綾小路清隆が育ったのがホワイトルームじゃなくて白木屋だったら   作:東頭鎖国

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一年生編④

 数日後、龍園は再び声をかけてきた。

 

「よう、白木屋」

 

「その呼び方は定着させるな」

 

「もう俺の中では定着した」

 

「迷惑だな」

 

「お前、軽井沢と何か話してただろ」

 

 龍園は唐突に言った。

 

 表情は笑っている。

 

 だが、目は笑っていない。

 

 伊吹が少し離れた場所で壁にもたれている。

 

 石崎はいない。

 

 アルベルトも見えない。

 

 人目はあるが、聞き耳を立てるほど近い者はいない。

 

 龍園は、そういう場所を選んでいる。

 

「見ていたのか」

 

「たまたまな」

 

「たまたまにしては、よく見ている」

 

「俺は客席を見るのが好きなんだよ」

 

「お前も白木屋式か」

 

「うるせえ」

 

 龍園は笑った。

 

「軽井沢は、表で笑ってる割に妙な顔をする。ああいう女は、だいたい何か持ってる」

 

「そうか」

 

「お前も気づいてんだろ」

 

「何に」

 

「とぼけんな。弱みだよ」

 

 龍園は一歩近づいた。

 

「弱みを持ってるやつは使える。特に、弱みを隠すのに慣れてるやつはな」

 

「使うのか」

 

「使えるならな」

 

「それは会計が荒れる」

 

「荒らすために使うんだよ」

 

 龍園らしい言い方だった。

 

 彼は軽井沢を見抜いている。

 

 ただし、助けるためではない。

 

 利用するために見ている。

 

 そこがオレとは違う。

 

 いや、完全に違うとも言い切れない。

 

 オレも軽井沢を利用するつもりはあった。

 

 だが、使い捨てるつもりはなかった。

 

 そこに差がある。

 

「龍園」

 

「何だ」

 

「その伝票には手を出すな」

 

 龍園の目が鋭くなった。

 

「ほう」

 

「軽井沢の会計は、今はオレが見ている」

 

「何だそりゃ。彼氏気取りか?」

 

「違う」

 

「じゃあ何だよ」

 

「取引相手だ」

 

 龍園は少し黙った後、また笑った。

 

「ククッ。取引相手ねえ。白木屋らしいな」

 

「らしいかどうかは知らない」

 

「つまり、お前が先に席を取ったってことか」

 

「席は軽井沢のものだ。オレは伝票を見ているだけだ」

 

「その言い方、本当に気色悪いな」

 

「よく言われる」

 

「だろうな」

 

 龍園は、わざとらしく肩をすくめた。

 

「だが、覚えとくぜ。あの女に手を出せば、お前が出てくる」

 

「必要ならな」

 

「じゃあ、いつか試す」

 

「やめておけ」

 

「それを決めるのは俺だ」

 

 龍園は背を向けた。

 

 去り際、彼は振り返らずに言った。

 

「白木屋」

 

「何だ」

 

「お前、堀北より面倒そうだな」

 

「そうか」

 

「褒めてんだよ」

 

「わかりにくい」

 

「わかりやすく褒める趣味はねえ」

 

 その会話以降、龍園はオレを完全な背景とは見なくなった。

 

 堀北の後ろにいる無害な男。

 

 そういう扱いではなくなった。

 

 白木屋。

 

 奇妙な見方をする男。

 

 軽井沢の伝票を見ている男。

 

 龍園の中で、そういう位置づけになったのだろう。

 

 船上試験の終盤、軽井沢は情報を流した。

 

 女子の間で誰が誰を疑っているか。

 

 誰が場を誘導しようとしているか。

 

 誰が裏で余計なことを言っているか。

 

 小さな情報ばかりだった。

 

 だが、小さな情報ほど、会計票の端に書かれた数字に似ている。

 

 一つだけなら見逃せる。

 

 積み重なれば、最後の支払いを変える。

 

 軽井沢は、その端の数字を拾うのが上手かった。

 

 オレは、その情報を使って試験の盤面を整理した。

 

 誰が優待者なのか。

 

 どこで裏切りが起きるか。

 

 どのグループが焦っているか。

 

 直接動くより、情報の流れを見る方が効いた。

 

 軽井沢は表に出ない。

 

