綾小路清隆が育ったのがホワイトルームじゃなくて白木屋だったら   作:東頭鎖国

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二年生編③

 無人島試験の疲労が薄れ始めた頃、学校は文化祭の準備に入った。

 

 文化祭。

 

 名前だけ聞けば、特別試験よりは穏やかに見える。

 

 だが、実際にはかなり厄介な会計だった。

 

 出し物を決める。

 

 役割を分ける。

 

 材料を用意する。

 

 人を呼び込む。

 

 売上を伸ばす。

 

 クラスの空気を保つ。

 

 そのすべてを同時に処理しなければならない。

 

 白木屋で言えば、普段客として座っている人間たちが、急に店側へ回されるようなものだった。

 

 料理を出すだけではない。

 

 注文を取るだけでもない。

 

 誰が仕入れを考え、誰が厨房に入り、誰がホールに立ち、誰が会計を締めるのか。

 

 そこを曖昧にしたまま始めれば、必ず誰か一人に負担が寄る。

 

 堀北クラスは、準備段階からかなり揉めた。

 

 須藤は体力仕事を引き受けたが、細かい計算には向かない。

 

 平田は全体を丸く収めようとする。

 

 軽井沢は女子側の空気を見て、必要なところで意見を通す。

 

 櫛田は以前のように全員の好感度を拾うことはできなくなっていたが、その代わり、表での対応力はまだ使えた。

 

 山内は最初、楽な担当を取ろうとして軽井沢に睨まれた。

 

「山内、また逃げようとしてない?」

 

「いやいや、俺は全体の雰囲気を担当しようかなって」

 

「それ、何もしないって意味でしょ」

 

「違うわ。ムードメーカーだよ」

 

「じゃあ呼び込みね」

 

「え?」

 

「声大きいし」

 

「俺の長所をそういう使い方する?」

 

「他に使い道ある?」

 

「あるだろ!」

 

 山内は騒いだが、結局呼び込み側に回った。

 

 以前なら、そこで文句を言い続けただろう。

 

 だが今は違う。

 

 一度文句を言った後、周囲を見て、仕方なさそうに引き受ける。

 

 声の大きさは、確かに呼び込みには向いていた。

 

 堀北はそれを見て、少しだけ頷いた。

 

 このクラスは、まだ雑だ。

 

 だが、役割を割り振れるようになっている。

 

 誰か一人が全部を抱える形ではなく、少なくとも机の上に伝票を置こうとしていた。

 

 問題は、一之瀬クラスだった。

 

 一之瀬クラスの出し物は、外から見れば非常にまとまっていた。

 

 笑顔が多い。

 

 揉め事が少ない。

 

 全員が協力的に動いている。

 

 来場者への対応も柔らかい。

 

 雰囲気は良い。

 

 たぶん、他のクラスから見れば理想的な文化祭運営に見えただろう。

 

 だが、近くで見ると違った。

 

 会計票が、一之瀬の方へ静かに寄っていた。

 

 最初に気づいたのは、資材の整理だった。

 

 一之瀬クラスの近くを通りかかった時、廊下に段ボールがいくつも置かれていた。

 

 装飾品。

 

 紙皿。

 

 備品。

 

 予備の飲み物。

 

 細かいものが多い。

 

 誰かが整理しなければ、当日必ず混乱する。

 

 一之瀬は、床に膝をつくようにして、箱の中身を確認していた。

 

 隣には小橋と網倉がいた。

 

 だが、小橋は来客対応用の飾りについて悩んでおり、網倉は女子側の衣装調整に呼ばれていた。

 

 神崎は別の場所で売上計算をしている。

 

 柴田は男子の設営を手伝っていた。

 

 浜口は先生との確認に行っている。

 

 姫野は、少し離れたところで腕を組んで一之瀬を見ていた。

 

 全員が何もしていないわけではない。

 

 むしろ、それぞれが動いている。

 

 だが、余った細かい負担が、自然に一之瀬へ流れている。

 

 白木屋でよくある。

 

 誰も悪意を持っていない。

 

