温泉開発部のモブとしてもな   作:てぐめん

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※残酷な描写を含みます。苦手な方は読み飛ばす等していただければ幸いです。


8. トリニティは曇り空

 本日週の初め、すっかり夏の暑さになった頃。僕は西洋建築風の建物が並ぶ街をぶらぶらほっついき歩いていた。

 

 学校は、知らん。サボってしまった。先日ついに捕まって牢屋に投げ込まれたことを機に、どうでもよくなってしまったのだ。優等生をやろうと思っていた時代もあったが、そもそも温泉開発部を選んだ時点でその道からは外れている。

 

 クッソ狭い檻の中でごろごろしている時に気が付いた。律儀にカリキュラムを守る必要はもう全く無いのだから、一日くらい黙って外に遊びに行ってもいいと思う。

 

 結局、健康ランドに視察に行った日は僕たちが逮捕されて終わった。美食研の人らは逃げ切ったと思われる。彼女たち二人がやけに強いというのもあるし、生徒会・風紀委員の混成軍があまり本気で追いかけてなかったのもある。僕たち、温泉開発部をひっ捕らえるのが目的だったようだ。

 

 しかし、美食研究会は仁義に溢れた人たちであった。しばらく逃げ回った後、確かに爆破スイッチを押してくれたのだ。有言実行、頼んでもいない約束を果たし、見事に僕は公共施設を破壊せんとする陰謀を企てた主犯として、風紀委員たちからおもてなしを受けた。ありがとう美食研究会、このご恩は必ず、決して忘れない。

 

 救いだったのが、爆薬は温泉部分にしか仕掛けられていなかったこと。件の健康ランドはそもそも巨大な施設で、全体としては致命的ではない被害で収まった。物理的な損傷が比較的小さいという意味なので、実際の損失は知らんけど。部長が関係あるかは分からないが、あの温泉は顧客を騙していた、みたいな情報がネットに流れ出していて、施設自体の評価が落ちているみたいだから。

 

 しかしともかく、本当に黒星を飾ってしまった、というのが問題である。

 中途半端に逃げ回っていたのが災いし、僕、塩谷ユキが1年生の中でも最も厄介な生徒の一人と認識されていて、随分と酷い扱いを受けた。まあ色々あったが、みんなより長めに拘束されたのが一番嫌だった。監視の目がやけにきつくてちょっと動けばすぐ大声で注意されるし。とにかく、疲れ果てたの一言。

 

 こうなると分かっていたら最初の方に捕まっておくんだった。頻繁に捕まってその日のうちに解放されてくる先輩方は、その辺の対外的な印象を気にして大人しく逮捕されているのかもしれなかった。あの素の笑い方がガッハッハ!の人達が皆そこまで考えているかと言われると、まあ、うーん、コメントするのが難しいが。

 

 気にしすぎ、なんだろうな。そうだと思う。ゲヘナ学園では大抵の生徒が当たり前に牢屋行き、つまり反省室行きを経験していて、それが僕は最近あったというだけのこと。周りの感触的にも大事な感じは受けないし。重く見過ぎる必要はない。僕もそういう結論に落ち着いてきた。

 

 なので、なんとなくガッカリ、という感じ。頑張って逃げ回っていた後についた黒星は、頑張って持続させていたデイリーボーナスを見逃したとか、ついに赤点とっちゃったとか、そういう類の嫌さがあった。だからやさぐれて、初めて授業を派手にサボってしまったのだ。

 

 これで僕も不良の仲間入りだろう。ゲヘナ水準で言えばまだまだかもしれないが、僕にとっては結構な逸脱だった。もう、適当にしてしまったからには、思う存分に楽しんで帰ることにする。

 

 

 

 それにしても、ああ、なんて解放感。

 

 三歩歩けば不良に当たるゲヘナとは大違いの、素敵な街並みが広がっている。

 

 どうせサボるからには住まいと全く違うところに来てみようと思い訪れたトリニティ自治区。これが、中央区の駅からしてすごかった。歴史を感じさせる白いレンガ造りの建築物、中は大きなアーチ構造がこれでもかと連続しており、もはや大聖堂と言った方がよさそうな、世界遺産もかくやという荘厳さを携えていた。僕みたいな悪魔が来てもいいのかしら、という罪悪感が湧き上がるほど。

 

 実際チラチラと見られるがなんかされる訳でもないから、今日はここで遊ぶことにしよう。キヴォトスの種族が多種多様なのは今更で、悪魔一匹紛れ込んだくらいで騒いでいたら、取り締まりがいくらあっても足りなくなると思う。探せば角っぽいのついてる人もいなくはないし。これも結局、世界に馴染んでないが故の気にしすぎだ。

