綾小路清隆が育ったのがホワイトルームじゃなくて白木屋だったら 作:東頭鎖国
中間試験は、なんとか乗り切った。
だが、学校は次の会計をすぐに持ってくる。
須藤の暴力事件。
それは、白木屋式に言えばクレーム処理だった。
体育館裏でCクラスの生徒三人を殴ったとして、須藤は告発された。
須藤は正当防衛を主張した。
向こうから呼び出され、挑発され、手を出されたからやり返しただけだと。
だが、Cクラス側は違う話をした。
須藤に一方的に暴力を振るわれた。
自分たちは被害者だ。
そういう形に話を整えてきた。
Dクラスの教室には、嫌な沈黙が広がった。
誰もが須藤を信じたいような顔をしながら、心のどこかでは「この男一人のために自分たちまで損をするのか」と考えている。
白木屋の会計時に、誰が一番多く飲んだのかを探り合う客たちとよく似ていた。
山内は最初こそ須藤を庇うようなことを言っていたが、退学やポイント減少の話が見え始めると声が小さくなった。
池も同じだ。
須藤本人は怒りを隠さず、机に拳をぶつけるような勢いで自分の正しさを訴えていた。
だが、怒鳴れば怒鳴るほど、周囲の視線は冷える。
白木屋で揉め事を起こした客が「俺は悪くない」と叫べば叫ぶほど、他の客が距離を取るのと同じだった。
堀北は、須藤を救うためというより、クラスの損失を避けるために動こうとしていた。
その姿勢は合理的だった。
だが、合理性だけでは証言は取れない。
相手が嘘をついているなら、それを覆す材料がいる。
目撃者。
映像。
矛盾。
どれでもいい。
ただし、学校側に通る形で差し出す必要がある。
白木屋でも、揉め事の場では「誰が見ていたか」が重要になる。
酔客同士の口論は、当事者の言葉だけでは終わらない。
隣席の客がどう見ていたか。
店員が何を聞いたか。
カメラがどこを映していたか。
そして、その証言者が表に出る覚悟を持てるか。
須藤の事件でも、そこが問題だった。
佐倉愛里。
彼女は見ていた。
だが、表に出られなかった。
人前に立つことへの恐怖。
自分が注目されることへの拒絶。
そして、Cクラスに睨まれる危険。
それらが彼女を止めていた。
堀北は、証人として出るべきだという正論を用意できる。
櫛田は、優しく背中を押すことができる。
だが、佐倉が抱えている恐怖は、それだけでは動かない。
白木屋で言えば、隣の個室で揉め事を見てしまった常連客だ。
その客に「あなたが見たことを証言してください」と言えば、普通は断る。
巻き込まれたくないからだ。
だから、証言者を動かすには、正義ではなく、安全が必要になる。
自分が出ても壊れないと信じられる状況。
自分が見たものを話しても、逃げ場があると思える状態。
それを作らなければならない。
オレは佐倉と接触した。
彼女は、教室の中でも人目を避けるように動く。
声は小さく、視線はすぐに落ちる。
白木屋であれば、宴会の端でグラスを両手で持ち、周囲の笑い声に合わせて小さく笑うだけの客だった。
そういう客に、突然乾杯の音頭を取らせてはいけない。
まず、席を立たせないこと。
次に、自分の言葉が無駄ではないと思わせること。
最後に、証言が必要な場まで導線を作ること。
堀北は苛立っていた。
佐倉が出てくれなければ須藤は不利になる。
その焦りはわかる。
だが、焦った幹事は料理をこぼす。
白木屋で何度も見た。
急いで場をまとめようとすると、声の小さい客の本音を踏みつける。
そして、その客は次から何も言わなくなる。
◇
裁定の日、空気は最悪だった。
Cクラス側は、自分たちが被害者であるという姿勢を崩さない。
須藤は怒りを押し殺しているつもりで、まったく押し殺せていない。
堀北は冷静に見せているが、内側では焦っている。
茶柱は、どちらにも肩入れしない顔で場を見ていた。
櫛田は心配そうにしている。
そして佐倉は、ぎりぎりまで表に出られなかった。
白木屋の会計時に似ていた。
誰もが自分は損をしたくない。
だが、誰かが口を開かなければ、場は悪い方向へ固まってしまう。
佐倉が証言した時、空気が変わった。
彼女の声は大きくなかった。
堂々としていたわけでもない。
だが、彼女は自分が見たものを話した。
須藤が一方的に暴力を振るったのではない。
Cクラス側にも挑発と接触があった。
少なくとも、Cクラスの言い分だけを全面的に信じることはできない。
それで十分だった。
完全勝利ではない。
須藤が無傷で済むほど、状況は甘くない。
だが、Cクラスの主張を一方的に通すことはできなくなった。
