綾小路清隆が育ったのがホワイトルームじゃなくて白木屋だったら   作:東頭鎖国

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一年生編③

 船上特別試験は白木屋で言えば、席順だけ決められて会計方法を伏せられた宴会だった。

 

 同じテーブルに座っているからといって、同じ目的を持っているとは限らない。

 

 同じ料理を食べているからといって、同じ額を払うとも限らない。

 

 誰かが多く支払うかもしれない。

 

 誰かが逃げるかもしれない。

 

 誰かが、最後まで自分の伝票を隠し続けるかもしれない。

 

 学校は、それを思考力の試験として扱っている。

 

 オレからすれば、かなり性格の悪い会計だった。

 

 船の上という閉じた環境も悪かった。

 

 逃げ場が少ない。

 

 部屋はある。

 

 廊下もある。

 

 食堂もある。

 

 だが、どこへ行っても誰かの視線がある。

 

 白木屋でも、狭い座敷で席替えができない宴会は揉めやすい。

 

 嫌な相手が隣にいても、会計が終わるまでは席を立てない。

 

 この試験では、各グループに優待者がいる。

 

 誰がそれなのかを見抜けば得をする。

 

 隠し通せば得をする。

 

 裏切れば、別の得もある。

 

 全員が同じ席に座っていながら、全員が同じ伝票を持っているわけではない。

 

 そういう仕組みだった。

 

 堀北は、正面からルールを読んでいた。

 

 彼女らしい。

 

 ルールの穴、情報の整理、クラス全体の損得。

 

 それらを一つずつ拾い上げていく。

 

 だが、この試験で見るべきものはルールだけではない。

 

 人間だ。

 

 誰が焦っているか。

 

 誰が黙りすぎているか。

 

 誰が普段より喋るか。

 

 誰が周囲の顔色を見るか。

 

 誰が、会計票を握られた客の顔をしているか。

 

 そういうものは、文章には書かれない。

 

 だが、最後の支払いには必ず出る。

 

 船上試験の途中、龍園翔と初めてまともに言葉を交わしたのは、食堂の隅だった。

 

 昼食時を少し外した時間で、人は多くない。

 

 だが、完全に少ないわけでもなかった。

 

 人の声。

 

 食器の音。

 

 椅子を引く音。

 

 それらが混ざり、誰が誰を見ているのかが少しだけわかりにくくなる。

 

 白木屋で言えば、ちょうど混雑が一段落した後の時間帯に近かった。

 

 油断した客は声が大きくなる。

 

 疲れた店員は確認を飛ばす。

 

 そして、余裕のある客は周囲を観察する。

 

 龍園は、その余裕のある客に近かった。

 

 彼は数人の取り巻きと一緒にいた。

 

 石崎大地。

 

 伊吹澪。

 

 少し離れた位置に、アルベルト。

 

 龍園は椅子に深く座り、テーブルに肘をつきながら、こちらを見ていた。

 

「よう」

 

 龍園が声をかけてきた。

 

「お前、堀北のとこの綾小路だよな」

 

「ああ」

 

「随分と静かな顔してやがるな」

 

「騒ぐ理由がない」

 

「船の上で妙な試験やらされてんだぞ。普通はもうちょい慌てるもんだろ」

 

「慌てると会計を間違える」

 

 龍園の目が細くなった。

 

「会計?」

 

「この試験は、誰が得をして、誰が損を引き受けるかを見る試験だ。慌てると、自分の伝票を他人に渡す」

 

 龍園は一瞬黙った。

 

 それから、喉の奥で笑った。

 

「ククッ。何だそりゃ。お前、変なこと言うな」

 

「よく言われる」

 

「だろうな」

 

 龍園は、こちらを値踏みするように見た。

 

 その視線には、まだ警戒というほどの強さはない。

 

 だが、単なるDクラスの背景として見る目でもなかった。

 

「お前、試験のルールを会計に例えてんのか」

 

「例えというより、似ている」

 

「似てねえだろ」

 

「似ている。誰かが秘密を持っていて、誰かがそれを見抜こうとしている。裏切れば得をする。黙っていれば損を避けられるかもしれない。最後に点数として請求が来る」

 

 石崎が横から顔をしかめた。

 

「何言ってんだこいつ?」

 

 伊吹も呆れたように言う。

 

「さあ。意味わかんない」

 

 だが、龍園は笑っていた。

 

 意味がわからないから笑っているのではない。

 

 意味がわかりかけているから笑っている。

 

 龍園は、荒い。

 

 だが、馬鹿ではない。

 

 むしろ、人間がどこで損得を考えるかをよく見ている。

 

 だから、白木屋式の会計という言葉にも、妙な引っかかりを覚えたのだろう。

 

