病院は、すごい大きさだった。
総合病院のような見た目の巨大な建物に、躊躇なくゼレーナさんは入っていく。
ぼくは健康なのに入っていいのかなと思いつつ、彼女の影を追いかける。
病院の中には、いろんな人がいた。いわゆる老若男女……というわけではなく、人種という意味で。
犬のような耳をした人や、ミム大隊長のような角を生やした人。薄い色素の唇から鋭い牙を覗かせた吸血鬼っぽい人に、身長が低いのに筋肉質で髭をたっぷり蓄えた人など。
本当に多種多様な人種が、病院の中には存在していた。
ゼレーナさんの話によれば、彼ら彼女らは皆一様に
(確か見た目は遺伝子割合で決まるんだっけ……)
ということはたぶん、大体の人が親のどちらかに見た目が似るんだろうか。
いや、ゼレーナさんの見た目に反映されているエルフの遺伝子が14%だけなら、遺伝子の配合によっては両親のどちらとも違う見た目になることも多いのかもしれない。
ぼくの知るファンタジー作品はどれも種族が別々で、こんなにも混血が進んだお話なんて無かった。
なんだか新鮮な感じがするなと思いつつ、もう一つ……なんだかぼくの胸がざわつく。
周囲にいる人は皆、なんらかの怪我や病気に心身を蝕まれた人たちだ。
病院に来ているからそれは当然なんだけど、なんだかそれが良くないことのように思えてしまう。
(違う……またこれか)
ぼくは、いつもこうだ。
誰かが悲しんでいるかもしれない。誰かが傷付いているかもしれない。
そう思うと、ぼくはいつも落ち着かなくなってしまう。
できるなら全ての人に笑っていてほしい。できるなら全ての人が幸せに満たされていてほしい。
だから、そうでない人たちが集まる病院が、ぼくはすごく苦手なんだ。
この病院にも、ここにいる患者さんにも、なんの思い入れもないはずなのに。
なんとかしたい、なんとかしないといけない。そんな意味のないことを考えてしまう。
(医者ですらないぼくが、何を偉そうなことを……)
とはいえこれは生来の気質だ。直そうとして直せるものでもない。
気を取り直してぼくはゼレーナさんについていって、
「こんなにあっさり終わるんですね……」
「まあね、これも魔法技術の進化のおかげだね」
双体検査は本当に一瞬で終わってしまった。
体重計のような円盤に乗ったと思えば、足元から魔法陣のようなものが現れて、ぼくの足から頭上まで通過しておしまい。
CTスキャンよりも早く、ほぼ一瞬で終わって今は会計待ち。
そしてぼくは先ほど戸籍登録を終えたばかりだから、生後一年間保証で自己負担額はほぼないらしい。
人にとって最もデリケートなのは生まれたばかりの状態だ。
怪我や病気はもちろん、いつもぼくらがなんとかなると侮っている風邪くらいでも命を落としかねない。子どもの数イコール未来の安定性。そのためこの国だけでなく、他の国でも同様の制度があるんだとか。
「私は赤ちゃんじゃないんですけど、いいんですか?」
「こういう制度は使ったもん勝ちだよリリィさん」
二人で話していると、不意にぼくの頭が後ろに引っ張られる。
「……ん?」
だけどそれは強い力じゃなくて、不思議に思い後ろを振り返ると、
「こら……! 人の髪の毛を掴んだらダメよ……! すみませんこの子が……」
と謝罪する女性と、ぼくの長い銀髪を握る赤ん坊の姿があった。
ミムさんの額から出ていた角と違って、獣人族なら耳が生えているだろう部分から生えた角が、後頭部の方へなだらかな曲線を描いている。
たぶん親子共に竜人族の見た目になっているんだろうと思う。
よく見るとお母さんの方は手の甲に鱗が出ていて、目を惹くように光を反射している。
「気にしないでください。赤ちゃんですから、無意識に握ってるだけかもしれませんし」
「そうですか……? そう言ってもらえると助かります。今日はこの子の検診に来ていて」
一ヶ月検診みたいなものかな。
ぼくもこの子と同じ保険が適用されていると思うとなんだか複雑な気分だ。
「あーう」
赤ちゃんはぼくらの話しを聞いて、相槌を打っているみたいなタイミングで声を発する。
どうしてこう、赤ちゃんというのは愛くるしいのか。まるで自分の可愛さを全力で活用しているような感じがする。
(実際のところそうなんだっけ。愛嬌を振り撒くことで自分を守ってもらえるよう、大人の本能に働きかけているとかなんとか……赤ちゃんにはそういう能力があるって論文があった気がする。この世界にもあるのかな?)
なんて考えながら赤ちゃんに笑いかけていると、奥さんの口から、
「ふぅ……」
とため息が漏れた。
「お疲れですか……?」
「……まあ。この子は夜泣きが多くてちょっと……ってこんな話、初対面の人にすることじゃないですよね」
ぼくの問いかけに一瞬だけ本音を漏らした奥さんは、それを引っ込めようとしてしまう。
「初対面だからダメ、なんて決まりはないんですよ? 話してみてください。それだけでもストレスは少なくなるらしいですから」
ぼくの提案に安堵しつつ奥さんは少しずつ、ポツポツと本音を吐露し始めた。
要約するとそれは、
「赤ちゃんの夜泣きが多くて寝不足だ。周りに頼れる人が少ないし、頼ることも無責任な気がして本音を言えない。自分で産んだ子と向き合うために……と意気込んでいるけど、立派な母親になれるか不安だ」
といった内容だった。
ゼレーナさんによれば、妊娠中は肉体、精神体ともに赤ちゃんはお母さんにとって体の一部として活動する。けど出産によって赤ちゃんが体外に出されると、一時的に肉体的にも精神的にも喪失感を抱いてしまい、それが産後うつを引き起こす原因になるとか。
そこに夜泣きからの寝不足。自身の母親へのハードルの高さが追撃してしまい、疲れた表情をしているんだろう。
(なんとかしてあげたいな……でもぼくに何ができるんだろ?)
やっぱりこういうのは見過ごしたくない。せめて何か彼女の助けになることを一つだけでも……と考えていたその瞬間。
ぼくの心臓が燃えたぎる。ぼくの魂が凍りつく。
肉体は燃えるように熱くなるのに、精神はそれに反するように冷え切っている。
真逆の感覚を抱きつつ、それには一切の不快感を抱くことなく。そこには一切の苦痛もなかった。
あるのは一つの希望。
ぼくの望みを叶えられるという、確信だけが胸の奥にあった。
本能が、ぼくの口を動かす。
「『
「……リリィさん?」
隣にいるはずのゼレーナさんの声が、随分と遠くから聞こえてくる気がした。
ぼくの眼前には光を内包した指輪のようなものが、空中に浮かんでいて。ガラスの指輪はすぐに弾けて、中に閉じ込めていた光がゆっくりと広がった。
広がっていく光はぼくとゼレーナさん、奥さんと赤ちゃんを包み込んで、病院の待合を柔らかに輝かせる。
ぼくは自分が生み出したはずのその光景に、なんだか他人事のような気がしていた。