多重世界の特命係   作:ミッツ

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この作品はフィクションです。本作品に登場する個人、組織、団体は実在の個人、組織、団体とは一切関係ありません。
なお、本エピソードでは実際に起きた事件を一部参考にしていますが、作者に関係各所を批判する意思は全く無い事をここに記します。


魔獣 1

 2007年1月某日。

 白雪の舞う真冬の真っ只中にあって、大都市東京の中心地の一つともされる新宿区は、例年以上の慌ただしさを孕んでいた。

 この年の1月、晴れて防衛庁は防衛省に格上げされ、職員の多くが年明け早々その対応に追われていた。

 だからであろうか。道行く人々は、俯き気味にふらふらとさ迷う少女の姿に注意を向けることはなかった。

 注意を向けていれば、彼女が醸し出す尋常ならざる雰囲気に気づけたかも知れない。

 少女は白のコートで全身を包んでいるものの、雪が降るなか傘も差さずに歩いているため、艶やかな黒髪は降り落ちた雪によって斑模様を描いていた。

 にもかかわらず、少女は髪に降り積もった雪を払う事もなく、おぼつかない足取りで歩みを進める。

 彼女の瞳に光は無く、虚ろな表情には生気というものが全く感じられない。はっきりと言ってしまえば、彼女の目は死人のそれであった。

 一見して彼女の歩む先に当てがある様には見えない。

 だが少女は、灰色の建物の前で立ち止まり、ゆっくりと建物を見上げた。

 建物の正面には、この国の守護者たる者を司る証、旭日章が掲げられている。

 少女は暫しの間その紋章を眺め、ゆらりと建物の中に入っていった。

 

 それから数分後、少女の姿は灰色の建物の屋上にあった。

 ただ、彼女は安全のために設けられたフェンスの外側、一歩踏み出せば虚空が広がる場所にいる。

 少女が足元の向こうに目を向ければ、降り積もった雪で真っ白な彩られたアスファルトの地面が広がっていた。

 

「………綺麗。」

 

 純白の絨毯を表し、少女が小さく呟く。その目には僅かながらに光が戻っていた。

 彼女はコートのポケットから銀製の十字架があしらわれたネックレスを取り出す。

 それを胸の前で固く握りしめると、自身が信じる神に祈りを捧げた。

 

「主よ、天から授かりし命を、自らの手で主の元に還す愚かな魂をお救いください。願わくば、あの魔獣達に天の報いがあらんことを…」

 

 祈りを終え、ネックレスをポケットに戻した少女は、迷わずにその身を虚空に委ねた。

 

 小雪が舞う静寂に包まれる中、一面に広がる純白の世界に小さな紅の花が咲いた。

 

 

 

 

 

 

 2017年1月某日

 

 目を開けると、灰色の空が広がっている。

 近くからは水が流れる音が聞こえ、冷たい風が潮の匂いを伴って鼻を擽っていた。

 

 ああ、またこの夢だ。

 

 何度目か分からないデジャヴを感じながら、私は自分の意思と関係なく地面に倒した体をゆっくりと起こす。

 周囲を見渡せば、予想通りここ数日ですっかり見慣れてしまった光景があった。

 生い茂った木々と勢い良く流れる川。やはり、最近よく見る夢の中の森と同じ場所だ。

 だとすれば、この後に起こることは決まっている。

 

 そう考えた時、丁度良いタイミングで言い争う声が聞こえてくる。

 これまた自分の意思に関係なく、体が勝手に声のした方へ向かっていった。

 暫く進むと森が消え、遠くに海を望める開けた広場のような場所に出る。

 広場の奥は切り立った崖になっており、川の水は滝となって崖の下に流れ落ちて行く。

 その川の水が流れ落ちて行く側で、二人の男が揉み合っている。

 体を木に隠し様子を伺うが、夕焼けの光が逆光になり容貌はよく分からない。

 そうしているうちに片方の男がもう一人の肩を強く押し出し、崖の下に突き落とした。

 男の悲鳴が遠くに聞こえ、すぐに滝の音しか聞こえなくなる。

 

