多重世界の特命係   作:ミッツ

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 ※注意
 今エピソードでは過激な描写や残酷な表現が含まれますのであらかじめ留意してご覧ください。
 尚、今回のクロス先の性質上、事件の結末を予想することが非常に容易ではありますが、感想のコメント等でその事を言及するのは原作を知らない読者にとってネタバレになるのでおやめください。


彷徨えるサロメ 1

 

 あゝ あたしはたうとうお前の口に口づけしたよ、ヨカナーン、お前の口に口づけしたよ。お前の脣は苦い味がする。血の味なのかい、これは?……いゝえ、さうではなうて、たぶんそれは恋の味なのだよ。恋はにがい味がするとか……でも、それがどうしたのだい? どうしたといふのだい? あたしはたうとうお前の口に口づけしたよ、ヨカナーン、お前の口に口づけしたのだよ。

 

 O・ワイルド作 福田恒存訳 戯曲『サロメ』

 

 

  

 

 

 

 

 12月の寒空の下を一人の男が進んでいく。警視庁特命係の甲斐亨、通称カイトである。

 普段の彼は少々熱くなりやすいところはあるが基本的に温厚な性格をしており、正義感にもあふれた好青年である。

 しかしながら、今のカイトの表情は非常に苦々しい物であり、その足取りもどことなく苛ついているように足早なものになっている。

事実、彼の心中はとても穏やかざるものであった。

 

「ったく。なんでよりによってクリスマスに事件が起きるんだよ…」

 

 ついついそんな愚痴が口から零れる。

 そう、クリスマスである。例年日本ではキリストの誕生日というよりも毎年恒例、全国共通で行われるイベントとしての色を持つそれは、恋人を持つ者たちにとって1年の中でも最も重要な一日と言っても過言ではない。

 年上の彼女を持つカイトも例外ではなく、この日の為にプレゼントを用意し、人気の高級レストランを予約し、ホテルの一室を抑えていたのだ。

 それが全て、つい先ほど自宅を出ようとしたときに掛かってきた上司からの一本の電話によって水の泡となってしまった。

 ほんの一時間前までは胸を高鳴らせるアクセントとなっていたクリスマスソングや町の装飾さえも、今では忌々しく聞こえてしまう。

 とはいえ、事件が発生したならいかなる場合でも現場に駆け付けなければならないのが公務員、警察官の使命であり悲しい宿命。彼女にはあとで埋め合わせをすると謝り倒し、こうして現場までの道を急いでいるのである。現場がカイトたちの住むマンションから歩いていける位置にある事は不幸中の幸いと言ってよいだろう。

 

 そうして何とか心の整理をしつつ足早に進んでいた時である。カイトは自分の反対側から歩いてくる人影に気が付いた。人影は学校の制服の上から防寒着を着た少女である。白い肌と黒い長髪のコントラストと、手に持った少し大きめのバックが印象的な少女であった。

 すでに日が落ち切った時間を女の子が一人で歩いていることを除けば、これと言って怪しいところはない少女である。しかし、なぜだかカイトはこの少女の事が気にかかった。いうなれば刑事の勘というべきものが働いたと言ってよいだろう。現場に着く時間を気にしつつも、カイトは意を決して口を開いた。

 

「…ねえ、君。ちょっといいかな?」

 

「……はい?」

 

 突然声を掛けられた少女は暗い夜道である事もあってか、警戒心を隠すことなくカイトに返事をした。

 カイトは出来る限り少女を安心させるべく、柔らかな笑みを浮かべつつ警察手帳を見せながら少女に近づく。

 

「急に声を掛けたりしてごめんね。暗くなったのに女の子が一人で歩いてたのが気になってさ。」

 

「…警察の方ですか。」

 

 警察手帳を示しても少女の表情から警戒の色は拭えない。むしろより色濃くなったと言ってもよいだろう。

 

「うん。こんな時間に女の子が出歩いてるのが気になってね。君一人かな?」

 

「…はい。知り合いの家に居たら遅くなってしまって…」

 

 少女の言葉を聞きカイトは少し考え込む。今日がクリスマスである事を考えれば学生が友人の家に集まって遊ぶのは不自然ではない。時間を忘れるほどはしゃぎ、帰宅するのが遅くなることもあるだろう。

 しかし、カイトには目の前にいる少女が友人宅で遅くまで遊んでいたという事に不自然さを感じていた。少女はどちらかというと清楚と言える風貌をしており、受け答えも丁寧で家庭の躾けの良さを感じる。

 カイト自身もいい所のお坊ちゃんと言ってよい出自の為、少女の雰囲気と彼女が語る証言に違和感が感じられた。少なくとも、友人宅から帰宅するだけとはいえ、夜道を女の子一人で歩かせるというのは有り得ないと思える。

 

「…ねえ、もう少し話を聞いても」

 

 そう言って詳しく事情を聴こうとした矢先、カイトのポケットにある携帯がメールの着信を知らせるべく震えだした。慌てて確認すると送り主は彼の上司から。内容を要約すると、『まだ現場に着かないのですか?』と言ったものであった。

