花海咲季からは逃げられない 作:幻の大地
◇
ここは、100プロダクションのレッスンスタジオ。
一通りのメニューをこなした花海咲季は、パイプ椅子に深く腰掛け、首にかけたタオルで汗を拭っていた。
今日のスタジオは貸し切りではなく、室内にはまばらに練習生たちがトレーニングしている。そんな中、咲季は別格の雰囲気を発していた。本人としては、ただ休憩しているだけなのだが。
「お姉ちゃん、次の仕事の衣装、もう届いてるって」
熱気の籠ったスタジオに、弾んだ声と共に咲季の妹の花海佑芽が入ってくる。
この二人の組み合わせは100プロでは、よく見る光景である。
彼女の存在に気が付くと、咲季は手元のスポーツドリンクから顔を上げた。
「あら、わざわざありがと。後で取りに行ってくるわ」
プロデューサーをつけていない咲季は、自分のマネージメントは自分で行っている。そんな姉の助けになればと、佑芽は自分のプロデューサーを通じて、こうした情報を融通しているのだった。
だが、姉の反応に納得がいかなかったのか、彼女は首をかしげて小さく唸った。
「……なんかさ、最近雰囲気変わったよね。事務所のレッスンだけじゃなくて、なんだか別のところに凄く集中してるみたいだよ」
「そうかしら。いつも通り、完璧な私でいるための準備をしてるだけよ」
咲季はそっけなく返し、立ち上がった。
佑芽はそれ以上追及しなかったが、腑に落ちない様子で姉の背中を見送っていた。
近頃の姉は、変わっている。それは、妹である彼女が一番実感している事だった。
かつての熱意を失い、ただ事務所や世間に求められるままの偶像を演じていた姉が、この頃何かスイッチが入ったかのように、その目にかの日の輝きが宿っていた。
何が姉を変えたのか___うっすらと佑芽は気づいていた。
だが、これ以上姉に踏み込むことはしなかった。
レッスン室を去った後、咲季は手元のスマートフォンを片手に見つめた。
かつては、あの人からよく連絡が届いていたことを思い返す。
基本的には事務連絡のようなものばかりだったが、オーディションの本番前夜や、誕生日のような特別な日に、彼が送ってきた、思いの籠ったメッセージが、彼女は好き
「……」
いつの間にか画面の電源が切れ、黒い液晶には彼女の顔が映っていた。
しばらくは放心していたが、意を決したように、溜息を着いた彼女は、スマートフォンをしまった。
彼が働く役所の場所は、天野の持っていた名刺を盗み見たときに知っていた。
私を置いて逃げ出したあの人が、どんなに退屈で、熱のない日常を送っているのか。
それをこの目で確かめて、引きずり出してやりたい。
いい加減、あの薄っぺらい仮面を引っ剥がしてやりたい。
そして、あの日、彼が病に倒れたとき、一瞬だけみせたあの顔をもう一度見たいと彼女は思った。
幸いにも、明日の予定は空いていた。
◇
無機質な蛍光灯の光が、どこまでも平坦に広がるフロア。
都内のとある役所の待合室の片隅で、深く帽子を被り、伊達メガネをかけた花海咲季は、静かに順番を待っていた。
周囲にいるのは、手続きを待つ一般人ばかり。
誰も、この地味なコートを着た小柄な女性が、今を時めくトップアイドルだとは夢にも思っていないだろう。
なんでも卒なくこなす彼女にとっては、変装もお手の物だ。
だが、彼女にとって周囲からどう見えているかはどうでもよかった。
彼女の視線の先には、窓口で淡々と業務をこなす一人の男の姿があった。
「申し訳ございません。こちらの書類ですが、記入漏れがございまして……」
理不尽に声を荒らげる相手に対し、彼は少しの感情も交えず、完璧なビジネススマイルを浮かべて頭を下げていた。
相手の怒りをなだめ、的確に不足書類を案内し、手続きを処理していく。
その一連の動作は確かに彼らしく正確で、一切の無駄がなかった。
真面目で規律正しい彼には天職なのかもしれない。
だがその一方で、咲季の胸の奥には暗く黒い感情がふつふつと湧き上がっていた。
(……退屈そうな顔ね)
かつて、誰よりも熱く、誰よりも勝利に飢え、咲季と共にトップアイドルの座を渇望していた男。
あの天才的な分析力と情熱を持っていたプロデューサーの面影は、そこにはない。
今の彼は、自我を殺し、ただの優秀な歯車として駆動しているだけだった。
あれが、プロデューサーの道を捨ててまで彼がやりたかったことなのだろうか。
あんな笑顔を貼り付けて、感情を抑え込んでまで掴みたかったものなのか。
