綾小路清隆が育ったのがホワイトルームじゃなくて白木屋だったら   作:東頭鎖国

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三年生編③

 坂柳クラスは、神室真澄の不在を抱えたまま三年生を進んでいる。

 

 だが、崩れてはいない。

 

 橋本正義は相変わらず損得を見ている。

 

 鬼頭隼は坂柳の近くに無言で立つ。

 

 森寧々は女子側の空気を以前より丁寧に拾う。

 

 神室が退学したことで、坂柳は退いたのではない。

 

 むしろ、卓を見る目を増やした。

 

 校内の小さな休憩スペースで、坂柳は静かに言った。

 

「一之瀬さんのクラスは、ずいぶん変わりましたね」

 

「まだ途中だ」

 

「途中だから面白いのです」

 

「坂柳の方はどうなんだ」

 

「私の卓ですか?」

 

「ああ」

 

 坂柳は微笑んだ。

 

「神室さんの不在の穴は、今もあります」

 

「そうか」

 

「ええ。ですが、穴を穴のまま置いておくのは、少々芸がありません」

 

「どうした」

 

「橋本くんには、逃げ道を用意する代わりに、逃げる時の値段を見せています。鬼頭くんには、沈黙がただの沈黙で終わらないよう役割を与えています。森さんには、女子側の小さな反応を拾ってもらっています」

 

「かなり白木屋式だな」

 

「影響されてしまいました」

 

「本当に?」

 

「少しだけ」

 

 坂柳は楽しそうだった。

 

「あなたをホワイトルーム出身と見ていた頃より、今の方が面白い。白木屋育ちの綾小路清隆は、人を駒ではなく客として見る」

 

「客として見るのが良いこととは限らない」

 

「ええ。客は時に、駒より厄介です」

 

 坂柳は杖に手を置いた。

 

「ところで、篤臣という名前について、まだ調べていませんか?」

 

「知らない名前を調べる理由がない」

 

「あなたらしい」

 

「坂柳が言うなら意味はあるんだろうが、今は必要ない」

 

「必要になった時、あなたはどうするのでしょうね」

 

「その時考える」

 

「本当に、白い部屋の子ならありえない答えです」

 

「そのホワイトルームという言葉も、坂柳以外から聞いたことはない」

 

「そうでしょうね」

 

 坂柳はそれ以上説明しなかった。

 

 この会話は、いつも途中で止まる。

 

 だが、それでいい。

 

 今の三年生編に必要なのは、過去の正体ではない。

 

 目の前の会計だ。

 

「坂柳」

 

「何でしょう」

 

「神室がいたら、今の坂柳をどう見るだろうな」

 

 坂柳は少しだけ目を伏せた。

 

 それから、いつもの微笑みを薄く戻した。

 

「つまらない見落としを減らしたことだけは、少し評価するかもしれません」

 

「そうか」

 

「ですが、調子に乗るなとも言うでしょう」

 

「言いそうだ」

 

「ええ」

 

 坂柳は静かに言った。

 

「だから、私は調子に乗りすぎないようにしています。少なくとも、以前よりは」

 

 その言葉に嘘は少なかった。

 

 坂柳有栖は退学していない。

 

 それは偶然ではない。

 

 神室の退学を、自分の卓の会計として受け取ったからだ。

 

 美しく散るための勝負ではなく、最後まで席に残るための勝負へ切り替えた。

 

 だから彼女は、三年生のこの場にいる。

 

 ◇

 

 堀北鈴音とは、試験中に直接話す機会が少なかった。

 

 クラスが違う以上、当然だ。

 

 だが、遠くから見える変化はあった。

 

 堀北クラスは、オレがいた頃より騒がしくなっていた。

 

 それは悪い意味ではない。

 

 議論が増えた。

 

 反発が表に出た。

 

 須藤は堀北へ意見を言うようになり、平田は理想だけでなく現実の線引きをするようになった。

 

 軽井沢は女子側の空気を整え、櫛田は危険物でありながら情報管理に使われている。

 

 池や山内も、以前ほどただ流されるだけではない。

 

 山内は一度、共有スペースでこちらを見つけると、妙に真剣な顔で近づいてきた。

 

「綾小路」

 

「何だ」

 

「ポテト、頼めたぞ」

 

「そうか」

 

「唐揚げのレモンも別にした」

 

「上出来だ」

 

「だろ?」

 

 山内は得意げに笑った。

 

 その後ろで池が呆れていた。

 

「何の報告してんだよ」

 

「大事なんだよ。なあ、綾小路」

 

「ああ」

 

 山内は少しだけ声を落とした。

 

「堀北、結構大変そうだぞ」

 

「そうだろうな」

 

「でも、ちゃんとやってる。何か、前より怖い」

 

「怖いのか」

 

「いや、いい意味で。多分」

 

「なら大丈夫だ」

 

「軽いな」

 

「信頼している」

 

「お前が言うと、何か変な感じするな」

 

 山内はそう言って笑った。

 

 池が横から山内の肩を軽く叩く。

 

