綾小路清隆が育ったのがホワイトルームじゃなくて白木屋だったら   作:東頭鎖国

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二年生編②

 パートナー試験が終わって数日後、宝泉和臣ともう一度顔を合わせた。

 

 場所は食堂だった。

 

 昼の混雑が引き始めた時間帯で、席は半分ほど空いている。

 

 白木屋で言えば、昼宴会の片づけが終わりきらないまま、次の客を待っているような時間だった。

 

 人はいる。

 

 だが、多すぎない。

 

 声もある。

 

 だが、騒がしすぎない。

 

 揉め事を起こすには目立つ。

 

 話をするには、ちょうどいい。

 

 宝泉は、トレーを持ったままこちらの席に近づいてきた。

 

 隣には七瀬翼の姿もあった。

 

 彼女は宝泉を止めるでもなく、完全に従うでもなく、少し距離を置いて見ている。

 

 宝泉は空いている椅子を足で軽く引き、勝手に座った。

 

「よう、先輩」

 

「相席を許可した覚えはない」

 

「あ? 細けえな。席なんざ空いてんだろ」

 

「空いている席と、座っていい席は違う」

 

 宝泉は喉の奥で笑った。

 

 前回ほどの余裕はない。

 

 だが、怯えているわけでもない。

 

 むしろ、面倒な相手を見つけたことを楽しんでいるような顔だった。

 

「随分きれいに巻いてもらってんじゃねえか」

 

 宝泉は、オレの手に巻かれた包帯を見て言った。

 

「応急処置だ」

 

「女か?」

 

「関係ない」

 

「ハッ、つまんねえな。もう少しビビってるかと思ったぜ」

 

「期待に沿えなくて悪い」

 

「悪いと思ってねえ顔だな」

 

「多少は」

 

「舐めてんのか?」

 

 宝泉の声が少し低くなった。

 

 周囲の数人が、こちらを見る。

 

 七瀬は表情を崩さず、宝泉の横に立っていた。

 

 ここで宝泉が声を荒げれば、周囲の視線が集まる。

 

 だが、彼はそれもわかった上でやっている。

 

 目立つことを嫌っていない。

 

 むしろ、周囲に自分の圧を見せるために使っている。

 

「白木屋育ちだったか?」

 

「ああ」

 

「意味わかんねえな。居酒屋育ちの二年が、なんだって俺の邪魔をしやがる」

 

「邪魔をしたつもりはない」

 

「しただろうが」

 

 宝泉の目が細くなった。

 

 宝泉が作ろうとしていた絵は、単純だった。

 

 須藤が先に手を出す。

 

 二年Dクラスが一年生に暴力を振るった形になる。

 

 堀北が交渉で不利になる。

 

 その構図さえできれば、宝泉は細かい事実を後からいくらでも曲げられる。

 

 だが、オレが割って入ったことで、その絵は崩れた。

 

 宝泉は、それを理解している。

 

 だから、怒っていた。

 

「てめえ、俺の邪魔しやがったな」

 

「雑だった」

 

「あ?」

 

「須藤を動かしたいなら、会計票の置き方が雑だった。あれでは後で揉める」

 

「また会計かよ。気持ち悪ぃな」

 

「よく言われる」

 

「だろうな」

 

 宝泉は笑った。

 

 だが、その笑いは少し硬い。

 

 怒りを隠している。

 

 前回なら、ここで手が出ていたかもしれない。

 

 だが、今回は出さない。

 

 出せば、また自分の会計が重くなると理解している。

 

 その程度には、宝泉は馬鹿ではない。

 

「あの堀北って女、あれから妙に調子づいてやがるな」

 

「お前が材料を渡したからだろう」

 

「俺のせいかよ」

 

「そうだ」

 

 宝泉は舌打ちした。

 

「ああいう真っすぐな女は嫌いだ。折りたくなる」

 

「折った皿は使えない」

 

「皿皿うるせえな」

 

