「またスノーフラッフシールをいじめてきたの?今じゃエイメスの顔を見ただけで逃げていくじゃない。このままじゃ氷原のガキ大将になるよ」
そう言って娘のように思っている幼い少女を咎めるような口調とは裏腹に少女の頭を優しく撫でる。しかし少女は勝ち気な笑みを浮かべるだけ。効果は無いようだ。
「宿題はしたの?エイメスもそろそろ入学できる歳でしょ?ゲームで遊ぶ時間を少しは勉強に回したらどう?」
「ふふっ!あの子たちも遊びたがってるの!じゃなきゃわざわざ近寄ってきたりしないでしょ?」
少女は椅子にふんぞり返り、得意げになって胸を張っている。その時、扉がスライドする音が響き、一人の青年が肩に雪をつけて入ってきた。
「さっむ……ただいま〜……」
「あ、ノア!!」
帰ってきた青年ーーノアを見て目を輝かせた少女は椅子から飛び降りて一目散に彼の胸へと飛び込む。突然の幼子の突撃に面食らいつつもしっかりその体躯を受け止めたノアは「ただいまエイメス」と少女に優しく声をかけた。
「おかえりノア」
「ああ、ただいま漂泊者。何事も無かったか?」
「ええ。今ちょうど、エイメスに宿題をやらせようとしてたところ」
そう言って漂泊者はエイメスに柔らかな視線を向ける。「うっ…」と気まずそうな声を上げたエイメスは自身を抱き上げる父親代わりへと助けを求めることにした。
「の、ノア……漂泊者が私に宿題をやれって言うのよ……」
「宿題は大事だろう。勉強もしなきゃ、救世主になるなんて夢のまた夢で終わっちゃうぞ」
なんてことだ。敬愛するノアでさえも漂泊者の味方らしいとエイメスは頬を膨らませた。
「宿題宿題って……もう!二人とも、『スペース』をやろうって約束したのに!ちゃんと守って!」
ノアと漂泊者は顔を見合わせる。どうやらこの小さなプリンセスはお怒りらしいとクスクスと笑い合う。
そんな二人にエイメスはさらに頬を膨らませ、それがさらに二人を笑顔にした。
「もう!笑わないで!」
「ごめんごめん。エイメスが可愛くてつい……」
「そうだぞお姫様。そんな可愛らしい顔をしてもオレたちがしてやれるのは一緒にゲームをするくらいだ」
ノアの言葉にエイメスは目を輝かせたが、あることを思いついたのかノアの腕の中から降りて、トコトコと歩いていく。
何やら思いついたらしいと二人は笑顔のままエイメスの後を追う。
「ゲームも良いけど、それよりもこの前漂泊者が折ってたあれを教えてほしいの!良い?」
「あれって……紙飛行機のこと?」
「うん!私のはすぐに落ちちゃうのに、貴女が作った紙飛行機はどうして遠くまで飛ぶの?」
目をキラキラさせて答えを待つエイメスに「実はちょっとしたコツがあるの」と漂泊者は得意気になる。
あ、これはエイメスに良いところを見せられると張り切ってるな、とノアは漂泊者の内心を察してまたクスクスと笑う。
「でもその前に……まずは宿題を終わらせて。そしたら一緒に折ろう。良い?」
膝を折って漂泊者はエイメスと視線を合わせる。その金色の目は慈愛に満ちていて決してエイメスの気分を害するような類のものではなかった。
エイメスは少し悩んだ素振りを見せたあと、「じゃあ約束ね?」と小指を差し出し、漂泊者もまた頷いて自身の小指をエイメスのそれと絡ませた。
「エイメスは将来どんな子になるかな」
深い眠りに落ちたエイメスに毛布を掛けながら漂泊者はそう口にする。そんな彼女たちをソファに座りながら見ていたノアは「いろいろ選択肢があるさ」と優しく言った。
「エイメスはお前の誇りになりたいっていっつも言ってるからな。お前が喜びそうな人生を送ってるんじゃないか?」