「行くぞ、山内。堀北に言われた分、まだ終わってねえだろ」

 

「あ、やべ。そうだった」

 

 山内は慌てて振り返り、それからもう一度こちらを見た。

 

「まあ、そんな感じだ。俺らも一応、やってる」

 

「ああ」

 

「だから、お前もそっちでちゃんとやれよ」

 

「わかった」

 

「……何で上からっぽいんだよ、俺」

 

 自分で言って、山内は少し笑った。

 

 池に急かされながら去っていく背中は、以前よりほんの少しだけ忙しそうだった。

 

 堀北クラスは、もうオレが横で皿を整える卓ではない。

 

 雑さは残っている。

 

 だが、その雑さごと、自分たちで動かし始めていた。

 

 ◇

 

 最終特別試験は、卒業前に行われた。

 

 それは、これまでのどの試験よりも単純だった。

 

 各クラスから代表を出し、五つの勝負を行う。

 

 学力。

 

 実働。

 

 交渉。

 

 読み合い。

 

 そして、最後の代表戦。

 

 勝った数が多いクラスが上に行く。

 

 細かい補正や裏方の加点はあるが、基本はそれだけだった。

 

 わかりやすい。

 

 だからこそ、逃げ場がない。

 

 白木屋で言えば、最後の会計票を机の中央に置かれたようなものだ。

 

 誰が払ったのか。

 

 誰が逃げたのか。

 

 誰が最後まで席に残ったのか。

 

 それが、はっきり見える試験だった。

 

 最終特別試験の代表を決める時、一之瀬が複数の勝負に出る案は、決して間違いではなかった。

 

 むしろ、勝つだけを考えるなら有力な案だった。

 

 一之瀬は、どの勝負でも大きく崩れない。

 

 学力で神崎に勝るわけではない。

 

 実働で柴田より速く動けるわけでもない。

 

 交渉で浜口より条件を詰められるわけでもない。

 

 相手の穴を刺す鋭さで姫野に勝るわけでもない。

 

 だが、一之瀬がいるだけで、場は落ち着く。

 

 誰かが迷った時、一之瀬の声があれば動ける。

 

 相手が強く出た時、一之瀬が前に立てば空気が荒れすぎない。

 

 仲間が失敗した時、一之瀬が笑えば立て直せる。

 

 それは、このクラスにとって大きな力だった。

 

 だから、神崎が最初に出した配置案には、一之瀬の名前が二つ入っていた。

 

 交渉戦。

 

 そして、最終代表戦。

 

 浜口も、それを否定しなかった。

 

「一之瀬さんが交渉に入れば、相手も強引には出にくい。信用力は武器になる」

 

 柴田も頷いた。

 

「俺らだけで実働はできるけどさ。一之瀬が近くにいると、やっぱ安心するんだよな」

 

 小橋も小さく言った。

 

「わかる。私も、一之瀬ちゃんがいると落ち着く」

 

 その案は、甘えだけではなかった。

 

 実際、点を取りに行くうえでも合理性があった。

 

 一之瀬帆波は、このクラスでもっとも信頼されている。

 

 なら、その信頼を複数の勝負に使う。

 

 それは、勝つための正しい選択にも見えた。

 

 だが、姫野が表を見て言った。

 

「それ、また一之瀬さんに寄ってる」

 

 教室が静かになった。

 

 姫野は続けた。

 

「勝つための案なのはわかる。でも、結局困ったところに一之瀬さんを置いてるだけじゃない?」

 

 神崎は黙った。

 

 否定できなかったのだろう。

 

 浜口も、条件表を見ながら息を吐いた。

 

「……そうだね。俺たちは、合理的に見せながら、結局一之瀬さんに安心を買わせようとしていたのかもしれない」

 

 一之瀬は、その言葉を聞いても責めなかった。

 

 責めるどころか、少し嬉しそうですらあった。

 

 頼られている。

 

 必要とされている。

 

 それは、彼女にとって否定したいものではない。

 

 だが、今回はそれだけでは足りなかった。

 

「私が出た方が、安定する場面はあると思う」

 

 一之瀬は静かに言った。

 

「でも、それでみんなの出る場所を減らすなら、違う気がする」

 

 網倉が顔を上げた。

 

「帆波」

 

「私は、みんなの不安を全部消すためにいるんじゃない。みんなが自分で立つために、最後まで見てる方がいい」

 

 小橋が少し泣きそうな顔になった。

 

「一之瀬ちゃん……」

 

 一之瀬は笑った。

 

 けれど、その笑顔はいつものように全部を引き受けるためのものではなかった。

 

「だから、交渉戦は浜口くんと姫野さんに任せる。実働戦は柴田くん、網倉さん、小橋さん。学力戦は神崎くん。読み合い戦は綾小路くん」

 

 そして、一之瀬は最後に自分の名前を書いた。

 

「私は、最後の代表戦に出る」

 

 それは、負担から逃げた配置ではなかった。

 

 むしろ逆だった。

 

 一之瀬が全部を支えるのではなく、全員が繋いだ最後を受け取る。

 

 そのための配置だった。

 

 

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