今エピソードはそんなふうに思ったところから生まれました。
「また勝手に動いて捜査を混乱させたそうだな。」
警視庁刑事部長室にて内村完爾はそう言って特命係を睨み付ける。特命係は榊野学園の屋上で死体を発見したことを本庁に報告したところ、内村によって呼び出されたのであった。
「まったく。お前たちはいつもいつも勝手な事ばかりしおって。事件の重要参考人の遺体を見つけただけでなく、現場近くで容疑者と会話しながらそれを取り逃がしただと?マスコミに知られたらどうするつもりだ!」
「…やはり、捜査一課も桂言葉さんを容疑者だとにらんでいるのですね?」
「黙れっ!お前たちには関係ない話だ!これ以上現場を混乱させることは許さん!分かったな!」
「……了解しました。」
いつも以上にイラついた様子の内村を前に杉下とカイトの二人は恐縮して頭を下げるほかなかった。
「とか何とか言っちゃって、結局捜査する気満々じゃないですか?」
刑事部長室を退室した特命係はその足で鑑識室まで来ていた。要件はもちろん、事件に関する情報を入手するためである。
「ええ。僕はただ、殺人事件の捜査をするだけです。現場を混乱させるつもりなど毛頭もありません。」
「警部殿、おそらく部長はそう言ったつもりでお二人を呼び出したのではないと思います。」
苦笑いを浮かべつつ米沢が二人の元へやってくる。その手には捜査資料と思われる用紙が掴まれていた。
「屋上で見つかった遺体は西園寺世界の物でした。死亡推定時刻は昨夜の十二時ごろ。死因は伊藤誠と同様、失血死だと思われます。」
「昨夜の十二時ごろっていうと、まだ俺たちが伊藤誠の家で捜査していた時間じゃないですか。」
「はい。しかも、屋上には血の付いた包丁が残されており、血液と傷の切り口から伊藤誠殺害に使われたものとみてまず間違いありません。捜査本部は伊藤誠を殺害した人物と西園寺世界を殺害した人物は同一、つまり連続殺人だと睨んでいるようです。これを見てください。」
米沢は机の上に置かれているビニール袋に入れられた携帯電話を取り上げた。
「これは西園寺世界の携帯で死亡時にも所持していた物です。これに残された最後のメールがこちらです。」
そう言って米沢は資料の中から用紙を一枚取り出し杉下に差し出す。それを両手に持つと、杉下は書面を読み上げた。
「『屋上で待ってる』ですか…差出人は伊藤誠となっていますねえ。」
「差し詰め犯人は伊藤誠の部屋から持ち去った携帯電話を使い彼の恋人を呼び出しと言ったところでしょうか?なんと言いますか、女性の恨みはやはり恐ろしいですな。」
「おや、その口ぶりからするに米沢さんも桂言葉さんが二人を殺害したと。」
「はい。というのも、こちらの携帯から採取した指紋から桂言葉の部屋から採取したものと同じものが見つかりましたので…」
「えっ!ってことは、捜査一課はもう桂言葉の家に行っているんですか?」
「はい。とはいっても、肝心の本人は姿を眩ませているので今のところ家族から話を聞く程度にとどめているみたいです。」
だが米沢の口ぶりからすると、桂言葉が容疑者として手配されるのもそう遠くない事が予想される。既に被害者が二人も出ていることを考えるとそれも致し方無い。
「米沢さん、西園寺さんが殺害されていた状況についてもう少し聞かせてもらってもよろしいですか?」
「ああ、はい。えー、死因は失血性のショック死ですが致命傷となったのは首の動脈を刃物で切られたことであります。腹部を割かれてましたが、これは死亡して直ぐ、あるいはまだ僅かに息があった時にやられたものと思われます。どちらにしろ、これほど血を流していては助からなかったと思いますが…」
「凶器はやはり伊藤君を殺害したものと同じだったんですか?」
「それなんですが、傷口の形状から見るにどうやら別の刃物のようです。」
「え?でも、現場には伊藤誠の殺害に使われた包丁が落ちてたんですよね?」
「はい。ですが、西園寺世界の首の傷跡は鋸の様な刃物で付けられたものでして、確定しているわけではありませんが伊藤誠の首を切り落としたものと同一のものでは無いかと思われます。」
