冷えた空気が肌を刺す。
振り積もった雪を踏みしめる音だけが、僅かに鼓膜を揺らす。
17時32分。
宮嶋遥人は手にしたスマートフォンの画面を一瞥すると、少しだけ歩調を早めた。
比較的温暖なこの地域では珍しく、今年は厳しい寒波が襲った。
なんてことはない平坦な道でも、慣れない雪道となれば話は変わる。
無謀に歩を進めれば怪我をしかねない。
列車が来るまで、あと4分。
間に合うように、でも慎重に。
遥人は駅までの道を急ぐ。
「ふぅっ…」
息を切らしながら駅に着くと、1つだけ置かれた小さなベンチの端っこに女性が腰を掛けて文庫本を読んでいた。
遥人は少しだけ遠慮がちに、反対側の端に腰を掛ける。
時刻は17時39分。
どうやら雪の影響で列車の到着も遅れているようだった。
遥人は鞄から読みかけの小説を取り出すと、ゆっくりとページを捲り始めた。
冷えた空気が肌を刺す。
本のページを捲る音だけが、僅かに鼓膜を揺らす。
「ふふっ…」
不意に、小さな笑い声が聞こえた。
遥人は咄嗟に声のしたほうへと目線を向ける。
「あ…ごめんなさい、私ったら。失礼でしたね」
中学生の遥人よりも一回りほど年上らしき女性は、微笑んで会釈すると傍らの栞を挟んで本を閉じた。
「あまりに静かなものだから、ページを捲る音で読むペースが分かっちゃって」
「…読むの、早いんですね」
遥人が1ページを捲る間に、女性は2ページを捲っていた。
「社会人になってからなかなか本を読む時間が取れなくってね。早く読む癖がついちゃった」
ほんとはよくないんだけどね、と小声でつけ足す。
刹那の沈黙の後、女性が再び口を開く。
「ちなみに、何の本読んでるの?」
「…『若きウェルテルの悩み』です。ゲーテの」
一瞬だけ逡巡して、遥人は短く答えた。
「…なんか聞いたことはあるなぁ。面白いの? それ」
「僕も読み始めたばかりで…古典文学なので人を選ぶのは間違いないと思いますけど」
なんだかグイグイくる人だな、という思いを飲み込んで、遥人は素直に答える。
「ふーん…」
理解したようなしていないような、そんな微妙な相槌を女性が打つと、再び沈黙が訪れる。
冷えた空気が肌を刺す。
遠くから鳴る列車のジョイント音だけが、僅かに鼓膜を揺らす。
「あ、やっと来たみたい」
耳障りなブレーキ音を鳴らす列車の方向幕は、遥人が乗る列車とは違う行き先を示していた。
「まさか20分も遅れるなんてねぇ。多分君の乗る電車、もうちょっと待たないと来ないと思うよ」
じゃあね、と赤い手袋をした手を振ると、女性は列車へと乗り込む。
「…不思議な人だったな」
ぽつりと口から出た音は、消え入るように雪へと吸い込まれていく。
冷えた空気が肌を刺す。
遠ざかっていく列車のジョイント音だけが、僅かに鼓膜を揺らす。