花海咲季からは逃げられない   作:幻の大地

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ハッピーエンドにします。
よろしくお願いします。


最悪の再会

 

 駅を降りて、地上へと続くエスカレーターに揺られる。視界の端を俺と同じように無表情なスーツ姿の群衆が過ぎ去ってゆく。

 

 この春から大阪から東京へ異動してきて、ちょうど一週間が過ぎた。 

 東京から離れるために、わざわざ大阪で就職したというのに、なんという皮肉だろうか。全国転勤だとは知っていたが、まさかこんなすぐに東京へ来ることになるとは思ってもいなかった。……いや、本当は少しだけ期待してしまっていたかもしれない。

 

 新しい部署のデスクは、かつての教室机よりもずっと硬く感じる。設備はあの頃よりもいいものになっているはずだから、そんなはずはないのに。

 それでも、今の俺の仕事はすっかり身体に馴染んでしまっている。 そしてそこに、かつての自分が求めていた「熱」は一分たりとも存在していない。

 今の仕事は嫌いではない。けれど、確実に言えるのは、『あの頃』の自分が見たら、きっと今の自分を許さないであろうことだ。

 だが、今の俺はそれを良しとしてしまっている。

 

 

 

「……あれは」

 

 

 地上に出て、夜風を浴びながら帰路に向かう道すがら、街頭のデジタルサイネージが鮮やかに夜の闇を塗り替えた。

 

──『トップアイドル・花海咲季、最新シングル発売中』

 

 画面の中の彼女は、あまりにも完成された微笑みを浮かべていた。

 隙のないメイク、洗練された衣装、そして、誰にでも愛されるような優雅な立ち振る舞い。

 

 だが、その作り物のような美しさを見るたびに、俺の中にどす黒い感情が浮かび上がってくる。

 

 自分が知っている花海咲季は、もっと──もっと不格好で、汗にまみれ、勝利への飢えを隠そうともしない、心に炎を宿したような人だったはずだ。

 そんな思いが、一瞬だけ喉元までせり上がる。

 だが、それを深く奥へ沈めるように飲み込んだ。

 

 俺はもう、彼女の隣を歩く権利を自ら捨てた人間なんだ。

 

3年前の卒業式の前、事務所として使っていた教室に置いて行った書き置きのことを思いだす。

 

『花海咲季さん、今まで本当にありがとうございました。

 私は本日をもってプロデューサーを辞めることにしました。

 あなたなら、どこまでもいけるはずだ。』

 

無責任な一筆だけを残して逃げ出した俺のような卑怯者 に、今の彼女を語る資格など、あるはずがないのだ。

 

そう言い聞かせながら、俺はサイネージを背に歩き出した。

 

 

 

 

 帰路、俺は普段の乗り換え駅を通り過ぎ、『天川駅』までやってきた。

 

 気づけば足は「あの場所」へと向かっていた。 

 

 天川の片隅にある、何の変哲もない公園。

 そこは、かつて彼女とよく訪れていた場所だった。

 嬉しかったとき、喧嘩したとき、なかなか結果が出ずに悩んだとき、そして、何でもないときでも。

 いつだってここで、彼女と話をしていた。

 妹の話、料理の話、好きなアイドルの話。

 

 そして___2人の夢の話。

 

 何故こんな場所へと来てしまったのか、自分でもわからない……いや、分かりたくなかった。

 

 結局、今でも俺は無様にも過去の夢を追い求めてしまっているんだろう。……情けないことだ。

 それならいっそ、あの場所で綺麗さっぱり誓いを立ててしまおう。

 もう二度と、こんな思いを抱かないように。

 

 

 考え事をしているうちに、いつの間にか静まり返った公園の入り口に立っていた。

 

 その瞬間、夜の静寂を切り裂くような音が、俺の耳を打った。

 

無我夢中で、何か追い求めるかのように、無様に、けれど可憐に、その人影はステップを踏んでいた。

 

 それは、今のメディアが求める「綺麗な人形」では決してない。 

 

 かつて俺と彼女が、あの三年間で共に追い求めてきた、泥臭く、執念深い、不撓不屈の──花海咲季というアイドルそのものだった。

 

 

──音が、止まった。

 

 荒い呼吸の音だけが、深夜の公園に響く。

 街灯の逆光を浴びて、彼女のシルエットが微かに揺れている。

 乱れた髪は頬に張り付き、トレーニングウェアは、汗で色を変えていた。

 

 彼女はゆっくりと、こちらを振り向いた。

 

(……やはり、か)

 

 心臓が跳ねる。

 三年前よりも少しだけ大人びたその顔は、俺にとって、今や美しき凶器に等しかった。

 

 今の俺にとって、彼女を見ることは、あの「無価値」と断じられた三年間を、そして彼女の元から逃げ出した自分自身の不甲斐なさを、鏡に映されることと同じだった。

 