 オレも彼女の名前を出さない。

 

 それでいい。

 

 彼女の価値は、表に出した瞬間に危険になる。

 

 試験の最後、龍園は誰よりも楽しそうだった。

 

 彼は、勝つことだけを考えているわけではない。

 

 どこで誰が焦り、誰が隠し、誰が裏切るか。

 

 それを見ている。

 

 たぶん、オレとは違う言葉で、同じような伝票の端を見ている。

 

 だからこそ、面倒だった。

 

 ◇

 

 船上試験の決着がついた後、軽井沢は人の少ないデッキにいた。

 

 夜風が強い。

 

 船の外は暗く、海面はほとんど見えなかった。

 

「終わったの?」

 

「ああ」

 

「そう」

 

 軽井沢は手すりに寄りかかっていた。

 

 髪が風で揺れる。

 

 その横顔は、いつもの教室で見せるものより少し疲れていた。

 

「私、役に立った?」

 

「立った」

 

「そ」

 

 彼女は短く返した。

 

 だが、少しだけ安心したように見えた。

 

「これからどうなるの?」

 

「何が」

 

「私と綾小路くんの関係」

 

「必要があれば、また頼む」

 

「こっちの安全は?」

 

「守る」

 

 軽井沢は、こちらを見た。

 

「簡単に言うね」

 

「簡単ではない」

 

「でも言うんだ」

 

「ああ」

 

 軽井沢は、しばらく黙っていた。

 

「私さ」

 

「ああ」

 

「誰かに守られるの、嫌いなんだと思ってた」

 

「そうか」

 

「でも、たぶん違う。守るって言いながら、こっちから色々奪う人が嫌いだったんだと思う」

 

 その言葉は、彼女の過去を少しだけ覗かせた。

 

 詳しく聞く必要はなかった。

 

 聞かれたくないこともある。

 

 白木屋でも、客が自分から言いかけた愚痴を、無理に掘るのは良くない。

 

 言いたくなった時に言えばいい。

 

「オレは奪わないとは限らない」

 

「そこは嘘でも奪わないって言いなさいよ」

 

「嘘は後で会計が重くなる」

 

「またそれ」

 

 軽井沢は呆れたように笑った。

 

「でも、まあ……いいや。嘘っぽい優しさよりはマシ」

 

「そうか」

 

「うん」

 

 それから彼女は、少しだけ声を低くした。

 

「私のこと、変に守りすぎないで」

 

「どういう意味だ」

 

「私が弱いだけの人間みたいになるのは嫌」

 

「わかった」

 

「でも、本当にやばい時は守って」

 

「難しいな」

 

「でしょ」

 

 軽井沢は笑った。

 

 それは、彼女らしい条件だった。

 

 弱者として扱われたくない。

 

 だが、完全に一人で放っておかれるのも怖い。

 

 その矛盾を、彼女は自分でわかっている。

 

 だから、取引が必要だった。

 

「なら、こうする」

 

 オレは言った。

 

「お前の立場はお前のものだ。オレは、それを勝手に取り上げない。ただ、誰かが会計票をお前一人に押し付けようとした時は止める」

 

「何それ」

 

「白木屋式だ」

 

「やっぱり変」

 

 軽井沢は笑った。

 

 だが、拒絶はしなかった。

 

「じゃあ、それで」

 

「ああ」

 

「あと、私も使われるだけなのは嫌だから」

 

「わかっている」

 

「本当に?」

 

「使う時は、対価を払う」

 

「ポイント?」

 

「情報、安全、立場。必要なものを」

 

「現実的すぎ」

 

「取引だからな」

 

 軽井沢は、しばらく海を見ていた。

 

 そして、小さく言った。

 

「じゃあ、取引成立ってことで」

 

「ああ」

 

 それが、船上試験における軽井沢の顛末だった。

 

 彼女はただ助けられたわけではない。

 

 ただ利用されたわけでもない。

 

 自分の弱みを完全に明かさないまま、それでも一部を取引材料として出した。

 

 オレはそれを使い、同時に彼女の立場を守ることを引き受けた。

 

 この関係は、後々まで残る。

 

 だが、恋人関係になるわけではない。

 

 この白木屋の会計では、軽井沢は恋愛の相手ではなく、最初に「自分の支払いを見られること」を受け入れた協力者だった。

 