「妙ですねえ。伊藤君の殺害時には包丁が使われ、西園寺さんの時には鋸が使われた。そして伊藤君の殺害に使われた凶器はなぜか西園寺さんの遺体の傍に落ちていた。米沢さん、西園寺さんの腹部の傷はどのようなものでしょうか?」
「傷は内臓まで深く達しており、こちらも傷の形状から鋸で切られたものだと思われます。ああ、それと子宮も傷つけられていたのですが、彼女は妊娠していなかったようです。」
「それは本当ですか!」
突然杉下が大きく反応し、カイトと米沢は驚く。
「は、はい。警部殿から被害者は妊娠している可能性があると聞いていたので検視官に確認を取ったのですが、子宮の中には胎児はいなかったようです。」
「でも確かに西園寺世界や周囲のクラスメイトは彼女が妊娠していたって証言してましたよ。もちろん、勘違いってことはあるかもしれませんけど…」
「こちらでも、念のために確認を取ったのですが、どうやら想像妊娠の兆候があったようでして…」
「想像妊娠?」
聞きなれない言葉にカイトが頭に?を浮かべていると、横にいる杉下が補足する。
「想像妊娠とは、妊娠していないのに妊娠したような症状が見られる心身症状の一種です。原因としては、妊娠に対する大きな不安や恐怖、もしくは強い願望がストレスとなり、脳が『妊娠している』と誤認してしまうからだと言われています。実際にお腹が大きくなったり、生理がこなくなったりなど妊娠の初期症状が現れる場合もあるそうです。」
「警部殿のおっしゃるとおり、西園寺世界にも妊娠の初期症状と似たものが見受けられましたが妊娠はしていなかったそうです。」
「ってことは、西園寺世界も妊娠に対する不安感を抱いていたり、妊娠したいって強く思ってた可能性があるわけですね。でもなんで…」
カイトと杉下が考え込むと鑑識室に暫しの静寂が流れる。やがて杉下は何かを思いついたようにスッと顔を上げた。
「桂言葉さんの家に行ってみましょう。少し確認したいことがあります。」
「…そうですね。もうこうなったら伊藤誠、西園寺世界、桂言葉の三人の関係が事件の根幹にある事は疑いようがないみたいですから。」
「警部殿たちがそう言うと思って、桂言葉の住所を調べておきました。」
米沢が住所の書かれたメモ用紙を渡すと杉下は笑顔でそれを受け取った。
「ありがとうございます米沢さん。このお礼はいつか。」
「いえ、お二人もお気をつけて。」
杉下と甲斐とは米沢に頭を下げると鑑識室を出て行った。
桂言葉の自宅は都心にほど近い高級住宅街の一等地に門を構えていた。父が警視庁の高級官僚であるカイトからすれば、実家を思い出させるつくりである。
桂家を訪ね2人が身分を明かすと、30代ほどの女性が門を開け2人を居間に通す。女性は桂言葉の母だと名乗った。彼女の表情は非常に疲れており、心労のほどが窺いしれた。彼女は特命係にお茶を出すと、少し待つように言い居間から出て行った。
しばしの間特命係は出された紅茶を前に待っていると、やがて女性は眼鏡をかけた中年男性と小学生と思われる女の子を連れてくる。
男性は杉下たちに対面する椅子に腰を落とすと二人に向かって頭を下げた。
「どうもはじめまして。桂言葉の父です。こっちは妻の真奈美と二番目の娘の心です。」
「初めまして。警視庁特命係の杉下です。」
「同じく、甲斐亨です」
「本日は言葉さんについてお話を伺いにまいりました。もうすでに何度かされた質問をすることになるかもしれませんが宜しいでしょうか?」
「はい、構いません。娘が一刻も早く帰ってくるならばどんなことでも…」
そういう言葉の父の顔には焦燥感と不安感が見て取れた。大切な娘が行方知れずになるどころか、殺人の容疑がかかっているとなれば親として居ても立っても居られないのだろう。
「では早速。言葉さんに恋人がいたことをご家族の方はご存知でしたか?」
「いえ、私は仕事で家にいる事が少なかったので。今更ながら、もっと娘たちと同じ時間を過ごしていればと…」
「あなた、あんまり自分を責めないで。私がきちんとあなたに相談していれば…」
悲痛な表情で頭を抱えた夫の方を妻が優しく抱く。一方でカイトは彼女の言葉に引っかかるものを感じた。
「もしかして、奥さんは娘さんに彼氏がいたことを…」
