多重世界の特命係   作:ミッツ

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歌姫の守り人 4

 現在の芸能界を語るうえで961プロの名を出さずにいることはできない。ジュピターをはじめ多数の人気タレントが所属し、いずれ確かな実力に裏打ちされた質の高いパフォーマンスを有している。

 それに加え豊富な資金源を背景に、ライブではド派手な演出を見せることで観客を熱狂させるとともに、ゴリ押しとも揶揄されるほどまでにメディアへ露出させていることを鑑みるに、栄枯盛衰のサイクルが短いとされる芸能界で絶大な影響力を持ち続けているのは明白である。

 そんな961プロが本社を構える都心の一等地に建てられたビルを特命係の二人は訪れていた。受付に警察手帳を見せ黒井社長への面会を望むと、意外にもあっさりと面会の許可が得られた。。

 秘書と思われる妙齢の女性に案内され社長室に通されると、そこには一目で高級だと分かる椅子にふんぞり返った中年男性がいた。

 

「どうもはじめまして。私がこの961プロで社長を務めています黒井崇男です。」

 

 そう言って表面上は丁寧に特命係の二人に対応する黒井社長であるが、カイトの黒井社長に対する最初の印象はあまりいいものではなかった。

 まず最初に目につくのは黒井社長が着ているスーツである。毒々しいまでの紫色をしたそれは、人並みにオシャレに気を使うカイトの美的センスとは到底相容れないものであった。

 次に気になるのは社長室の調度である。流石大手芸能プロダクションの社長室というべきか、黒井社長の部屋は小さな体育館ほどの広さを誇っている。扉に近い壁には巨大な絵画が飾られており、その反対側の壁にはこれまた巨大な薄型テレビが掛けられている。そのテレビと絵画のちょうど真ん中に置かれた客人用のソファとテーブルも趣向が凝らされており趣味は兎も角として良い物には違いない。

 ただ、目立つ調度品はそれくらいのもので部屋の大きさとのバランスを考えると明らかに物がなさすぎる。社長が利用している机に飾られた一本の黒いバラが余計に部屋の孤独さを演出し、どこか部屋全体に冷たい印象を与えているのだ。

 そして何よりカイトが気に入らないのが、黒井社長本人の有する雰囲気がどことなく自分が毛嫌いする父親の甲斐峯秋警視庁次長に似ていることだ。

 

「どうされました?私の顔に何かついていましたかな?」

 

 無意識のうちに黒井社長の事を凝視してしまってたらしく、黒井社長もそれに気づいてしまったようだ。

 

「いえ、黒井社長が自分の知ってる人によく似ていたもので。」

 

「ほう、そうですか。一度お会いしてみたいものですな。まあ、そんなことよりも早く本題に入りましょう。私もこれで忙しい身なんでね。」

 

 言葉自体は丁寧なものだが、その裏側には人を見下したかのような意思が見え隠れする。刑事として人の裏の顔に接することが多いだけに杉下たちはそう言った感情に敏感なのだ。だからと言ってわざわざ指摘したり、あからさまに対応を変えたりはしないが。

 

「これは失礼しました。私は警視庁特命係の杉下です。」

 

「同じく、甲斐亨です。」

 

「それで、警察の方が私に何の用ですかな?」

 

「はい。現在われわれはある事件について捜査を進めているのですが、黒井社長はこの男性に見覚えはありますでしょうか?」

 

 そう言って杉下はプロデューサーに見せたときと同じように渋澤の写真を黒井に見せる。黒井は一瞬だけ眉間にしわを寄せたが、すぐに素知らぬ顔となり首を横に振った。

 

「残念ですが面識はありませんな。この男が何かしでかしたんですかな?」

 

「いえ、この人は被害者です。渋澤さんというのですがお名前に覚えはありませんか?」

 

「無いですな。大体警察の方はなぜこの男が私と関係あると思われたんです?」

 

「765プロの人が言ってたんです。この渋澤さん、どうやら誰かから依頼を受けて765プロのスキャンダルを追ってた可能性が高いことが分かってます。765プロの証言によると以前から961プロから妨害行為を受けていたとか。」

 

 黒井の質問に答えたのはカイトだった。黒井はカイトの言葉を聞き、不快そうに顔を歪ませた。

 

「765プロに妨害ですって?刑事さん、まさかそんな与太話を信じているんですか。冗談はよしてください。なんで我々があんな弱小プロダクションを気にしなければならないんですか。」