「つまり、お前はこの試験を、誰がどの伝票を持ってるか当てる遊びだと思ってるわけだ」

 

「かなり近い」

 

「ククッ。悪くねえな」

 

 龍園は椅子の背にもたれた。

 

「堀北は知ってんのか? お前がそんな気色悪い見方してるって」

 

「知らない部分もある」

 

「だろうな。あの女は、もっと正面からルールを読むタイプだ」

 

「そうだな」

 

「お前は違う」

 

 龍園は、そこで初めて少しだけ声を低くした。

 

「お前は、ルールより人を見てる」

 

「人を見るのもルールの一部だ」

 

「そういう返しが気に入らねえ」

 

「そうか」

 

「褒めてんだよ」

 

「わかりにくいな」

 

 龍園は笑った。

 

 石崎は会話についていけず、伊吹は退屈そうにこちらを見ている。

 

 アルベルトは黙っていた。

 

 だが、龍園だけは明らかに、こちらへの認識を少し変えていた。

 

「お前、ホントにDクラスか?」

 

「そうだ」

 

「堀北の後ろに隠れてるだけの男に見えたがな」

 

「隠れているつもりはない」

 

「じゃあ何だ」

 

「注文を取りに行く前に、客席を見ているだけだ」

 

「またそれかよ」

 

 龍園は面白そうに笑った。

 

「お前、どこ育ちだ?」

 

 その問いに、石崎と伊吹もわずかに反応した。

 

「白木屋だ」

 

 龍園の笑みが止まった。

 

 石崎が素で聞き返す。

 

「白木屋?」

 

 伊吹も眉をひそめた。

 

「居酒屋の?」

 

「ああ」

 

 数秒、変な沈黙が落ちた。

 

 その後、龍園が盛大に笑った。

 

「クハハハハッ! 白木屋ぁ? 何だそれ。冗談にしては意味わかんねえな」

 

「冗談ではない」

 

「マジかよ。お前、居酒屋で何習ってこの学校来てんだ?」

 

「注文と会計と客の見方だ」

 

「最高だな」

 

 龍園は心底面白そうに言った。

 

「気に入ったぜ、白木屋」

 

「名前ではない」

 

「知るか。今日からお前は白木屋だ」

 

「やめろ」

 

「嫌だね」

 

 龍園は立ち上がった。

 

 石崎も慌てて立つ。

 

 伊吹は面倒くさそうに続いた。

 

 アルベルトは最後まで黙ったままだった。

 

「綾小路」

 

「何だ」

 

「この試験、どこまで見えてる?」

 

「全部ではない」

 

「どこまでだ」

 

「誰が焦っているかは見える」

 

 龍園は口の端を上げた。

 

「なら、俺のことは?」

 

「焦ってはいない」

 

「そうか」

 

「楽しんでいる」

 

 龍園の笑みが深くなった。

 

「正解だ」

 

 そう言って、彼は食堂を出ていった。

 

 その背中を見ながら、オレは思った。

 

 龍園翔は、会計を荒らす客だ。

 

 だが、会計を見ていない客ではない。

 

 むしろ、誰に払わせるかを誰よりもよく見ている。

 

 だから厄介なのだろう。

 

 ◇

 

 その後、軽井沢恵の様子がおかしいことに気づいた。

 

 最初は小さな違和感だった。

 

 女子の集まりから離れるのが早い。

 

 廊下で誰かとすれ違った後、表情を戻すまでが一瞬遅い。

 

 いつもの軽さが、少しだけ硬い。

 

 そして、彼女の周囲にいる女子の数人が、見えないところで彼女を値踏みしていた。

 

 表では笑う。

 

 だが、笑った後に目を合わせる。

 

 何かを確認する。

 

 軽井沢が気づかないふりをする。

 

 それは、白木屋の宴会でもよく見る動きだった。

 

 誰かを冗談の的にして、どこまで許されるか試す。

 

 一度笑って済ませたら、次は少し強くする。

 

 周囲が止めなければ、さらに強くする。

 

 やがて、それはその席の役割になる。

 

 軽井沢は、その役割を一度与えられた人間の動きをしていた。

 

 後からわかったことだが、彼女は過去にいじめを受けていた。

 

 それ自体をオレはその時点で詳しく知っていたわけではない。

 

 ただ、見ればわかった。

 

 彼女は、場に馴染むために笑っているのではない。

 

 場から落とされないために笑っていた。

 

 宴会の中心にいるようで、実際には会計票を握られている客だった。

 

 船上試験の構造上、軽井沢は利用できる位置にいた。

 

 女子の情報を拾える。

 

 表の空気を読める。

 

 そして何より、弱みを隠している。

 

 隠している弱みは、他人に握られれば武器になる。

 

