あとがきにて次回作の予告をやらせてもらいます。
風のない穏やかな海に一隻のヨットが浮かんでいる。すでに日は傾き、あと1時間もすれば底冷えのする寒さが訪れるというのに、そのヨットだけはどこまでも穏やかに波に揺られていた。
そのヨットに抱かれるように船上には一人の少女が身を横たえている。彼女は幸せそうに目をつむり、胸に抱えた物を愛しそうに抱きかかえている。それはまるで、一枚の絵画から抜け出してきたような美しさがあった。
「やっと二人っきりですね…誠君…」
まるで、幸せを噛みしめるように少女が呟く。たとえ、それに答える声がなかったとしても。
どれほど時間が経ったのだろうか、日も落ちかけ、いよいよ寒さが身を刺すものに変わってきたところで少女の耳に波のさざめきとは違う音が聞こえてきた。
その音は徐々に大きくなってくる。それでも少女は愛しき人を胸に抱き、瞼を決して開けようとはしない。そんな彼女に声が届く。
「桂言葉さんですね?」
落ち着いた中年男性を思わせる声だった。その声に反応し少女は瞼を開け、その身を起こす。彼女の乗るヨットの傍には何時の間にか小型のクルーザーが横付けされ、その船上には二人の男性が立っていた。
一人は理知的な雰囲気を醸し出す眼鏡をかけた中年男性。もう一人は意志の強そうな目をした若い男性である。若い男性には見覚えがあった。彼はあの日、大切な人をようやく手に入れた夜に出会った男性であった。
少女が反応した様子を見受けると、眼鏡の男性が少女に声をかける。
「警視庁特命係の杉下です。桂言葉さんで間違いありませんか?」
「…はい。そうです。」
言葉は杉下の目を見てゆっくりと肯定を示す。彼女が杉下を見る目はどこまでも黒かった。まるで、心がそこに写っていない感情無き目だった。
「…桂さん、僕たちはあなたを逮捕しなければなりません。遺体損壊、及び西園寺世界さん殺害の容疑で。」
「すべての発端は伊藤誠君があなたに隠れ、西園寺世界さんと付き合いだしたことです。やがて周囲が西園寺さんを誠君の恋人だと認識するようになると、あなたの立場は非常に厳しいものとなっていきました。周りの人間はあなたの事を別れた恋人に付きまとう悪質なストーカーだと見ていたようです。しかしながら、あなた自身は誠君と別れたつもりはなく、誠君もあなたとの関係を清算したわけでは無かった。それがあなたと周囲の認識の違いとなり、あなたを追い詰めていったのでしょう。
それと同時期に誠君は西園寺世界さん以外の複数の女性と関係を持つようになりました。西園寺さんは焦ったのでしょう。今度は自分が恋人を奪われる立場になったのですから。誠君を繋ぎ留めたい。その強い思いが願望となり彼女に妊娠の症状を引き起こしました。悲しい事にそれは強すぎる重いが故に現実となった想像でしたが…それどころか、子供が出来た西園寺さんを誠君は重く感じるようになり彼女を遠ざけようとしました。それによって、西園寺さんは精神的に追い詰められていくことになりました。
しかし、その行為が仇となり誠君は今まで関係を持った女性たちからそっぽを向かれることになりました。そして、男子からも女子からも見捨てられ、学校で孤立した彼が救いを求めた先が桂さんあなたです。」
杉下がそう言って見据える先には何時の間にか立ち上がった少女、桂言葉がいた。彼女は相変わらず伊藤誠だったものを胸に抱き、杉下とカイトを睨み付けている。だが、その右手はわきに置いてある黒い鞄へと向かっていた。
