綾小路清隆が育ったのがホワイトルームじゃなくて白木屋だったら   作:東頭鎖国

6 / 19
一年生編⑥

 投票当日。

 

 教室は静かだった。

 

 山内は普段よりも口数が少ない。

 

 何度か軽口を叩こうとして、失敗していた。

 

「なあ、綾小路」

 

「何だ」

 

「俺、やばい?」

 

「やばいな」

 

「そこは嘘でも大丈夫って言えよ……」

 

「嘘をついても票は減らない」

 

「白木屋って、そういう時もうちょい優しくしてくれねえの?」

 

「会計前は優しさより財布だ」

 

「嫌すぎるだろ……」

 

 山内は乾いた笑いを漏らした。

 

 そして、小さな声で言った。

 

「俺、何かできる?」

 

「今からできることは少ない」

 

「だよなぁ……」

 

「だが、覚えておけ」

 

「何を?」

 

「お前が残ったら、誰かが払う」

 

 山内は黙った。

 

 その言葉は、彼にとって重すぎたかもしれない。

 

 だが、軽いまま残れば、また同じことをする。

 

 だから言った。

 

 山内は机の上を見た。

 

「……わかった」

 

 本当にわかったかどうかは知らない。

 

 だが、その時の山内は、少なくとも逃げてはいなかった。

 

 結果は、佐倉愛里の退学だった。

 

 教室に告げられた瞬間、空気が止まった。

 

 佐倉は、最初は理解できないような顔をしていた。

 

 それから、ゆっくりと周囲を見た。

 

 平田が立ち上がりかけた。

 

 須藤は歯を食いしばっている。

 

 堀北は目を伏せない。

 

 軽井沢は唇を噛んだ。

 

 山内は真っ青になっていた。

 

 自分が残ったことと、佐倉が消えること。

 

 その二つが、彼の中でようやくつながったのだろう。

 

「佐倉」

 

 須藤が声を出した。

 

 だが、続く言葉が出なかった。

 

 佐倉は小さく首を振った。

 

「大丈夫、です」

 

 大丈夫ではない。

 

 だが、彼女はそう言った。

 

 白木屋で、多く払わされる客が「いいよ」と言う時の声だった。

 

 本当によくはない。

 

 だが、そう言わなければ場が壊れると思っている。

 

 その優しさが、また痛かった。

 

 平田は耐えられないように言った。

 

「佐倉さんが退学なんて、間違ってる」

 

「間違っているかもしれない」

 

 オレは言った。

 

 平田がこちらを見る。

 

「でも、これが結果だ」

 

「そんな言い方!」

 

「会計票は、優しい順には並ばない」

 

「……ッ」

 

 平田は拳を握った。

 

 怒りがある。

 

 それでいい。

 

 怒りがなければ、この支払いは忘れられる。

 

 忘れられる方が危険だ。

 

 佐倉は、最後に須藤へ小さく頭を下げた。

 

「須藤くん、頑張ってください」

 

 須藤は何も言えなかった。

 

 彼女は堀北にも、平田にも、軽井沢にも、櫛田にも、それぞれ小さく別れを告げた。

 

 山内の前で足を止めた時、山内は完全に固まっていた。

 

「佐倉、俺……」

 

 言葉が出ない。

 

 佐倉は少しだけ笑った。

 

「山内くんも、頑張ってください」

 

 その一言は、山内にとって罰に近かった。

 

 責めない。

 

 怒らない。

 

 だからこそ逃げ場がない。

 

 佐倉は教室を出ていった。

 

 席が一つ空いた。

 

 ただの空席ではない。

 

 Dクラスが誰か一人に会計を押し付けた痕跡だった。

 

 その日、山内はほとんど喋らなかった。

 

 池が声をかけても、須藤が乱暴に肩を叩いても、軽い返事しかできなかった。

 

 ◇

 

 放課後、山内はオレに言った。

 

「俺が残ったから、佐倉がいなくなったのか?」

 

「一つの見方としては、そうだ」

 

「……そこは否定してくれよ」

 

「否定しても事実は変わらない」

 

「きっつ」

 

 山内は笑おうとして失敗した。

 

「俺、別に佐倉とめちゃくちゃ仲良かったわけじゃないけどさ」

 

「ああ」

 

「でも、あいつ須藤の時、頑張ったじゃん」

 