 誰もサボっているつもりはない。

 

 それでも、最後に残った皿を下げる人間は決まっている。

 

 一之瀬は、そういう位置にいた。

 

「一之瀬」

 

 声をかけると、一之瀬は振り向いた。

 

「あ、綾小路くん」

 

「まだ残っているのか」

 

「うん。ちょっと確認だけ」

 

 ちょっと。

 

 そう言う人間ほど、すでに多く抱えていることがある。

 

 段ボールの数を見る限り、確認だけで終わる量ではなかった。

 

「他の人間は」

 

「みんな別のことやってくれてるよ。神崎くんは会計を見てくれてるし、柴田くんたちは設営、浜口くんは先生と話してくれてるし」

 

「残ったものを一之瀬が持っている」

 

「え?」

 

「細かい確認、足りない備品、予備の整理、当日の不安。そういうものが全部ここに残っている」

 

 一之瀬は、少し困ったように笑った。

 

「でも、誰かがやらなきゃいけないから」

 

「それを一之瀬が全部やる必要はない」

 

「うん。でも、私が気づいちゃったし」

 

「気づいた人間が全部払うと、次からも同じ席になる」

 

 一之瀬は手を止めた。

 

 その言葉に、姫野が少し反応した。

 

 彼女は近づいてきて、段ボールの一つを軽く蹴らない程度につま先で示した。

 

「私もそう思う」

 

 一之瀬が驚いたように姫野を見る。

 

「姫野さん?」

 

「一之瀬さん、こういうの拾いすぎ。みんな助かってるけど、助かりすぎて気づかなくなってる」

 

 姫野の言葉は冷たい。

 

 だが、悪意ではない。

 

 むしろ、見えているからこその苛立ちだった。

 

 一之瀬は少しだけ言葉に詰まった。

 

「でも、みんな頑張ってくれてるし」

 

「頑張ってるのと、残りを全部一之瀬さんが持つのは別」

 

 姫野は淡々と言った。

 

 オレは段ボールの中身を見た。

 

「表を作ればいい」

 

「表?」

 

 一之瀬が聞き返す。

 

「残っている作業を全部書く。誰が担当しているかも書く。担当がいないものは、担当未定として出す」

 

「そんなことしたら、みんなに負担をかけちゃうんじゃ」

 

「今は、一之瀬が見えない形で負担している」

 

 小橋が飾りを持ったまま近づいてきた。

 

「え、まだそんなに残ってたの?」

 

 網倉も戻ってきて、段ボールの数を見て目を丸くした。

 

「これ、一之瀬ちゃん一人でやるつもりだったの?」

 

「一人っていうか、できるところまで」

 

 その言い方が、一番危ない。

 

 できるところまで。

 

 そう言って動く人間は、たいてい限界まで動く。

 

 神崎も戻ってきた。

 

 彼は状況を見て、すぐに顔をしかめた。

 

「一之瀬。なぜ言わなかった」

 

「神崎くんも忙しそうだったから」

 

「忙しいかどうかではない。残作業が見えていないことが問題だ」

 

 神崎の言葉は硬い。

 

 だが、正しい。

 

 浜口も戻り、柴田も設営の手を止めてやってきた。

 

「何、まだそんな残ってんの?」

 

 柴田が驚く。

 

 姫野が冷めた目で言った。

 

「一之瀬さんが一人で抱えようとしてた分」

 

「マジかよ。言ってくれればやったのに」

 

「言われないと気づかないのも問題だけどね」

 

「うっ」

 

 柴田が言葉に詰まる。

 

 それを見て、小橋が慌てて空気を和らげようとした。

 

「でも、今気づけたからいいよね。分けよう、分けよう」

 

「そうだね」

 

 網倉も頷いた。

 

「衣装の方は私が見るから、備品の確認は男子にも回せるよ」

 

 浜口はすぐに紙を取り出した。

 

「残っている作業を書き出そう。優先順位もつけた方がいい」

 

 神崎が頷く。

 

「売上計算は一度止める。まず全体の未処理を見える化するべきだ」

 