 小さく舌打ちをするとカイトは少女に向き直る。

 

「とにかく女の子が夜道を歩くのは危険だから誰かに迎えに来てもらった方がいいよ。特に家には絶対連絡をいれるようにしときなよ。」

 

「あ、はい。お気遣いありがとうございます。」

 

「じゃあ、気を付けて帰ってね。」

 

 そう言って別れを告げるとわずかに後ろ髪を引かれる思いをしつつ、カイトは現場に向け再び足早に去って行った。

 その様子をしばらく眺めていた少女もカイトの姿が見えなくなるとホッとした様子でその場を後にした。やがて、彼女の姿もまた闇の中に消えて行った。

 もしこの時、カイトが少女の事を気にかけ彼女の持つカバンの中身を確認していれば、この後の展開は大きく変わっていただろう。

 それが果たしてこの事件を救いのあるものに出来たかは、今ここでは誰にもわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カイトが現場となったマンションの前に着くと、道路には無数のパトカーが止まっており、周辺住人と思われる野次馬の輪が出来ていた。その中には報道関係者も交じっているようだ。

 カイトが人ごみを抜け、黄色いテープの中に入るとほどなくパトカーの無線で連絡を入れているらしい芹沢の姿を発見した。

 

「おつかれさまっす。」

 

「ん?ああ、カイトか。いま来たところか?」

 

「はい。杉下さんは現場ですか?」

 

「ああ。さっき先輩が嫌味を言ってた。お前もすぐ向かうだろ?」

 

「ええそのつもりですけど…」

 

「だったら気を引き締めて行った方がいいぞ。今回の現場は割と酷いからな。」

 

 芹沢は声を低くしてカイトに告げる。その様子からは冗談を言っているようには感じられない。

 

「それって、凄惨な感じですか?」

 

「ああ。あたり一面血の海。おまけに仏さんの首がなかったんだ。」

 

「首なし遺体ですか!」

 

 芹沢の言葉にカイトは驚きの声を上げ、芹沢は神妙な様子で頷く。

 

「既に遺体は回収されてるけど、あとでお前も確認に行くと思うぜ。その時くれぐれも吐かないようにな。」

 

 そう言ってカイトの肩を叩くと芹沢は再び無線で連絡を取り始めた。カイトは芹沢の言葉を受け小さく深呼吸をするとマンションに入り、エレベーターに乗り込んだ。

 

 現場となったのは4階の部屋である。部屋の場所はすぐにわかった。現場となったであろう部屋の前では鑑識が熱心に遺留品の採取に勤しんでいる。彼らへの挨拶もほどほどにカイトは部屋の前に立つと、開けっ放しになっている玄関のドアを潜った。

 その瞬間、カイトに鼻腔に濃厚な血の匂いが殺到する。その生臭さに思わず息を詰めるカイトの目に飛び込んできたのは玄関から見て右側の一室から続いている血の足跡である。それによって、カイトはどこが犯行現場になったのか理解した。

 カイトは足元に気を付けながら部屋の前までたどり着くと、その中を覗き込んだ。そして、顔を思いきり顰めることになる。

 芹沢の言う通り現場は血の海と化しており、床が元は何色だったのかが分からないほど変色している。被害者の遺体があったとされる場所には白いテープで発見時の遺体の状態が再現されており、その傍らではカイトの上司と知り合いの鑑識が何やら話し合っていた。

 

「杉下さん、米沢さんお疲れ様です。」

 

「お疲れ様ですカイト君。随分と遅い到着でしたねえ。」

 

「すいません。ちょっと寄り道してたもので。それよりも遺体の状況を教えてもらえませんか米沢さん。」

 

 杉下の嫌味を軽く流しつつ米沢に尋ねると、米沢はメモ帳に視線を落とす。

 

「はい。被害者の死因は見てのとおり出血多量によるショック死。発見時、被害者の腹部には複数の刺し傷があり刺殺されたものと思われます。また、凶器は包丁のような刃物と推測され、台所にあるはずの包丁が一本亡くなっていることがこの部屋の家主からの証言で分かっています。」

 

「この部屋の家主ってのは?」

 

「遺体の第一発見者の女性で通報者も彼女です。それで何ですが、被害者というのがどうやらその人の息子さんのようで…」

 

「え…」

 

 米沢の報告にカイトは言葉を失う。見れば、黙って話を聞いている杉下の顔も普段に比べ強張っているように見える。

 そこでカイトは気づいた。惨劇の現場となった部屋には学習机が置かれ、本棚には少年向け漫画に交じり教科書が並べられていることに。

 

「…米沢さん。もしかして、被害者ってのは未成年なんですか?」

 

「……はい。被害者はこの部屋に住む伊藤萌子さんの息子さん、伊藤誠君16歳です。」




今回はプロローグ。
次回以降、特命係が本格的な捜査を開始します。
多分そんなに長くならないと思います。

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