「ああ」

 

「それでも、ダメなんだな」

 

「この学校ではな」

 

「じゃあ俺、何で残ったんだよ」

 

「まだ使い道があると判断された」

 

「……使い道って、何だよ」

 

「これから作れ」

 

 山内は黙った。

 

 普段なら文句を言うところだ。

 

 だが、その日は言われなかった。

 

「綾小路」

 

「何だ」

 

「俺、次は何か言えるかな?」

 

「何に」

 

「また、誰かがこうなりそうな時」

 

「言えるかどうかは知らない」

 

「そこも厳しいな」

 

「だが、言おうと思っているなら、前よりはましだ」

 

「少し?」

 

「少しだ」

 

「……そっか」

 

 山内は小さく笑った。

 

 その日から、山内はほんの少しだけ変わった。

 

 劇的ではない。

 

 すぐに立派になるわけでもない。

 

 相変わらず軽口を叩くし、余計なことも言う。

 

 だが、何かを言う前に、一瞬だけ止まることが増えた。

 

 唐揚げにレモンをかける前に、周囲を見るような小さな変化。

 

 それが、佐倉愛里が残した会計だった。

 

 ◇

 

 選抜種目試験。

 

 一年生編最後の大きな会計。

 

 坂柳との対決が、そこで本格化した。

 

 彼女は、こちらのクラスの成長を見ていた。

 

 堀北の変化。

 

 山内の不安定な進歩。

 

 軽井沢の裏方としての役割。

 

 須藤の成長。

 

 平田の回復。

 

 そして、オレの介入。

 

 坂柳は、それらを一つずつ盤面に並べてきた。

 

 彼女の戦い方は美しい。

 

 無駄が少ない。

 

 相手の弱点を突き、動きを制限し、選択肢を狭めていく。

 

 白木屋で言えば、場全体の注文権をいつの間にか握っている客だ。

 

 誰も気づかないうちに、全員が彼女の選んだコースを食べている。

 

 だが、白木屋にはコース通りに進まない客がいる。

 

 山内。

 

 池。

 

 須藤。

 

 そして、堀北。

 

 人間は予定通りには動かない。

 

 だから面倒で、だから利用できる。

 

 試験の最中、坂柳は言った。

 

「綾小路くん。あなたなら、最後の一皿をどう扱いますか?」

 

「何の話だ」

 

「比喩です。全員が欲しがるものが一つだけ残った時、あなたはどうしますか」

 

「状況による」

 

「白木屋式の答えを聞きたいのです」

 

 白木屋式。

 

 そんな言葉があるのかは知らない。

 

 だが、答えはある。

 

「最初に、誰が欲しがっているかを確認する」

 

「それから?」

 

「本当に欲しがっている者と、欲しがっているように見せている者を分ける」

 

「なるほど」

 

「次に、その一皿を渡すことで場が収まる相手と、荒れる相手を見極める」

 

「公平性は?」

 

「公平であることより、公平に見えることの方が重要な場合もある」

 

 坂柳は満足そうに微笑んだ。

 

「実に人間臭いですね」

 

「人間の話だからな」

 

「白い部屋では、そういう曖昧さは嫌われるでしょう」

 

「知らない場所の話をされても困る」

 

「そうでしたね」

 

 坂柳は杖を軽く鳴らした。

 

「では、私はあなたのその曖昧さを崩してみましょう」

 

 彼女の仕掛けによって、こちらは一度不利になった。

 

 堀北の正攻法を読み、平田の善意を利用し、クラス内の不満の流れを少しずつ歪めてくる。

 

 上手い。

 

 白木屋で言えば、直接文句は言わず、周囲の客に少しずつ不満を伝染させるタイプだ。

 

 最も処理が難しい。

 

 だが、坂柳には一つ弱点があった。

 

 彼女は、人間を読む。

 

 その読みは高精度であるがゆえに、想定外の低レベルな動きに一瞬遅れる。

 

 山内だ。

 

 山内は予測しづらい。

 

 合理性が低いからだ。

 

 坂柳が用意した盤面に、山内をあえて投入する。

 

 もちろん、放置すれば崩壊する。

 

 だから、役割は限定する。

 

「山内」

 

「何だよ」

 

「お前にしかできない仕事がある」

 

「マジか?」

 

「ああ」

 

