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その部署は警視庁本部庁舎3階の組織犯罪対策部組織犯罪対策五課の奥にひっそりと存在している。
正式名称「警視庁刑事部臨時付特命係組織犯罪対策部組織犯罪対策第五課内」通称は特命係である。
現在その特命係には二人の人間が所属している。一人は最近になって配属された甲斐亨。あだ名はカイト。父を警察庁次長に持つ彼は香港の領事館で起きた事件の解決後、特命係の主に指名される形で『陸の孤島』と呼ばれる部署に飛ばされたのだった。そして、カイトを指名した張本人こそ、警視庁きっての変人として名高い杉下右京である。
その日、杉下が職場に到着すると、珍しく先に出庁してきたらしいカイトが椅子に座って雑誌を読んでいる。後ろから覗いてみると、どうやら雑誌は3日前に発売された週刊誌のようだ。
「君もこういった雑誌を読むんですねえ。」
「うわっ!って、杉下さん、来たんなら挨拶ぐらいしてくださいよ。いきなり後ろから話しかけられたら吃驚するじゃないですか。」
「これは失礼。しかし、君がこういった雑誌を好んでいるとは意外でしたもので…」
カイトが読んでいた雑誌は『芸能セブン』。いわゆるゴシップ誌と言われる類のもので、主に政治家や芸能人のウソかホントか分からない様なスキャンダルを扱っている。
普段はあまり下世話な話題を好まないカイトを知る杉下は、この組み合わせに違和感を感じていた。
「ああ、これですか。いや、悦子のお気に入りのアイドルがいるんですけど、その子の記事が載ってたもんで。それで気になってちょっと読んでみようかなって。」
「なるほど。確かに見出しは非常に興味をそそられるものですねえ。歌姫は過去に弟を見殺しにしていた、ですか…」
「まあ、こういう記事は9割方眉唾なんですけどね。」
と、そんなことを話していると杉下の携帯が震える。
「はい。杉下です。」
電話の相手は特命係が懇意している鑑識からのものだった。
現場は表通りから外れた高架下の駐車場であった。あまり人通りはなく、昼間であってもどこか薄暗い印象を受ける場所である。
しかし、現在は無数のパトカーが高架下の周りを囲んでおり、黄色いテープが巻かれた内側には仰向けに倒れた状態の男性の遺体があった。その周りでは鑑識官たちが忙しなく現場の撮影などを行っている。
すると、また一台の覆面パトカーが現場に到着した。それは他のパトカーに倣うように現場近くの路肩に横付けすると、中から厳つい顔をした警官が眉間にしわを寄せ出てきた。警視庁捜査一課の伊丹である。
彼が現場の周りに張られたテープを潜ると、先に到着していた後輩の芹沢がそれに気づき、足早に近づいてくる。
「お疲れ様です先輩。」
「おう。現場の状況は?」
「今鑑識が調べてますけど、まだ事件か事故かの判断はついていません。ここら辺は昼間でも人通りが少ないですし、目撃者は期待できないかもしれないですね。」
「そうか。おい、米沢。」
伊丹は遺体の周囲に落ちている遺留品の写真を撮っている小太りの鑑識を呼んだ。眼鏡をかけたその鑑識は少し背中を丸めながら伊丹のもとへ歩いてくる。
「これはどうも伊丹刑事。」
「米沢、ガイシャの状態について解る範囲で教えてくれ。」
「はい。詳しいことは検死に回してみない事にはわかりませんが、頭部の裂傷を見るに被害者の死因は頭を強く打ったことによる脳挫傷ではないかと思われます。おそらく、そこのべっとりと血のついているタイヤ止めの角にぶつけたのではないかと。死亡推定時刻は昨夜の夜10時ごろと言ったところでしょうか。」
「被害者の財布や携帯は?」
「いずれも手付かずです。それと、被害者の持ち物から飲みかけのウイスキーのボトルが出てきました。これも検死の結果待ちになりますが、死亡当時被害者は酒に酔っていた可能性があります。」
「ってことは、ガイシャは酒によって転んで、コンクリートの角に頭をぶつけて死んじまったってわけだ。物取りの線もないわけだし、事故で決まりだな。」
伊丹がそう断定すると横にいた芹沢も同意するように頷く。そんな二人の背後に無言で近づく人影が一つ。
「そう断定するのは早いかもしれませんよ。」
「わっ!?って警部殿ぉ、なんであなたがここにいるんですか?」
「あ、一応俺もいますよ。」
「特命係のカイトか。てことは米沢、お前呼んだな?」
「いや、あの、なんといいますか。はい、呼びました。」
「たくっ!お前はいつもいつも…」
凶悪な人相で威圧してくる伊丹に米沢は委縮する。そんなやり取りはどこ風吹くといった様子で杉下は人差し指をピンと立てた。
「被害者のシャツの襟元をよく見てください。この部分だけ他と違って皺が集中しています。まるで、誰かに襟首を掴まれ詰め寄られた時にできたかのようです。」
そう言われて確認してみると、確かに被害者のシャツの襟首は不自然なしわが目立つ。更によく見ると、僅かにだが破れた跡が見える。
もしこれが誰かから詰め寄られた時にできたものだとする、被害者はもみ合いの末に地面に叩き付けられ命を落としたことになる。立派な殺人の成立だ。
「……おい芹沢、近くの飲食店をあたるぞ。被害者はウイスキーのボトルを持ってたそうだが、事件前にどこかで一杯ひっかけてたこともあり得る。被害者が誰かといたところを目撃した人間がいるかもしれん。それと、近くの監視カメラも確認しとけ。事件のあった時間帯に被害者以外がいなかったかチェックしとけよ。」