あの頃を知っている彼女からしてみれば、なんとも許しがたい暴挙だ。
手に握っていた整理券は、いつの間にか手汗で湿っていた。
やがて、彼女の持つ整理番号が呼ばれた。
咲季は立ち上がり、静かな足取りで彼の窓口へと向かう。
パイプ椅子に腰を下ろすと、男は手元の書類から目を上げることもなく、決まりきったセリフを口にした。
「ご本人様確認できるものをお願いいたします」
その口ぶりに顔をしかめつつも、咲季はコートのポケットから一枚のカードを取り出し、彼の手元のトレイにスッと滑らせた。
男の視線がカードに落ちる。
次の瞬間、彼の肩がビクッと跳ね、書類をめくっていた手が完全に停止した。
彼が勢いよく顔を上げる。
その顔からは、無機質な仮面は跡形もなく吹き飛び、代わりに剥き出しの驚愕と動揺が張り付いていた。
咲季は伊達メガネを少しだけずらし、隠していた瞳を彼に向ける。
「……こんなところで何やってんのよ」
周囲の人間には聞こえない、けれど彼を確実に射抜く低い声で囁いた。
「どうして、あなたが、ここに」
「そんなこと、今はどうだっていいでしょ」
慌てた様子で周囲を見回す男とは対照的に、咲季はあっけらかんとしていた。
ひとしきり周囲の反応を確認した後、注目を集めていないことに安堵したのか、男はため息をついて答えた。
「どうでもいいわけがないでしょう
あなたのように目立つ人が、代理人もたてずにこんな場所にくるべきではないです」
「ふん、公務員には守秘義務があるんでしょう?なら、なんにも問題ないわね
寧ろ、私に対してこんな対応してる方が問題ね」
「それは……」
図星を付かれたのか、男は言葉につまって口をつむぐ。
そんな様子の彼を、見世物を見物しているかのように、咲季は腕を組んで眺めていた。
「それにしても、随分と今の職場に馴染んでるのね。昔とは大違い」
「……何が言いたいんですか」
「あら、口にしなければ分からないかしら」
怯えたように俯く男に対して、咲季は挑発的な笑みを浮かべる。
「こんな熱の無い仕事をするために、貴方は私を捨てたわけ?」
「な……、」
「あの頃貴方から感じていた熱意は、もしかして最初からなかったのかもしれないわね」
「…………」
男は言葉を失い、喉をひくつかせている。
何か言い返したくても、彼の立場と、周囲の目がそれを許さなかった。
逃げ場を失い、完全に自分のペースに呑まれている彼を見て、咲季の口角が微かに上がった。
「……じゃ、今夜もいつもの場所でね」
それだけを言い残し、咲季は席を立つ。
呆然と固まる男を窓口に残し、彼女は足早に役所を後にした。
胸のすくような優越感と、それ以上に彼への強い執着を、その足取りに滲ませて。
◇
頭が、どうにかなりそうだった。
定時後の仕事場。
日中に受け付けた書類を整理する手は、先ほどから全く進んでいなかった。
心臓はいまだに嫌な音を立てている。
その音が、思考を乱して離さない。
まさか、彼女が俺の職場にまで乗り込んでくるなんて、思いもしなかった。
考えてみれば、天野に名刺を渡したときに、危惧すべきことだった。
なんとか、目立たないうちに、花海さんは帰ってくれたが、あのまま続けていたら、一体どうなっていたのだろうか。
『こんな熱の無い仕事をするために、貴方は私を捨てたわけ?』
今の仕事は嫌いではない。だが、彼女の言葉は、俺の胸の奥深くに突き刺さったままだ。
自分の中で、妥協しようと準備していたモノを、引きずり出された気分だ。
「__さん、風邪はもう大丈夫なの? 」
「ああ、いえ、なんとも。おかげさまで治りましたよ」
デスクで葛藤していた俺を見かねたのか、同僚が声をかけてきた。
少し肩を揺らしてしまったが、表情をつくって振り返る。
「俺は心配してなかったぞ。こいつ、職場に彼女から電話させてましたから」
「あら、そうだったんだ」
「……あれは、ただの親戚です」
もう一人の同僚も、俺たちの会話に気づいたのか混ざって爆弾を投下してきた。テロリストか。
だが、あの日電話をしたのが俺でないことは事実であり、否定をしたくても、うまくかわせず、曖昧な返答しかできなかった。
「そういえばさ、昼間の窓口で君が対応してた人のことなんだけど」
「えーっと、何人も相手してたので、誰のことを言っているのか……」
助け舟のつもりかは分からないが、もう一方の同僚が、話を変えてくれた。
けど、嫌な予感がする。
「ほら、あの有名な花海咲季ちゃん、来てたよね?