 

 周りをきょろきょろ、あたりをうろうろ。

 お上りさん丸出しではある。自治区を越えると街並みでなく、こう、もっと大きいところで違いを感じて興味が尽きない。

 

 宗教由来の大きい建物がよく目立つが、街行く人もお上品に次ぐお上品だ。トリニティ学園の生徒は言うまでもなく、ロボの人も歩き方が、なんかこう、しゃらんとしているというか。声の高さもみんなちょっと高くて、言語すら違って感じる。誰も怒鳴ってない、誰もガンを飛ばしてこない。紛争乱闘も起きてない。

 

 境界を越えただけでここまで変わるとは。なんて平和で美しい世界なんだ。キヴォトスにもこんなところがあったなんて。

 

「テーマパークに来たみたいだなぁ……」

 

 テンション上がるぜ、大体そんな感じだった。

 

 さて、プチバカンスみたいなサボタージュに必要なのは、甘くて美味しい食事なんじゃないだろうか。

 こんなに暑いことだから、冷たいアイスみたいなのがいいな。微妙に曇ってて晴れない気分も、スイーツを前にしてしまえば敵ではない。ほら、噂をすればジェラートを売る屋台が出ている。観光地の気分を味わえて素敵じゃないか。ここは景気よく、うまいもん食って元気出してこう。

 

「バニラ味を一つお願いします」

「は~い、1400円ですね」

 

 高級感漂う金色と銀色のロボット店員の丁寧な接客を受け、電子決済で支払いを済ませる。モモペイ!とマスコットじみた高い声がスマホから鳴って購入完了、ジェラートを受け取った。

 

 値段の割にサイズが小さく、ちょおっと贅沢すぎるかなぁなんて思うがいかんいかん。今日は外に遊びに来てるんだ。こういう邪念は取っ払って、派手に遊んで気分転換するのがいいんだ。屋台の場所も中央区駅近くで、物価が高いのは仕方ない。変なお店だったら誰も近寄らないはずだろうが、ほら、さっきの屋台に中学生くらいのピンク髪サイドテールの子が向かっていった。なんて健全な景色なんだ。

 

「こんにちは。いつものを貰えるかな」

「はい、ブルーベリー味ですね! 700円です!」

 

 半額……?

 

 味が、違うだけで……?

 

 あれ、彼女のジェラートって僕の1.5倍くらいないか? これって遠近法のバグ? 店員さんも溌剌とフレンドリーな態度で、いや、それは常連だからかもしれなくて……。

 

 ジェラートを一口食べる、くど過ぎない甘さがほどよく美味しい。しかしあっちに広がる光景がノイズになって、いまいち味に集中できない。怪訝な目でお店の方を見ていると、ロボット店員と目が合った。

 

 にっこり。あちらの顔には笑顔が浮かぶのみ。

 

 接客の一環か、それとも何こっち見てんださっさと立ち去らんかいという威嚇なのか。なんだか怖くなって、さっさと食べて逃げ去った。

 

 まあ、うん、ぼった、うん……。

 これは、勉強代になったということで、次からはきちんと値段を注意すれば、引っ掛かりはしないと思うから……。

 

 清々しいほど綺麗にトリニティの洗練を受けた僕。気分転換、気分転換と自己暗示をかけるよう内心唱え、この幸先悪さがもたらす嫌な気配を追い払うための、別な観光地探しに市街地の方へと向かうのであった。

 

 自分の歩いている道が、見えづらい悪意で舗装されているとも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 コンビニに寄って弾と飲み物を補充する。無人レジ、ここは普通の値段。

 

 美術館に入ろうとする。チケットを買う番になって、本日分は売り切れと言い渡される。仕方ないか、と思って隣接している常設展の方に向かうがやっぱり売り切れだと言われる。駄目だ、ここは諦める。

 

 場所を変えて、お昼ご飯のレストラン。ちょっとおしゃれなパスタなんか頼んじゃって、と一人盛り上がって堪能できた。相変わらず隣の客より量が少ないような気がしたが。

 そして食後、パスタ本体より高額のチップの請求。もう食べてしまったし早くお店から出たくて払ってしまう。ちょっと抵抗する武力が羨ましくなる。したらしたで別の問題に発展するから、出来ないだろうけど。

 

