ブラック企業にすり減らされた社畜が主人公になれるアプリを手にしたらどうなるか→ 作:ぱちぱち
【ねぇん、私って綺麗よねぇ?】
『うんうん、こんなにきれいな男の子はそうそういない。メールには一等賞で着る一番きれいな服が似合うよ』
【やっぱり? 私もそう思ったのぉ! あれを着るにはどうすればいいかしらぁ?】
『そりゃ簡単。勝つことさ』
アメリカのとある競馬場。公式レースに乗り出した『まみ』はかなりのハイペースで乗鞍を増やしている。これまでろくに走ってこなかった性格に難のある馬たちを勝たせたりレースで走らせるといった実績がテキサス周辺で評価され始めたからだ。
ゲートに入る時にすら大騒ぎだったナーガのような馬ですら『まみ』が跨れば大人しくゲートに入り、荒々しいながらもちゃんとレースを走ってくれるというのはその手の馬で苦しめられた経験のある競馬関係者からは大変ありがたい存在らしく、ここ最近は『まみ』が持っている携帯は毎日のように電話が鳴りっぱなしの状況だ。
『いやー、お仕事増えるのは騎手としては嬉しいんだけどねぇ! いっそがしいんだよ日米往復して! 24時間本当に働かされてるんだけどこっちは!』
「レンタル終了したらそっちの世界に戻ってちゃんと寝れるんだろ?」
『毎晩毎晩こんな疲れる夢見せられてるこっちの身になってよ! 寝た気がしないんだってば』
ただ、『まみ』の騎手としての仕事が順調なのはありがたいが順調すぎると今度は忙しくなりすぎるって弊害も存在する。『まみ』には日本の耶馬千葉牧場でピンクスカート号の体調管理って大事な仕事もあるから、騎手業が忙しすぎるとそこを圧迫する事になるのだ。
「うーん、ブラック労働は撲滅しないといけないから、なんとかしないとな」
『お、そうだね! まぁ牧場の仕事なんて素でブラックなんだけどさ』
「それを言うのか、牧場の娘」
『生き物扱う業種はどこもブラックだよぉ。まぁブラックになる理由は人を雇う余裕が無くて少ない人数で一杯面倒みないといけないからだけど』
「世知辛ぇ」
『まみ』と心温まる会話を交わしながら、現状のスケジュール調整について考える。一番いいのは『まみ』曰く騎手と調教師の間に立って交渉してくれるエージェントというものを使う事らしいんだが、これに関しては『まみ』が『言っといてなんだけど絶対無理だからね』と言い切った。
日本だと騎乗依頼仲介者という名で呼ばれる彼らはその名の通り騎手の騎乗依頼を調整してくれる存在なんだが、騎乗依頼の調整をするという事は当然彼らには『まみ』のスケジュールを教えなければいけないから、そうなってくると週の半分くらいどこにいるか分からない『まみ』は大変扱いにくい存在なのだ。というか普通はどこにいるか位はエージェントに伝えないといけないから、それに正直に答えると日米の闇往復とかいう大問題が表に出てしまうため嘘をつき続ける事になる。そんな関係で信頼関係なんて築けるわけもないため、『まみ』としても絶対にNOとなるわけだ。
『エージェントは仲介した騎手の賞金の一部を報酬にしてるからね。相手だって仕事なんだから誠実に対応を求めてくるし、こっちだってそれをエージェントに求める。不義理する前提の関係なら結ばない方がいーんだよ』
「なるほどぉ」
他人に仕事を任せるというが、これはつまり任せて大丈夫だという信頼がないと成り立たないものだ。『まみ』としては信頼できる相手以外に騎乗依頼を任せるのは論外となるため、だったら自分で管理した方がまし、という事になる。
事情を詳しく知ってるか言わなくても済んで、信頼が出来る相手。それもアメリカでとなると……『ひばり』か? あいつなら事情は全部知ってるし電話を受けて『まみ』が居る日の騎乗依頼を割り振るくらいなら出来るとは思うんだが。
『え、絶対嫌ですぅ』
『ダメ? ひばりちゃんなら私、任せられるんだけどさぁ』
