カーストリング・インフェルノ   作:戦竜

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最終話 選別の果て

燃え盛るケヤキモールの中央広場に、綾小路清隆は一人で立っていた。

 

かつて休日になれば多くの生徒が行き交い、

買い物袋を片手に笑い合い、フードコートの席を巡って小さな争いが起き、

何気ない放課後と週末の象徴であったその場所は、

今では見る影もなく崩れ、歪み、黒煙と爆炎に包まれていた。

 

天井の一部はすでに落ち、

吹き抜けだった空間には焼け焦げた看板や砕けたガラス、折れた手すり、

剥がれ落ちた外壁材が散乱し、炎に照らされた床は赤黒く揺らめいている。

 

普段なら明るい照明と店の音楽が満ちていた場所に、

今あるのは、炎が空気を食う音と、遠くで建物が軋む音、

そして時折響く爆発の残響だけだった。

 

熱は肌に触れるものではなく、空間そのものを支配していた。

 

息を吸えば喉が痛み、視界は煙に濁り、

足元はいつ崩れるとも知れない不安定な瓦礫に覆われている。

 

普通なら、ここへ来る理由などない。

 

逃げるべきだった。

 

屋上へ向かい、堀北たちと合流し、救助ヘリに乗るべきだった。

 

この状況において、命を第一に考えることは当然であり、

むしろそれ以外の判断は愚かでしかない。

 

だが、綾小路はその当然から外れた。

 

携帯端末に届いた一通のメール。

 

そこには、短い呼び出しの文面と、

ケヤキモール中央広場を示す位置情報だけが記されていた。

 

罠であることは明白だった。

 

この火災の最中、わざわざ一人を呼び出す相手が善意であるはずがない。

 

それでも綾小路は来た。

 

この災厄を引き起こした者が誰なのか。

 

なぜ、この学校を燃やしたのか。

 

そしてなぜ、自分をこの場所へ呼んだのか。

 

答え合わせをするために。

 

左右に立つ巨大な柱の影が、炎の揺らぎに合わせて長く伸びた。

 

その影の奥から、二人の人物が姿を現した。

 

一人は、四十代ほどの中年男性だった。

 

煤に汚れた服を着て、顔には長い年月をかけて削られたような疲労と、

今日この日まで抱え続けてきた憎悪が刻み込まれていた。

 

目は血走っていたが、その奥には狂気だけでなく、底なしの喪失があった。

 

そしてもう一人は、綾小路にとって見知った人物だった。

 

「……啓誠」

 

その名前を呼んでも、幸村輝彦はすぐには返事をしなかった。

 

彼はいつものように眼鏡を押さえることもなく、

整った理屈を並べる優等生の顔でもなく、ただ固く、暗く、

何かを決めてしまった人間の表情で立っていた。

 

同じ教室にいた。

 

同じグループで昼食を取った。

 

何気ない会話をした。

 

その相手が今、燃え盛るケヤキモールの中で、事件の主犯格と並んでいる。

 

だが綾小路は驚かなかった。

 

驚くほどの材料は、すでにいくつもあった。

 

避難経路の封鎖。

 

内部構造を理解した火災の広がり。

 

生徒の行動パターンを読んだような罠。

 

外部犯だけでは難しい部分が多すぎた。

 

内部協力者がいる。

 

その可能性は、早い段階で浮かんでいた。

 

幸村は、やがて小さく息を吐いた。

 

「……やっぱり、来たんだな」

「呼んだのはお前たちだろう」

 

綾小路の声は平坦だった。

 

「来ない選択もあった」

「そうだな」

 

幸村は自嘲するように口元を歪めた。

 

「だけど、お前なら来ると思っていた。お前はそういう人間だ」

 

その言葉に、中年男性が低く笑った。

 

「そういう人間、か」

 

男は綾小路を見据えた。

 

「確かに、貴様は普通じゃない」

 

炎の光が男の顔を赤く染める。

 

「私は、綾小路清隆のことを知っている」

 

男の手には拳銃が握られていた。

その黒い銃口は、まだ下を向いている。

しかし、いつでもこちらへ向けられる距離だった。

 

「ホワイトルームという場所を、貴様は忘れていないだろう」

 

綾小路は答えなかった。

 

忘れるはずがない。

 

忘れたことなど、一度もない。

 

あの場所で過ごした時間は、綾小路清隆という人間の基盤そのものだった。

 

