結局遥人が帰路についたのは、時刻が19時を回る直前だった。
制服についた雪を払い、無機質な音を立てて鍵を開ける。
2階の自室に鞄を置くと、またすぐに1階へと降りて洗面台で手を洗う。
しんと静まり返ったリビングを通り抜け、台所へ入る。
夕飯の準備──今日は昨晩の作り置きがあったので、レンジで温めるだけだが──をしつつ、仏飯器に少量の白飯をよそうと、水を入れた湯呑と共に仏壇の前へと運ぶ。
綺麗に清掃された仏壇には、1人の女性の写真が飾られていた。
丁寧に供え物を並べて置き、控えめにりんを鳴らし、静かに手を合わせ、拝む。
りんの澄んだ音だけが質素な部屋に響き、消える。
「…ただいま。母さん」
これが遥人の帰宅後のルーティン。
始まってからもう、3年ほどになる。
母──宮嶋咲希が病気で他界してから、父である宮嶋浩一は男手ひとつで遥人を育ててきた。
帰りの遅い浩一に代わって家事を行うのは遥人の役目だ。
そんな生活にも慣れてきた、と思いつつも、一抹の寂しさがささくれのように遥人の心には残っていた。
「今日は先生から高校の説明を受けてきたよ。ちょっと家から遠いのが難点だけど、綺麗な校舎で環境もよさそうだし、うまくやっていけると思う。部活は…やっぱり文芸部にしようかな。自分で書くのはやったことないし、少し恥ずかしいけど…。憧れだったから」
感情豊かで世話焼きな咲希は、遥人の学校の話を聞くのが大好きだった。
テストでいい点を取った話をすれば喜び、友人と喧嘩した話をすれば哀しみ、遠足などイベントの話になると自らもクラスメートかのように楽しそうにし、忘れ物をした話をすればほんの少しだけ怒り、またすぐ笑顔になった。
比較的物静かな遥人は母の性格を若干煩わしく感じながらも、自分を気に掛けてくれることを嬉しく思っていた。
天国の母が、少しでも退屈しないように。
遥人は毎日、仏前でその日のことを報告していた。
そうしているうちに軽やかな電子音が遥人を呼ぶ。
1杯の白飯と作り置きしていた大根のそぼろ煮を腹に入れると、浩一のぶんの皿にラップを掛けてから食器を片付け始めた。
風呂に入ってから寝るまでの時間は読書をするのが遥人の日課だった。
高校受験も終わり卒業を間近に控えた今、ようやく趣味に費やす時間を取ることができる。
栞を挟んだ本を開き、ゆっくりとページを捲り始める。
かち、かち、と、時計の針の進む音。
ぱら、ぱら、と、ページを捲る音。
本の世界と囁くような環境音だけが、遥人から微かな心の痛みを忘れさせていた。