綾小路清隆が育ったのがホワイトルームじゃなくて白木屋だったら   作:東頭鎖国

16 / 19
三年生編④

 第一戦は学力戦だった。

 

 一之瀬クラスから出たのは神崎。

 

 対する堀北クラスは、堀北の指名で学力上位の生徒を出してきた。

 

 堀北自身は出ない。

 

 最後に残るつもりなのだろう。

 

 神崎は資料を閉じ、静かに立った。

 

「行ってくる」

 

「神崎くん」

 

 一之瀬が声をかけた。

 

 神崎は振り返る。

 

「何だ」

 

「任せるね」

 

 それだけだった。

 

 頑張って、でもない。

 

 ごめんね、でもない。

 

 任せる。

 

 神崎はわずかに目を見開き、それから頷いた。

 

「ああ。任された」

 

 学力戦は、ただ問題に答えるだけではなかった。

 

 制限時間内に複数分野の問題を解き、さらに途中で出される選択肢から得点効率の高い問題を選ぶ必要がある。

 

 知識だけでなく、判断力も問われる。

 

 神崎は堅実だった。

 

 取れる問題を落とさず、難問に必要以上の時間を使わない。

 

 対戦相手も優秀だったが、終盤の選択で神崎がわずかに上回った。

 

 結果、一之瀬クラスの勝利。

 

 戻ってきた神崎に、柴田が大きく手を叩いた。

 

「やるじゃん神崎!」

 

「声が大きい」

 

「勝ったんだからいいだろ」

 

 神崎は少しだけ表情を緩めた。

 

 一之瀬は笑って言った。

 

「ありがとう、神崎くん」

 

「礼を言われることではない」

 

「でも、言わせて」

 

「……わかった」

 

 神崎は視線をそらした。

 

 その顔には、少しだけ誇らしさがあった。

 

 第二戦は実働戦だった。

 

 短時間で与えられたブースを組み立て、来場者役の生徒に対応し、売上と満足度を競う。

 

 模擬店舗運営試験に近い。

 

 一之瀬クラスからは、柴田、網倉、小橋の三人が出た。

 

 相手は龍園クラス。

 

 龍園は自分では出ず、石崎、伊吹、アルベルトを実働に回してきた。

 

 実働戦では、龍園クラスの圧が強かった。

 

 石崎は声が大きく、アルベルトは無言で場を支える。

 

 伊吹は不機嫌そうに見えて、作業は速い。

 

 開始直後、一之瀬クラスは押されかけた。

 

 柴田が焦る。

 

「やべ、向こう速いぞ」

 

 網倉がすぐに言った。

 

「焦って声出しすぎないで。前の試験でやったでしょ」

 

「わかってる!」

 

「わかってる声量じゃない」

 

 小橋が笑顔で客役の生徒に声をかける。

 

「少しだけ待っててください。すぐ案内します」

 

 その柔らかさで列の空気が落ち着く。

 

 柴田は一度深呼吸した。

 

「悪い。俺、また走りすぎるところだった」

 

「走るのはいいよ。見るところ見て走って」

 

 網倉の言葉に、柴田は頷いた。

 

 そこからは安定した。

 

 柴田が前で動く。

 

 網倉が導線を直す。

 

 小橋が客役の不満を柔らかく受け止める。

 

 派手ではない。

 

 だが、崩れない。

 

 終盤、龍園クラスは一気に客を集めて得点を伸ばそうとした。

 

 柴田はそれに釣られかけたが、網倉が止めた。

 

「追わない。こっちは満足度で取る」

 

「了解!」

 

 結果は僅差で龍園クラスの勝利。

 

 一之瀬クラスは負けた。

 

 だが、柴田たちは戻ってきても崩れていなかった。

 

「悪い、勝ち切れなかった」

 

 柴田が言うと、一之瀬は首を横に振った。

 

「ううん。ちゃんと繋いでくれた」

 

 網倉も悔しそうに言った。

 

「勝てたかもって思うと悔しいね」

 

「それでいい」

 

 姫野が言った。

 

「楽しかったで終わらないなら、次に繋がる」

 

 小橋は少しだけ泣きそうな顔で笑った。

 

「悔しいけど、私たちだけで最後までできたよ」

 

「ああ」

 

 オレは頷いた。

 

 この負けには意味があった。

 

 一之瀬が出れば、安定して勝てたかもしれない。

 

 だが、一之瀬が出なかったからこそ、三人は自分たちの皿を持った。

 