 実際には、山内にしかできないわけではない。

 

 だが、山内にはそう言った方が動く。

 

「相手にこちらの意図を少しだけ誤解させてほしい」

 

「え、スパイみたいなこと?」

 

「そうだ」

 

「うおぁ……マジかよ! 任せろ!」

 

「ただし、余計なことは言うな」

 

「わかってるって!」

 

 わかっていない。

 

 だが、そこも含めて使う。

 

 山内の中途半端な自信と雑な伝達は、坂柳の精密な読みを一瞬乱す。

 

 その一瞬で、堀北が修正案を通す。

 

 平田が場を整える。

 

 軽井沢が女子側の反発を抑える。

 

 須藤が実働で埋める。

 

 完全勝利ではない。

 

 だが、坂柳の想定をずらすことには成功した。

 

 試験後、坂柳は楽しそうに笑った。

 

「山内くんを使うとは思いませんでした」

 

「使えるものは使う」

 

「彼を高く評価しているのですか?」

 

「適材適所だ」

 

「彼の不確定性を、あえて盤面に入れた」

 

「そうとも言える」

 

「白木屋では、あのような方も教育対象なのですか?」

 

「山内のような客は多かった」

 

「客」

 

「最後まで自分が場を動かしていると思い込むが、実際には場に動かされているタイプだ」

 

「辛辣ですね」

 

「観察結果だ」

 

 坂柳はくすくすと笑った。

 

「やはり面白いです、綾小路くん。あなたは人間の弱さを切り捨てるのではなく、弱いまま配置する」

 

「強くする時間がない場合はな」

 

「では、時間があれば?」

 

「少しずつ変える」

 

「山内くんも?」

 

「可能なら」

 

「できると思いますか?」

 

 オレは少し考えた。

 

 山内は軽薄で、調子に乗りやすく、視野が狭い。

 

 だが、完全に使えないわけではない。

 

 褒めれば動く。

 

 逃げ道を示せば走る。

 

 恥をかかせすぎなければ、次も使える。

 

「多少は」

 

「ふふっ。では、それも見てみたいですね」

 

「見世物じゃない」

 

「私にとっては、かなり興味深い見世物です」

 

 坂柳はそう言って去っていった。

 

 ◇

 

 一年目の終わり。

 

 オレは寮の部屋で、一人で窓の外を見ていた。

 

 この一年で、Dクラスは変わった。

 

 須藤は勉強し、堀北は他人を見始め、軽井沢は裏で役割を持ち、平田は傷つきながらも立ち直り、山内は自分の危うさを少しだけ見た。

 

 櫛田という爆弾は残っている。

 

 龍園は潰れても折れていない。

 

 坂柳は、オレの知らない何かを見ている。

 

 それでも、この一年の会計は少しだけ見えた。

 

 全員が得をしたわけではない。

 

 誰も傷つかなかったわけでもない。

 

 だが、席を立たずに残った者はいる。

 

 それだけで、次の注文は可能になる。

 

 白木屋では、宴会の途中で結論を出す者は未熟とされた。

 

 最後の会計まで見届けて初めて、場の全体像がわかる。

 

 一年目の会計は終わった。

 

 だが、この学校という宴会はまだ続く。

 

 Dクラスは、まだDクラスだ。

 

 堀北は、まだ本当の意味でクラスを率いてはいない。

 

 山内は、まだ山内だ。

 

 軽井沢も、須藤も、平田も、櫛田も、それぞれ問題を抱えたまま席に座っている。

 

 坂柳との勝負も、龍園との関係も、終わっていない。

 

 オレは白い部屋を知らない。

 

 篤臣という男も知らない。

 

 オレを作ったのは、白い部屋ではない。

 

 白木屋だ。

 

 木目調の壁。

 

 掘りごたつ。

 

 呼び出しボタン。

 

 飲み放題ラストオーダー十分前の焦燥。

 

 そして、唐揚げにレモンをかけるかどうかで揺れる人間関係。

 

 そのすべてが、オレの原点だった。

 

 それが良いことなのか、悪いことなのかはわからない。

 

 ただ一つだけ、確かなことがある。

 

 この宴会は、まだ終わっていない。

 

 だからオレは、席を立たない。

 

 一年目の皿は下げられた。

 

 次の料理が運ばれてくる音が、もう廊下の向こうから聞こえている。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。