「それなら……それなら私は、エイメスに幸せに生きてほしいかな。この子が何の憂いもなく笑顔でいられる毎日を送れるような……そんな人生を」
エイメスの柔らかなピンクの髪を撫でながら漂泊者は穏やかな声で呟いた。その目は優しく、娘を想う母の色をしていた。
それを見てノアはクスクスと笑い、漂泊者は訝しげな視線を投げる。
「いやいや、すっかり母親の顔になったと思ってさ」
「そういうノアは気の良いお兄さんかな?」
「そんなとこだろうな」
なんだかんだエイメスに甘いよね、と漂泊者はノアをからかう。そして窓の外から見える星空に目を向け、遠い目をした。
「……また考えてるのか?」
「まぁ、ね。中々割り切れるものでもないから」
「あんな奴らのことなんて知らんぷりしていいと思うけどな」
「そういう訳にもいかない。私のやるべき事だから」
「……頑固者め」
言ったって聞きやしない。どうしたって[[rb:ノア > オレ]]に彼女の生き方を変えさせることは出来ないのだと知らされた気分になる。
「でも、ノアには感謝してるの。なんだかんだ傍に居てくれたでしょう?」
「そんな事で感謝されるならいくらでも一緒にいてやるさ」
そんな夢物語に等しい事を口にしたというのに漂泊者は安堵したように微笑んだ。
───そんな昔の話。
□
「やあ、気分はどうだい?」
「……リュークか」
パチリと瞼を持ち上げれば、学園の同僚が自分の顔を覗き込んでいた。金髪に紅い目をした端正な顔立ちの男ーーリューク・ヘルセン。このスタートーチ学園の保険医であり、自分と彼女の要請によって学園に滞在することになった人物だ。
「そろそろ出発の時間だから連絡したんだけど繋がらなくてね」
「悪い、寝てた」
「仕方ないさ。ここ最近は騒動が立て続けに起きていて休む暇もなかっただろう?」
「まぁ、そうなんだが……ウォーレンの尋問も手間が掛かっていてな」
「口を割らないのかい彼?」
「引き入れた残星組織の人間が誰なのか分かれば簡単なんだが……そう上手くはいかないみたいだ」
後頭部を掻き、苛立たしげに吐き捨てる。尋問をやるのだって簡単ではないんだぞ。
そんなオレを見て憐れに思ったのか、リュークはポケットから飴玉を取り出して差し出してきた。
「飴でも舐めるかい?少しは気分が良くなるはずさ……今のキミの心理状態はきっと穏やかではないだろうからね」
「ありがたく貰うよ」
レモン味の飴を受け取り、袋を開いて口に放り込む。甘味を多分に含んだレモンの味が口内に広がり、少し気持ちが落ち着いた。
「何度目かの確認になるけど、これから向かうのはロイ氷原だ。極寒の地で寒いんだ。本当に大丈夫かい?」
「発言が親から子へのそれじゃないか。確かに寒いのは苦手ではあるが気にするほどでもないって」
「そう言って探索に行った先で凍死しかけたのはどこの誰だったかな?」
顎に手を当て、如何にも思い出そうとしていますと言わんばかりの顔をするリュークに顔を顰め、「今回は本当に大丈夫なんだ」と再度告げた。
「嘘はないね?」
「ブラックショアの名に誓って」
「…………はぁ、分かった。ワタシも少しばかり気にしすぎだったようだ。なら支度をしてくれ。そろそろ出る時間だからね」
「あいあいさー」
やれやれと言わんばかりに部屋を出ていくリュークを見守り、軽く荷物を纏めようと立ち上がった。
「おや。漂泊者じゃないか。キミもロイ氷原に用があるのかい?」
そうしていざ出発となった矢先、リュークが声をかけた方に視線を移せば、そこには漂泊者……と、