 第三戦は交渉戦だった。

 

 一之瀬クラスからは、浜口と姫野。

 

 相手は龍園クラスではなく、坂柳クラスだった。

 

 坂柳は橋本を交渉役に出し、その後ろに森下藍を置いた。

 

 橋本は軽い笑みを浮かべている。

 

 警戒心を抱かせない距離で話し、こちらの言葉を否定せず、相槌を打つ。

 

 柔らかい。

 

 だが、誠実とは少し違う。

 

 相手が気持ちよく頷けるように場を整えながら、最終的な条件だけは坂柳クラスに寄せてくる。

 

 そういう柔らかさだった。

 

 その後ろにいる森下は、さらに別の意味で厄介だった。

 

 強く出るわけではない。

 

 口を挟むわけでもない。

 

 ただ、妙な角度からこちらを見ている。

 

 相手の言葉ではなく、言葉を選ぶまでの間。

 

 条件表ではなく、それを見た時の目の動き。

 

 交渉そのものよりも、交渉の外側にこぼれるものを拾っているように見えた。

 

 橋本が空気を柔らかくし、森下が違和感を拾う。

 

 坂柳クラスらしい、嫌な配置だった。

 

 浜口は静かに書類を受け取り、内容を確認した。

 

 姫野は隣で腕を組んでいる。

 

 橋本は笑った。

 

「一之瀬じゃないんだな」

 

「今日は俺たちが相手だよ」

 

 浜口が穏やかに言った。

 

「へえ。まあ、話しやすくて助かるけど」

 

「話しやすいかどうかは、条件次第だね」

 

 浜口は柔らかいままだ。

 

 だが、以前のように飲みすぎる空気はない。

 

 橋本の提示した条件は、見た目には五分だった。

 

 だが、細かい失点時の処理が一之瀬クラス側に寄っている。

 

 浜口はそこを見落としかけた。

 

 その瞬間、姫野が言った。

 

「そこ、こっちが損」

 

 浜口はすぐに止まった。

 

「そうだね。修正しよう」

 

 橋本は苦笑した。

 

「姫野、細かいな」

 

「細かくないと払わされるから」

 

「怖いねえ」

 

「そっちほどじゃない」

 

 浜口は条件を修正し、損失時の処理を半分ずつに戻した。

 

 橋本は別の条件を差し込もうとしたが、姫野がすぐ刺した。

 

「それも駄目」

 

「まだ言ってないだろ」

 

「言う前から嫌な感じがした」

 

「勘で交渉するなよ」

 

「勘じゃない。橋本くんの顔が面倒」

 

 浜口が小さく笑った。

 

「姫野さん、言い方」

 

「浜口くんが柔らかすぎるから、私はこれでいい」

 

 交渉は時間いっぱいまで続いた。

 

 結果は引き分けに近いが、採点上は一之瀬クラスの勝利。

 

 浜口が条件をまとめ、姫野が抜け道を潰した。

 

 一之瀬は二人が戻ると、深く頭を下げそうになって、途中で止めた。

 

「ありがとう」

 

 浜口は笑った。

 

「うん。今回は、ちゃんと条件を見たつもり」

 

 姫野は疲れた顔で言った。

 

「面倒だった」

 

「でも、助かった」

 

「そういうのも重い」

 

 一之瀬は笑った。

 

 第三戦を終え、一之瀬クラスは二勝一敗。

 

 流れは悪くない。

 

 だが、第四戦が問題だった。

 

 読み合い戦。

 

 一之瀬クラスからはオレ。

 

 相手は坂柳有栖だった。

 

 勝負内容は、与えられた不完全な情報から、他クラスの行動を予測し、最適な手を選ぶものだった。

 

 盤上のゲームに近い。

 

 ただし、駒は人間の行動を模している。

 

 誰が譲るか。

 

 誰が裏切るか。

 

 誰が我慢するか。

 

 誰が勝ち急ぐか。

 

 そういう心理を読む試験だった。

 

 坂柳は、向かいの席に座り、いつものように微笑んだ。

 

「綾小路くん」

 

「何だ」

 

「ここであなたと当たるのは、予定通りですか?」

 

「一之瀬クラスの配置としてはな」

 

「あなた自身としては?」

 

「店員みたいなものだ。必要なところに立つ」

 

「本当に、最後まで白木屋ですね」

 

 坂柳は楽しそうだった。

 

 勝負は静かに進んだ。

 