男は続けた。

 

「あそこに、みくるという子がいた」

 

その名前を聞いた瞬間、記憶の奥にひとつの輪郭が浮かんだ。

 

白い部屋。

 

管理された時間。

 

比較される成績。

 

評価される身体能力。

 

感情の揺れさえ、無駄として削られていく空間。

 

その中に、確かにそう呼ばれる子供がいた。

 

「貴様と同じ時期に学んでいた子だ」

 

男の声は震え始めていた。

 

怒りだけではない。

 

その奥に、何度も押し殺してきた悲しみがある。

 

「努力していた。必死だった。泣いても、疲れても、立ち上がろうとしていた。

だが、あの場所では、それだけでは足りなかった」

 

炎が爆ぜた。

 

崩れかけた店舗の奥で何かが落ち、火の粉が広場へ舞い上がる。

 

男は一歩、綾小路へ近づいた。

 

「みくるは脱落した」

 

その一言は、ホワイトルームにおいて何よりも重い言葉だった。

 

脱落。

 

それは失敗を意味する。

 

不要を意味する。

 

期待値に届かなかったという烙印を意味する。

 

「脱落した後、あの子は壊れた」

 

男の声が低くなる。

 

「精神が崩れ、心が戻らなくなった。今は寝たきりだ。

話すことも、笑うことも、父親を見ることもできない。ただ、生きているだけだ」

 

彼の手が震える。

 

拳銃の銃口が、少しずつ上がっていく。

 

「分かるか、綾小路清隆」

 

男の目が、憎悪で濡れていた。

 

「私には、あの子しかいなかった」

 

綾小路は黙っていた。

 

男は叫ぶように続ける。

 

「妻も失った。家族も失った。仕事も失った。周囲には何も残らなかった。

それでもあの子がいた。あの子が生きて、いつか笑ってくれるなら、それでよかった」

 

銃口が、綾小路の胸へ向けられる。

 

「だが、あの場所はそれすら奪った」

 

男の指が震える。

 

「あの子を壊したのはホワイトルームだ。そして、貴様だ」

 

その言葉に、幸村がわずかに目を伏せた。

 

男は続けた。

 

「あの子は、貴様に勝てなかったから壊れた」

 

それは理屈ではない。

 

正確な因果関係でもない。

 

壊したのは制度であり、教育であり、

子供を競争の道具にした大人たちであるはずだった。

 

だが、悲しみは常に正確な犯人を選ぶわけではない。

 

怒りは、形のある対象を求める。

 

そして男にとって、綾小路清隆はその象徴だった。

 

ホワイトルームの最高傑作。

 

勝ち残った者。

 

自分の子供が届かなかった場所に立っている者。

 

「だから、殺す」

 

男は静かに言った。

 

その声には、もはや迷いよりも疲労が滲んでいた。

 

「貴様を殺せば、あの子が戻るわけではない。それは分かっている。

だが、貴様が生きている限り、私は終われない」

 

その横で、幸村が口を開いた。

 

「俺は……最初は、そこまで考えていなかった」

 

綾小路の視線が幸村へ移る。

幸村は、燃え広がる広場を見渡すように目を動かした。

 

「この学校で、上に行くために必要なのは努力だと思っていた。

勉強して、成績を上げて、評価されて、Aクラスで卒業する。

それが正しい道だと信じていた」

 

彼の声は落ち着いているようで、内側が震えていた。

 

「だから勉強した。寝る間も惜しんだ。遊ぶ時間も、休む時間も削った。

授業を聞き、復習をし、模試の結果を分析し、何度も何度も自分に言い聞かせた」

 

努力は裏切らない。

 

積み重ねれば届く。

 

怠けた者との差は必ず開く。

 

それが幸村の信じていた世界だった。

 

「でも、届かなかった」

 

幸村の手が拳を握る。

 

「坂柳には勝てない。お前にも勝てない。

どれだけ時間を使っても、どれだけ自分を追い込んでも、天才との差は縮まらない。

それどころか、俺の成績は少しずつ下がり始めた」

 

その声に、強い屈辱が混じる。

 

「分かるか、綾小路」

 

幸村は顔を上げた。

 

「努力しているのに落ちていくんだ。寝る時間も削っているのに、点が伸びない。

焦れば焦るほど集中できなくなる。集中できないからさらに成績が落ちる。

そうすると、もっと焦る」

 

彼は笑った。

 