しかも割と親しげに喋ってなかった?」
「……はい?」
「君の対応中にちらりと身分証見えちゃってさ、咲季ちゃんじゃん!って!
ね、ね、どんな感じだった!?」
「……えーっと」
突然の同僚の豹変に、言葉が見つからない。
というか、「ちゃん」付けするほどのファンだったとは、知らなんだ。
あまりの展開に、先程までの悩みはどこかへ飛んでしまっていた。
「あ、やっぱり答えなくていいや。今度ライブ行くしね!
あー、でも咲季ちゃん見たって誰にも言えないもんなぁ……。この仕事の辛いところだよね」
「まあ、守秘義務、ありますからね」
勝手に納得してくれたようで、それ以上の追及はなかった。
ひとしきりの山をこえたようで、心の中で胸を撫で下ろした。
一旦落ち着いて、さっさと書類を整理してしまおう。
そう思い立って、机に向かおうと足先を動かしたときだった。
「……なあ、もしかして、この間の電話って花海咲季からだったりする?」
「……は?」
「いやさ、今名前聞いて思い出したわ。あの幼げで特徴的な声、まんま花海咲季だったもん」
もう一人の同僚が、またもや起爆剤を投げ入れてきた。
もはや、疲弊してまともな返答も出来る気がしない。
なぜ、こうも全ての事態が不都合な展開へと進んでしまうのだろうか。
振り返ってみれば、ここ最近はそんなことばかりだ。
「え、それ、本当?」
「ああ、絶対そうだよ!昨日のことだし、まだ全然声覚えてるし!」
突然目の前に現れた窮地に、心が後ずさる。
事実を伝えることなど、何があってもできない。かといって、嘘八百並べて説明をしたところで、誤魔化せる自信もなかった。
「……学生時代、初星学園のプロデューサー科にいたので、それで少し顔見知りなだけですよ」
変に言い訳を重ねるより、事実を薄めて伝える方が信憑性がある。
……ただ、よく考えれば、大した証拠もないのだから、嘘を貫きとおせばよかった気もする。
というより、彼らにとってはそこまで重要な質問でもなかっただろう。一晩経てば頭の中から抜けている程度の問題だったのではないだろうか。
ただ、そこまで考えが至らなかった。
同僚は少し驚いた顔をした後、ポンと手を打った。
「あー、そういえば初星出身って言ってたっけ。ていうか、顔見知りなだけでも十分凄いよ!」
「なるほどな、学園の先輩を頼ってきたってわけか。なら、ちゃんと最後までサポートしてやんなきゃじゃん」
事情を知らない同僚たちは、無邪気に俺の背中を叩いた。
危機管理は完璧だった。これなら変な噂が立つこともなく、職場での平穏は続く。
けれど、自らの口で、単なる「顔見知り」だと嘘をついた事実が、ひどく胸を締め付ける。
『最後までしっかりサポートしてやれ』。
かつて彼女を最後までプロデュースしきれずに逃げ出した俺にとって、その無邪気なエールは、あまりにも重い呪いだった。
◇
外に出ると、辺りはすっかり日中の明るさを失っていた。
静かな夜道を歩くと、今日の出来事が思い出される。
まともに仕事はこなせていただろうか。結局、あまり手についていなかった気がする。
同僚たちは、あれで納得したのだろうか。また掘り返さなければいいが。
花海さんは、今何をしているのだろうか?今日は事務所でのレッスンはなかったのだろうか
スマートフォンのバイブレーションが鳴った。やけに体に響いた。
少し眩しいが、画面を見ると、天野からのメールだった。
『咲季さんのプランの件で直接話したい。駅前の広場で待ち合わせよう』
……また無茶な要求だろうか。
それとも、なにか進捗があったのだろうか。どちらにせよ、さっさと片づけてしまおう。
これから俺は、あの公園に向かわなければならないのだから。
涼し気な風が首元を通り過ぎる。もうすぐ春も終わる。
季節が変わったら、俺は変わるだろうか。
今抱えているものは、すっかり吐き出せるのだろうか。
悩んで歩いているうちに、最寄りの駅までついてしまっていた。
夜風が吹き抜ける駅前広場。
だが、そこにスーツ姿の男はいなかった。
その代わりに、街灯の下に立っていたのは、一人の少女だった。