場は五分に近づいた。
白木屋で言えば、片方の客だけが悪いという空気を、隣席の証言で崩したようなものだ。
その後の交渉では、Cクラス側にも引く理由ができた。
完全に押し切ろうとすれば、彼らの虚偽や誘導も掘られる。
学校側も、処分を重くしすぎれば不公平になる。
結果として、須藤は退学を免れた。
処分は軽くなり、Dクラスは致命傷を避けた。
事件が終わったあと、須藤は不満そうだった。
自分は悪くないのに、なぜ完全に無罪にならないのか。
そういう顔をしていた。
だが、それもまた未熟さだった。
白木屋では、自分に理があっても場を荒らせば損をする。
正しいことと、損をしないことは同じではない。
須藤は、それをまだ理解していなかった。
堀北は少し疲れた顔をしていた。
「結局、完全には勝てなかったわね」
「負けなかった」
「同じことじゃないの?」
「違う」
堀北は少し考えた。
「……あなたは、こうなると思っていたの?」
「可能性の一つとしては」
「ずいぶん曖昧ね」
「揉め事は曖昧に終わることも多い」
「白木屋で?」
「ああ」
堀北は呆れたように息を吐いた。
「居酒屋の経験が役に立つ学校なんて、ここくらいでしょうね」
「そうかもしれない」
だが、オレは少し違うと思っていた。
学校が白木屋に似ているのではない。
人間が集まる場所は、どこでも白木屋に似ている。
教室でも、体育館裏でも、無人島でも、船の上でも、最後には誰かが注文し、誰かが遠慮し、誰かが会計を押し付けようとする。
だから観察する価値がある。
事件後、佐倉は以前より少しだけ顔を上げるようになった。
須藤は相変わらず粗いが、クラスに借りを作ったことは理解しているようだった。
堀北も、正論だけでは人は動かないと学んだ。
Dクラスは、また少し変わった。
変化は小さい。
だが、小さい変化しか残らない。
白木屋の客も、そうだった。
翌日から別人になる者はいない。
だが、前回より少しだけ店員への声が柔らかくなる。
前回より少しだけ会計時に財布を出すのが早くなる。
その程度の変化が、長い目で見れば場を変える。
◇
夏。
無人島特別試験が始まった。
船に乗った生徒たちは浮かれていた。
海、森、サバイバル。
多くの生徒にとっては非日常だろう。
だがオレにとっては、白木屋の週末深夜帯より秩序がある場所に見えた。
ルールがある。
資源が見える。
騒ぐ人間の数も限られている。
問題は、やはり人間だった。
Dクラスはすぐに不満を漏らし始めた。
暑い、虫がいる、食べ物が少ない、トイレが嫌だ。
白木屋で言えば、料理が遅い、席が狭い、ビールがぬるいと文句を言う客たちだ。
文句そのものは問題ではない。
文句が感染することが問題だ。
須藤には力仕事を与えた。
池には探索を任せた。
山内には、女子の前で格好をつけられる程度の役割を渡した。
「山内。薪を集めてくれ」
「えー、めんどくせえな」
「女子に見える場所でやれば、多少は見直されるかもしれない」
「マジかよ。任せろ」
山内は大量の枝を抱えて戻ってきた。
半分は湿っていた。
だが、ゼロよりはましだ。
役割を与えられた人間は、完全に不満側へ回りにくくなる。
文句を言う客に、あえて注文の取りまとめを任せる。
すると、その客は文句を言う側から、文句を受ける側へ少し移動する。
立場が変われば、発言も変わる。
堀北は体調を崩していた。
それでも強がる。
白木屋で言えば、明らかに酔っているのに「酔っていない」と言い張る客だ。
最も危険な部類に入る。
「堀北。休め」
「必要ないわ」
「必要ある」
「あなたに判断されることではないわ」
「倒れられると困る」
「私は倒れない」
「倒れる人間ほどそう言う」
堀北は睨んできた。
だが、限界は近かった。
彼女を休ませるには、弱さを認めさせるのではなく、クラス全体の合理性として扱う必要があった。
人間は、自分の弱さを認めることを嫌がる。
だが、役割のために休めと言われれば受け入れられることがある。
無人島試験の本質は、リーダーの読み合いだった。
誰を見せるか。
誰を隠すか。
どこまで使うか。
誰を囮にするか。
白木屋で言えば、誰に会計票を持たせるかに近い。
見えている幹事が本当の幹事とは限らない。
声が大きい者が支配者とは限らない。
最後に場を動かしていたのが誰かは、会計時になって初めてわかる。
Dクラスは、危ういながらも結果を出した。
堀北の名前が前に出る。
それでいい。
オレが目立つ必要は、ない。