それと、あとがきの方で次回予告をしていますのでどうぞよろしくお願いします。
事情聴取が行われる部屋を抜け出した杉下は、事件現場となった控室の中にいた。
既に鑑識は部屋におらず、誰もいない空間は現場保存の観点から事件当時の状態にされている。
それはまるで、この空間だけが時間が止まっているかのようでもあった。
杉下は部屋の奥に進んで行くと、レスラーたちの手荷物が集めてある一角で立ち止まった。
その中から目当ての物を探していると、運良く一番手前の位置にそれを見つける。それはヴィクトリー旭のスポーツバックである。
杉下は迷いを見せずにバックを持つと、ゆっくりとファスナーを開ける。
それからしばらく中身を漁っていた杉下だったが、カプセル錠剤の入った瓶を発見する。
ラベルによると瓶の中身は痛み止めの一種のようだ。
「あっー!いけないんだ!女の人の物を勝手に開けて。」
突如背後から響いた声に驚き杉下が後ろを振り向くと、祐希子が杉下に指を差していた。
眉は僅かにつりあがっているものの、口元には小さな笑みが浮かんでいる。まるで、同級生の失態を見つけた悪ガキのようであり、本気で怒っているわけではないようだ。
「これは失礼しました、祐希子さん。どうか、捜査の一環だと思って見逃していただけないでしょうか?」
「えー、ほんと?ちゃんと後で報告しなきゃだめだよ。って、その瓶はなに?」
「旭社長の持ち物の中から見つけたのですが、どうやら痛み止めのようです。」
「痛み止め?意外だな。旭社長が痛み止めを持ってるなんて。」
「意外なのですか?」
佑希子の言い方が気になり聞き返してみると、祐希子はこくんと頷く。
「うん。それこそ昔はプロレスラーと痛み止めやステロイドみたいな薬物とは切っても切れない仲だったけど、最近はそう言った薬の副作用が問題視され始めて、大手じゃ常用を控えるよう団体が指導しているんだよね。特にクリス・ベノワの事件が起きた後から。」
クリス・ベノワはカナダ生まれのプロレスラーである。
若い頃は日本の団体に所属し、ジュニアの階級で数々の名レスラーとタイトルを争い、90年代を代表する外国人レスラーとして知られた。
アメリカに帰国してからも日本仕込みの優れたレスリングテクニックで人気を博し、遂にはアメリカ最大手団体の最高位のベルトを獲得するに至る。ベルトを手にした試合はプロレス史に残る名勝負に挙げられ、将来的にはアメリカプロレスの殿堂に入る事も気の早いファンからは望まれていた。
だがしかし、無情な破局は訪れた。
ある日突然、ベノワは妻子を殺害し、自身も首を吊って自殺するという事件を起こしたのだ。
死体の解剖の結果、べノワの脳は度重なるダメージや薬物摂取の影響か、85歳のアルツハイマー患者と極似した状態になっていたとされ、極度の鬱状態となって突発的に事件を起こしたのではという説が挙げられた。
いずれにせよ、世界最高の技術を持ったプロレスラーは、一夜にして家族殺しの殺人犯になってしまった。
これにより、ベノワがアメリカで築いてきた栄光は全て無かったことにされ、歴代チャンピオンからも彼の名は消された。
彼の所属していた団体は公式発表で今後半永久的にクリス・ベノワに触れる事はないと声明をだし、所属選手に対して厳重な薬物検査を行うことを義務付けた。
「そういった事があったから、うちの団体でも薬物の使用は制限されてるんだ。」
「なるほど。それはさきがけ女子プロレスでも同様だったと?」
「うん。むしろうちよりも厳しかったと思うよ。特に旭社長は新日本時代から『不屈の女』って言われるくらい我慢強い事で有名で、今まで一度もギブアップしたことが無いんだって。だから、痛み止めを持ってるなんて意外なんだよね。」
「おや。旭社長は新日本プロレスに所属していたのですか?」
「そうだよ。確かうちの社長の3年位先輩で、当時から次代の大物として期待されてたんだって。でも試合中に大怪我をして、何ヵ月もまともに歩けない日が続いて会社からは引退勧告もされてたとか。」
「それでも、旭社長は現役続行に拘ったと?」
「そう。退団したあと、リハビリと平行して団体設立の準備を整えて、怪我から2年後ようやくさきがけを旗揚げしたの。坂本さんや新庄さん達とはその頃からの付き合いだとか。」