 相手を突き落とした男はその場に座り込み、大きく肩で息をする。

 やがて、ノロノロと立ち上がるとゆっくりと後ろを振り返った。

 その時、見えた横顔は…

 

 

 

 

 

「はっ!?」

 

 堀裕子が目を覚ますと、見慣れた自室の白い天井が広がっていた。

 眠りを妨げたのは、猫だか狸だか分からない緑色の謎の生命体、ピニャこら太の目覚まし時計である。今もまだ何だかよく分からない奇妙な鳴き声で、起床時間を知らせてくる。

 まだ微妙に頭の回らない状態でピニャこら太の頭のスイッチを押して声を止めると、頭に手を当ててらしくもない溜め息をつく。

 思い出すのは妙にリアリティーのある先程の夢。あまり何度も見直したくない夢なのだが…

 

「またあの夢。もうこれで6日連続だぁ…こんなに何度も見るなんて、やっぱりこれって!」

 

 

 

 

 

 

「正夢ですか?」

 

「そう。ユッコちゃんが言うには、きっと正夢に違いない、だそうです。ね?」

 

 片桐早苗が横に座る少女に同意を求めると、その少女、堀裕子は大きく頷く。

 場所は毎度おなじみ、特命係室である。

 

「はい!この一週間くらい毎晩見ているんです。これはきっと、私のさいきっくセンサーが未来の事件を予知しているのでは!」

 

「それで、正夢としか思えない夢を見たと。なるほど。なかなか興味深いお話ですねぇ。」

 

 裕子の話を聞き、杉下は楽し気に笑みを浮かべ紅茶を口にする。

 一方で3人分のコーヒーの用意をしている冠城は、不審げな表情をしていた。

 

「正夢か…でもそれだと、近いうちにどこかで殺人事件が起こるってことになるわけだね。」

 

「そうなんですよ!だからこそ、早苗さんのお知り合いの刑事さん達に何とか殺人事件を未然に防いでいただけないかと思ったわけです。」

 

「そういうわけか。わざわざイベントの休憩時間を利用して、特命係を訪問したのは。はい、熱いから気を付けてね。」

 

「あっ、ありがとうございます。」

 

 片桐早苗、及川雫、堀裕子の三人にコーヒーを配ると、冠城は部屋に張られたポスターに目をやる。

 ポスターは警視庁冬の防犯キャンペーンを知らせるものであり、そのキャンペーンガールを務める早苗たち三人のユニット、セクシーギルティが一面に写っている。

 そして今日は、三人が一日特別防犯係として警視庁を視察するイベントが行われており、庁舎前にはライヴステージが設置され、普段では考えられないほどのテレビカメラと、セクシーギルティ―のファンが集まっていた。

 これだけ集まったのだから広報課としては大成功だろうと、冠城は不敵な笑みを浮かべる元上司を思い浮かべる。

 

「でも、本当に正夢なら怖いですよね。崖から人を突き落とすなんて…」

 

 そう言って頬に手を当てるのは、アイドル界随一の胸を持つ及川雫である。今も冠城は彼女の胸部に目がいかぬよう、必死に理性に働きかけている。

 一方で杉下は裕子の話に思考を巡らせていた。

 

「確かに、ただの夢だと片付けるには裕子さんのお話は具体的すぎますねぇ。しかも、堀さんはエスパーアイドルとして有名です。これは間違いなく、正夢と言ってよいでしょう。」

 

「あれ?右京さん、彼女のこと御存じなんですか?」

 

 以前アイドル事務所が関わる事件の捜査をした杉下と冠城であったが、もともと芸能関係に興味はないと思っていた杉下が裕子の事を知っていた事に、冠城は驚きを感じていた。

 

