「水と、ゼリーと、あと本何冊か。 これでよかったの?」
「え、ええ、ありがとうございます……?」
トン、トンとベッド横の台にお願いした品を次々と置いていく監視員、もといカヨコさん。姿を見せてくれているから冗談でお願いしたら、本当に買ってきてくれるとは。
小サボりの翌日。ぼーっと授業を受けていたら、突如現れたセナさんに回収されて、あれよあれよと救急医学部の小部屋に放り込まれて今に至る。セナさんに聞いても「治療です」しか言わなくて困った。まぁ、確かに勉強の気分でもなかったから合法的に休ませてもらっている。
「……」
「……」
ふふ。
気まずいねぇ。
冗談でも先輩をパシらせた形になったところが大変に気まずい。というか申し訳ない。実質的なファーストコンタクトがアレで、僕にお願いされたら断れる訳ないって、ちょっと考えたら分かる事なのに。これは僕の配慮不足だな、今後に活かさせてもらおう。
買ってきてもらった本を目前で読むのも変なので、チラッと横を見るが、カヨコさんは無言で立っているのみ。この人はこの人で綺麗なお顔をしていることで。うお、なっが……まつ毛がね。
馬鹿な事を考えていると目線がバチンとかみ合って、会話しない訳にも行かなくなった。適当に喋ってお茶を濁すか。手頃な話題は……っと。
「……監視役がこんな表に出てきちゃっていいんですか?」
逆に真正面から聞いちゃう。黙られたら別の球を投げるし、いや対象に言える訳ないやろがい、みたいな空気になったら和んでお得、中々悪い手札じゃないんじゃないか。
するとカヨコさんは、「ああ。気にしないで」とだけ言って、また静かになってしまった。
「……」
「……」
よし、楽しく話せなかったな。
振り出しに戻る。
ひぃ〜〜〜あんまり周りにいないタイプだから交流の仕方が分かんないよぉ〜ん……。
もうゲヘナでの生活は温泉開発部のカラッとした根明体育会系に囲まれて過ごした時間が大半で、寡黙な一匹狼系との過ごし方を忘れてしまった。我が部の同期と先輩たちはやりたい放題振り回してくるから、適当に乗っかってるだけで大体の場は成立するのだが……そんな受け身スタイルではやり過ごせない。これまでにない手札で攻めないといけない。
別に喋る必要もない、それもまた真理だが、せっかく上部組織的な先輩とサシで話せるのだから、ちょっとでもお話を聞いてみたい。つまりは下心と好奇心が大半であった。生意気な後輩という体で情報が集められるのは今だけ、これに乗じない手はないだろう。
ここは一つ、あえて飛び込んでしまおうか。
軽く息を吸って、僕から言う。
「──昨日の事なんですけど」
一瞬、空気が張り詰める。
「トリニティの一件は、秘密にしてもらえないですかね……? ああいや、そちらで情報共有される分には仕方ないかなって思うんですけど、温泉開発部の人には知られたくなくて」
「……なんで?」
「いや〜、恥ずかしいじゃないですか」
まあ色々あったが、概ね僕の迂闊さがすべての始まりだ。自治区の対立に注意を払う、ヘイトが高まる気配を早く察知する、そもそもトリニティ以外に行く、どれでもいいので一個できていたら、事態は別の結果になっていたはず。少なくとも、重くなることはなかったんじゃないか。
周りに追及を重ねられた結果、結局大元はユキちゃんやないかいとなるのを避けたかったのだ。無い可能性かもしれないが、毎日を何事もなく過ごしたい気持ちが強まった僕としては、懸念事項を潰しておきたい。なお、何事もないというのはゲヘナ基準で、多少の戦闘や温泉開発はやむなしと割り切るものとする。
そしてカヨコさんがあれから全く喋り出さないので、不必要に焦り、ぺらぺら喋り出してしまう僕であった。
「て、ていうか絶対困りますよ。下手なこと言ったら彼女ら絶対にトリニティ領に突っ込んでいくんですから。 困るのはカヨコさん達です、言わない方がいいですって!」
そうですよね? ねっ? と念を押すように、さらにダメ押しで上目遣いでチラチラチラっとやる。どうですか、可愛い後輩の言うことを聞きたくなってきたでしょう。
果たしてカヨコさん、反応に困った様子で、少し目を泳がせた後「分かった」と言ってくれた。