 別の屋台、フランクフルト屋さん。諦め悪く、次こそ正規の値段で買ってやるぞと意気込んで近寄るが、シンプルにあっち行きなしっしとやられる。ショック。おまけに地元のガキんちょに悪魔~!と煽られて嫌な気持ちになった。

 

 あと、気のせいならいいのだが、お昼前から誰かにつけられている気がする。さすがに被害妄想逞しすぎるか。もう何がなんだかよく分からん。

 

 最初の方でなんだ角付きでも全然いけんじゃんへっへと思っていたのは、中央区駅近くで、トリニティの現地人が少なかったからなんだと気付いた。駅から離れるにつれて住民の割合は増していき、同時に僕を疎ましい目線でちくちくしてくる人も増えていった。今なんてすごい。針の(むしろ)そのものだ。

 

 いつもの温泉開発部服は変な知名度があると嫌だなあと思って、久々にゲヘナ学園の制服を着てみたけれど、実はこっちの方が悪い選択肢だったかもしれない。別の学校の服とか着てたら少しはマシになったんだろうか。

 でもこの変に太い尻尾持ちって他の自治区にもいるのかな。謎だなあ。

 

 突発的サボり、トリニティ小旅行。明らかに別種の疲れが溜まってきた。

 

 歩くのも嫌になり、ゲヘナにいる時の癖で、近くのチェーン店的カフェに逃げ込んだ。メニューにデカデカと一番推されている紅茶を頼むが、お店の人は嫌そうな顔を隠そうともしない。周りの目線も痛い。さっさとカウンターで商品を受け取って、逃げるように隅の席に座った。

 

 紅茶を一口含み、決意する。

 

 よし、帰ろう。明らかに歓迎されてない。

 

 気分転換も何もあったもんじゃない。もうすでに気落ちポイントの方が圧倒的に上回っている。遊ぶにしても中央区駅周辺だったら、あらやだお外って怖いわね~くらいのヒヤリ海外旅行体験で済んだのかも知れないが、これは違う。シャレにならない。様々な根深い問題が散らばっていて、どれにも近寄りたくない。

 

 今から帰れば、夕方前には寮につく。それで寝転がって、スマホいじって、あ~今日も無為な一日を過ごしちゃった、これしかない。というか休みにスマホ弄る日の何が悪いんだ。現在進行形で激しい排外意識に晒されている今、あの無駄で平穏な時間が恋しくてたまらなかった。

 

 これを飲んだらすぐに帰ろう。

 帰りの電車の時間を調べ、地元のお嬢様も大激怒間違いなしの紅茶一気飲みをかまそうとする、その直前。

 

「あぇ……?」

 

 舌がもつれて上手に発音できないことに気付く。

 

 そのまま視界が暗くなり、体が脱力していくのを感じながら、速やかに意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あ。

 

 あつい。

 

 なに。

 

 頭に、何かかかっている。

 

 この香りを僕は知っていて、今日は嫌と言うほど嗅いだ香り。紅茶の匂い。だから、今もびちゃびちゃと頭と、髪と、服を濡らすこの液体は──。

 

「ぷあっ、ぶっ、ゲホッゲホッ……!」

「あ、やっと起きた。 水筒の中身が無くなってしまうかと思いましたわ」

 

 口と鼻に入って激しくむせ、涙目になりながら目を開く。紅茶をぽたぽたと滴らせながら頭を上げれば、そこにいるのは三人の生徒。ケープ付きの白いお淑やかな制服は、僕の記憶が正しければ、トリニティ生徒会ティーパーティーのものだったはず。

 

 間違っても人にかけてはならない、高温の紅茶入り水筒をカバンにしまう主犯格はつまらなそうな無表情。後ろ二人は愉快そうにも、静かに侮蔑しているようにも見える、

 

 銃を、と思って体を動かそうとして失敗する。全然動けない。両手両足がなんかで縛られている。余った勢いでべちゃっと横に倒れてしまった。地面にはこれまでぶっかけられていた紅茶が、泥まじりの濁った水たまりを作っていて、もろにそこへ突っ込んだ。跳ねた水滴が目に入って痛い。地面と接する方の髪が濡れて、結構な不快感。

 そもそもやけにこの辺は暗い。どこに居るんだ? ざっと見渡して、状況を把握し直した。

 

 人があまり来なさそうな路地裏。

 動けないほどの拘束。

 気の立った感じの、三人のお嬢様。

 

 わ、わあ~。

 こんな、嘘みたいないじめのシチュエーションに出会う事なんてあるんだ。あまりに非現実度合いの高い景色が一周回って、面白くなってしまった。ふへっと変な笑いが出る。

 

