魔王戦争時の”勇者の酒保商人”ウォーレンについて〜学窟の普及において彼が果たした役割〜
ガルドガル・ゴーギン著
要旨
中世中葉に勃発した魔王戦争は今なお創作に多く描かれる題材であり、特に勇者ハロルドとその一行は最も著名な歴史的人物の一人である。そのなかで全くと言っていいほど着目されてこなかったのが”勇者の酒保商人”ウォーレンである。しかし、アルフレッド・T・ドレンによって再評価がなされ、近年、彼の研究が進みつつある。本稿は魔王戦争末期にゴブリンの博爵領、現代のゴブラートリン学窟から始まった学窟という制度の普及に彼がいかに尽力したかを示すためのものである。
キーワード:魔王戦争,学窟制度,ゴブリン接触,ウォーレン,ゴブラートリン学窟の歴史
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勇者一行の足が止まっていた。勇者一行で最も感覚の鋭い獣人の戦士、アゴールが立ち止まり警戒の合図を送ったからだ。
アゴールは忙しなく獣の耳を動かし、伝える。囲まれた、と。
アゴールが囲まれるまで気づかないというのは、魔王軍の精鋭でも上澄みと言えるほど練度の高い隊だという証左だった。
しかし、一行に焦りはない。この程度、何度も踏み越えてきた程度のことだ。何を焦る必要があるだろうか?
空気がピリピリと痛いほど張り詰める。しかし、飛び出したのは矢でも魔法でも剣でもなくこの言葉と緑肌の男たちだった。
「お見事です!勇者御中!しかし、我らは敵ではございません!」
御中という奇妙な言い回しよりも奇妙だったのは彼らがゴブリンだったことだ。ゴブリンは知能が低く、人語を解さない。魔王軍に与するとは聞かないが、何かを生産する術を持たない種族だ、というのが一般の認識だった。
しかし、彼らは、奪ったというにはあまりに上等な鎧と剣を持ち、言葉を喋ったゴブリンは上等な布で拵えられた礼服を着ていた。
しかも、エルフの魔道士、アイラとドワーフの戦士、サーリムはほとんど同時に彼らの武装の異常さを指摘した。
アイラ曰く、「武装のエンチャント、凄まじいよ。あんなの星天領の『地上の能天使隊ハイリムサレン』でもないと見れないような業物だよ。」
サーリム曰く、「剣も鎧も、スゲェぞ。アダマンタイトだ。東の皇帝の近衛が持ってるようなものなんだが……」
アダマンタイト製のものにエンチャントを行うのはどの勢力も実現していない絶技である。
「分かりますか!それの秘密も教えますから、我々に付いてきてくださいませんか?」
限りなく怪しい。しかし、ハロルドはついて行くことにした。あれが魔王軍なら、前線にあの装備が出でいないのはおかしい。ひとまず敵意が見られないのだし、ついて行ってもよいだろう。
道中、ゴブリンの隊長、いや武具を持たないので、官吏だろうか、彼は議論者ガウフェと名乗った。
何か疑問があれば答えると言うので、まず何故人の言葉が話せるのかと質問した。
「あなた方との接触が初めてという訳ではありません。ごく小規模ですが、流浪民との繋がりや人間社会に潜伏している同胞がいます。……それにゴブリンの言葉はどれ程甘く見ても学問に向いていません。必要だから人の言葉を学びました」
「あぁ、周りの……兵士たちは喋られません。貴方がたの言葉を話せるゴブリンと言うのは特殊なのです」
「どういうことです?」
「人にも特に臂力や魔力の高い個人がいるでしょう。私の目の前に具体例がありますが。同じように……ゴブリンは特に知力が高い個人が生まれることがあるのです」
「ガウフェさんのようにですか?」
「その通りです。普通のゴブリンは、どれだけ教育しても簡単にしか考えるということが出来ません。例えば……北方大高原の熊はみな白い、と仮定します。次にマリニナという街は北方大高原にあります。では、マリニナ近くの森にいる熊は何色でしょうか?」
「……白?」
「私もそう答えます。ですが、普通のゴブリンは『マリニナの熊を見たことがないから、分からない』と答えるそうです」
ゴブリンの兵士の一人が唸り声を上げた。それに返答するようにガウフェが唸る。そして、
「皆さん。そろそろ我らの住処、博爵領が見えてきます」
ガウフェが言うには人口5万を越すというそこは、人の都市と異なり、洞窟が主な住居のようだった。そこはゴブリンのイメージ通りなのかと一行は思ったが、人 ―当然ゴブリンである―の往来を見れば人口5万超えというのも頷けた。
「博爵領はその名の通り、博爵と呼ばれるお方が筆頭議論者達と共に統治しています。彼らの庁舎となっている洞窟に案内します」
庁舎の洞窟に入るとそこは人族の様式とは異なるものの、調度品の配置だとか壁龕や柱などの建築の構成だとかがゴブリン族の威信を示しているように思えた。特にエルフの魔道士、アイラは学者として王族付きの学者をしていたこともあるから、特に興味深そうに見ていた。
しばらく歩くと極めて重厚であからさまに重要そうな扉についた。
「ここが彼らの会議室です」
中はむしろ威圧感に乏しく、落ち着いた雰囲気であった。そして、5人のゴブリンが座っていた。