「はい、了解です。」
「それと、特命係のお二方はくれぐれも我々の邪魔をしないようにお願いしますね。行くぞ。」
そう言い残すと伊丹と芹沢の二人は現場を去っていく。
「あんなこと言われてますけど、これからどうするつもりなんですか杉下さん?………杉下さん?」
返事がないことを訝しみカイトが杉下の方を向くと、杉下は現場のある一点を凝視していた。そこには、白い布状のものが落ちており、ちょうど鑑識が写真を撮っているところであった。
杉下は鑑識に確認を取ると、白い手袋をつけた手で布を手に取る。広げてみると、布にはポップなデザインで書かれたロゴが付いていた。
「…カイト君、これはいったい何だと思いますか。」
「何って…ただのタオルに見えますけど?」
「ええ、ただのタオルです。しかしこれはいったい誰のものでしょう?」
「被害者のものではないんですか?」
「被害者の衣服を拝見しましたが、あまり頻繁に洗濯はしていない様子でした。お世辞にも清潔とは言えません。しかし、このタオルは染み一つ付いておらず、仄かにですが洗剤の香りがします。自分の衣服には気を遣わず、タオルだけきれいに保っているとは正直あまり考えられませんねえ。」
「てことはつまり、このタオルは別の人間の持ち物である可能性が高いと?」
「そう思えてくるんですがねえ。」
杉下はタオルに書かれたロゴに目を移す。そこには『765Pro』と書かれている。
一旦警視庁に戻った杉下たちは米沢から被害者の身元が判明したという連絡を受け、鑑識部屋へと向かった。
鑑識部屋にある白いボードには今回の事件に関する概要がまとめられており、テーブルの上には現場から回収されたと思われる証拠品が無数に並べられている。
「被害者の名前は渋澤卓也、38歳。職業はフリーのジャーナリスト、と言えば聞こえはいいですが、実際は有名人のスキャンダルを追い回していたゴシップ記者のようです。死因はやはり頭を強く打ったことにより脳挫傷でした。タイヤ止めと傷口の形も一致しています。」
「フリーの記者という事はカメラなどは持っていたのでしょうか?」
「はい。カメラの中にネガが残っていたので現像しました。それがこれです。」
そう言って米沢はテーブルの上に写真を並べる。その多くが銀髪の若い女性を写したもので、写真の角度や被写体の目線などから盗撮されたものであることが窺えた。
すると、カイトは写真を見ているうちにある事に気が付いた。
「あれ?この子どっかで見たことがあるような…」
「あ、その子は765プロ所属のアイドル、四条貴音ちゃんです。ミステリアスな雰囲気が人気で、私もかなり注目しています。」
「おや、米沢さんはアイドルにもお詳しいのですね。」
「かつては日高舞の熱烈な追っかけでした。」
すでに引退したアイドルの名前を出し、米沢が照れたように笑う。
再び写真に目を戻すが写真にはこれと言って不自然な点はない。四条貴音というアイドルがラーメンを食べたり友人と祭りの屋台を回っているといった日常を切り取ったものばかりで、スキャンダルのネタになりそうな写真は一切存在しない。
しかし、そんな写真に交じって1枚だけ毛色の違うものがあるのを杉下は見つけた。
「米沢さん、この写真だけは四条さんでは無い女性を写したもののようですが。」
杉下が手に取ったのは、若い髪の長い女性と、彼女によく似た中年の女性が墓所で向かい合っている写真だった。その写真からは四条貴音の写真にあるようなほのぼのとしたものは感じられず、修羅場を彷彿とさせる緊張感が感じられた。
「ていうかこの写真、俺が読んでいた雑誌に載ってたやつじゃないですか!」
カイトが今朝読んでいた週刊誌の記事、アイドルが過去に弟を見殺しにし、その結果家庭が崩壊したことを伝える記事に付属していた写真と同じものが目の前にあった。
「ええ、どうやらそのようですねえ。つまり、あの雑誌に載っていた写真を撮ったのはこの渋澤という記者の可能性が高くなるわけです。」
「警部殿、この写真の女性も765プロに所属するアイドル、如月千早ちゃんです。渋澤は765プロのアイドルのスキャンダルを追っていたとみて間違いないですな。それともう一つ765プロがらみで気になるものが…」
米沢はビニール袋に入れられた証拠品の一つを杉下の前に置く。それは現場で杉下が気にしていた765プロのロゴが入ったタオルであった。
「こちらのタオルですが、どうやら非売品のようです。」
「非売品ですか?」
「ええ。何でも大きなライブなどのイベントがある際に関係者に対して記念品を贈る風習があるそうで、これもその一つでした。」
「ああ、ドラマの撮影の時にタイトルのロゴが入ったジャケットをスタッフに配るような感じですね。ってことは、このタオルも765プロの関係者にだけ配られた物ってことですか?」
「どうやらそのようです。」
それを聞いてカイトは素早く杉下に顔を寄せる。
「現場に落ちていた証拠品は765プロの関係者しか持っていないものだった。被害者の記者は765プロのスキャンダルを追っていて実際に記事にした。杉下さん、765プロの事かなり気になりませんか?」
「気になりますねえ。」
「行ってみます?」
「行ってみましょう。」
二人の刑事の目が鋭く光った。