「ああ、なるほど。今回の対抗戦も旭社長側からの申し出だったんでしょうか?」
杉下の推測に裕希子は頷く。それを受け、杉下は静かに瞼を閉じ、これまで判明した事実に思考を巡らせる。
「…さきがけ女子…毒物……痛み止め…」
「あのー、右京さん?」
「祐希子さん。休憩時間に入る直前に会ったタッグマッチ、あなたの目から見て不自然な点はありませんでしたか?」
「え?不自然なところですか?」
やや興奮した杉下の様子に押されながらも、祐希子は顎に手を当て試合の様子を思い出す。するとふと、気になった点があった事を思い出す。
「そういえば、めぐみがフラップジャックをやってて、珍しいなぁ、って思ったんだよね。」
「フラップジャック?」
「走り込んできた相手の足を抱えて、勢いを殺さず後ろに倒れ込んで相手の顔をリングに叩き付ける技だよ。めぐみはアイカさんの喉をロープにぶつけてたけど、普段のあの子だったらカウンター技はフランケンシュタイナーやドロップキックを使うから意外だったんだよね。」
それを聞いて、杉下の目が鋭く光った。
「なるほど、そうでしたか。それでは最後に一つ!ある技のやり方を僕に教えて頂けないでしょうか?」
「ある技?なんですか?」
「その技というのは…」
「あっ!?右京さんどこに行ってたんですか?伊丹刑事怒ってましたよ。」
控室を出て祐希子と別れた杉下を冠城が見つけて走り寄ってくる。杉下は軽く頭を下げて謝罪の意思を見せる。
「申し訳ありません。ところで、事情聴取の方はもう終わったのでしょうか?」
「とっくに終わってますよ。もうすぐ、関係者の人たちも全員解散させるみたいです。身体検査でも毒物やそれを入れた容器の類は見つかりませんでしたし、現場の近辺でも怪しい物は見つかりませんでした。今日はもう遅いですし、捜査は明日に持ち越しだそうで。」
「そうですか。では冠城君、急いで今から僕の言うものを集め、関係者の方を集めてください。」
「え?それってまさか…」
杉下の指示からその意図を察した冠城に、杉下は柔らかな笑みを向ける。それは、彼が真相を掴んだ際に浮かべる物であった。
「杉下警部、自分は言いましたよね?勝手に動き回って現場をかき乱すのはやめてくださいって。それが今度は関係者を集めてくれとは、いったいどういった了見なんですか?」
杉下の指示で関係者とともに現場となった控室に呼び出された伊丹は、控えめに言ってかなり怒っていた。
この際、捜査に首を突っ込むのはいい。止めたところでこの変人警部は勝手に首を突っ込んでくるのは分かり切っている。
だから、あえて捜査に参加させ、監視下にいれたというのに、いつの間にかいなくなった挙句に解散間際になって急きょ招集されたのだ。
早い話、伊丹の機嫌は最底辺に直下していた。
それを知ってか知らずか、おそらく知っていながら無視しているであろう杉下は、素知らぬ顔で右手人差し指立てて上に向ける。
「それについて今から説明します。と、その前に…」
杉下は伊丹の目の前を通り過ぎ、冷蔵庫の前に立つ。そして扉を開いてペットボトルを取り出す。
「旭社長が口にしたミネラルウォーターには、蓋やボトルには穴は開いておらず、買った時のままの状態であったそうですねぇ。ちょうどこのように。では、失礼して。」
杉下はペットボトルのふたを開けると、飲み口に口を付け喉を潤し始める。
突然の行動に周りは呆気にとられ、伊丹は我慢できなくなって怒鳴りつけようと足を進め…
その足が不意に止まった。
「なんだ?どうなってんだこりゃ…」
伊丹の目が驚愕に見開かれる。杉下と冠城、そしてもう一人の人物を除き他の関係者も同様の様子だ。
彼らの目の前で杉下が飲んでいたペットボトル入りの水、無色透明のそれが鮮やかな緑色に変色していた。
「な、何なんですかそれ?なんで急に水の色が…まさか、それって毒じゃ…」
「落ち着け芹沢。警部殿、解説をしていただいても?」
混乱する芹沢を諌め、伊丹が真剣な目で問いかける。
杉下は口の中の手を突っ込み、半透明な袋の様なものを取り出した。
「これは…水風船ですか?」
「ええ。これに食用染料を入れ、口を縛って縛り口を奥歯に挟んでいました。一口だけ飲んだ後に袋を歯で噛み切り、口内に残った水と混ぜ、ペットボトル内に戻す。すると、この通りです。」