「ようこそ勇者様方。わたくしは実験派筆頭議論者 ガリス・フィセルですわ」
彼女は笑顔を浮かべていたが、冷徹な目で勇者たちを見つめ、怜悧な印象を一行に抱かせた。
「……与件派筆頭議論者 イーギン・ホルト」
彼は椅子に深々と座り、隠そうとしてはいるようだが、眠気を感じているようだった。
「情動派筆頭議論者 ゴゼント・フリアだ。」
彼は細身だが鍛えているのか、戦士らしく体幹が強く、手にも剣ダコが見られる若者だ。
「僕は数理派筆頭議論者 ガーゼル・ゴーギンです。よろしく。」
彼も若く、そして筋骨隆々だった。しかし、その筋肉は戦闘のためというより鍛冶だとかそちらに使うもののようだった。
「そして、私が博爵だよ。」
彼はまだ若いようなのに眼鏡をかけており、ゴブリンの君主というには覇気がない。
「そっちは有名人だからね、君たちの自己紹介は置いといて、本題に入りたい。僕たちも魔王とは敵対関係なんだ。だから君たちに協力したい。」
ガリスが言葉を継いだ。「そのためにわたくしたちは、あの兵士たちが持っていたような武具やその製造技術の一部を提供しますし、戦列を共にする用意がありますわ。貴方方にはそちらの指導者たちに、このことを言伝けてもらいたいのです。」
先述したように、彼らが魔王軍なら、前線にあの装備が出回っていないはずがない。やはり、彼らは我々人類の味方だと考えるのが妥当である。
なので、ハロルドもその仲間も、その提案を受け入れる腹積もりだったが、政治の折衝は”勇者の酒母商人”ウォーレンに任せるべきだ、というのも共通認識だった。
というわけで、詳細を詰めるのはウォーレンと勇者たちが合流したあと、ということになった。
数日後、予定されていた地点で、合流したウォーレンは勇者一行の案内を受け、博爵領に入った。
会談の結果、まずは東方の大帝国”清巌”へ勇者たちの紹介状を持って、向かうこととなった。
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会談の日の夜のことである。ある三人が密談をしていた。
「そういえば、ゴブリンのことを聞いても驚かなかったね。」
「噂は聞いたことがあったからね。『流浪民が人以外と取引してる』っていうやつ。僻みから来る出鱈目だと思ってたけど。」
「それは……ルードル、という……流浪民かね?」
「そうです。……会談の時からそうでしたが、イーギンさんってなんでそんな寝不足なんです?」
「彼は睡魔症なの。」
「なるほど、アイテルーの実を持ってきましょうか?」
「あぁ……それに……効果はない。偽薬効果……。思いこみだ……。」
「やっぱり効果なかったんだ。」
「やっぱりって、これだから商人は悪党なのよ。」
「キミほどじゃないけどね。アイラさん。……で、話は何です?」
「学窟。これをここから持ち出すの。」
学窟。それは読者諸氏の世界で言う大学に近い。
近いと書いたからには、学窟には大学と異なる部分が多い。
例えば、学生にあたる”修論者”、教授にあたる”議論者”、学部長にあたる”筆頭議論者”、学長にあたる”博爵”が存在する。また、修論者に学士、修士のような区分が存在しないし、准教授や助教、ポストドクターのような役職も存在しない。
次に、(これはこの世界に普遍的なことだが)学問の分類が異なる。彼らは学問をそのアプローチの仕方で区分するのだ。
ガリスのように、実験と観察を主とする実験派。
イーギンのように、因果で捉える与件派。
ゴゼントのように、情動を世界の仕組みとする情動派。
ガーゼルのように、数理で世界を読む数理派。
この様に四つに別れている。
「あぁ、学者の互助組織を作るって話があったから。まさか紛糾してるあの話に、コレを引っ提げて突撃するつもり?」
「そうよ。あの議論は百人百様、議論に飽き飽きしてる学者も多いの。これで意見をまとめるつもり。」
「……凄まじい反発に遭うんじゃ?」
「理論武装はコイツが最強なの。どの案もどうせ机上の空論。数百年続いているという圧倒的な証明にどれも太刀打ちできないよ。」
「……ウォーレンくん……清巌帝国に……まず向かうのは、学窟の普及に……関わる……。」
「と言いますと?」
「清巌帝国の学者も互助組織の重要性に気づいているの。でも、それに気づいたばかり。」
「今が洗脳するチャンス、ということかな。」
「……あり得ないくらい言い方が悪いわね。彼らなら学窟を比較的簡単に受け入れるはずってことよ。」
「……承りました。また資金の融通と、学窟に関する利権に噛ませてくださいね。」
「はいはい。対価はちゃんと渡すよ。」
「こちらからも……正式な貿易が始まれば……ルドール以外の……ふぁ……商人も必要に……なる。その時は……キミを頼る……。」
「ありがとうございます。そういえば、隊商についてくるゴブリンはイーギンさんの部下の議論者でしたね。安全に送迎するので、安心してください。では、良き夢を。」
これが学問史上最大とも言われる転換点、「学窟制度」普及の切っ掛けとなる夜だった。
続かない