乾いた、痛々しい笑いだった。

 

「馬鹿みたいだろう」

 

綾小路は答えなかった。

 

幸村はそれでも続けた。

 

「Aクラスで卒業する。そうしなければ意味がない。

この学校で負ければ、将来も負ける。

努力で勝てないなら、俺は何のために努力してきたんだ」

 

炎が柱を舐める。

 

天井の一部が軋む。

 

それでも幸村の声は止まらない。

 

「この学校は公平じゃない。努力が正当に評価される場所なんかじゃない。

最初から才能を持った者が上に行く。制度を読める者が上に行く。

人を利用できる者が上に行く」

 

彼の目が暗く光る。

 

「ここは教育機関じゃない。選別装置だ」

 

その言葉は、火災の音に混じって広場へ落ちた。

 

「俺は、そう気づいた」

 

幸村は自分の胸に手を当てる。

 

「そして、気づいてしまったら、もう戻れなかった」

 

中年男性が幸村を見る。

 

二人の間には、親しさというより、共犯者特有の冷えた結びつきがあった。

 

失った者。

 

届かなかった者。

 

壊された者。

 

壊そうとした者。

 

それぞれ違う絶望が、同じ火種に火をつけた。

 

「この学校が間違っているなら、壊すべきだと思った」

 

幸村は言った。

 

「努力を嘲笑う制度も、天才に支配される構造も、

人間を順位と結果でしか見ない仕組みも、全部燃えてしまえばいいと思った」

 

綾小路は静かに言った。

 

「だから加担したのか」

「ああ」

 

幸村は迷わず答えた。

 

「俺は加担した。内部の構造、時間帯、生徒の動き、

避難経路。俺が知る限りの情報を渡した」

 

炎が一段強くなった。

 

それは、幸村の告白に呼応したかのようだった。

 

「後悔しているか」

 

綾小路が問う。

 

幸村は即答しなかった。

 

数秒、煙と炎の音だけが流れる。

 

「……分からない」

 

やがて幸村は言った。

 

「後悔していないと言えば嘘になる。

だが、間違っていたと認めることもできない。

認めたら、俺は何のためにここまでしたんだ」

 

その言葉は、すでに答えではなかった。

 

ただ、自分が崩れないための最後の支柱だった。

 

中年男性が銃を構え直す。

 

「もう十分だ」

 

男は言った。

 

「私は、貴様をここに呼ぶためにこの学校を燃やした」

「幸村を利用したのか」

「利用ではない。利害が一致しただけだ」

 

幸村は否定しなかった。

 

「この学校は壊す。綾小路清隆も殺す。それで私の復讐は終わる」

 

男の指が引き金にかかる。

 

その時、綾小路が口を開いた。

 

「ひとつ聞く」

 

男の眉が動く。

 

「何だ」

 

綾小路は、揺らぐ炎の中で静かに言った。

 

「あの子と、お前。どっちが正しい人間だ?」

 

男の表情が凍った。

 

幸村も目を見開く。

 

「何を……」

「ホワイトルームで壊されたみくるは、被害者だった」

 

綾小路は言った。

 

「だが今のお前は、この学校にいる多くの生徒を巻き込んだ」

 

男の手が震える。

 

「お前が憎むものは、ホワイトルームだったはずだ。

だが、お前が燃やしたのはこの学校であり、そこにいた生徒たちだ」

 

炎の音が大きくなる。

 

「それは正しいことなのか」

 

男の呼吸が乱れた。

 

「黙れ……」

「みくるがそれを望んだのか」

「黙れ!」

 

男の怒声が響く。

 

だが、綾小路は怯まない。

 

「お前は復讐のために、自分と同じように何かを失う人間を増やした」

 

男の顔が歪む。

 

「それは、ホワイトルームと何が違う」

 

その言葉は、男の中の最も脆い部分へ届いた。

 

男の口が開く。

 

しかし言葉が出ない。

 

炎が照らす顔には、怒りだけではなく、迷いが浮かんでいた。

 

「私には……」

 

男は震える声で言った。

 

「私には、あの子しかいなかったんだ」

 

その言葉は、叫びではなく、崩れるような吐露だった。

 

「妻も、家族も、仕事も、全部失った。あの子だけだった。

あの子がいれば、それでよかった。だけど……」

 

銃口が震える。

 

「だけど、あの子はもう戻らない」

 

男の目から何かが落ちた。

 