 一之瀬は、少しだけ戸惑っていた。

 

 助けてもらえることにではない。

 

 自分が抱えていたものを、他人の前に出すことに戸惑っていた。

 

「一之瀬」

 

 オレは言った。

 

「これは失敗ではない」

 

「え?」

 

「伝票を隠したまま会計する方が失敗だ。机の上に出したなら、まだ間に合う」

 

 一之瀬は、しばらく黙っていた。

 

 そして、小さく頷いた。

 

「うん。じゃあ、出す」

 

 その言葉で、一之瀬クラスの動きは変わった。

 

 神崎が作業表を作る。

 

 浜口が担当を調整する。

 

 柴田が男子側に声をかける。

 

 網倉が女子側をまとめる。

 

 小橋が空気を軽くし、姫野が漏れを刺す。

 

 一之瀬は、全員に謝ろうとして、途中で止まった。

 

 謝る場面ではないと気づいたのだろう。

 

 代わりに言った。

 

「みんな、ありがとう。じゃあ、分けさせて」

 

 それでよかった。

 

 誰か一人が全部を持つのではない。

 

 全員で見る。

 

 その形にするだけで、同じ仕事量でも会計の重さは変わる。

 

 文化祭当日、一之瀬クラスの出し物はよく回っていた。

 

 客への対応は柔らかく、待ち列の整理も丁寧だった。

 

 柴田は呼び込みで明るく声を出し、浜口は混み合った時の列整理に回った。

 

 神崎は売上と在庫を見ている。

 

 網倉は女子側の動線を調整し、小橋は来場者への案内で場を明るくしていた。

 

 姫野は一見やる気がなさそうに見えたが、実際にはかなり細かく漏れを見ていた。

 

 予備の紙皿が少なくなった時、最初に気づいたのは彼女だった。

 

「神崎くん、紙皿あと一束」

 

「わかった。補充を回す」

 

「あと、柴田くんの呼び込み、ちょっとうるさい。客は来てるけど中が詰まる」

 

「柴田に伝える」

 

 姫野は小さくため息をついた。

 

「一之瀬さんが全部拾うよりはマシだけど、やっぱり面倒」

 

「面倒でも、見えているならいい」

 

 オレが言うと、姫野はじろりとこちらを見た。

 

「綾小路くんって、何でうちのクラスの手伝いみたいなことしてるの?」

 

「通りかかった」

 

「昨日からずっと通りかかってるけど」

 

「偶然だ」

 

「嘘が雑」

 

 姫野はそう言いながらも、それ以上は追及しなかった。

 

 彼女は一之瀬の危うさに気づいている。

 

 だが、中心に立つ気はない。

 

 だからこそ、外から少しだけ押す存在がいると、動きやすくなる。

 

 それがこのクラスの特徴だった。

 

 全員が善意を持っている。

 

 だが、善意は自動で分配されない。

 

 誰かが会計票を置かなければ、最終的に一之瀬へ寄る。

 

 文化祭の中盤、一之瀬は一度だけ裏に下がった。

 

 額に少し汗をかいている。

 

 だが、去年までのように疲労を隠して笑い続けている顔ではなかった。

 

「休憩か」

 

「うん。神崎くんに休めって言われた」

 

「いい判断だ」

 

「前なら、私、まだ大丈夫って言ってたと思う」

 

「言いそうだな」

 

「でも、今日は休むことにした。私が倒れたら、みんな困るから」

 

「それもある」

 

「それだけじゃない?」

 

「一之瀬自身も困る」

 

 一之瀬は少し驚いたようにこちらを見た。

 

 それから、ゆっくり笑った。

 

「そっか。私も困るんだ」

 

「ああ」

 

「そういう考え方、あんまりしてなかったかも」

 

「自分の皿を見ていないからだ」

 

「また白木屋式?」

 

「そうだな」

 

「でも、今日はちょっとわかる」

 

 一之瀬は、用意されていた飲み物を手に取った。

 

「みんなが分けてくれたから、今休めてる」

 