「危険な方法だが、手ぶらで飲み物の中に毒が仕込める。容器も必要なければ、練習次第で怪しい素振りも見せること無い、という訳ですか。」
「その通り。もともとこの方法は、プロレスの試合で毒霧をするために古くから使われていたそうです。」
毒霧、海外ではグリーンミストと呼ばれる技は海外で活躍した日本人ペイントレスラーが広めた技である。
その後、海外で活躍する日本人レスラーや怪奇派レスラーによって脈々と受け継がれて云ったが、いつ口の中に液体を仕込んだかについては長らくプロレス界の謎とされてきた。
ただ、非公式ながら水風船やコンドームに染料を入れて口に仕込み、袋を噛み切って噴き出す方法が関係者の中から漏らされている。野暮であるからあえて指摘する者はいないが。
「この方法で毒をペットボトル内に混入できるのは、直接飲み口に口を付けた人物で被害者である旭社長を除いた一人しかいません。」
杉下の指摘に関係者の視線が一人の人物に集まる。その視線の多くには驚きや動揺が含まれていた。
誰もが、彼女が旭社長に毒を飲ませたとは考えられなかったのだろう。
すると、杉下からペットボトルを受け取った冠城が口を開く。
「恐らく、毒の入った水風船は興業が始まる前にリング下に隠しておいたんじゃないですか?試合中、テーブルを出すためにリング下に潜り込んだ時に、一緒に回収し口に入れた。」
「新庄アイカさん、あなたは試合で武藤めぐみさんからフラップジャックで喉をロープに打ち付けられ、喉を傷めたという事でした。しかしながら、武藤さんは使わない技だったそうですね。武藤さんに確認したところ、試合中にアイカさんから指示を受けて技を変更したそうですね。武藤さん、かなり言い難かったそうでしたよ。」
杉下が説明すると、武藤は申し訳なさそうに顔を伏せる。
プロレスにおいて、最初から試合展開や勝敗の結果が決まっているのは知っていても言わないというのがお約束である。八百長などと、言ってはいけない。
ただ、試合での技の組み立ては試合をしている当人たちで打ち合わせているものの、客の反応や試合の展開によっては当人たちのアドリブによって対応することもある。
その際、スリーパー系の技や関節技の密着状態で先輩レスラーが相手の耳元で次の展開を指示する場合があると言われている。
武藤もアイカにチョークスリーパーでとらえられている時に、耳元でカウンター技をフラップジャックに変更することを指示されたと杉下は推測していた。
「あなたは喉を痛めたという事をアピールして旭社長の飲料に口を付ける理由を手に入れた。それに加え、口に入れた水風船によって声が不自然であっても、喉の負傷を理由に試合後のインタビューで不審に思われない。」
「犯行に使った水風船はシャワー室で細かくちぎって排水口に捨てたんじゃないですか?ついでにシャワーを浴びている時に口を漱いで口内の毒を洗い流した。たぶん、あなたが使っていたシャワーの排水口を調べれば痕跡が残っていると思いますよ。」
杉下と冠城の二人が追及すると、新庄アイカは力なく肩を落とす。
その様子が、何よりも彼女の犯行を示していた。
「だって…だって社長が…」
「旭さんがどうしたんです?」
「社長は…私達を捨てて、その女に団体を売り渡そうとしていたのよ!」
杉板が優しく問いかけると、アイカは内なるものを爆発させるように叫んだ。彼女は視線を理沙子の方に向け、瞳には怒りを宿らせている。
「う、売り渡そうとしていたって…」
「社長が電話で話しているの聞いたんだから!団体ごと新日本女子の傘下に入って、私達の処遇は全部新日本女子側に任せるって。私達には何にも相談しないまま、さきがけの旗を降ろそうとしてた!」
「そんな…本当に社長がそんなことを…」
信じられないというようにマナカが声を漏らすが、アイカはそれに乾いた笑い声を返す。
「事実よ。私たちを売り飛ばした後は、自分は田舎で悠々自適な生活をするつもりだったみたい。今日の興業も私たちの利用価値を見せて、高値で買ってもらうためのデモンストレーションだったんでしょう。結局あの人にとって、私たちは会社を動かす駒でしかなかったのよ。」
自重するような声を漏らしたアイカの眼もとからは、一筋の涙が流れていた。
10代の頃に親に捨てられた彼女にとって、居場所を与えてくれた旭社長は実の親よりも遥かに大切な存在であり、さきがけ女子プロレスは家の様なものであった。