 

 なんというか、カイトは少しずつ黒井社長の素の顔が見えてきたような気がしていた。少なくとも、自分の父親とは違う人種の人間のようだ。自分の事を不快にさせるという点では実にそっくりだが。

 

「大体765プロと私の会社では天と地ほどの差がある。月とスッポンと言ってもいい。そんなところに妨害工作を行うなど、象が道端の蟻を気にして払いのけるようなものだ。妨害などやる意味がない。」

 

「しかし、あなたと765プロの社長との間には因縁があるそうじゃないですか。961プロと765プロ自体に因縁はなくとも、あなた個人が765プロにいやがらせをする理由はあったんじゃないですか?」

 

「なるほど高木との因縁ですか。確かに私と高木との間には確執がある。しかし、それを会社の仕事に影響を与えるほど愚かではない。私から言えることは765プロに対する妨害工作などなかった。渋澤という男の事も知らん。それだけです。ご理解いただけたのならすぐにお引き取りをいただきたい。仕事がありますので。」

 

 カイトは思わず感情的に言い返しそうになったのを必死に抑え、頭を冷やし冷静になろうとした。これまでの人生の中で黒井社長は自分の父親と並んで相性の悪い人間である事が分かった。これ以上此処にいたところでこの男は適当なことを言って自分たちを追い返そうとするだろう。

 だがしかし、カイトの刑事としての勘が黒井社長は確実に黒いと叫んでいた。どうにかして証言を得たいところだが、カイトには黒井社長から証言を引きずり出す術がない。

 こう言った場面で役に立つはずの上司は先程から一言も発しない。というか何時の間にやらカイトの隣から消えている。部屋の中を見渡すと、杉下はソファの前に置かれたシガレットケースを眺めていた。

 

「杉下さん何やってんですか?」

 

「黒井社長は葉巻をたしなまれるのですか?」

 

 カイトの質問を無視し、杉下は机に置かれた葉巻を手に取りそれをかざす。それを見た黒井は得意そうに鼻を鳴らした。

 

「ふん!まあ、たしなむ程度ですがねえ。これでも結構凝り性なんで品質にはかなりこだわってますよ。」

 

「そのようですねえ。この葉巻はキューバ製の高級品のようです。手に入れる場合はキューバ葉巻を取り扱っているスイスのメーカーを通し、個人で輸入する方法がほとんどだと記憶しています。そのため、日本への流通量はかなり少ないとか。」

 

「ほう、よくご存じで!警察官にしてはなかなかに博識でいらっしゃる。まあ、確かにこう言ったものを手に入れるには手間と金が必要になりますが。」

 

「そういえば、渋澤さんもこれと同じものをお持ちでしたねえ。」

 

「……なんだと?」

 

「渋澤さんも黒井社長と同じキューバ葉巻を持っていたんですよ。しかも、1本だけ裸の状態で。葉巻というのはある程度品質管理に気を配るべき物ですが渋澤さんにはその知識がなかったようで。そもそも日本では手に入りにくい葉巻をどうやって手に入れたのでしょうねえ?誰かからもらったのか、あるいはどこかから失敬したのか…」

 

「…さあ、皆目見当がつかないですな。」

 

 そうは言うが黒井社長の顔には先ほどまでの憎たらしい余裕はなく、目もわずかに泳いでいる。それを承知で杉下はさらに追い詰めていく。

 

「それはそうと、黒井社長は葉巻に認証ナンバーが打ってあることをご存知でしょうか?」

 

「認証ナンバー?」

 

「ええ、キューバ葉巻には偽物が多いため、本物にはそれが正規品であることを示すために製造月と製造工場を示す番号が打ってあるんです。当然それはスイスのメーカーにも記録されていますので、番号を照会すればその葉巻がいつ誰に販売された物か確かめることもできるでしょう。そうすれば、渋澤さんがどうやって葉巻を手に入れたのかも、おのずと解ってくると思うのですがねえ。」

 

 そう言って杉下は黒井社長の顔を見つめたままゆっくりと近づいていく。黒井社長はその視線から逃れるように顔を横に向けると苦々しい表情でつぶやいた。

 

「全くあの男は。能力だけでなく、手癖まで悪いとは…」

 

「あの男というのは渋澤さんの事ですね?」

 

 杉下が尋ねると、黒井は顔を前に向け杉下の視線を真っ直ぐにとらえる。

 