「割るだけなら誰でもできる」

 

 宝泉の笑みが消えた。

 

 食堂の空気が一瞬だけ重くなる。

 

 七瀬がわずかに宝泉の横顔を見た。

 

 宝泉はゆっくり立ち上がった。

 

 トレーにはほとんど手をつけていない。

 

 最初から食事が目的ではなかったのだろう。

 

「お前、やっぱムカつくわ」

 

「そうか」

 

「だが、覚えた」

 

「何を」

 

「てめえは、普通に潰そうとすると面倒くせえ」

 

「それはいい情報だ」

 

「調子乗んなよ」

 

 宝泉は顔を近づけてきた。

 

 声を落とす。

 

「次は、もっと楽しい席を用意してやる」

 

「遠慮する」

 

「遠慮すんな。俺は、一回邪魔された分は忘れねえ」

 

「忘れないなら、次はもう少し丁寧にやるといい」

 

「てめえ……」

 

「雑な客は、すぐ目立つ」

 

 宝泉は数秒こちらを睨んだ。

 

 その後、歯を見せて笑った。

 

「本当にムカつくな、白木屋」

 

「俺の名前ではない」

 

「知るか!」

 

 宝泉はトレーを手に取り、背を向けた。

 

 七瀬はその後を追う前に、一度だけこちらへ小さく頭を下げた。

 

 それが謝罪なのか、挨拶なのかはわからない。

 

 宝泉の背中は荒い。

 

 だが、前回ほど雑ではなかった。

 

 少なくとも、何も考えずに暴れるだけの客ではなくなっている。

 

 白木屋で、最初にグラスを叩きつけた客が、次に来た時は店員の位置を確認してから声を荒げるようになる。

 

 それが成長なのか、厄介さの増加なのかはわからない。

 

 だが、扱い方は変わる。

 

 宝泉和臣は、こちらを覚えた。

 

 それで十分だった。

 

 今後、彼は簡単には堀北たちに手を出さない。

 

 出すとしても、前より考える。

 

 その一手分の遅れがあれば、こちらは対処できる。

 

 荒い新規客は、完全に出禁になったわけではない。

 

 だが、次に皿を割れば自分の会計にも乗ると知った。

 

 それだけで、店は少し回しやすくなる。

 

 ◇

 

 宝泉の件を経て、パートナー試験そのものは大きな崩壊なく終わった。

 

 宝泉は完全に大人しくなったわけではない。

 

 だが、少なくともこちらを単純な脅しで動かせる相手とは見なくなった。

 

 堀北は一年生との交渉を進め、平田が全体を支え、軽井沢が女子側の不安を拾い、須藤は感情を押し殺し、山内は余計なことを言わない努力をした。

 

 試験の結果だけを見れば、致命的な損失は避けられた。

 

 だが、オレにとって重要だったのはそこだけではない。

 

 一年生が入ってきたことで、この学校という宴会場は広がった。

 

 新しい客が増えた。

 

 新しい注文が増えた。

 

 新しい揉め事も増える。

 

 二年目は、ただ去年の続きをやるだけでは済まない。

 

 白木屋でも、常連だけの席は安定しやすい。

 

 だが、新規客が混ざれば、場の均衡は簡単に崩れる。

 

 パートナー試験は、その最初の確認だった。

 

 新しい客は荒い。

 

 だが、店はまだ回っている。

 

 そして、荒い客ほど、最初の皿の置き方を間違えてはいけない。

 

 宝泉という男は、その最初の皿だった。

 

 割れなかっただけ、まだましだった。

 

 パートナー試験の後、クラスには安堵が広がった。

 

 だが、オレにはそれが長く続かないことがわかっていた。

 

 白木屋でも、最初の注文が通っただけで安心する客は多い。

 

 しかし、本当に厄介なのは中盤だ。

 

 酒が回り、声が大きくなり、最初の遠慮が消え、隠していた本音が少しずつテーブルの上に出てくる。

 