そうして、再び無言になった。
「……」
「……」
どうするんだこれは。空気が終わりになってしまったぞ。
不謹慎も振り切って突っ走るとボケになる、そんなどこかで聞いたネットの噂を現実でやってみたらこの様だ。何をやってもバッドコミュニケーションの日なのかもしれない。
生きていたらそういう日があってもおかしくない、もう今日は仕方ないと思って、カヨコさんと同じ感じで黙ってつんとすましてみた。気分はさながら一匹狼、というわけで。
目を瞑り、背筋を伸ばす。クーラーの冷風が髪をそよそよと揺らしている。ゲヘナ学園にしては珍しく空調からは湿った香りがせず、部屋の中を消毒液の匂いが循環する。夏の保健室って感じ。
人の借り物な一匹狼ごっこはあんまり続きそうもなく、指が本よりスマホに伸びかけ、いや、僕はドーパミンなんかには絶対に負けないと決意を固め直し震える指と戦っている最中──ピポンという小さな通知音。
「ん……」
カヨコさんのスマホだった。手早く画面を確認し、ハァとため息をやってから、移動の準備をし始めたようだ。上から呼ばれたのか。うんざりといった様子なのに律儀になる早で行動する姿にカヨコさんの几帳面さを見出すと共に、大きな組織に所属する苦労も垣間見た。情報部ってそういう感じなんだ。大変そうだなぁ。
「調子は?」
「んぇ、まあ……元気ですね。 昼寝したらもっと元気が有り余るかと思います」
「そっか。なら良いんだけど」
去り際に体調どう?みたいな質問をされて間抜けな声出た。実際、ぼーっと授業を聞き流しているよりも心穏やかで、逆に体力に余剰分が生まれそうな勢いではあった。カヨコさんは平常のおすましクールな表情のまま、応答を受けて小さく頷いた後に扉の方へ歩いていって、軽く一言。
「じゃあ、また来るから」
そのまま見送りながら手をふりふりする。ぱたんと静かに閉まったドアを見て息をついた。
あの人、自分が監視員なこと忘れてるんじゃないかなあ。こんなに世話を焼いてもらって言うのは野暮だから、黙っておくのが吉としたが。
今まで出会ってきたゲヘナ人の中でずば抜けて良心的な人物だった。前の世界基準で言っても上位クラスの良識人で、逆に心配になる。この学園はとっても生きづらいんじゃなかろうか。そういうタイプか分からないが、胃薬とかプレゼントしちゃいたい。迷惑になるからやらないけど。
話す相手もいなくなったので、本を手に取った。パラパラとめくるもなんだか目が滑る、数分で元あった場所に戻してしまった。
暇だなぁ、ぼーっとする。温泉開発も勉強もない時間っていつぶりだろうか。
窓の外はすっかり青空、もくもくと入道雲が育っている。
あの雲の上でトランポリンみたいに跳ねたら楽しいのかなぁ、今年は夕立が多くなったら嫌だなぁ、そんなとりとめのない思考を放し飼いにしている内に、すっかり眠ってしまうのであった。
◇
かたん、近くで引き出しの動く気配。その後に道具同士がカチャカチャぶつかる金属音。それらにつられて、意識がゆっくり浮上する。
「ふぁ……?」
「起きましたか」
体を起こし、伸びをしながらあくびをすれば、隣の方から話しかけられた。セナさんだった。医療品等を整理したり在庫チェックみたいなことをしていたらしく、僕に一声かけた後も作業を続けていく。
寝過ぎてしまったようだ。夕方というか夜も近く、室内を電灯が明るく照らしていた。
「ん-、体軽っ。久々にぐっすり寝た気がします」
「そうですか。それはよかったですね」
そっけない返事に聞こえるが、付き合いが続いて分かってくる。これがこの人のデフォルトであり、意訳すれば、元気になってよかったですね、くらいの感じ。出力が冷たくなりがちなだけで基本は優しいからね、セナさんは。
あんまり広くない救急医学部の一室、奥に別の部員の方がいるのも見えた。セナさんの先輩だろうか。こちらに微笑みかけてきてくれたので、軽く会釈を返した。随分と優しそうな人だ、ウチの部活で言えば僕に対する部長みたいな感じなのかもしれない。セナさんをお世話してくれる指導役的なね。
ああいう人もウチの部活にはいないなぁ。癒し系というか。日常に出会わないタイプとの接触が続き、まだまだ世間も広いもんだなぁと思うものであった。