「……紅茶を浴びせられてヘラヘラするなんて、どうかしていますわね。やっぱり精神からして違うのかしら」

 

 主犯格の人が吐き捨てるように言って、ハンドガンで一発撃ってきた。全然頭とか狙ってくる。もちろん、痛い。

 

「一口飲んだだけで随分と長い時間昏倒していましたね。トリニティでもいませんよ、こんな貧弱な学生。 ゲヘナ生まれが聞いて呆れます」

 

 薄々分かっていたが、薬を盛られたようだった。店員とグルだったのか、店員だったのか、もうその辺はどうでもよくて、一服盛られて窮地に立たされた事実だけが重要で。

 

「野蛮でも強いのが取り柄でしょうに。それを失くしたら、あなた方には一体何が残りますの?」と、主犯格は淀みなく、立て続けにヘイトスピーチを連発していた。

 

 なんか、すごいね。これは憎しみ由来とかじゃなくて、もう悪口が好きな人なんじゃない?

 お嬢様学園では銃撃戦の代わりに激しい口撃戦が繰り広げられているという噂は本当だったのかもしれない。物理とメンタル、どっちが深刻かというと悩ましい。キヴォトスに限って言えば、銃弾の方がマシか。精神を責められると最悪死ぬ。まさしく今の僕の心が終わりかけているように。弄ぶのはいいけど、死んじゃう前に解放してね。

 

 同じ姿勢でいるのが辛くてもぞもぞしていたら、何連発も胴を撃たれた。音が違うから、これは取り巻きのどっちかだろうか。撃ったらしき人がリロードしながら続けて喋る。

 

「あまり近づかないでくれます? 服が汚れてしまうので」

 

 すごい。

 お嬢様って本当にこういうこと言うんだ。

 この期に及んで観光気分の僕は、痛みに悶えながら、また笑ってしまうのであった。半分は面白おかしいから。

 もう半分は、現実逃避をする思いから。

 

「卑屈根性が染みついた下卑た笑い。みじめですわね」

「見てくれは悪くないんですけどねぇ。 角と、尻尾さえなければ、けっこういい線を行くのでは?」

「削って差し上げるという手もありますよ。 まあ、しかし、それでは帰られた時によくない噂が立ちますか。 難しいですね」

 

 性悪お嬢様三人組が、鈴のようなお上品な声質で、激しく治安の悪い会話をしている。脳がバグりそうだ。言葉が飾られている分、直接的なゲヘナよりも遥かに悪辣に感じる。彼女たちを前にしていると僕らの自治区はすいぶん可愛いものだったのだと気付いた。殴り合って立っていた方が勝ち、そうでないほうが負け、あとは尾を引かないのだから。

 比べてどうだ、彼女たちは。人生の予後が悪くなるような会話しかしてない。大変におっかない。

 

 そしてそのうち一人が、思いつきましたわ、みたいな感じで言うのであった。

 

「では、ペットにしてはどうですか? 小さくて弱いですし、丁度いいのでは」

 

 ああ、いいですわね。丁度枠も空いていますし。それなら情報も統制しやすいですねぇ。名案です。誰かの思いつきに盛り上がっていくお嬢様たち。

 

 適当にサンドバッグ役をして、憂さ晴らししてくれたら解放されるのかなって思ってたけど、違う? 事態を軽く見過ぎている?

 

 もしかして帰れない?

 

「ふむ。 そう思えば、結構可愛く思えて来たかもしれません」

「ほ、本気ですかぁ? 趣味悪……」

「失礼ですわね。いい線とか言っていたのは誰ですか?」

 

 思ったより悪い状況に、それでも結局こういう時って深刻な表情をしていたら簡単に辛くなってしまうという個人的信条に基づいて、口角を無理に持ち上げて気持ちを作る。見られたら撃たれる、それが分かっていたから彼女らが談笑している所でやったつもりが、目聡く気付いた主犯格が再び何発か銃を撃つ。また頭。当たった場所がじんじんと熱を伴う。

 

「可愛いってもちろん、飼うのであればという話ですわ。 人としてではありません」

 

 いい気にならないで下さいね、そう言うと彼女は躊躇なく、僕の頭を踏みつけてきた。ローファーの裏についた小石がくいこんで痛い。

 主犯格はそのまま足蹴にして、僕の側頭部の角をぐりぐり、強い力で圧迫してくる。

 

 これっ、やばい、すごい痛い、銃で撃たれるよりかなりきつい、拷問以外の何物でもない……!

