑った。
「何もしないのも仕事だよ、帆波」
「そうなのかな」
「そう。何でも拾われると、こっちも言い出しにくくなるし」
小橋が頷いた。
「一之瀬ちゃんが悪いわけじゃないけど、一之瀬ちゃんが全部やると、私たちも頼っちゃうから」
姫野が腕を組んだ。
「だから、今回は私たちがやった。それだけ」
一之瀬は三人を見て、少しだけ目を潤ませた。
「ありがとう」
姫野がすぐに言った。
「そこで泣きそうになるの、重い」
「えっ、ごめん」
「謝るのも重い」
一之瀬は困ったように笑った。
だが、その笑いは明るかった。
四日目、坂柳クラスが仕掛けてきた。
直接的な妨害ではない。
静かな揺さぶりだった。
橋本が浜口へ接触し、共同販売の条件を持ちかけた。
内容だけ見れば悪くない。
だが、細かい条項を見ると、一之瀬クラス側が在庫リスクを多く負う形になっていた。
浜口はすぐに持ち帰った。
二日前の失敗が効いている。
「これ、俺一人で決めない方がいいと思った」
「正解だ」
神崎が書類を見る。
姫野も覗き込み、すぐに顔をしかめた。
「これ、見た目より嫌な条件」
「どこがだ」
柴田が聞く。
「売れた時は半分ずつ。でも売れ残った時の処理がこっち寄り」
「うわ、マジか」
網倉が言った。
「こういうの、普通に見逃しそう」
神崎は頷いた。
「坂柳クラスらしい。派手に奪うのではなく、こちらが納得して払う形にしている」
一之瀬は書類を見ていた。
「悪い条件なら断る?」
「ただ断るだけだと、別のクラスに流れる」
オレは言った。
「なら?」
「条件を返す」
神崎が言った。
「売れ残りリスクを半分ずつにする。こちらが在庫を持つなら、販売場所はこちらに優先権をもらう。さらに、売上集計の基準を明確にする」
一之瀬は少し考えた。
「うん。それなら、向こうも損ではないよね」
「損ではないが、旨味は減る」
「それでも、ちゃんとした取引になる」
一之瀬は浜口を見た。
「浜口くん、これで話してもらっていい?」
「もちろん」
「私も行く」
神崎が少し驚いた。
「一之瀬も?」
「うん。今回は私が顔として行く。ただ、条件はみんなで作ったものをそのまま出す」
それは、一之瀬の変化だった。
自分が抱えるために前へ出るのではない。
クラスで決めた条件を、顔として伝えるために前へ出る。
坂柳は、交渉の場で静かに笑った。
「一之瀬さん、ずいぶん変わりましたね」
「そうかな」
「ええ。以前なら、こちらの条件をもう少し柔らかく受け止めてくださったでしょう」
一之瀬は少しだけ困ったように笑った。
「そうだったかもしれない。でも、今はみんなで決めた条件があるから」
「みんなで、ですか」
「うん」
坂柳はオレを見た。
「綾小路くんの影響ですね」
一之瀬は首を横に振った。
「綾小路くんだけじゃないよ。神崎くんも、浜口くんも、姫野さんも、柴田くんも、網倉さんも、小橋さんも。みんなで決めた」
坂柳は少しだけ目を細めた。
「なるほど。それなら、交渉相手は一之瀬さん一人ではないということですね」
「うん。私一人じゃない」
その言葉は、文化祭の時より強かった。
坂柳は条件を読み直し、微笑んだ。
「よろしいでしょう。こちらにも利はあります」
交渉は成立した。
帰り道、一之瀬は小さく息を吐いた。
「緊張した」
「そう見えなかった」
「すごくしてたよ」
浜口が笑った。
「でも、ちゃんと伝わったと思う」
一之瀬は頷いた。
「私一人じゃないって言えた」
「それが一番大事だ」
オレが言うと、一之瀬は少し照れたように笑った。
「綾小路くんにそう言われると、何か試験に合格したみたい」
「まだ試験中だ」
「そうだった」
◇
模擬店舗運営試験の最終日、一之瀬クラスは二位だった。
一位は堀北クラス。
堀北は、堀北らしい厳密さで役割を整理し、須藤の体力、平田の調整、軽井沢の女子側管理、櫛田の表対応をうまく使っていた。
山内も呼び込みで妙に働いていたらしい。