その髪や薄手の外套が風になびき、彼女の存在感を強調しているかのようだった。
見間違えるはずもない。
背も違えば顔立ちもそっくり似ているわけではない。けれど、心に秘めた闘争心は変わらない。
そこに立っていたのは、花海咲季の妹、花海佑芽だった。
「……やっときましたね」
「……なぜ、あなたがここに?それに、天野は……」
学園時代からずっと、天野が彼女をプロデュースし続けていることは知っていた。
だから、天野が彼女を連れてきたのかもしれないと考えた。
だが、どれだけ探しても、天野の姿は見えない。
それどころか、冷めた目をした彼女の視線が俺に突き刺さるばかりだった。
俺が虚を突かれて立ち尽くすと、彼女は氷のような声で告げた。
「プロデューサーはきませんよ。あのメール、あたしが送りましたから」
「は……?」
「ちょっとアドレス借りただけですけど。まさか本当に来るとはおもわなかったです。
ほんとうに、こっちに戻って来てたんですね」
彼女の纏う冷ややかな空気に、俺は息を呑む。
かつての底抜けに明るい彼女の姿は、そこには微塵もなかった。
いや、俺の前だから、出さないだけだろうか。
ついさっきまで、天野を想定してここまで来たのだ。何を言葉にすべきなのか、この場で何をすべきなのか、何も浮かばなかった。
「お姉ちゃん、最近変わったんです」
ぽつりと、彼女はこぼした。俺に語り掛けているのかわからない。けれど、この場には俺と彼女しかいなかった。
「事務所の言う通りのアイドルを演じてたお姉ちゃんが、最近、昔みたいな顔をするようになった。負けず嫌いで、いじっぱりだった、あの頃みたいに」
その言葉に、心臓が大きく跳ねた。けれど、それを悟られまいと拳を握りしめた。
一方で彼女は俺の様子など露ほども気にしていないのか、言葉を続ける。
「いいことだと思いました。けど、それをもたらしたのは他でもないあなただった」
「……それは」
「3年前、無責任に逃げ出したあなただった!」
佑芽の激しい声が、広場に響いた。
通りすがりのサラリーマンが何事かと視線を向けたが、彼女は全く気に留める様子もなく、一歩、俺へと距離を詰めた。
「あなたがいなくなってから、お姉ちゃんがどれだけ苦しんで、自分を殺してきたか知ってますか? それを今更……また中途半端に関わって、お姉ちゃんを振り回す気なら、絶対に許さない」
容赦のない非難が、俺の胸に突き刺さる。だが、それに対応する術を俺は持ち合わせていなかった。
俺には負い目しかない。何を言われたところで、それを否定する資格などある筈がない。
なら、俺が彼女に表明すべきなのは、己が無害であることだろう。
混乱する頭で、必死に思いついた防衛線を口にする
「……そんなことには、なりませんよ」
「なんで?」
「俺は、あくまで、『コンサルタント』として、お姉さんの特訓に付き合っているだけです
契約が終われば、もう関わることは、ありませんから」
その言葉を聞いた瞬間、彼女はひどく軽蔑したような目で俺を一瞥した。
何を間違えたのか。俺が今後二度と花海さんに関わらないというのなら、彼女にとっては願ってもないことなのではないか。
「なにも、わかってないんですね」
「え?」
言うよりも早く、彼女は俺に背を向けてしまった。
言葉の意味を図りかねて、素っ頓狂な声が漏れる。
「一生、そうやって都合のいい言葉で逃げ続けてればいいじゃないですか」
「なっ____」
俺の言葉を遮り、彼女は冷たい足音を響かせて、立ち去ってしまった。
一人取り残された駅前広場。
『仕事』という薄っぺらい建前すら打ち砕かれ、俺は夜風の中で自問する。
――俺は、本当にこのまま言い訳を並べて逃げたままでいいのか。
深い葛藤と自責の念が、泥のように足元にまとわりつく。
それでも俺は、あの人の待つ公園へと足を向けるしかなかった。
仕事を、投げ出すわけにはいかないから。
なかなか時間が取れず、続きがおそくなってしまい、申し訳ないです
コツコツ進めているので、辛抱強く待っていただければ幸いです。
評価とか感想とかちゃんと見させてもらってます
共感してくださる方が多いみたいで嬉しいです