「誠君の自宅の台所で捨ててあった料理は恐らく西園寺さんが作ったものでしょう。もしかすると彼女はクリスマスを気に伊藤君とやり直そうと思っていたのかもしれません。しかし、そんな彼女の前に現れたのはあなたを伴った誠君でした。彼女は絶望したのでしょう。この時点で誠君の心があなたに向いているのを西園寺さんは明確に感じた。その後、どのようなやり取りがあったかは僕は知りませんが、誠君は西園寺さんと二人きりで話をする場を設けたのではないでしょうか。あるいは西園寺さんが自ら誠君が一人の時を狙って彼のもとを訪ねたのかもしれません。しかし、話し合いは破局を迎え悲劇が起きてしまった。伊藤誠君を殺害したのは西園寺世界さんです。」
いったん話を区切った杉下の横でカイトはじっと言葉を観察していた。言葉の目は確かに杉下に向けられているが、そこに感情は見られない。カイトには人形でも相手にしているかのような感覚を得ていた。
「突発的な犯行だったのでしょう。西園寺さんは誠君の家の包丁を凶器に使い、それを持ったまま部屋を飛び出したと思われます。そしてその後彼の家を訪れたのが言葉さん、あなたです。誠君の遺体を発見したあなたは家から持ってきた鋸で誠君の首を切断し、自分が誠君の家を訪れた痕跡を消し、彼の首と携帯電話をもって彼の家を後にしました。
そう、誠君の首を切断するために使われた鋸はあなたが自宅から持ち出したものです。誠君の家はマンションで家族も母親との二人暮らし。彼自身、日曜大工の心得はなかったため家にはそう言った類の道具はありませんでした。だからこそ、あなたは始めから伊藤君を殺害し、首を持ち去るために鋸を持ち込んだのですね?」
杉下の指摘に初めて言葉の目に感情が現れる。それは怒りにも似た負の感情であった。
「あなたは十分に理解していました。誠君の浮気性を、そして裏切られた時の絶望を。だからこそ、あなたは彼を自分だけのものにするための計画を立てたんです。しかし、西園寺さんが誠君を殺害するという不測の事態によって変更せざるを得なくなりました。
あなたが誠君の家を訪れた時、彼は既に息絶えていた。あなたは彼の首を切断し、それと彼の携帯を持ち去ると、西園寺さんをメールで屋上に呼び出した。その際、西園寺さんも警戒し万が一に備え伊藤君を殺害するのに使った包丁を持ち込んだのでしょう。ですがそれは意味をなさず、西園寺さんはあなたに首を切られてしまいます。彼女の腹を裂いたのは西園寺さんが本当に妊娠しているのか確かめるためではないですか?」
杉下は言葉を切ると言葉の返事を待つ。やがて言葉は小さく口を開いた。
「…だって、西園寺さんが嘘をつくから…」
「嘘?」
「誠君の気を引くために妊娠なんて嘘をついて…嘘、嘘、嘘…西園寺さんはずっと嘘をついて私たちを騙していたんです!私たちの事を応援してくれって言ってたのに!本当は自分が誠君の彼女になるためにずっと私たちを騙してたんです!友達だって…信じてたのに…」
感情を爆発させた悲痛な叫び声をあげ、桂言葉は身を曲げる。再び立ち上がった彼女の右手には血の付いた鋸が握られていた。
「桂さん!落ち着いてください!」
「来ないでっ!」
言葉は自分の首筋に鋸の歯を当て特命係の動きを制する。その顔には悲し気な笑みが浮かんでいた。
「あなた達も私と誠君の中を引き裂こうとするんですね。もうそんなのは嫌。私は誠君を愛しています。もう誰にも、私たちの中を邪魔されたくない…邪魔なんてさせない!」
「桂さん、あなたは最初から伊藤君と心中するつもりで…」
「……人生の最後くらい誠君と一緒に居させてください…私にはもう、こうする道しかないんです…」
そう言って言葉は鋸の刃を柔らかな肉に沈ませ、思い切り刃を引こうとし
「自分が進むべき道を勝手に諦めるんじゃない!君にはまだ残されている道があるんだ!」
「え?」