 

 呻きながら歯を食いしばって痛みを逃がそうとするが全然意味ない。痛い。頭が回らなくなってきた。言う通りにすれば痛くなくなるんだったら、はやくハイって言いたい。

 痛い。痛いのは辛い。帰りたい。辛い。メグさんに会いたい。部長に会いたい。帰りたい。

 

 主犯の苛烈な拷問は、お嬢様方のご機嫌がよくなるまで、つまり全く終わりの合図が見えない状態で、いつまでも続いていく。僕のどんな言葉も意に介さない。徐々に浅くなっていく思考が、ずっと痛いと帰りたいを往復する。

 

 ──しかし、ある時点。

 

 姦しい会話のごく小さな間隙に一つ。

 

「はぁ……」

 

 ため息が聞こえると同時に、彼女たちの背後で響いた銃声が打ち止めの合図となった。

 

「なんですかッ!?」

 

 背後に立っていたのは、空に向けて小銃を構えた、もう一人のティーパーティー制服の誰か。

 

 灰色のボブカットで鋭い目つきをした彼女は、三人組が不意の射撃音に強く警戒、驚いた隙を的確に突き、紅茶に濡れた僕を抱きさらって、素早くその場から離脱した。

 

 後ろで騒ぐ三人の声と、銃声銃弾が飛んでくるが、それらはすぐに遠くなって、ある地点から聞こえなくなった。

 追いかけるのを諦めたのか。別の手段に頼ろうとしているのか。

 

「……遅くなってごめんね」

 

 上の許可が下りなくて、って、これは関係ないね。そう呟いた彼女は、険しい表情を浮かべたまま僕を抱きかかえて、人通りの少ない道を選んで走っていく。

 

 風が彼女の髪を揺らして、内側に黒髪が混じっているのが見えた。これ、ウィッグだ。灰色の髪は地毛じゃない。鋭い目つきも見覚えがあって、それらの情報が紐づいて、この人が誰なのか分かった。

 

 確か、健康ランドでゲヘナ生徒会と一緒に居た──鬼方カヨコさんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガタンゴトン、ガタンコトン、と無機質に揺れる電車の音。

 

 ゲヘナ行きの列車に乗った僕たちは、がらんと空いた座席の端に、二人で並んで座った。

 

 夕闇が濃くなって、途中で車内の電気がつく。それまでの時間も、ずっと無言が続いていた。

 

「塩谷ユキ。監視するように言われて、結構見てきたけれど」 

 

 居心地の悪い沈黙を破るように、カヨコさんが喋り出す。

 

「今日の行動は意外だった。学校をサボって、外に、よりによってトリニティ自治区に行くなんて。 時期も悪いし、ああいう不用心はしない子だと思ってたけど」

 

 何かをすらすらと話しているけれど、全く頭に入ってこない。

 

 床を眺め続ける。

 

「トリニティに行ったことないの? 今までどうやって……」

 

 カヨコさんの身じろぎにビクッと体が反応する。同時にへらっと口元が笑って、変な空気になった。

 

「……ごめん」

 

 寮まで送ろうか、という優しい申し出を、首を振って断る。喋る気力が湧かなかった。そのままさらに下を向く。

 制服のスカートについた、紅茶のしみがぼんやり広がっていた。

 

 

 

 別に、行ってみれば案外大したことないと思ったのだ。技術がさらに進歩した時代、世界はネットで繋がって、なんなら言葉の壁もない、以前と比べたら境目はあってないようなもんだって。SNSには自治区を越えて繋がるサークルだってあるじゃないか。だから、何とかなるだろうと思った。これまでも大体何とかしてきたつもりだったから。

 

 バカみたいな楽観主義だ。

 

 今もトリニティの学生たちと僕らは、羽がついているか、角がついてるか、そのくらいの違いしか無いと思う気持ちは変わらない。でも、しばらくは行かないでおこうと思う。

 

 僕が差がないと思うのと同時に、彼女たちが差は疎ましいと思う状態は両立する。そんな簡単なことがどうして分からなかったんだろう。違う、分かっていたつもりで、その影響が自分に及ぶ姿が想像できなかっただけだ。ただ、軽率だったんだ。井の中の蛙も甚だしい。やっとそれに気が付いた。

 

 僕たちはこっちで暮らして、あの人たちは向こうで暮らして、それで何の問題があるのか。手を取り合わない道を選ぶことだって、立派な選択だ。何も、後ろめたくない。

 

 電車が走ってけっこう経つ。

 

 もうゲヘナ自治区の中にいるのに、早くゲヘナに帰りたいなあと思った。

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