 二年生の一年間は、まさにその中盤にあたる。

 

 誰もが一度は痛い目を見ている。

 

 だが、まだ本当の意味で会計を理解してはいない。

 

 その状態で、学校は次々に注文を追加してくる。

 

 ◇

 

 次に来た大きな注文は、無人島特別試験だった。

 

 二年目の無人島は、一年目とは規模も意味も違っていた。

 

 一年目の無人島が、小さなテーブル単位の宴会だったとすれば、二年目のそれは店全体を貸し切った大宴会だった。

 

 グループ。

 

 移動。

 

 ポイント。

 

 順位。

 

 体力。

 

 情報。

 

 他学年。

 

 処理すべき要素が増えすぎて、全員を手元で動かすことはできない。

 

 だから、動かす点を絞る必要があった。

 

 白木屋の大宴会でも同じだ。

 

 三十人を超える宴会で、全員の注文を一人で管理しようとすれば必ず崩れる。

 

 見るべきは、全員ではない。

 

 声の大きい幹事。

 

 実際に財布を握っている者。

 

 場を乱す者。

 

 帰りたがっている者。

 

 そして、何も言わずに全体を見ている者。

 

 そこだけ押さえれば、場は大きく崩れない。

 

 高円寺は、一年の頃からずっと異物だった。

 

 あの男は、場に馴染まない。

 

 馴染まないのに成立している。

 

 白木屋で言えば、宴会に参加しているのに一人だけ別会計で好きなものを食べ、しかも誰にも文句を言わせない客だ。

 

 普通なら迷惑だ。

 

 だが、本人の能力が高すぎるため、迷惑という評価が届かない。

 

 高円寺を動かそうとするのは、唐揚げを箸でつまんでいる最中に皿ごと動かすようなものだ。

 

 危険で、効果が薄い。

 

 動かないものは、動かない前提で計算するしかない。

 

 龍園は龍園で、相変わらず場を荒らす側の人間だった。

 

 ただし、一年目の頃よりも、彼の荒らし方は変わっていた。

 

 単に暴力で押すだけではない。

 

 どこを崩せば相手が損をするか。

 

 誰を揺さぶれば場が乱れるか。

 

 龍園はそれを楽しんでいる。

 

 白木屋で言えば、酔って騒ぐ客ではなく、酔ったふりをして他の客の本音を引き出す客になりつつあった。

 

 面倒だが、成長している。

 

 坂柳は、直接走ることができない分、盤面の外から手を伸ばしてくる。

 

 彼女の視線は、無人島の中でも変わらなかった。

 

 地形を見る。

 

 人を見る。

 

 体力を見る。

 

 不満を見る。

 

 そしてオレを見る。

 

 彼女の中で、オレはまだ『白木屋』という未知の教育結果だった。

 

 そのことは、折に触れてわかった。

 

 休憩のわずかな時間、坂柳は静かに言った。

 

「綾小路くん。白木屋では、こういう大人数の場も教材になるのでしょうか」

 

「大人数宴会は基本だ」

 

「基本ですか」

 

「ああ。人数が増えるほど、本当の幹事と名目上の幹事が分かれやすい」

 

「名目上の幹事」

 

「声を出して注文を取る者が幹事とは限らない。実際に会計を握っている者、店員と話す者、帰る時間を決める者。場を動かす力は分散する」

 

「なるほど。では、この島でも同じだと?」

 

「同じとは言わないが、似ている部分はある」

 

「あなたは、人間の集まりをすべて宴会として見るのですね」

 

「そう見える時が多いだけだ」

 

 坂柳は少しだけ目を細めた。

 

「面白い教育です。白い部屋とは、根本から違う」

 

「その白い部屋というのは、まだ説明しないのか」

 

「今はまだ」

 

「いつもそれだな」

 

「あなたが知らないまま動く姿を見る価値がありますので」

 

「趣味が悪い」

 

「よく言われます」

 

「言われるのか」

 