その親が再び自分を捨てようとし、居場所を失くそうとしていると思ったのが彼女の動機であろう。
「許せなかった…本気で信じてた…家族と思ってた!仲間だと思ってた!苦しい時期もあったけど、一緒に乗り越えて来たから!なのにあの人は、今まで一緒に築いてきた物事、私たちを捨てようとしたのよ。許せるわけないじゃない!」
怒りや悲しみ、そして絶望が混ざったような叫び声が控室に響く。
誰一人として声を出すことが出来ない時間が過ぎ、いつまでも静寂が続くかのように思えた。
だが静まり切った現場を横切り、アイカに近づいて行く影が一つ。パンサー理紗子である。
理沙子はアイカの正面に立つと、静かに彼女の顔を見つめた。
「アイカちゃん。」
「………なんですか?」
呼びかけに対しぶっきらぼうに返すアイカ。それを受けて理沙子はニッコリと笑みを浮かべた。
「ちょっと、歯を食いしばってもらえるかしら?」
「は?」
その瞬間、かつて日本女子最強の名を欲しいがままにし、世界にも名を知られた元チャンピオンの右平手がアイカの左頬にさく裂した。
掌底気味に放たれた理沙子の一撃は的確にアイカの顎をとらえ、不意の一撃を受けたアイカはもんどりうって壁際まで吹き飛ばされる。
周りが呆気にとられる中、理沙子は倒れたアイカの元まで大股で近づいて行くと、襟首を掴みあげて無理やり立たせる。
「あなた、自分が何をしたか分かっているの!旭さんが、あの人がどういう思いで今日の日を迎えたかも知らないで…なんてことをしたの!」
「ちょ、ちょっとあなた落ち着いて!」
慌てた芹沢と冠城によって引き離されるも、理沙子は興奮した様子でアイカを睨み付ける。
アイカは魂が抜けたように呆然としている。
その様子を見て、杉下は自身の推測が正しかったと確信した。
「パンサー社長、やはり旭社長は病を患っていたのですね。」
理沙子はその言葉にハッとした表情をする。周りの人間も戸惑いを隠しきれていない。
「どうして、それを…」
「病院から旭社長の口の中に綿が詰められていたとの知らせがありました。恐らく、病で頬がこけたのを隠すためではないでしょうか?加えて、旭社長は痛み止めを常用していたようでした。薬物の常用に厳しく、不屈の女と呼ばれるほど我慢強かった旭社長が痛み止めが服用しなければならないとなると、重い病を患っていたと考えられます。」
「……はい。その通りです。旭社長は癌を…すぐに手術を受けなければ1年後生きてられるかどうかさえも。」
理沙子の答えにレスラーたちに動揺が広がる。反応からして、理沙子以外に旭の病を知る者がいなかったのが分かる。
「旭社長は自分の体と、団体の経営状況をよくわかってたわ。手術をすれば治る可能性もあったのだけれど、その間は当然試合には出れない。さきがけ女子は良くも悪くも旭社長で持っている団体だったわ。旭社長が長期離脱するとなれば、団体の経営が大きく傾く可能性も高かった。そうですよね、坂本さん。」
理沙子の言葉に坂本は暗い表情で頷く。
「そこで旭社長は私に新日本女子にさきがけ女子を預かってもらえないかと申し出たの。社員が路頭に迷わない為にも団体は何とか残したい。うちのレスラーは好きに使ってもらってもいいから、あの子たちの返る場所をしばらくの間預かって欲しいって。」
「そんな…じゃあ…」
「そうよ、今日の興業は旭社長にとって手術前の最後の試合になるはずだった。もう二度と、リングに上がれなくなるかもしれない、そういう覚悟を持って試合に臨んでいたの。試合後には正式にさきがけ女子の新日本女子への加入を発表するはずだったわ。」
無念の面持で語る理沙子の言葉を、アイカは体を震わせ聞いていた。
裏切られたと思っていた。また捨てられたと思っていた。
だがそれは間違いで、旭社長は今までと変わらず、自分たちを、自分たちの家を守ろうとしていてくれた。
にも拘らず、自分は彼女の真意に気づかず、人生最後になるはずだったかもしれない大切な試合をぶち壊しにしてしまった。
それに思い至ったアイカの体は悲痛な程に震え、もはや立つことさえもままならないでいた。
誰もが、アイカに声を掛けられずにいる。この所の姿はそれほどまでに痛々しかった。
すると、控室の扉が開かれ快活な声が響く。