 だが、自分で見える場所に置けば、取引材料にもなる。

 

 その判断は、たぶん非情だった。

 

 だが、必要でもあった。

 

 軽井沢と最初に直接話したのは、人の少ない廊下だった。

 

 船内の照明は白く、窓の外は暗い。

 

 廊下には、微かなエンジン音が響いていた。

 

 軽井沢は、こちらに気づくといつもの顔を作った。

 

「何? 綾小路くん」

 

「少し話がある」

 

「えー、何それ。怖いんだけど」

 

 声は軽い。

 

 だが、目は警戒している。

 

 軽井沢は、相手の目的がわからない時ほど笑う。

 

 笑えば、場が柔らかくなる。

 

 相手も踏み込みにくくなる。

 

 それを知っている笑い方だった。

 

「お前は、今の立ち位置を守りたいんだろう」

 

「は?」

 

「女子の中で孤立したくない。中心に近い場所にいたい。少なくとも、下に落とされたくない」

 

 軽井沢の笑顔が、ほんの少しだけ固まった。

 

「急に何言ってるの? 意味わかんないんだけど」

 

「わからないなら、それでいい」

 

「感じ悪」

 

「ただ、今のままだと危ない」

 

「何が?」

 

「お前は、誰かに会計票を握られている」

 

 軽井沢は眉をひそめた。

 

「また白木屋の話?」

 

「似たようなものだ」

 

「知らないし。ていうか、何で私にそんなこと言うわけ?」

 

「必要だからだ」

 

「何に?」

 

「この試験に」

 

 軽井沢は黙った。

 

 その沈黙で十分だった。

 

 彼女は馬鹿ではない。

 

 こちらの言葉が単なる雑談ではないことを理解している。

 

 だが、認めるわけにはいかない。

 

 認めれば、自分が守っているものが崩れる。

 

「私、別に困ってないし」

 

「そう見せるのが上手いだけだ」

 

「何それ。ムカつくんだけど」

 

「ムカつくなら、まだ余裕がある」

 

「は?」

 

「本当に余裕がなければ、怒ることもできない」

 

 軽井沢は、こちらを睨んだ。

 

 だが、その目の奥には怒りだけではないものがあった。

 

 恐怖。

 

 疑い。

 

 そして、ほんの少しの期待。

 

 誰かが自分の会計票に気づいたことへの期待だ。

 

 それを本人が認めるかどうかは別として。

 

「オレと組め」

 

 オレは言った。

 

「はあ?」

 

「お前の立場は守る。その代わり、必要な情報を渡せ」

 

「何それ。取引?」

 

「そうだ」

 

「私に何の得があるの」

 

「お前が今まで一人で払っていた分を、少し減らせる」

 

 軽井沢は口を閉じた。

 

 その言い方は、たぶん彼女に刺さった。

 

 誰かに守られる。

 

 助けられる。

 

 そういう言葉なら、彼女は拒絶したかもしれない。

 

 だが、一人で払っていた分を減らす。

 

 それは、彼女が隠してきた疲労に近かった。

 

「綾小路くんって、ほんと何なの」

 

「ただの同じクラスの生徒だ」

 

「嘘くさ」

 

「事実だ」

 

「白木屋育ちって、みんなそうなの?」

 

「たぶん違う」

 

「たぶんなんだ」

 

 軽井沢は、少しだけ笑った。

 

 さっきまでの作った笑いとは違う。

 

 不安は消えていない。

 

 だが、会話の余地はできた。

 

「私が断ったら?」

 

「それでもいい」

 

「脅さないんだ」

 

「脅せば、後で会計が重くなる」

 

「また会計」

 

「大事だ」

 

「……変な人」

 

 軽井沢はそう言って、廊下の壁に背を預けた。

 

「でも、もし組むなら条件がある」

 

「何だ」

 

「私のこと、変に言いふらさないで」

 

「ああ」

 

「女子の前で、私に変に話しかけないで」

 

「ああ」

 

「あと、私が助けてって言わなくても、やばそうなら気づいて」

 

「難しい条件だな」

 

「無理?」

 

「いや。見る」

 

 軽井沢は一瞬、驚いたような顔をした。

 

 それから、少し視線を逸らした。

 

「じゃあ……考えてもいい」

 

「それでいい」

 

「即答しないの?」

 

「無理に即答させると、後で逃げる」

 

「何か、本当に店員みたい」

 

「よく言われる」

 

「言われるんだ」

 

 その時点で、軽井沢との関係は決まった。

 

 恋愛ではない。

 

 友情とも違う。

 

 保護でもない。

 

 取引だった。

 

 だが、取引だからこそ彼女は受け入れられた。

 

 誰かの善意にすがる形ではなく、自分にも役割がある形だったからだ。

 

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