「私はいらぬ手間をかけるのは嫌いなんでね。認めてやろう。確かに私はあの男に命じて765プロの事を探らせていた。」

 

 黒井の態度は実に尊大で、どこまでも他人を見下したものであった。それでいて顔には生気が満ち溢れているのだから、これこそがこの男の本性なのだろう。

 

「765プロに対する妨害工作居ついてはいかがですか?雑誌の表紙を自分の会社のアイドルにさし変えさせ、765プロのアイドルを現場から遠く離れた場所に放置させたなどと聞きましたが。」

 

「ふふ。さあ、どうだったかな?もしかすると、出版社にジュピターを表紙にするように掛けあったり、番組のスタッフに、あの仕事が出来ないアイドルは目障りだと漏らしてしまったかもしれませんが、私自らが手を下したことはないですからなあ。果たしてこれは罪になるんですかな?」

 

「罪に問うのは難しいと言わざるを得ません。では、765プロのアイドルのスキャンダル記事に関してはいかがですか?場合によっては名誉棄損、あるいは侮辱罪に問われる恐れもあります。」

 

「四条貴音の件に関しては既に決着がついているはずだ。名誉棄損や侮辱罪は親告罪。一度は灌がれた汚名を奴らがわざわざ持ち出すはずがない。そんなことをすれば再びマスコミの餌だ。」

 

「如月千早さんの記事についてはどう考えているのですか?」

 

「フハハハハハハ!それこそ罪に問われる云われはない。なぜならあの記事に書いてあることはすべて真実なのだからな!

 如月千早の弟は事故で死んだ。それが原因で家庭は崩壊し、今も如月千早は一人で生活している。そして、事故現場に居合わせたにも拘らず、如月千早は死にかけた弟を眺めるだけで何もしなかった。弟を見殺しにしたのだよ。いずれも関係者の証言と当時の自己記録を調べたうえで書かれた真実!あの記事に関して我々に後暗いことなど存在しない!」

 

 そう言って黒井は誇らしそうに胸を逸らせる。その態度から、この男が本心からそう思っていることが窺いしれた。

 この男は後悔していない。自分の行いが誰かを深く傷つけるものと知っているのに、自分の行いが原因で人が死んだのかもしれないのに、黒井崇男を自分が悪いとは一切考えないのだろう。

 カイトの視線は自然と黒井を睨み付けるものとなっていた。

 

「…あんた、それでも大人かよ。」

 

 カイトの口から自分でも驚くほど低い声が漏れていた。それでも腹の内にため込まれた黒い感情は収まらない。もし、警察官でなければカイトは黒井社長を躊躇なく殴り飛ばしていたことだろう。

 

「あんたのせいで年端もいかない女の子が苦しんでるかもしれないんだぞ!人にはだれにでも触れられたくない過去があるもんだろ?それを暴き立てて、マスコミまで煽りやがって…それが大人が子どもに対してやる事かよ!」

 

 カイトの怒声が社長室に響き渡る。カイトの叫びはいずれも本心からのものだ。例え黒井が法律で裁かれないとしても、彼の行った行為は人の傷口をえぐり苦しめるものだ。

 そのことを自覚しながらまるで悪びれた様子がない黒井の事をカイトは許せなかった。

 だが、怒りに顔を歪ませるカイトの事を、黒井はまるで無知なものを見るかのような冷たい目で眺めるのみだった。

 

「どうやらそちらの若い刑事さんは芸能界がどういう場所か全くわかってないようだね。」

 

「なに?」

 

「1年の間で何人の芸能人がデビューしているか分かるかね?約一万人だ。その中で生き残っていけるのは才能に恵まれたごく一握りだけ。さらにそこから頂点を狙おうというのなら、才能以上にどのような相手だろうと蹴落としていこうという意志、勝ち上がるためならどのような事でもしようと云う覚悟が必要となる。綺麗事ではやっていけないのだよ。

 仲よしこよし、仲間同士の絆など信じて生きていけるほどこの業界は甘くない。そもそもこの程度で休養するなど、最初から本気でこの仕事をやっていく気がなかったんじゃないのか?私から言わせれば、如月千早はその程度の覚悟しか持ちえなかった落ちこぼれアイドルなのだよ。」

 

 そう言って黒井はにやけた笑みを浮かべる。

 その瞬間、今度こそカイトは頭に血が上り、にやけ顔に拳を打ち付けるべく足を踏み出そうとした。しかしそれは、横から右肩を掴まれたことで阻止された。右を見ると杉下が強い力でカイトの肩を掴んでいる。杉下は諌めるように厳しい表情で首を横に振った。それでようやくカイトは冷静になる事が出来た。