「ええ、知ってました。前に言葉が私に料理を習いたいって言ってきたことがあったんです。なんでかって聞いたら、手料理を食べさせてあげたい人がいるからって…私嬉しかったんです。引っ込み思案だったあの子に好きな人が出来て、その人のために私の力を借りてくれることが。だから母親として応援してあげたいと思ったんです。なのに、こんな事になるなんて…」
「ママ、泣かないで…」
顔に手のひらを当て涙を流す母親を今度は娘が慰めた。その娘の目にも涙がたまっている。殺人事件で幸せになる人間など無く、被害者と加害者、そしてその家族に多大な不幸と悲しみが訪れる。何度も似た経験をし、頭では理解できている事でも、カイトは自分の気持ちが沈んでいくのに耐えるほかなかった。
「…最近の娘さんの様子はどうだったのでしょう?何か気づいたことであれば何でもいいんですが…」
「そうですね。ついこの間まではずっと沈んでる様子でした。夜中に家を出て行ってたようで、目に生気がありませんでした。だから、夫とも相談して学校を休ませることも考えてたんです。けど、2,3日前からは以前のように表情が明るくなったんで一安心してたんです。」
母親からの証言に杉下の目つきが鋭くなる。
「表情が明るくなった…それは本当ですか?」
「ええ、恋人、誠君でしたっけ?彼と仲直りしたのか、『やっと誠君が戻ってきてくれた』って嬉しそうに話してました。」
「うん。心も聞いたよ。クリスマスは誠君と一緒に過ごす約束をしたって。」
杉下とカイトはお互いの顔を見合わせた。
二人は黒田や加藤の証言から伊藤誠と桂言葉は破局したも同然の状況にあり、それが原因で桂言葉は精神的に不安定になっていたと考えていたのだ。しかしそれが回復していたというなら…
杉下は己の頭脳をフル回転させ、そして一つの推測に行きついた。
「…カイト君、早急に確認してほしい事があります。場合によっては一刻を争うことかもしれません!」
「ちょ、ちょっと待ってください。いったいどうしたっていうんですか?」
目に見えて豹変した杉下にカイトが困惑する。杉下はそんなカイトに自分の推測を話すとカイトの目は大きく見開かれた。
「そ、そんな!でもそうだとしたら桂言葉は…」
「だからこそ、早急に彼女を見つけなければならないのです。手遅れになる前に!」
「わかりました。すぐに確認を取ります。」
カイトは携帯を取り出すと今から飛び出していく。残った杉下は呆気にとられる桂夫妻に向き直る。
「桂さん、言葉さんにとって特別な場所はありますか?そう例えば、お二人が過去に行った思い出の地など。」
「え?いや、いきなりそう言われましても…」
面食らった様子の夫妻はとっさに言葉が出てこない様子だ。するとおとなしく椅子に座っていた心が勢い良く立ち上がった。
「心知ってる!おねいちゃん達きっと船に乗りに行ったんだよ!」
「船ですか?」
「うん。お姉ちゃん、昔パパたちと一緒に船に乗ったのがすごく楽しかった。だから誠君ともいつか行きたいって言ってたもん!」
自信満々と言った様子で胸を張る心の言葉を受け杉下は桂夫妻に確認をとる。
「桂さん。その、船というのは?」
「ええと、実は私はヨットを所有しているんですが以前はよく家族で船乗りに行っていたんです。最近はあまり行けてなかったんですが…」
ちょうどその時、カイトが再び今に戻ってくると杉下に駆け寄った。
「杉下さん、確認が取れました。やっぱり例の物は伊藤さんの家にはなかったそうです。」
「やはりそうでしたか。こちらも言葉さんが行きそうな場所の見当がついたところです。桂さん、そのヨットが停泊している場所を教えて頂きませんか?」
杉下たちは桂からヨットのある場所を聞くと挨拶もそこそこに急いでその場を後にしようとする。だがその背中を桂夫妻が止める。
「刑事さん、待ってください!一つお願いが…」
「…なんでしょうか」
「…こんなことになってしまい、私自身も言葉の親として責任を感じています。ですがどうか、可能であるならば、娘を無事に、私たちの元へ…」
涙交じりの声で桂は特命係に懇願する。その姿はどこまでも痛ましく、切実なものであった。
だからこそ特命係は目をそらさず、真っ直ぐに彼らの姿を見据え断言する。
「必ず、娘さんを連れ戻します。」