呪詛師、幻想にて   作:おそのすけ

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第七話

夏油と小傘はなだらかな道を並んで歩いていた。

命蓮寺へと続くこの道は、里の人間が参拝に向かうためか比較的綺麗に整備されており、清閑な静寂が辺りを包んでいる。

「ねえ、貴方って本当にちっとも驚いてくれないね……」

前を歩いていた小傘が、くるりと振り返って恨めしそうに唇を尖らせた。

「すまないね。これでも結構、肝は据わっている方なんだ。外の世界では、君のような可愛らしい存在より、もっと……そう、怖いものばかり見てきたからね」

夏油は穏やかな笑みを浮かべながら、。

(多々良小傘。忘れ去られた傘が化けた付喪神……)

歩きながら、夏油は阿求の書庫で読んだ幻想郷縁起の記述を脳内で反芻していた。人間の精神的な動揺である驚きを糧とする以上、その存在の根源は彼の知る呪霊とさして変わらない。本来であれば、世界に全く必要のない無価値な怪異だ。

(この世界では捨てるときに破壊し尽くした方が良さそうだ)

「えー、私、可愛くなんかないよ! あの恐ろしい唐傘お化けだもん!」

小傘は不満げに頬を膨らませ、べーっと舌を出して見せたが、その所作には欠片ほどの悪意も、人間を害しようとする淀みも存在しなかった。

「ふふ、そうだったね」

夏油は苦笑し、ふと思いついたように口を開いた。

「そういえば、君の噂は阿求様の記録で少しだけ読んでいてね。人里で勝手に子供の子守りをして……親たちから手配書を回された……だったか」

「うっ……! なんでそんなことまで知ってるの!?」

痛いところを突かれた小傘は、あからさまに視線を泳がせ、唐傘で顔を半分隠した。

「別に悪いことをしようとしたわけじゃないんだよ!ほら、外の世界に傘を持って空を飛ぶ子守りの噂を聞いたの。私、傘のお化けでしょ? だから私にぴったり!って思っただけなのに……」

「なるほど、外の世界の童話か。それで?」

「それで、親のいない隙に子供のところに行ってね。とりあえず驚かせてたの!そしたらすっごくいい驚きがもらえるんじゃないかって。……でも、親たちにすっごく警戒されちゃって、誘拐犯みたいに手配書まで配られちゃったよ。人間って本当に人聞きが悪いんだから……」

しょんぼりと肩を落とす小傘を見て、夏油は思わず声を上げて笑いそうになるのを必死に堪えた。

(……驚かせるために、わざわざ赤子の子守り役を買って出る、か。しかも許可も取らずに唐突に脅かすだけなら、そりゃあ親も不審者として手配するだろう)

殺意や狂気で人間を襲撃し、無惨に肉体を破壊する呪霊たちを見てきた夏油にとって、この少女の在り方はあまりにも異質だった。

「まあ、今はもう子守りというか、子供に懐かれちゃったんだけどね。その代わり、もっとすごい作戦で人間を驚かせてるの!」

小傘は気を取り直したように、胸を張った。

「私、鍛冶屋をやっててね!人里の他の鍛冶屋さんが束になっても敵わないくらい、とーっても腕の立つ鍛冶屋なんだから!」

「へえ……それは初耳だ」

夏油は素直に感嘆の声を漏らした。縁起には記されていなかった情報だ。

「妖怪が人間の道具を打つのかい? しかし、それがどう脅かしに繋がるんだ?」

「ふっふっふ、そこがあちきの賢いところさ。私が打った包丁や直した道具を人間に渡すでしょ? そしたら、そのあまりの品質の良さ、切れ味の鋭さに、人間たちはその出来栄えに腰を抜かさんばかりに驚くのよ!私はその驚きをいただくってわけ!どう? 完璧な作戦でしょ?」

「……なるほど。確かにそれは、見事な不意打ちだね」

得意げに笑う小傘を見つめながら、夏油は彼女の性質の正体をおおよそに見抜いていた。

(驚かせたい、というのはただの建前だ。この怪異の根底にあるのは道具として人間に必要とされたいという純粋な本能……)

質の良い鍛冶仕事で人間を喜ばせ、その歓喜を伴う驚きを糧とする。

存在自体は呪いと同じく不要な怪異かもしれない。だが、そこから発せられる気配は、清流のように澄み切っている。人間を脅かす存在でありながら、人間の営みに寄り添い、無邪気に共存を楽しんでいる。

悪意の欠片もない。ただ、役に立ちたいという健気な願いだけがそこにある。

醜悪な呪霊などに比べれば、よっぽど。

いや、比べるのもおこがましいほどに、まともで美しい在り方だった。

(……心地良いな)

夏油から、無意識のうちにそんな思いがこぼれ落ちそうになる。

それは教祖としての演技でも情報を引き出すための手札でもない。凍りついていた彼の心が、純真無垢な彼女の存在によって、不本意ながらも微かに解かされ、癒やされていくのを感じていた。

ふと、夏油は袈裟の袖口から自身の右手を見下ろした。

先程、この少女の頭を撫でた手だ。

(もし先程、私の術式が……この世界でも機能していたら)

今、自分の隣で無邪気に笑い、言葉を交わしているこの少女は、すでにここに存在していなかっただろう。

真っ黒に圧縮された、汚物の味のする球体へと変わり、彼の胃へと飲み込まれ、ただの手駒として消費される運命だったはずだ。

どんなに純粋で、善良で、人の役に立ちたいと願う心を持っていたとしても。

 

(………やめだ)

 