「そうだ」

 

「私が全部やってたら、たぶん休めなかった」

 

「そうだな」

 

「じゃあ、これがみんなで払うってこと?」

 

「近い」

 

 一之瀬は頷いた。

 

「綾小路くん」

 

「何だ」

 

「うちのクラス、変われるかな」

 

「変われる」

 

「本当に?」

 

「ああ。ただし、一之瀬だけが変わっても足りない」

 

「みんなも?」

 

「全員が、自分の分を少しずつ見る必要がある」

 

 一之瀬は、店の方を見た。

 

 柴田が呼び込みを少し抑え、浜口が列を流し、神崎が売上を確認し、網倉が小橋に何かを伝え、姫野が紙皿の補充を見ている。

 

 誰か一人が全部を持っているわけではない。

 

 少なくとも、その瞬間はそうだった。

 

「できるかも」

 

 一之瀬は小さく言った。

 

 その声は、いつもの「大丈夫」よりずっと弱かった。

 

 だが、嘘ではなかった。

 

 文化祭の終わり、一之瀬クラスの売上は悪くなかった。

 

 飛び抜けていたわけではない。

 

 だが、安定していた。

 

 何より、最後の片づけで一之瀬だけが残ることはなかった。

 

 神崎が会計を締め、柴田が荷物を運び、浜口が先生への報告をまとめ、網倉と小橋が女子側の備品を整理し、姫野が漏れを確認した。

 

 一之瀬は最後まで動いていた。

 

 だが、一人ではなかった。

 

 そこが大きかった。

 

 片づけが終わった後、神崎がこちらへ来た。

 

「綾小路」

 

「何だ」

 

「今回は助かった」

 

「オレは何もしていない」

 

「そういうことにしたいなら、それでもいい」

 

 神崎は硬い顔で言った。

 

「だが、一之瀬が抱えているものを見える場所に出したのは君だ」

 

「神崎も気づいていただろう」

 

「気づいていた。だが、動かしきれていなかった」

 

 神崎は悔しそうだった。

 

 それは悪いことではない。

 

 悔しさは、次の会計を変える材料になる。

 

「俺たちのクラスは、一之瀬に頼りすぎている」

 

「そうだな」

 

「わかっていたつもりだった。だが、文化祭で形として見えた」

 

「見えたなら変えられる」

 

「簡単ではない」

 

「簡単なら、とっくに変わっている」

 

 神崎は頷いた。

 

「もし君がうちのクラスにいたら、もっと早く変わるのかもしれないな」

 

 その言葉は、冗談のようで冗談ではなかった。

 

 オレはすぐには答えなかった。

 

 神崎も答えを求めているわけではないようだった。

 

「一之瀬を潰したくない」

 

 神崎は言った。

 

「だが、俺一人では空気を変えきれない」

 

「神崎は正しすぎる」

 

「それは欠点か」

 

「時には」

 

 神崎は苦笑した。

 

「君に言われると腹立たしいな」

 

「よく言われる」

 

「だろうな」

 

 その会話が、後の移籍を考える大きなきっかけになった。

 

 文化祭の後、一之瀬クラスの印象ははっきり変わった。

 

 善意がある。

 

 力もある。

 

 だが、構造が弱い。

 

 一之瀬が抱え、神崎が危機感を持ち、姫野が冷めた目で気づき、浜口が調整し、柴田が動き、網倉と小橋が場を支える。

 

 素材は揃っている。

 

 それなのに、会計票が一之瀬へ寄る。

 

 この卓は、誰かが一度、机の中央に伝票を置かなければならない。

 

 堀北クラスは、自分たちでそれをやり始めている。

 

 なら、次に見るべき卓はどこか。

 

 答えは、その時点でかなり見えていた。

 

 ただ、まだ決めるには早い。

 

 文化祭は、一之瀬クラスの弱さを見せた。

 

 だが、堀北クラスが本当に自分たちで立てるかどうかは、別の会計で確認する必要があった。

 

 その確認は、のちの満場一致特別試験で来ることになる。

 

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