炎の熱で、それがすぐに乾いたのかもしれない。

 

「だったら、私はどうすればよかった」

 

その問いに、綾小路は答えなかった。

 

答えがないからではない。

 

今ここで語れる言葉が、この男を救うとは思えなかったからだ。

 

沈黙が落ちる。

 

その沈黙を破ったのは、幸村だった。

 

「俺は……」

 

彼の声は小さかった。

 

「俺は、本当に壊したかったのかもしれない」

 

綾小路が幸村を見る。

 

「この学校だけじゃない。頑張れば報われると思っていた自分も、

努力している自分を誇っていた自分も、全部」

 

幸村は顔を歪めた。

 

「認めたくなかったんだ。俺は、どれだけ努力しても届かない相手がいることを」

 

その瞬間、天井の奥で大きな音がした。

 

ケヤキモール全体が、低く唸るように震え始める。

 

崩壊が近い。

 

綾小路は周囲を確認した。

 

逃げ道はほとんど残っていない。

 

上階の一部はすでに落ち、出口へ続く通路も炎で塞がれている。

 

この場所は、まもなく炎と瓦礫に飲まれる。

 

「もう終わりだ」

 

中年男性が言った。

 

その声には、どこか安堵にも似た響きがあった。

 

「全部、終わる」

 

銃口が再び綾小路へ向けられる。

 

今度は、震えが止まっていた。

 

「綾小路清隆」

 

男は言った。

 

「あの子のために、死んでくれ」

 

銃声が響いた。

 

乾いた音だった。

 

炎と崩壊の轟きの中では小さな音であるはずなのに、

奇妙なほどはっきりと広場に響いた。

 

弾丸は綾小路の胸を捉えた。

 

衝撃が身体を貫く。

 

足元がわずかに揺れる。

 

けれど、綾小路は倒れなかった。

 

ただ一歩、後ろへ引いただけだった。

 

幸村が息を呑む。

中年男性も目を見開く。

 

「……なぜ」

 

綾小路の表情は変わらなかった。

 

痛みはある。

 

身体の奥から熱が広がる感覚もある。

 

だが、それを顔に出す意味はない。

 

「お前は……本当に人間なのか」

 

男が呟いた。

 

その問いに、綾小路は答えなかった。

 

自分が何なのか。

 

人間なのか、最高傑作なのか、ただの失敗の裏返しなのか。

 

その答えを、彼自身も完全には持っていなかった。

 

ただ、ひとつだけ確かなことがある。

 

ここで、この男の怒りを受けることは、自分にしかできなかった。

 

そして、幸村の末路を見届けることも。

 

建物が大きく揺れた。

 

今度の揺れは、今までとは違った。

 

局所的な爆発ではない。

 

ケヤキモール全体の支えが、限界を迎えた音だった。

 

天井を走る鉄骨が悲鳴を上げ、広場を囲む店舗の壁が次々と崩れ、

火の粉と黒煙が一気に吹き上がる。

 

「まずい……」

 

幸村がようやく現実へ戻ったように周囲を見る。

 

だが、遅い。

 

逃げる道は、すでに炎に塞がれていた。

 

中年男性は、崩れ始めた天井を見上げた。

 

その顔には恐怖と、奇妙な諦めが同居していた。

 

「みくる……」

 

彼はそう呟いた。

 

その声は、炎の音に溶けた。

 

巨大な瓦礫が、上から崩れ落ちる。

 

綾小路は動かなかった。

 

幸村は一歩後ずさった。

 

中年男性も動こうとした。

 

しかし、爆炎が二人の背後から押し寄せた。

 

火の壁が広場を横切り、崩れた天井材と舞い上がった煙が視界を塞ぐ。

 

二人の姿は、炎と瓦礫の向こうに消えた。

 

幸村が最後に何を言おうとしたのか、綾小路には聞こえなかった。

 

助けを求めたのか。

 

謝ろうとしたのか。

 

それとも、最後まで自分の正しさを叫ぼうとしたのか。

 

分からない。

 

炎はすべてを隠した。

 

綾小路は、その光景をただ見ていた。

 

胸に走る痛み。

 

呼吸の重さ。

 

熱に焼かれる空気。

 

崩れていく天井。

 

それらを、どこか遠くの出来事のように観察していた。

 

これで終わったのか。

 

いや、終わってはいない。

 

学校は燃えた。

 

多くのものが失われた。

 