 坂柳は序盤からこちらの動きを読み、こちらが一之瀬クラスの損を避ける手を選ぶことを前提に罠を置いてきた。

 

 こちらはそれを避けながら、堀北クラスと龍園クラスの行動を読み込む。

 

 途中、坂柳が言った。

 

「あなたは、一之瀬さんを前に出しすぎないようにしている」

 

「そう見えるか」

 

「ええ。彼女を守っているのではなく、彼女のクラスに支えさせようとしている」

 

「それが必要だからな」

 

「ホワイトルームの子なら、もっと効率的に勝たせたでしょうね」

 

「そうなのか」

 

「ええ。ですが、あなたは違う。勝ち方より、支払い方を見ている」

 

「白木屋育ちだからな」

 

「便利な言葉です」

 

「よく言われる」

 

 勝負は終盤まで拮抗した。

 

 最後の一手で、坂柳はあえてこちらの最善手を誘った。

 

 その手を選べば、読み合い戦そのものでは勝てる。

 

 だが、その後の最終代表戦で一之瀬に少し不利な情報が残る。

 

 逆に、その不利を消す手を選べば、読み合い戦は落とす。

 

 坂柳は、それをわざと作っていた。

 

「どうしますか?」

 

「性格が悪いな」

 

「褒め言葉です」

 

「褒めていない」

 

 オレは少し考え、読み合い戦で勝つ手を捨てた。

 

 最終代表戦に残る情報を優先する。

 

 結果、読み合い戦は坂柳の勝利。

 

 坂柳は微笑んだ。

 

「ここで勝ちを捨てますか」

 

「捨てたわけではない」

 

「最後の卓に皿を残した」

 

「そういうことだ」

 

「やはり、面白い」

 

 これで一之瀬クラスは二勝二敗。

 

 最後の代表戦に、すべてがかかる形になった。

 

 ◇

 

 第五戦。

 

 一之瀬帆波対堀北鈴音。

 

 最後の代表戦は、単純な討論でも、学力勝負でもなかった。

 

 これまでの四戦で得た情報と状況をもとに、クラスの最終方針を組み立て、相手の方針を崩す。

 

 自分のクラスをどう勝たせるか。

 

 そのために、何を守り、何を捨てるのか。

 

 代表者の思想が、そのまま勝負になる。

 

 一之瀬は席に着く前、クラス全員を見た。

 

 神崎。

 

 柴田。

 

 浜口。

 

 姫野。

 

 網倉。

 

 小橋。

 

 そして、他のクラスメイトたち。

 

「行ってくるね」

 

 その言葉に、神崎が言った。

 

「頼む」

 

 柴田が笑う。

 

「最後は任せた」

 

 浜口が頷く。

 

「俺たちの分も、じゃなくて。俺たちが繋いだ分を使って」

 

 姫野が腕を組んだ。

 

「変に謝ったら怒るから」

 

 網倉が言った。

 

「帆波、ちゃんと勝ちに行って」

 

 小橋が泣きそうな顔で笑った。

 

「一之瀬ちゃん、頑張って」

 

 一之瀬は頷いた。

 

「うん。勝ちに行く」

 

 以前の一之瀬なら、「みんなの分まで背負う」と思ったかもしれない。

 

 今は違う。

 

 みんなの分まで背負っているのではない。

 

 みんながここまで繋いだから、最後に立っている。

 

 それだけだ。

 

 堀北は、すでに席についていた。

 

 彼女もまた、一人ではない。

 

 須藤。

 

 平田。

 

 軽井沢。

 

 櫛田。

 

 山内。

 

 池。

 

 それぞれが、それぞれの皿を持ってここまで来ている。

 

 堀北は静かに言った。

 

「一之瀬さん」

 

「堀北さん」

 

「ここまで来るとは思っていたわ」

 

「私も、堀北さんと最後に当たる気がしてた」

 

「あなたは変わったわね」

 

「そうかな」

 

「ええ。以前なら、もっと早く自分で背負っていた」

 

 一之瀬は少しだけ笑った。

 

「そうかもしれない」

 

「今は?」

 

「今は、みんながいる」

 

「それは昔からでしょう」

 

「うん。でも、昔の私は、みんながいるのに、全部自分で持とうとしてた」

 

 堀北は目を細めた。

 

「それに気づいたのね」

 

「うん」

 

「なら、遠慮なく行くわ」

 

「私も」

 

 勝負は静かに始まった。

 

 堀北は強かった。

 

 自分のクラスの強みを理解している。

 

 須藤の実働力。

 