「僕って何でお昼前に誘拐されたんです?」
「治療です」
「それはいっぱい聞きましたけど……」
セナさんは相変わらずこれしか言わない。困った。まるで検閲をかけられているかのように治療ですしか言わないんだもんなぁ。そっけないとも違う、頑ななバリアを感じざるを得ない。
そんで誰も彼も僕を運んでいくのは何なんだろうね。部長はおんぶし、カヨコさんはお姫様抱っこに行かないくらいのやつ。食が細くてぺらぺらで貧弱、よく倒されるヤツが悪いんだろうけど。
実はセナさんが一番普通で、強く手を引く程度だった。ただ、抵抗していたら脇に抱きかかえられていた可能性もある。そうやって頑丈な負傷者を荷物の如く運んでいるのを見たことがあるし。
「具合はいかがでしょう」
「この通り、こーんなに元気ですよ! 今すぐにでも走り出しちゃいたいくらい」
「なるほど。では今日は一旦お帰りになられるのが良いかもしれませんね。 ただ、その前に何点か、問診をさせてください」
「はーい」
調子が悪かったら治療室泊りになるところだったのか? 何かしらが化けて出そうだから、勘弁願いたいもんだね。
「カヨコさん──情報部の方からお話をお聞きしまして」
「へぇ、そうなんですね。 ……お話というのは?」
「ユキさんの体調が悪い、無理をしている、気にかけてほしい、そういったものです」
あの人敵やるの向いてないなあ……! 一応、敵対組織に所属する人なんだよね? いくら監視員の立場で細かいことを把握しているとはいえ、根回しをする方向性が間違ってると思うんだけど。ていうか絶対監視してるって忘れてるでしょ。これじゃただの面倒見のいい先輩だよ。
「他には何て言ってましたかね」
「いえ、特には。 何か気になることが?」
懸念を潰し、「大丈夫です!」と返事をした。例のお願いより先に出会っていたろうに、詳細はセナさんにも伝わっていないようだった。立場と組織都合もあるかもしれないけど、カヨコさんの口の堅さに感謝する。
「それで、同学年の私が様子見し、治療が必要だと判断、今に至ります」
「お世話になっていますねぇ……」
じゃあ肝心の症状って何なんだいって思うけど、藪蛇が怖い。普通にガチで深刻な病名とか出てきたら横転じゃ済まないだろう。ここは一旦、何事もなく笑って流すのが好ましいか。いつも通りの適当な笑顔でお礼をするに留めた。
その時セナさんの手元が一度止まる。そのまま、何事もなかったかのようにタブレットへの記入を再開する。
「昨日はどうでしたか? 変わった出来事はありましたか」
「あー、そうですねぇ……まあ、普通だったと言いますか……」
咄嗟の嘘が不自然がちな僕、既に言い淀みが止まらないが、ここで下手に作話すると派手にボロ出すというのが経験則としてある。なんとか現実の都合のいい部分だけ拾い上げる作戦に切り替えた。サボったとは言いづらいから、上手く聞こえがいいように。
「ちょっと、遊びに行ってましたかね」
「授業は?」
「昨日はー、入れてなかったんで!」
「サボったんですね」
「えへへ」
まぁいいでしょうって感じでスルーするセナさんであった。サボるゲヘナ生なんてどこにでもいる、大して珍しくもないだろうからね。
そうしてこちらの顔を見て、セナさんはタブレットを近くの台に置いた。「問診は以上です」と告げて、その後に言う、「ここからは雑談のようなものなのですが」
「先輩方から聞いた話です。 そろそろ入学式から時間が経ちます。学園に慣れた新入生が各々自由にし始める時期でもあるそうです。 もちろん、我が校では最初から自由にしている生徒も大勢いますが」
頭上をサボり魔のクラスメイト、あちこちを爆破して回る美食家そして我が部員たちが掠めていった。僕はまだ、ギリギリそこには入っていない。そう信じている。
「遊びに行く範囲が広がる時期です。つまり怪我が増える時期でもあり、救急医学部としては忙しくなるタイミングでもあります。 だから我々も警戒を高め、どんな死体、ではなく患者にも対応できるように構えます」
新しい部活での喧嘩、出来たばかりの友達との喧嘩、馴染み始めた寮で揉めて起きる喧嘩、とセナさんは指を折りながら思い当たることを数えていく。