あとで山内に会うと、得意げに言ってきた。
「綾小路、俺、声出しすぎて喉死んだ」
「よく働いたな」
「だろ? ポテトも頼めるし、呼び込みもできる。俺、成長してね?」
「している」
「マジで言ってる?」
「ああ」
「怖っ。素直に褒められると怖っ」
山内はそう言って笑った。
堀北クラスは確かに強くなっている。
オレがいなくなった後、自分たちの卓を自分たちで見ている。
それは二年生の終わりに期待した通りだった。
模擬店舗運営試験の後、一之瀬クラスは初めて、負けても崩れなかった。
一之瀬は悔しがった。
神崎も悔しがった。
柴田は「あそこ呼び込み抑えなきゃ勝てたかな」と言い、浜口は「交渉の初動をもっと早くすべきだった」と反省した。
網倉は女子側のシフトを見直し、小橋は「でも、楽しかったね」と言った後、姫野に「それで終わらせない」と刺されていた。
全員が、自分の分の伝票を見ていた。
それだけで、この試験には意味があった。
夏が過ぎ、秋に入る頃、四クラスの差は詰まっていた。
堀北クラスは攻める力をつけている。
龍園クラスは荒さと統制を両立させている。
坂柳クラスは神室の不在を抱えながら、以前より隙が減っている。
一之瀬クラスは、善意に条件を添えることを覚え始めている。
どの卓も、最後の会計へ向かっている。
その中で、オレ自身の席も変わっていた。
一之瀬は、以前より相談するようになった。
神崎は、正論を出すだけでなく、それをクラスに通す方法を考えるようになった。
姫野は、面倒がりながらも漏れを口に出す頻度が増えた。
柴田は勢いの前に一度確認するようになった。
浜口は曖昧にまとめる前に、条件を紙に出すようになった。
網倉と小橋は、女子側の空気を守りながらも、一之瀬だけに寄らないよう気を配るようになった。
変化は小さい。
だが、積み重なる。
白木屋でも、店が回るかどうかは大きな改革だけでは決まらない。
皿をどこに置くか。
レモンを別にするか。
会計票を誰が見るか。
その小さな積み重ねで、最後の揉め方が変わる。
◇
龍園は相変わらず人の少ない場所を選ぶ。
ただし、以前のようにただ威圧するだけではない。
相手が逃げにくく、なおかつ完全に閉じていない場所を選ぶ。
白木屋で言えば、店の入口近くで声をかけるようなものだ。
出ていくこともできる。
だが、無視もしにくい。
「よう、白木屋」
「その呼び方はまだ続くのか」
「卒業まで続けるに決まってんだろ」
「迷惑だな」
「褒めてんだよ」
「わかりにくい」
龍園は喉の奥で笑った。
「一之瀬の店、思ったより持ってるじゃねえか」
「潰れると思っていたのか」
「半分はな」
「もう半分は?」
「お前がどう料理するか見たかった」
「料理はしていない」
「してるだろ。あの甘い連中に条件を出させるなんざ、普通じゃねえ」
「一之瀬たちが自分で変わっている」
「ククッ。そういうことにしといてやる」
龍園は壁にもたれた。
「だがな、白木屋。ああいう連中は、最後の最後でまた甘くなる」
「可能性はある」
「そこを刺されるぞ」
「誰に」
「俺に決まってんだろ」
龍園は笑った。
「最終試験で一之瀬がまた全部抱えようとしたら、その時点で終わりだ。お前が止めるのか?」
「止めない」
「あ?」
「止めるべきなのは、オレではない」
龍園の目が細くなった。
「神崎か」
「神崎だけでもない」
「クラス全員ってか」
「ああ」
龍園は楽しそうに笑った。
「綺麗事くせえな」
「一之瀬クラスだからな」
「お前が言うと気色悪い」
「よく言われる」
「だろうな」
龍園は立ち上がった。
「まあいい。最後の会計で、その綺麗事ごと叩き割ってやる」
「皿を割ると会計が増えるぞ」
「踏み倒す」
「出禁だな」
「クハハッ。最後までそれかよ」
龍園は去っていった。
彼の言葉は脅しだ。
だが、同時に正しい。
一之瀬クラスの弱点は消えたわけではない。
少し見えるようになっただけだ。
見えることと、克服することは違う。