 坂柳は、いつものように微笑んだ。

 

 彼女は時々、ホワイトルームとやらの存在をほのめかす。

 

 だが、核心は語らない。

 

 オレも無理に聞き出そうとはしなかった。

 

 白木屋では、客が言いかけて飲み込んだ愚痴を、その場で無理に聞き出すのは悪手だ。

 

 言いたくなった時に言わせた方が、情報の精度は高い。

 

 ◇

 

 無人島試験では、体力だけではなく、孤立への耐性も問われた。

 

 誰と組むか。

 

 どこまで進むか。

 

 どこで休むか。

 

 誰を信用するか。

 

 その一つ一つが、後の会計に響く。

 

 南雲雅のような上級生は、場そのものをゲームとして楽しんでいた。

 

 彼は大きな宴会の中心で、全員が自分の音頭に合わせてグラスを持つと思っているタイプだ。

 

 だが、音頭を取る人間が本当に会計を支配しているとは限らない。

 

 南雲を見ながら、オレは学校という場所の面倒さを改めて考えていた。

 

 大声で場を動かす者がいる。

 

 黙って会計を動かす者もいる。

 

 その差は、無人島ではよりはっきり見えた。

 

 その裏で、坂柳クラスにも一つの会計が来ていた。

 

 神室真澄の退学だった。

 

 それはオレのクラスの出来事ではない。

 

 だから、詳細をすべて見たわけではない。

 

 だが、坂柳の周辺にあった空気の変化はわかった。

 

 橋本正義は、以前よりも露骨に損得を見て動くようになっていた。

 

 鬼頭隼は変わらず無口で、坂柳の近くに立っている。

 

 森寧々は、女子側の空気を拾いながらも、以前より言葉を選ぶようになっていた。

 

 そして、神室はいなくなった。

 

 坂柳の近くで、坂柳を少し冷めた目で見ていた女が消えた。

 

 白木屋で言えば、幹事の隣で「その注文、本当に必要?」と小声で言っていた客が、いつの間にか席を立たされていたようなものだった。

 

 その場では騒ぎにならない。

 

 だが、あとで伝票を見ると、その不在の重さがわかる。

 

 坂柳は表面上、変わらなかった。

 

 いつものように微笑む。

 

 いつものように相手を試す。

 

 いつものように盤面を眺める。

 

 だが、ほんの少しだけ違った。

 

 彼女は、自分のクラスを見る時間を増やした。

 

 橋本の動きに目を向ける。

 

 鬼頭の沈黙に意味を与える。

 

 森が拾う小さな反応を、以前より丁寧に扱う。

 

 神室を失ったことで、坂柳は初めて、自分の卓の伝票に書かれた小さな金額を見落としたことに気づいたのかもしれない。

 

 ◇

 

 無人島試験の後、クラスには疲労が残った。

 

 勝った負けたという単純な感情ではない。

 

 全員が、自分の体力と精神力に会計票を突きつけられたような疲れだった。

 

 山内は食堂で大きく伸びをしながら言った。

 

「二度と島とか行きたくねえ」

 

「たぶん、また似たようなことはある」

 

「やめろよそういう現実的なこと言うの」

 

「覚悟しておいた方がいい」

 

「お前、ほんと白木屋で何習ってきたんだよ」

 

「人間は、嫌なことほど繰り返す」

 

「居酒屋こえーな」

 

 軽井沢はその横で、少し呆れたように笑っていた。

 

「ていうか、あんたの白木屋理論って、だいたい嫌な方向に当たるよね」

 

「人間がそういうものだからな」

 

「もっと前向きなこと教わってないわけ?」

 

「ポテトは場を壊しにくい」

 

「前向きっていうか芋じゃん」

 

 それくらいの距離だった。

 

 軽口を言い合う程度。

 

 必要な時に情報を頼める程度。

 

 踏み込みすぎない距離。

 

 それが今の俺達にとって、一番ちょうどよかった。 

 

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