 カイトが落ち着いたことを悟ると、杉下は黒井に向き直る。

 

「大変お見苦しいところをお見せしました。部下に変わり謝罪いたします。」

 

「ふん!どうやらこれ以上話をしても無駄のようですな。どうぞお帰り下さい。」

 

「ではそうさせていただきます。ですが最後に一つだけ、僕の私見について述べさせていただきます。芸能人の根幹にあるのは見る人を楽しませたいという思いです。自分たちの芸で笑顔にしたい。自分たちの歌で感動してほしい。その思いがあるからこそ、彼らは芸を磨き、優れたパフォーマンスができるのです。

 黒井社長、あなたが行ったことは人を楽しませるという事の対極にあります。仮にも芸能プロダクションの門を構える者がそれに気づいていないのは大変残念なことです。

 そして何より、人の尊厳を踏みにじり、心を傷つける行為の言い訳に覚悟などと聞こえのいい言葉を使うのはやめなさい。大変不愉快です!行きましょうカイト君。」

 

 そう捲し立てると杉下は身を翻し足早に出口へと向かっていった。カイトもその後につづく。特命係が部屋を出ていくまでの間、黒井が二人に声をかけることは遂になかった。

 

 

 

 

 

 

 その日の晩、杉下とカイトの二人は花の里を訪れていた。店に入り椅子に座るとカイトは大きく息を吐いた。

 

「幸子さん、今日はうまいもん食わせてください。なんか腹の虫がおさまらなくって。」

 

「あら、どうされたんですか?なんだかとっても嫌なことがあったみたいな顔をされてますけど。」

 

 店の女将である月本幸子が心配そうに問いかける。それに対しカイトは苦笑いで答えた。

 

「嫌な事じゃなくって嫌な人にあったんですよ。それも、人生でトップスリーに入るレベルの。」

 

 そう言うと、カイトは目の前に出されたビールを一気に煽った。カイトがこうした乱雑な飲み方をするのは珍しい。しかし、カイトが荒れている原因を知っているためか杉下は何も言わず、自分の分の日本酒に口を付けている。案外杉下も黒井の件に腹に据えかねてるのかもしれない。

 暫くの間、二人は無言で酒を飲むだけだったが幸子が料理を運んできたのを見計らってカイトが口を開く。

 

「でもやっぱり如月千早の記事の事は本当の事みたいですね。黒井社長だけならともかく、765プロの事務員の人の態度を合わせてみると真実味がありますから。」

 

「確かに、渋澤さんが亡くなったのはあの記事が掲載された後ですからねえ。四条さんの記事よりも、如月さんの記事の方が事件のきっかけになった可能性があるでしょう。」

 

「とするなら、動機があるのは如月千早とその関係者…」

 

「あるいは765プロ関係者と言ったところでしょう。」

 

 そのような話をしていると、端で話を聞いていた幸子が会話に加わってきた。

 

「如月千早って…もしかして、今追っている事件にあの如月千早ちゃんが関わっているんですか?」

 

「おや、幸子さんは彼女の事をご存じなんですか?」

 

「当然ですよ。今の芸能界じゃトップクラスの歌唱力を持ったアイドルだって有名なんですから。私もiPodに曲を入れてます。」

 

 そう言うと幸子は自慢げに自身のiPodを取り出した。

 

「なるほどそうでしたか。もしよろしければ少し彼女の曲を聞かせていただいてもいいですか?」

 

「ええ、もちろん。」

 

 杉下は幸子からiPodを受け取ると、イヤホンを耳に差し曲を流し始めた。

 

「………なるほど、確かにいい曲ですねえ。この曲のタイトルは何というのですか?」

 

「これは『眠り姫』っていう曲なんです。個人的なおすすめはこの曲と『青い鳥』ですね。」

 

「そちらの方も後で聞かせていただいてよろしいですか?」

 

「それなら暫くそれを貸しときますんで、ごゆっくり楽しんでください。」

 

 そう言うと、幸子は次の料理の準備のために奥へ引っ込んでしまった。杉下の方は目を瞑り、本格的に音楽を楽しむ態勢に入ったようだ。手持無沙汰になったカイトは自身のスマホを手に取る。今夜は花の里で夕食を取ろうと、彼女にメールをするために……。


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