この世界がどうであろうと。

決めたはずの生き方を変えるつもりなどなかった。あってはならない安堵など必要なかった。

「…………」

夏油はそっと右手を再び袖の奥深くに隠した。

「どうしたの? 急に黙り込んじゃって。もしかして……私の完璧な作戦に恐れおののいてる?」

小傘が覗き込んでくる。その曇りのない目に、夏油はいつもの完璧な笑みを向けた。

「ああ、そうかもしれないね。君がそれほどまでに恐ろしく、そして……。……優秀な鍛冶屋だとは知らなかったから。いつか私にも、何か驚くようなものを打ってほしいものだ」

「えっ、本当!? 任せてよ! 貴方がひっくり返るくらい、すっごいものを打ってあげるから!」

小傘は嬉しそうに唐傘をくるりと回している。

「……ところで、小傘さん」

夏油は視線を前方に向けたまま、隣を跳ねるように歩く少女に問いかけた。

「君たち妖怪から見て、命蓮寺というのはどのような場所なのかな? 阿求様の記録で大まかな概要は知っているが、実際にそこに出入りしている者の生の声を聞いておきたくてね」

「うーん、そうだなぁ……」

小傘は唐傘をくるくると回しながら、少し顎に指を当てて考え込んだ。

「一言で言うと、すっごく居心地がいい場所! 私にとってお墓もあって助かるし、困ったら頼れる場所なんだ。人間の参拝客も来るけど、妖怪も普通に境内で日向ぼっこしてたり、お掃除してたりするんだよ」

「人間と妖怪が、里の外で共に過ごしている、か。それはまた……随分と珍妙な光景だね」

夏油は感心したように相槌を打ちながらも、内心では冷やかだった。

(呪霊と人間が仲良く境内で掃除をしているようなものか。やはり、絵空事のような狂った空間だ。……まあ、彼女のような存在ばかりなら成立するだろうが)

「その寺を束ねている聖白蓮という僧侶……彼女は一体、どんな人物なんだい?」

「聖様はね、とにかくすっごく優しい人! どんな妖怪にも、人間と同じように分け隔てなく接してくれるの。それに、すっごく強いんだよ! 魔法みたいなお経を唱えて、力をドーンって上げるんだって。でも、その力を私たちをいじめるためじゃなくて、守るために使ってくれるんだ」

「ほう。強大でありながら、弱き妖怪を庇護する慈悲深き僧侶……か」

(人間でありながら――いや、自らを魔法使いとやらにした。人を超越しながら、わざわざ低位の怪異を守るためにその力を使う。先ほどの半獣の教師と同じか。だが、そのカリスマ性が妖怪どもを惹きつけているのは事実らしい)

夏油の内に渦巻くどす黒い感情など露知らず、小傘は楽しそうに言葉を続ける。

「あそこでお修行してる妖怪たちもみんないい人たちだよ。門の前で毎朝元気にお掃除してたり、お経を読んだりしてるんだけど、みんな妖怪らしさは全然失ってなくて、楽しそうにやってるの!」

「なるほど、妖怪が仏道修行とは恐れ入る。……あと気にかかる方がいてね、毘沙門天の代理を務めているという寅丸星……彼女はどうなのかな? 記録によれば、随分と高位の妖怪のようだが」

「あ、星さんね!」

小傘はピタッと立ち止まり、周囲に誰もいないことを確認するかのように、なぜか声をひそめて夏油に顔を近づけた。

「星さんはね、虎の妖怪なんだけど、毘沙門天様の代理だけあって、普段はすっごく威厳があるの。綺麗の宝塔と槍を持ってて、みんなから尊敬されてる立派な人なんだけど……」

「ほう?」

「……ここだけの話ね」

小傘は夏油の袖をツンツンと引き、内緒話をするように囁いた。

「星さん、実はすっごくおっちょこちょいなんだよ。お寺がここに建つ前のお話なんだけど、星さん、毘沙門天様の代理の証である一番大事な宝塔を、あろうことか無くしちゃったことがあったの! あの時はもう、ネズミのナズーリンちゃんがあちこち探し回ってて、すっごく大変そうだったんだって!」

「……は?」

夏油は思わず、素の声を漏らした。

「大事な宝塔を、無くした?」

「うん! どこかに落っことしちゃったみたいで。威厳たっぷりに見えるけど、そういう抜けたところがあるから、他のお寺の子たちも放っておけないっていうか、慕ってるんだよねぇ」

「…………」

夏油は額に手を当て、深い息を吐き出した。

神の代理を務める高位の妖怪が、自身の力の象徴たる法具を紛失する。呪術界で言えば、特級術師が己の主力となる特級呪具をどこかに置き忘れて「ごめんなさい、探して」と言っているようなものだ。

(……馬鹿馬鹿しい。緊張感の欠片もない。これが、この箱庭を維持する勢力の一つだと言うのか)

外の世界の、血で血を洗うような呪術師たちの過酷な生存競争。それに比べて、この世界のなんと牧歌的で、甘く、滑稽なことか。

「……ふふ、くくっ……」

だが、そのあまりのくだらなさと、小傘の無邪気な暴露話のずれに、夏油の口からつい乾いた笑いが漏れた。

「あはは、お兄さんも笑うよね! 星さんには絶対内緒だよ?」

「ああ、約束しよう。……しかし、話を聞く限り、本当に愉快なお寺のようだね。行くのがますます楽しみになってきたよ」

夏油が笑いを含んだ声でそう返した時だった。

道の先、立派な門が見えてきた。微かに、線香の匂いと、境内を掃く竹箒の音が風に乗って聞こえてくる。

「あ、ほら! 見えてきたよ、お兄さん! あれが命蓮寺!」

小傘が唐傘を前方に傾け指し示した。

「案内ご苦労だったね、小傘さん。……さあ、見せてもらおうか。人間と妖怪が共存するという、不可思議な伽藍の姿を」

夏油は目を細め、目前に迫った妖怪の寺を見据えた。

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