『う、うぅ~。まみさんに頼られると弱いんですけどぉ……一也くんのお願いなら鼻で笑うんですがぁ……でもお仕事増やしたくないぃ』
「おい」
『あ、そうだヴァーイ! ヴァーイに管理させたらどうですかぁ? 日本のVVVだってAIアキコちゃんなんでしょ? 電話番』
『それはダメだよぉ。ヴァーイなら出来るんだろうけど、電話してくる相手もさ。AIに対応させてるって思ったら心象悪くなっちゃうかもしれないし』
『ひばり』の口から出た余計な一言に思わずそう口にする。途中の一言はいらなかったよな、絶対に。
俺の言葉にちらっと俺を見た『ひばり』がふっと鼻で笑った後、対面に座る『まみ』のお願いポーズに顔を歪ませる。相手で態度変えすぎだろこの女。そんなんだから作中で二回も惚れた男に振られるんだよ。
それからもあーだこーだと話し合いは行われたが働きたくない『ひばり』はどうしても首を縦に振らない。『まみ』としても無理強いはしたくないんだがここをどうにかしないと困る事になるのは目に見えているためどうしようかとうんうん頭を悩ませていると、意外な所から救いの手は現れた。
『ひばりちゃん、クマコーさん、そちらのお嬢さんも。話が煮詰まってしまったならスコーンと紅茶はいかがかしら。気分を変えたらいいアイデアが浮かぶかもしれないわ』
『わ、レイチェルおばあちゃんありがとう!』
『ありがとうございます、美味しそうなお菓子』
話が途絶えた絶妙なタイミングで横から声をかけてきたレイチェルさん――VVVアメリカの3人目のVタレにして精神的支柱の彼女の声掛けで、停滞した嫌な空気が立ち消える。レイチェルさんの声は不思議で、何も特別な事は言っていないのに話を聞いているだけで心が穏やかになるんだ。おばあちゃんと言って甘える『ひばり』の気持ちも良く分かる気がする。
紅茶を一口含む。うん、美味しい。レイチェルさんは孫のケイトと違ってVタレとしての活動はそこまで熱心に行わず、毎日7時に日課のピアノをVVVの事務所で演奏するか、たまにケイトの配信で演奏するくらいしか活動していない。その朝のピアノ演奏が非常に評判が良く、特にその時間に通勤する働く社会人から「心が和む」「一日の始まりに最適」「ラジオよりこちらで目を覚ます」と大好評なんだが、それ以外は事務所と家の片づけとか『ひばり』の手伝いくらいしかしていないらしい。年齢的にも余り動くことは出来ないからということなんだが、そこでふと思いつく。
レイチェルさんなら信頼できるし、時間もある。お金にだってそれほど執着した様子が見られないし、彼女なら『まみ』の特殊なスケジュールも特に深く聞かずにスケジュール管理だけを任せられるのではないか?
「という訳でどうでしょう。もちろん通常のエージェントのようにインセンティブも払いますので、彼女のスケジュール管理を手伝って頂けないかと」
『構いませんよ。ただ、私はパソコンはどうにも苦手なので、そちらでご迷惑をかけるかもしれませんが』
『おばあちゃんが困った時は私が助けるから大丈夫だよ!』
「最初からお前がやれば解決なんだが???」
頬に手を当ててそう尋ねてくるレイチェルさんに『ひばり』が調子の良いことを言っているため一言釘をさしておく。こいつ、こいつなぁ……。いや、こういう奴だってのはそこそこの付き合いで分かってたけどさ。
とはいえこれで『まみ』のスケジュール管理も目途が立ち、常識的な頻度でレースに出られるようになったんだからまぁ良しとしよう。ただ、この事で新しい問題と呼んで良いのかどうかわからない事が一つ起きたんだが、それはもう人と人とのやり取りというかね。レイチェルさんの声に魅了されたオーナーさん達がレイチェルさんの声を聴くために毎日電話するようになったとかは、流石に俺としてはどうこうできる問題じゃないんだよね。レイチェルさんも普段暇してるからって結構喜んでるらしいし、まぁ……困ってる人がいないなら良いのかなぁ?
更新の励みになるのでお気に入り・評価よろしくお願いします!