カイトの叫びに言葉の動きが止まる。カイトの必死の叫びは確かに彼女に届いていた。
「君のお父さんは君を無事に返してくれって僕たちに頼んだんだ。わかるかい?君の父親はたとえ娘が殺人の容疑者になろうと君を家族として向かい入れるつもりなんだ!君のお母さんや妹だって同じだ。君にはまだ家族と一緒にやり直す道がある!」
「家族と一緒に…」
言葉の瞳に感情の揺らぎが生まれた。先ほどまで死に臨む人間の顔をしていた彼女の表情には、明らかな動揺の色が見えた。
「それだけじゃない。君の学校の生徒、加藤さんや黒田さんは君に対する仕打ちをずっと後悔している。じゃなきゃ自分たちが過去に人の彼氏と寝た話なんて態々大人に言いに来るはずがない。君が死んだら彼女たちは心に大きな傷を負ったまま生きていくことになる。君には君が死んで悲しむ人間がたくさんいるんだ!」
カイトの言葉はボディをえぐるパンチのように言葉の心に響き、彼女の顔はショック受けたように歪んでいく。
「なんで…そんな今更…私はもう、誠君とずっと一緒にいるって決心したのに…」
「桂さん、今あなたが抱えている其れは本当に伊藤誠君なのでしょうか?」
「…どういう事です。」
「僕には其れが哀れな被害者のご遺体にしか見えません。桂さん、其れはあなたに微笑みかけてくれますか?愛ある言葉をあなたに投げかけてくれますか?狂気などに惑わされず、今一度真実の目で其れを見てください。」
杉下の言葉に促され、言葉恐る恐る左腕に抱えたそれに目を向ける。血の気をなくし虚空を見つめ続ける其れに生きていたころの温かさはなかった。当初は青白かった表皮も今ではどす黒い土気色に代わっており、僅かにではあるが腐臭が…
「ひっ!」
それを感じた瞬間、言葉は思わず其れを取り落してしまう。床に落ちた其れはゴロゴロと船上を転がりやがて壁にぶつかって止まった。それを目で追っていた言葉は放心したように立ち尽くしていたが、やがて膝を折ると崩れ落ちるように泣き叫び始めた。その様子は今までため込んでいたあらゆる悪意を放出し、彼女が一人の少女に戻っていくかのようにも見える。
「…桂さん、あなたが向こう側に行かずに済んで本当に良かったです。」
ヨットに飛び移った杉下は涙を流し続ける言葉の肩に手を置き、そう呟いた。
その後、特命係に連れられ警察署へと連れて行かれた桂言葉は始終落ち着いた様子で署の警察官の取り調べを受けている。このまま容疑が固まると彼女は家庭裁判所へと移送され、裁決を受ける事になる。
「まるでサロメのような事件でしたねえ。」
警視庁に戻ってきた杉下たちは事件が取りあえずの解決を迎えたことで一息ついていた。紅茶を一口飲んだ杉下はそんな呟きを漏らした。
「なんですか、そのサロメって?」
「『サロメ』は『幸福な王子』などで知られる作家のオスカー・ワイルドが新約聖書をモデルに作った戯曲です。この作品の中でユダヤ王の娘であるサロメはヨナカーンという男性に恋をします。しかし、ヨナカーンはサロメの誘惑を全く意に介さず、ついにサロメは父親の前で踊りを披露する代わりにヨナカーンの首を王である父に要求します。そしてヨナカーンの首を手に入れたサロメはその首に口づけをし、狂ったように踊るんです。その様子に恐怖した王は兵士たちに命じ、サロメを殺したところで物語は終わります。」
「なんというか、血なまぐさい話っすね。」
「ええ。恋に盲目になってしまうあまり、それしか自分にはないと絶望し破滅へと向かってしまう。それは本人たちにとっては幸せなことかもしれませんが、周りの人間にとっては悲劇以外の何物でもありません。」