 平田の安定。

 

 軽井沢の女子側調整。

 

 櫛田の表の顔と情報処理。

 

 山内や池の使いどころ。

 

 それらを冷静に並べ、無駄なく使う。

 

 一之瀬は、それに対して柔らかく受けるだけではなかった。

 

 神崎の数字。

 

 柴田の動き。

 

 浜口の条件。

 

 姫野の警戒。

 

 網倉の空気。

 

 小橋の緩衝。

 

 それらを一つずつ出して、堀北の手を受け止める。

 

 以前なら、一之瀬は「相手を傷つけない」ことを優先しすぎた。

 

 今は違う。

 

 相手を傷つけたいわけではない。

 

 だが、自分のクラスを勝たせたい。

 

 その意思が、言葉の中にあった。

 

「私は、みんなで卒業したい」

 

 一之瀬は言った。

 

「でも、それは負けてもいいって意味じゃない」

 

 堀北は静かに聞いている。

 

「私は、私のクラスを勝たせたい。誰かを踏みつけたいんじゃなくて、私たちがちゃんと積み上げたものを、最後まで持って行きたい」

 

「綺麗な言葉ね」

 

「うん。綺麗な言葉だと思う」

 

 一之瀬は逃げなかった。

 

「でも、今はその綺麗な言葉に、みんなの作った条件が乗ってる」

 

 堀北は少しだけ笑った。

 

「厄介になったわね」

 

「ありがとう」

 

「褒めているわけではないわ」

 

「でも、ありがとう」

 

 最終代表戦は僅差だった。

 

 最後の判断で、堀北は一つだけ早かった。

 

 一之瀬が全員の意見を最後まで拾ったのに対し、堀北は一つを切り、前に進んだ。

 

 それは冷たさではない。

 

 堀北クラスがここまで来るために得た強さだった。

 

 結果、勝者は堀北鈴音。

 

 最終特別試験は、堀北クラスの勝利で終わった。

 

 Aクラス卒業に届いたのは、堀北のクラスだった。

 

 一之瀬クラスは届かなかった。

 

 だが、沈まなかった。

 

 最後まで勝ちに行った。

 

 誰か一人が全部を払って笑う形ではなく、全員が自分の皿を持ったまま、最後まで席に残った。

 

 ◇

 

 試験後、一之瀬は教室で泣いた。

 

 悔し涙だった。

 

「ごめんね」

 

 彼女は言いかけた。

 

 だが、途中で止まった。

 

 神崎が言った。

 

「謝るな」

 

 浜口が続けた。

 

「全員で戦った結果だよ」

 

 柴田が明るく言った。

 

「悔しいけどな。でも、一之瀬ひとりのせいじゃない」

 

 網倉が頷いた。

 

「うん。今回は、ちゃんとみんなでやった」

 

 小橋が泣きそうな顔で笑った。

 

「だから、悔しいんだよね」

 

 姫野は腕を組んで、少しだけ視線を逸らした。

 

「一之瀬さんだけが謝るなら、怒るところだった」

 

 一之瀬は、涙を拭いた。

 

 そして、今度は謝らなかった。

 

「悔しい」

 

 彼女は言った。

 

「みんなでやったから、悔しい」

 

 それでよかった。

 

 白木屋で、最後の会計を全員で見た客は、たとえ高くついても次に繋がる。

 

 一人だけが財布を空にして笑うより、ずっと健全だ。

 

 卒業式の日、校舎はいつもより静かだった。

 

 終わりが近いと、人は少しだけ声を落とす。

 

 体育館の式典。

 

 教室での最後のホームルーム。

 

 廊下のざわめき。

 

 写真を撮る声。

 

 別れを惜しむ声。

 

 泣く者もいれば、笑う者もいる。

 

 オレは一之瀬クラスの教室にいた。

 

 一之瀬は、最後の挨拶で泣かなかった。

 

 声は少し震えていたが、最後まで立っていた。

 

「このクラスでよかった」

 

 彼女は言った。

 

「悔しいこともあったけど、みんなで悔しがれたのが、私は嬉しい」

 

 神崎は静かに目を伏せた。

 

 柴田は泣きそうなのをごまかして笑っていた。

 

 浜口は穏やかに拍手し、網倉と小橋は涙を拭いていた。

 

 姫野は泣いていないふりをしていた。

 

 この卓は、最後まで良い客が多かった。

 

 だが、最後には自分たちの会計票を見た。

 

 それだけで、オレがここに来た意味はあった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。