学業をしながら医療に従事するって、部活とはいえ大変すぎるなぁと他人事丸出しでほへ~と話を聞いていた。セナさんも苦労してるんだな、頭が上がらない思いだ。手の空いた救急医学部の先輩部員さんもウンウンと頷いていた。続けてセナさんは言う。
「……ごくまれに、症状が分からない生徒がいます。 私達はゲヘナ生が血気盛んなのを踏まえ、外傷をはじめとした外科的な対応に注力しているため、気付けないことが多いです。 しかし、大きな共通点があります」
いつもの無表情で、僕と目を合わせながら言った。「他校の自治領に遊びに行く。例えば隣の──トリニティ自治区」
僕はそれを聞いて笑顔を保ち、沈黙で続きを促した。
「ほかにも、エスカレーター組でない、戦闘が不得意、情勢に鈍感など様々ありますが、何より彼女たちの性格……穏やかで、優しいという点が目立ちます。 大半のゲヘナ生には当てはまりませんね。文句があればすぐに爆発、喧嘩を起こして向こうの風紀を守る組織から送り返されてくるのが常ですから。 しかし、そうでない生徒もゼロではないのです」
空気の変化を察知して、こちらに近づいてくる先輩部員を視界に入れながらも、僕たちは変わらず会話を続ける。
「そりゃ苦労しそうですね。 やっぱり、たくさん怪我して帰ってきちゃうもんでしょうか」
「であればまだマシです。 むしろ目に見えない傷を負います。だから察知が遅れるのです。 ところでユキさんは……」
セナちゃん、と後ろから
「ユキさんは、笑うのが下手になりましたね」
ごく自然な流れで貶されましたが?
「え、へへ……言い過ぎなのでは?」
「事実です。前はもっと軽薄そうな、周りを適当に流す事が目的の表面的な笑みでした」
もっと言い過ぎてるって。後ろの先輩もドン引き気味じゃないか。誰かセナさんのストレートすぎるところに言及した方がいいと思うんだけど……!
「それより悪くなる事ってあるんですね……」と、僕はシンプルに凹んだ。
「ごめんなさい、いくらかは冗談です。……では、本題に戻るのですが……先輩?」
ものすごい押せ押せな勢いのセナさん冗談インパクトから帰ってきた先輩が、止まる気配の無い彼女を見かねてついに実力行使し始めた。といっても腕を引っ張り、外に連れて行こうとする程度のものだが。
セナちゃん、ちょっとあっちに行こうね、と連行されていく様子が普段のしごでき彼女とギャップがあって面白い。いつもこういう感じで指導を受けているのだと思うと親近感すら覚えた。最上級生からすると、彼女もまだまだひよっこな所があるのだろう。
それでもセナさん、こっちを見つめながら喋るのは止めない。
「なので、ユキさん──」
離されていく距離を考慮して、ちょっとずつ声を張って、言う。
「──遊びに行きましょう」
「へ……?」
「モモトークをします。予定を合わせて、お出かけに行きましょう。 私は週に1日は自由な日がありますが、そちらはいかがでしょうか」
「あー、ええっと、どうでしたっけ……大丈夫だとは思いますが……」
「では、そこを狙うのが良いでしょう。 服を見るのもいいですし、備品を見て回るのも悪くありません」
彼女の言いたいことをイマイチ掴み兼ねる僕、困惑を隠せず間抜けに口を開いた状態で、出口に向かって引きずられていくセナさんを見ていた。
職務で磨き抜かれた判断力を駆使し、もうあまり会話できなさそうだと見切った彼女が、最後に一言だけ残す。
「それではまた」
「あ、はい。また……」
大人しく連行されて、扉の外へ連れ出されていった。
詰め込まれた情報を咀嚼できず、閉まっていく扉をただぼけっと眺める事しかできない僕。
すると完全に閉まりきってしまう前、セナさんが先輩部員と話す声が少しだけ聞こえてくることに気付く。耳を傾けているといくらか会話を拾うことができた。確か、こう言っていたと思う。
「友人を気遣うことの、何がいけないのでしょうか」と。
嵐が去り、静まり返る小さな病室。
しかしぼけっとする暇もなく、入れ替わるように誰かが駆け込んでくる。それは見なくても足音だけで分かった。
やって来たのは──メグさんだ。