黒幕の一端は消えた。

 

だが、ホワイトルームという根はまだ残っている。

 

人を選別し、壊し、勝者と敗者を作り出す構造は、

火で焼き尽くせるほど単純ではない。

 

幸村が憎んだ制度も、中年男性が憎んだ教育も、

すべてがこの炎で終わるわけではない。

 

ただ、このケヤキモールの中で、一つの復讐と一つの絶望が燃え尽きただけだった。

 

綾小路はゆっくりと空を見上げた。

 

崩れた天井の隙間から、黒煙に汚れた空が見えた。

 

その向こうに、救助ヘリの音が遠く響いているような気がした。

 

堀北たちは脱出できただろうか。

 

考える。

 

だが、確かめる手段はない。

 

自分はここへ来た。

 

答えを求めた。

 

そして、その代償として、もう戻れない場所まで来てしまった。

 

再び、建物が揺れた。

 

今度こそ決定的だった。

 

広場を囲む二階部分が大きく傾き、中央へ崩れ落ちようとしている。

炎がその崩落を押し上げるように燃え上がり、空間全体が橙色に染まった。

 

綾小路は逃げなかった。

 

逃げ道がないからではない。

 

逃げるという選択肢が、すでに意味を失っていたからだ。

 

最後に、男の言葉が頭をよぎった。

 

――あの子は、お前に勝てなかったから壊れた。

 

違う。

 

壊したのは、オレではない。

 

そう考えた。

 

だが同時に、完全に無関係だとも言い切れなかった。

 

自分は象徴だった。

 

勝ち残った者。

 

比較の先に置かれた存在。

 

誰かの敗北を、結果として背負ってしまう存在。

 

それが自分に責任があるという意味ではない。

 

だが、誰かの憎しみが向く理由にはなった。

 

幸村もまた、努力の敗北に耐えられなかった。

 

この学校は、勝者だけに光を当てる。

 

敗者の心がどこへ沈むのかを、誰も最後までは見ない。

 

炎が近づく。

 

熱が強くなる。

 

空気が薄くなる。

 

視界が赤く染まっていく。

 

綾小路は、自分の胸に手を当てた。

 

そこには、たしかに命の重さがあった。

 

遅く、重く、しかしまだ動いている鼓動。

 

それを感じながら、彼は目を閉じなかった。

 

見届ける。

 

最後まで。

 

この場所が崩れる瞬間を。

 

この復讐が終わる瞬間を。

 

この学校の闇が、炎の中で一度だけ姿を見せた瞬間を。

 

轟音が響いた。

 

ケヤキモールの中央広場が、ついに崩れ始めた。

 

巨大な天井材が落ち、柱が折れ、炎が一気に吹き上がる。

 

爆炎は広場全体を飲み込み、残っていた看板も、

床も、柱も、すべてを赤い光の中へ沈めていった。

 

綾小路清隆の姿も、その光の中に消えていく。

 

それは叫びも、抵抗も、劇的な別れもない終わりだった。

 

ただ炎が広がり、瓦礫が落ち、世界が崩れていく。

 

そして、その中心に立っていた少年は、最後まで無表情のまま、

崩れゆく光景を見つめていた。

 

やがて、ケヤキモール全体を包む爆炎が空へ向かって吹き上がった。

 

黒煙が巨大な柱となり、炎の光がその内側から揺らめき、

遠くから見ればまるで学園そのものが巨大な火葬炉になったかのようだった。

 

高度育成高等学校。

 

選ばれた者たちの箱庭。

 

努力と才能と制度が支配する場所。

 

その象徴の一角が、音を立てて崩れていく。

 

炎の中に消えたのは、建物だけではなかった。

 

日常。

友情。

競争。

信頼。

憎悪。

復讐。

 

そして、綾小路清隆という存在。

 

すべてが、赤い光と黒煙の奥へ沈んでいった。

 

遠くで、消防ヘリのローター音が鳴っていた。

 

放水の白い筋が炎へ向かって伸びる。

 

だが、それはあまりにも遅かった。

 

すでに、中心部は崩れ落ちていた。

 

炎はなおも燃え続ける。

 

まるで、まだ終わっていないと言うかのように。

 

それは単なる火災ではなかった。

 

それは、選別に敗れた者たちの怨嗟であり、勝ち残った者への憎悪であり、

努力を信じた者の絶望であり、制度そのものが生み出した影だった。

 