「ええそれは勿論。実を言いますと、僕は前々から超常現象といったものに目がなくてですねぇ。是非とも、一度でいいから生で見て見たいと思っていたんですよ。それがちょうど目の前に現れたのですから、見逃すわけにはいきません。」

 

「は、はぁ…」

 

 突然子供のように目を輝かせ超常現象に対する思いを捲し立てる杉下に冠城が若干引いていると、杉下はクルリと早苗たちに背を向け、部屋の隅でチェスの盤上をじっと見つめる小男に目を向ける。

 

「ともかく、堀さんが夢の中でいた場所が実際に存在する場所なのか確かめる必要がありますねぇ………調べて頂けないでしょうか、青木さん?」

 

 依頼をされた青木はゆっくりと立ち上がり、杉下の顔に視線を向ける。その顔は、明らかに不機嫌を表していた。

 彼は今日、杉下とチェスの試合を約束していた。それが早苗たちの突然の訪問で一時中断し、今までじっと隅で大人しくしていたのである。

 

「この際、来客でチェスの試合を一時中断したことはとやかく言いません。その相手が旧知の間柄ならなおさらです。でもあんまりじゃないですか?先にチェスをしないかと誘ってきたのは杉下さんだったのに、それをほっぽりだして夢だかエスパーだか分かんない事を調べろだなんて。正直、いい気分はしませんね。」

 

「お怒りはごもっとも。ですがこういった事は青木さんの得意分野ですので、どうか引き受けて抱きたいのですが…」

 

「とは言われましてもねぇ…夢の中で見た場所を特定しろなんて、いくらなんでも無茶な気がしますけど。」

 

「堀さんが見た場所は夕焼け空と海が望むことが出来、近くに森があり、滝のある場所です。日本全国を見渡しても、これだけ条件がそろう場所はあまりないでしょう。案外すぐに見つかるかもしれませんよ。」

 

 そう杉下は説得するが、青木は依然渋い顔で返答をはぐらかす。

 するとそれを見かねたのか、早苗が青木の下に寄って行き彼の手を握り、上目遣いで青木の顔を見つめる。青木はギョッとし、身を竦ませた。

 

「調べていただけませんか?青木さん……」

 

「あ、そ、その、それは…」

 

「私、本当に不安なんです。だって、夢が現実になったら誰か死んでしまうんですから!雫ちゃんだって、それは嫌でしょ?」

 

「え?あ、はいっ!できれば、事件なんて起こってほしくないです。」

 

 急に早苗から話を振られた雫は驚いた様子を見せたが、すぐに話を合わせて青木に寄って行く。

 

「お願いします、青木さん!」

 

 勢いよく頭を下げる動きに合わせて、雫の胸部が大きく弾む。青木の目はその動きに吸い寄せられた。

 

「しょ、しょうがないなぁ!市民の訴えを無視して取り返しのつかない事態を招く警察官と一緒にされてもいけませんからね!分かりました、すぐに調べてきます。」

 

 そう言って立ち上がった青木は勢い勇んで部屋を出て行く。その後姿を片目に、ちらりと舌を出す早苗の姿を冠城は見なかったことにした。

 

「ところで堀さん、あなたが夢を見始めたのは一週間ほど前からという事ですが、夢を見るようになった直前に何か変わった事はありませんでしたか?」

 

「うーん…特になかったような気がしますね。確か夢を見始める前の日は、今日のイベントの打ち合わせと取材があったと思いますけど。」

 

 裕子の答えに他の二人も頷き同意を示す。どうやら、三人は同日も一緒に行動していたらしい。

 そこでさらに杉下が質問を重ねようとしていたところに、スーツ姿の男性が特命係の部屋に入ってくる。

 

「すいません、そろそろ次の出番の時間になったんで会場の方にお願いします。」

 

 そう言って現れた男性は、346プロのプロデューサーで早苗たちのプロデュースを担当している坂本である。

 坂本に呼び掛けられ、早苗たちは時計を確認する。 

 