 逃げ出したかった。今すぐ踵を返して、自分の姿を夜の闇に塗り潰してしまいたかった。

 だが、俺の足は金縛りにかけられたように、動かなかった。

 

「……何よ、その顔」

 

 温度を欠いた声が、俺の耳を打つ。

 

 彼女は乱れた呼吸を無理やり整え、俺のスーツ姿を──かつての情熱を捨ててしまった現在の自分の姿を、値踏みするかのように一瞥した。

 その瞳には、驚きというよりも、もはや理解不能な異物を見るような拒絶を感じた。

 

「……お久しぶりです、花海さん(・・・・)

 

自分でも驚くほど事務的な、丁寧な態度で応じた。

 三年前のあの日から、一度も口にすることのなかったその名を呼んだ瞬間、内側から後ろめたさが溢れ出しそうになる。

 

「……そんなしょうもない挨拶をするために、わざわざ私の前に現れたわけ?」

 

彼女はただ不愉快そうに目を細めた。

 彼女は手に持っていたタオルで乱暴に汗を拭い、俺を直視しようとはしない。その態度は、俺との間に横たわる断絶を、何よりも物語っていた。

 

「……ただの偶然です。近くを通りかかったもので」

 

「……ふーん、そう」

 

俺の嘘に、彼女は短く吐き捨て、地面に置いていたスポーツバッグを掴んだ。

 その動作の一つ一つが、俺に対する激しい拒絶を示している。今の自分は、彼女にとって、自分の予定を乱す存在でしかないのだろう。

 だが、彼女がちゃんと俺を憎んでいることに、俺はほんの少しだけ安心していた。

 そうでなかったら、きっと罪悪感に押しつぶされていたから。

 

「……今更、私に何か用?もしかして、トップアイドルになった私を褒めてでもくれるつもり?」

 

その言葉には、彼女がメディアで見せる「お人形」のような自分への皮肉と、そんな自分を置き去りにした俺への拒絶が含まれているように思えた。

 ……彼女が先ほど踊っていたのは、そんな綺麗事とは無縁のものだったというのに。

 俺の指先は、知らずしらずのうちに握りしめられていた。

 

「……そうですね。今のあなたは、十分にトップアイドルとして完成されていると思います」

 

思ってもいない嘘を、俺は吐いた。

 理想の自分との乖離という彼女の苦しみを、この一瞬で誰よりも理解してしまっている自分がいる。

 だが、それを口にしてしまえば、また「プロデューサー」という領域に踏み込んでしまうことになる。

 そんなことは許されてはいけない。

 一度諦めた夢を、もう一度求めるなんて、卑怯なことだ。

 

俺が嘘を吐いた瞬間、彼女の肩が、微かに跳ねた。

 花海さんは一瞬だけ、唇を強く噛みしめ、それから一言も発さずに俺を射抜くような視線を向けた。

 それは激しい怒声よりも重く、俺の心に突き刺さった。

 

沈黙が下りる。

 耐えきれず、わずかに視線を泳がせた。彼女の瞳に宿る強い意志に、今の自分は一秒たりとも耐えられない。

 それに、彼女のこの態度は既に、俺に一つの諦めを選択するのには十分過ぎた。

 

「……遅い時間ですので。俺はこれで失礼します」

 

絞り出すように、社会人としての「丁寧な壁」を築く。

 だが、これ以上ここにいれば、その壁も剥がれ落ちてしまう。あるいは、三年前の自分を思い出してしまうかもしれない。そんなことをしてしまえば、俺はまた戻れなくなってしまうだろう。

 

踵を返し、足早に公園の出口へと向かう。逃げている、と自分でもわかっていた。

無責任な書き置き一つで彼女を置き去りにしたあの日と同じように、俺はまた逃げようとしていた。

 

その背中に、鋭い反撃が飛んできた。

 

「嘘つき!」

 

立ち止まらざるを得ないほど、冷たく、重みのある一言だった。

 思わず振り返りそうになったが、それも執念で思いとどまった。

 

「よくもそんな嘘を堂々とつけたわね。まさかこのまま何も言わずに帰るつもり?」

 

 彼女の言葉の一つ一つが、俺の隠したい感情を引っ張り出してくる。

 もう、限界だ。

 

「……今の俺に、あなたを評価する資格はありませんから」

 

振り返ることなく、それだけを告げて俺は夜の闇へと逃げ込んだ。

 

心臓の音だけが、耳元でいつまでも騒がしかった。

 

でもこれで、綺麗さっぱり諦められるだろう。

 

けれど、ここまで感情が揺さぶられては、明日の業務に響くことは間違いなかった。

 

 




天川が何処にあるのか分からなかったので、取り敢えず東京周辺にあると仮定しています。
その他にも都合良く設定が改変されてる部分もあるので注意です。

ストックがあるので暫くはつつがなく投稿できると思います。
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