 軽井沢は、最後にデッキを離れる時、振り返らずに言った。

 

「綾小路くん」

 

「何だ」

 

「ポテトってさ」

 

「ああ」

 

「本当に場を壊しにくいの?」

 

「かなり」

 

「じゃあ、今度頼む」

 

「誰と」

 

「知らない。女子とでも、誰とでも」

 

「そうか」

 

「でも、唐揚げのレモンは別ね」

 

「わかっているじゃないか」

 

「白木屋式、ちょっとだけね」

 

 彼女はそう言って、船内へ戻っていった。

 

 その背中は、まだ危うかった。

 

 だが、完全に誰かの伝票を押し付けられるだけの客ではなくなっていた。

 

 軽井沢恵は、その船の上で、自分の会計票を少しだけ自分の手元に取り戻した。

 

 ◇

 

 船内へ戻る途中、食堂の入口近くで龍園とすれ違った。

 

 龍園は壁に背を預け、こちらを待っていたようにも見えた。

 

「またな、白木屋」

 

「その呼び方はやめろ」

 

「嫌だね」

 

「面倒な客だな」

 

「俺は客じゃねえ」

 

「じゃあ何だ」

 

「会計を踏み倒す側だ」

 

「出禁になるぞ」

 

 龍園は楽しそうに笑った。

 

「やれるもんならな」

 

 その笑いは、まだ軽かった。

 

 だが、その奥にあるものは軽くなかった。

 

 龍園は、いつかこちらの伝票を奪いに来る。

 

 そういう目をしていた。

 

 白木屋で育ったオレにとって、それはかなり面倒な相手だった。

 

 

 ◇

 

 体育祭では、クラスの未熟さが露骨に出た。

 

 身体能力の差。

 

 連携の悪さ。

 

 クラス間の情報戦。

 

 龍園翔は、ああいう場で強い。

 

 声が大きく、恐怖を使い、集団の熱を操作する。

 

 白木屋で言えば、乾杯の音頭を奪ってその場を自分の宴会に変える客だ。

 

 迷惑だが、場を動かす力がある。

 

 堀北は兄への意識を引きずっていた。

 

 須藤は感情で走りすぎる。

 

 山内と池は浮つく。

 

 体育祭は、誰が速いかだけの試験ではなかった。

 

 誰が自分の役割を理解しているか。

 

 誰が他人の失敗を許容できるか。

 

 誰が敗北した後も席に残るか。

 

 それを測る試験だった。

 

 須藤は、そこで少し変わった。

 

 堀北も少し変わった。

 

 人間は、勝った時より負けた時に形が出る。

 

 白木屋の会計と同じだ。

 

 気分よく飲んでいる時の人間は、誰でも似たような顔をする。

 

 問題は、損をしたと感じた時だ。

 

 怒鳴るのか。

 

 黙るのか。

 

 笑って払うのか。

 

 そこに本質が出る。

 

 ◇

 

 ペーパーシャッフルでは、堀北と櫛田の問題が表に出た。

 

 櫛田桔梗という人間は、白木屋で言えば完璧な笑顔で注文をまとめる客だった。

 

 誰とでも話せる。

 

 誰にでも合わせる。

 

 全員の好き嫌いを把握している。

 

 だが、そういう人間が常に善人とは限らない。

 

 むしろ、全員の情報を持っている人間ほど危険だ。

 

 櫛田は、自分の過去を守るためなら場そのものを壊す覚悟を持っていた。

 

 堀北はそこに踏み込まざるを得なかった。

 

 オレは、二人の間にあるものを見ていた。

 

 嫌悪。

 

 恐怖。

 

 執着。

 

 そして、どちらもまだ席を立てないという事実。

 

 白木屋なら、同じ卓に座らせてはいけない二人だ。

 

 だが学校では、そう簡単に席替えはできない。

 

 ならば、同じ卓に座らせたまま、皿の置き方を変えるしかない。

 

 この頃から、坂柳有栖の視線を強く感じるようになった。

 

 Aクラスの中心にいる生徒。

 

 身体的な不自由を抱えながらも、それを補って余りある観察眼と判断力を持つ。

 

 彼女の視線は、堀北や龍園のものとは違っていた。

 

 オレ個人を見るというより、何か既存の答えに照合しているようだった。

 

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