「あっ、もうこんな時間。ごめんね坂本君、ちょっと待ってて。」

 

 早苗たちは手早く身支度を済ませると、杉下たちに向かって頭を下げた。

 

「じゃあ私たちは、ここらへんで失礼しますね。どうもお邪魔しました。」

 

「コーヒー御馳走様でした。今度うちの農場で作ってる牛乳を送りますね。」

 

「刑事さん、どうかよろしくお願いします!私のさいきっく正夢の中の人を救ってください!」

 

 三人は順に挨拶をすると、特命係室を出て行く。

 ふと部屋の外を見て見ると、部屋の中を覗いていた生活安全課の人間が慌てて道を上げて業務に戻っていく。

 三人を見送った冠城はすぐに杉下に話を振る。

 

「で、結局調べるんですか、正夢の件?」

 

「青木さんにも頼んでしまいましたし、このまま無視するわけにもいかないでしょう。それに一つ気になる事もあります。」

 

「気になる事ですか?」

 

「ええ。兎も角まずは、君の昔の職場に向かいましょう。」

 

 そう言ってさっさと部屋を後にする杉下の背中を、冠城は慌てて追いかけていった。

 

 

 

 二人が向かったのは冠城の昔の職場、総務部広報課であった。

 僅か数ヶ月しか在籍していなかったとはいえ、配属された当初から札付きの厄介者扱いを受けていた冠城の来訪に、広報課が少なからずざわめく。

 そんな様子に冠城が居心地の悪さを感じていると、冠城の元に駆け寄って来る若い男性警官がいた。

 

「お久しぶりです、冠城さん。冠城さんがここに来るなんて珍しいですね。課長ならイベント会場に行ってますけど。」

 

「いや、今日は社課長には用は無いんだ。防犯週間のイベント資料と、先週の打ち合わせ資料を見せてもらいたいんだけど…」

 

「ああ、さてはまた勝手に捜査してるんですか?イベントの資料ですね。分かりました、すぐに用意しますね。課長には黙っておきます。」

 

 爽やかな笑みを残し去っていく警官の後ろ姿を見送り、杉下は冠城に囁きかける。

 

「随分と仲がよろしいようですねぇ。」

 

「ええ、まあ。ここにいた頃、唯一親しくしてくれた年下の子です。神林君っていって、あれで元警察官僚の神林法務副大臣の息子さんです。」

 

「はいぃ?またそれは意外ですねぇ。」

 

「何でも、親の希望に反発して警察官になったみたいですよ。そのせいで折り合いが悪くなったとか。人事担当者も配置に困って総務部に押し付けたらしいです。」

 

 冠城の時といい、社美禰子の時といい、総務部広報課はなにかと厄介事を押し付けられる部署のようだ。

 そんな神林の境遇に、杉下は嘗ての相棒を思い出していた。彼もまた、親の意向に逆らって警察官になり、長いこと父親と反目しあう仲だった。

 

 そうして過去に思いを馳せていると、神林が分厚いバインダーを持って帰ってくる。

 

「これがイベントの資料です。当初の企画から当日のスケジュール予定まで全てが網羅されてます。先週の打ち合わせでも使いました。」

 

「ありがとよ。お礼に今度飲みに行こうな。」

 

「期待しておきます。それにしても、相変わらず社課長はすごいですよ。打ち合わせの時僕も同席したんですけど、あっという間に相手の要望と此方の希望を兼ね合わせたんですから。」

 

「おまけに、アイドルを横に置いても見劣りしない美貌。案外、昔アイドル活動をしてたりして?」

 

「ははっ、まさか!」

 

 そう言って二人が冗談を言い合っている頃、イベント会場でライヴを見守っていた社が謎の記憶に頭痛を覚えていたのは別の話である。




社さん「東京パフォーマンスドール、トゥルー・ラヴ・ストーリー、貞子、ミイラ…うっ!?頭が………」

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