「まったくもってその通りで。でも、この事件って結局誰が悪かったんでしょう?女性の心を弄ぶような真似をした伊藤誠か?結果的に桂言葉をダシにして伊藤に近づいた西園寺世界か?はたまた伊藤誠と関係を持った女の子たちか?」
「あるいは、子供たちの変化に気づかなかった、気付いても有効な対策をしなかった周囲の大人達。そして、桂言葉さん自身も富裕層としての金銭感覚の違いから、周囲の人間関係にずれを生んでいたようですからねえ。」
「…普通だったらただの痴話げんかで終わってた話が、多くの人間と悪意とすれ違い、そして無関心によって取り返しのつかない事件になってしまったわけですね。」
「ええ。人というのは誰しも他人を恨む気持ちがあります。だからこそ理性をもって自分を律し、他人を思いやることが出来るのです。それが出来なくなった時、人は感情の赴くままに動き、狂気へと身を落としてしまいます。そうなったが最後、悲劇の連鎖が始まるのです。」
「悲劇の連鎖ですか…」
カイトは杉下の言葉を反駁し、お茶を飲む。杉下の言葉が正しいならば、自分たちは一先ず悲劇の連鎖を止めることが出来たのだろう。だがこうしている間にも、新たなる悲劇が生まれ続けている。
「それを止めるのが、俺たちの使命か。」
カイトの小さな呟きは特命係しかいない部屋に、酷く響いた。
日本から遠く離れたフランスはパリ。その郊外に門をアパートの一室に涙に腫れた目で虚空を見つめる清浦刹那という少女がいた。
「世界が死んだ…誠も死んだ…」
昨日の夜、日本にいた頃のクラスメイトから国際電話で幼い頃からの親友と想いを寄せていた男子の不幸を知らされてから、彼女はずっとこの状態にある。そうしてずっと自問自答を続けている。
どうしてこんなことになったのだろう?自分は親友に幸せになってほしかった。だからこそ、己の恋心に封をし、恨みを持たれることを覚悟で誠と桂さんの仲を引き裂き、親友の恋心に尽くしてきた。
なのに何でこんな悲劇が起きてしまったのだろう!自分はただ、世界の恋を成就させてあげたかっただけなのに!
答えの出ない問答をしているうちに刹那の目はスッと細くなる。
「桂…言葉…」
そう呟いた彼女の目は光を写さぬ漆黒の物へと変わっていた。今日もまた、悪意が生まれる…
次回予告!
私の名前は矢木 明(やぎ あきら)しがない私立探偵だ。
今回の依頼は人気スクールアイドルが通う古い学校で起きた幽霊騒動。たとえどんな依頼であれ、美人からの依頼は断らないのが私の主義だ。
ところが、事態は幽霊騒動だけには収まらなかった。悪質ストーカー、脅迫文、不正経理、炎上魔、強盗事件、
流石にこれだけの事件は一人じゃ荷が重い。だが、事件の解決に乗り出した探偵は私ひとりじゃなかった!
「どうしたんだよキング?こんな真昼間から。」
「マコト、池袋一のトラブルシューターの腕を見込んでお前に頼みたいことがある。」
「探偵さん、依頼人の方がきてますよ。」
「ようこそ『ああ探偵事務所』へ!さてさて、どんなご依頼でしょうか?」
「「「教授!事件だよ!」」」
「ふ~ん。どうやらこの事件からはキャベツの芯の臭いはしないみたいだね。」
「突然闇に消えた人影か…実に面白い。」
「お嬢様の頭の中はおんぼろ校舎並みに埃が被っているのですね。」
「クビよ!クビ、クビ!」
「矢木さん、この世に不思議なものなど何一つないんですよ。」
「なんだか大変なことになったわね、ホームズ。」
「にゃー。」
なかなか凄いメンバーが集まりそうだ。だが私も負けてはいられない!必ずや学園で起こる事件を解決させて見せましょう!
次回、多重世界の特命係 「探偵は学園に集まる」 こうご期待!
※登場人物や事件については変更する場合があります。また、製作期間は未定ですので気長にお待ちください。