「おっとどうしたんだ、葬式みたいな空気醸し出しやがって。大女が辛気臭い顔してても誰も振り向いちゃくれないぞ。」
その声のした方を、誰もが驚き振り向く。
そこには、毒を飲んで意識不明になっていたはずのヴィクトリー旭の姿があった。
「旭さん!病院に行ったはずじゃ!」
「ああ。体調が戻ったんで急いで戻ってきたんです。」
そうは言うが、旭の顔色は傍目に見ても良くは無く。口に綿が入っていない為か、明らかに頬がこけていた。
「いやー、それにしてもご迷惑をおかけしました。メキシコで買った薬がまさかこんな事になるなんて。今日来てくれたお客さんには、後日お詫びをしないと。」
「メキシコで買った薬って…あれはアイカさんが…」
「メキシコで呪術屋をやっている婆さんからメヒコの秘薬だと言われて高い金出して購入したんですが、どうやら質の悪いまがい物だったみたいで、危うく死ぬところでした。」
「……旭さん、あなたは自分で毒を飲んで意識を失ったというのですか?」
杉下が旭の考えを呼んで指摘すると、近くにいたアイカがハッと息を呑む。
「ええ。その通りです。今回の騒動は私の不徳が招いたこと。私が加害者であり、被害者です。」
「既にいくつかの証拠も挙がり、アイカさんから自白と捉えられる発言も出ていますが?」
「私の意見は何一つ変わりません。警察が何と言おうと、今回の件は私の責任です。」
杉下を正面に見据えそう言い切った旭は今度はアイカの下に向かう。
目元に涙をためて怯えた表情を見せるアイカに、旭は優しく頭をなでる。
「どうしたんだアイカ?泣きそうな顔して。」
「しゃ、社長…私…」
「ったく。女だからって、いつまでも泣いてばかりじゃダメだって前にもいっただろ。涙を流してばかりじゃ前が見えない。立ち上がりたきゃ、先ずは涙を拭かなきゃな。ほら。」
旭はそっとアイカの目元をぬぐう。それでも、アイカの両目からは止めどなく涙が溢れてくる。
すると今度は腰を屈め、座り込んだアイカの頭を抱きしめる。
「ごめんな。ちゃんと伝えられなくて。私も怖かったんだ。下手に人に話すと、悪い事ばかり意識して。今度は一緒に行こう。何度も何度も立ち上がって、一緒に進んで行こう。」
その瞬間、アイカの心の壁が決壊した。
大の大人が、それも体を極限まで鍛え、どんな危険な技にも耐え続けるレスラーが子供の様な泣き叫んだ。
「彼女たち大丈夫ですかね?口ではああ言えますけど。」
冠城が心配そうに杉下に耳打ちをする。
いくら和解したとはいえ、傷つけ傷つけられた者同士だ。今は大丈夫でも、いずれまた…という事もあり得る話だ。
「きっと大丈夫ですよ。二人なら。」
そう答えたのは祐希子である。
彼女は抱きしめ合う旭とアイカの両者を見つめながら、柔らかな笑みを浮かべている。
「プロレスラーなんです。あの人たちも、私たちも。普段はお互いに傷つけあう事もあれば、背中を預ける事もあります。そして、何度倒されても必ず立ち上がる。それが、プロレスラーなんです。世界で一番、強い人たちです。」
そう話す祐希子の小柄な背中が、なぜだかひと際大きく見えた。その背中に、プロレスラーとして生きる覚悟を背負っているようであった。
「…また、今度は最後までちゃんと見て見たいですねぇ。」
「え?」
「プロレスの試合です。今日は途中まででしたので、また誘っていただいてもよろしいですか、祐希子さん?」
「うん!必ず見に来てね!」
華やかな笑みを浮かべ、祐希子は頷いてくれた。
次回予告
ああ、主よ 願わくば、あの魔獣どもに報いがあらんことを……
「見たんです!男の人が誰かからがけから突き落とされる瞬間を。夢の中で!」
殺人現場を夢で見たという自称エスパーアイドル。彼女の証言が10年前、容疑者死亡で終結した未解決事件の真相を明らかにする。
「彼は私の所為で死んでしまったんです。私が殺したんです…」
過去の過ちに苦しむもの
「すべての真相は闇に葬らねばならぬ。」
真相を葬り去ろうとするもの
「知りたいんです。息子はどのように死んでいったのかが…」
真相の究明を求めるもの
様々な思惑を孕む事件を特命係が調査するとき、人の形をした魔獣が目を覚ます。
「これが…報いだというの!」
次回『魔獣』
という訳で次回予告でした。思いっきり相棒風のエピソードにしていこうと思います。