そして、その炎の果てで、綾小路清隆は一人、答えを見届けた。

 

答えは救いではなかった。

 

正義でもなかった。

 

ただ、人が壊れ、制度が壊し、

残された者がさらに壊していくという、救いのない連鎖だった。

 

その連鎖の中心で、炎は最後まで燃え続けた。

 

やがて、広場の上にあった巨大なアーチが

音を立てて崩れ、赤い火の粉が空へ散った。

 

それは花火のように美しくもなく、星のように静かでもなく、

ただ終わりの欠片として、煙の中へ消えていった。

 

誰かが見ていれば、そこに少年の影があったことに気づいたかもしれない。

 

だが、次の瞬間にはもう、その影も炎に覆われていた。

 

燃え盛るケヤキモールは崩れ落ち、爆炎はすべてを飲み込み、

世界は轟音の中で赤く閉じていった。

 

 

 




「カーストリング・インフェルノ」完結しました。
「お祭りの華は花火、アクションの華は爆発」が持論だと
過去作のあとがきにも書いたと思うのですが
まさにその通りで、今回は自分の趣味全開で描きました。
とにかく燃え盛る爆炎が描きたかったんです。くどいくらいに(笑)
参考にした映画はタイトルからも分かる通り「タワーリング・インフェルノ」です。
爆炎の描写は平成ガメラ3部作やゴジラ大怪獣総攻撃を参考にしました。
大好きな宝泉と七瀬の時計の救出劇は特に気に入ってます。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

次回作に「ようこそ暴力至上主義の教室へ」を投稿予定です。
宝泉和臣を主人公にした、戦闘力が低い順から喧嘩していく物語です。
途中までですが、第一話「VS堀北鈴音&伊吹澪」の試し読みをどうぞ。



高度育成高等学校という場所は、
表向きこそ実力と知略を競わせる教育機関を気取っていやがるが、
結局のところ最後にモノを言うのは人間の根っこの部分――
つまり「暴力」だと、宝泉和臣はずっと思っていた。

どれだけ頭が良かろうが、どれだけ特別試験でポイントを稼ごうが、
どれだけ周囲から信頼されようが、
殴られた瞬間に恐怖で身体が竦むような奴は、その時点で下なのだ。

だからこそ最近の宝泉は、腹の底に妙な苛立ちを抱えていた。

退屈だった。
喧嘩が足りねぇ。

この学校に来てからというもの、周囲は妙に頭を使う連中ばかりで、
まともに殴り合いへ発展する機会が減った。

もちろん暴力沙汰そのものが消えたわけではない。

だが、それは宝泉が求めるものとは違う。

小賢しい駆け引き。
陰湿な心理戦。
裏で手を回して相手を追い込むくだらねぇゲーム。

そんなもんばかりだ。

宝泉は、もっと単純で、もっと原始的で、もっと分かりやすいものが欲しかった。

拳。
骨。
血。
痛み。

人間が恐怖に顔を歪める瞬間。
それを感じていないと、自分の身体が腐っていくような感覚があった。

「……クソつまんねぇな、この学校」

昼休みの廊下を歩きながら、宝泉は舌打ち混じりに呟く。
周囲の生徒たちは、その声を聞いただけで視線を逸らしていく。

相変わらずだ。

自分を見ただけでビビる。
それはそれで悪くない。

だが最近は、その反応すら刺激にならなくなっていた。

もっと強い奴が必要だった。
もっと殴り甲斐のある奴が。

そして、その頂点にいるのが綾小路清隆だということも、宝泉は理解している。

あの無表情野郎。
人を舐め腐ったみてぇな目をした男。
あいつだけは、まだ本気でぶっ壊せていない。

だからこそ、そこへ辿り着く前に、
自分の身体をもう一度「戦闘用」へ戻しておく必要があった。

鈍った感覚を研ぎ直す。
暴力の勘を取り戻す。

だったら手始めに必要なのは――雑魚狩りだ。

「……まずは肩慣らしだな」

宝泉の口元が、獰猛に歪む。

そして最初に頭へ浮かんだのは、二人の女だった。

堀北鈴音。
伊吹澪。

片方は学年でも有名な優等生。
片方は牙を剥く野良猫みてぇな不良女。

どっちもそれなりに喧嘩慣れしている。

ちょうどいい。

潰すには。



最後まで書かれた完全版は5月19日午前0時に投稿予定です。
よろしくお願いします。
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