しばらく、妙な沈黙が続いた。
いや。
沈黙というより、お互いに距離感を測っている感じか。
蜘蛛子は警戒したまま。
俺も、影の中で【魂欲】を抑え込み続けている。
信用なんて、まだ全然していない。
それでも。
少なくとも、即殺し合いになる空気ではなくなっていた。
……多分。
『そういえば、呼び合う名前どうする?』
だからこそ、気まずさに耐えきれなくなって、そんなことを聞いた。
『名前?』
『今、お互い名無しだろ』
『あー』
蜘蛛子が妙に納得した声を出した。
『俺、お前のこと内心で蜘蛛子って呼んでたんだけど』
『安直!?』
『蜘蛛だからな』
『いやまあ蜘蛛だけど!』
『嫌か?』
『……名無しよりはマシかも?』
『じゃあ蜘蛛子で』
『で、私は?』
『好きに呼べばいい』
『んー……影蛇』
『能力そのままだな』
『蜘蛛子に言われたくないでしょ』
それはそう。
少しだけ空気が緩む。
……いや、緩んでいい相手じゃないんだけどな。
実際、蜘蛛子は今もかなり警戒しているのが分かる。
それでも、完全な敵として距離を取る感じではなくなっていた。
だからこそ逆に、このまま曖昧な距離感でいるのは危ない気がした。
俺は【魂欲】を抱えている。
蜘蛛子も、今までの経験にない俺という存在を警戒している。
そんな状態で、互いに腹の内も能力も分からないまま近くにいる。
それは、この迷宮じゃかなり危ういだろう。
『……で、これからどうする?』
『どうするって?』
『今って、休戦してるだけだろ』
『あー』
蜘蛛子が少し考え込む。
『確かに』
『お互い攻撃しない。それだけ』
『でも、影蛇が近くにいる状態で、ずっと警戒しながら移動するのもしんどいんだよね……』
蜘蛛子がぽつりと言った。
『というか、私の知ってる魔物と全然違うし。普通に怖い』
『それは悪かったな』
『しかも魂欲しいとか言うし』
『返す言葉もない』
『でも、だからって即、別行動とかするのも……』
蜘蛛子の言葉に、少しだけ驚く。
もっと単純に拒絶されるかと思っていた。
『……お前、一人でも生き残れるだろ』
『いや、そりゃ頑張るけどさ!?』
蜘蛛子が即座にツッコんだ。
『でも、ここ絶対ヤバい場所でしょ!? 怖いに決まってるじゃん!』
まあ、それはそうだ。
俺は原作知識で知っている。
ここはエルロー大迷宮下層。
上層とは比較にならない危険地帯だ。
今の蜘蛛子は、まだそこまで確信していないだけで。
『だからまあ……最低限、協力できるならした方が生存率は上がる……かも?』
『かも、か』
『だってまだ信用してないし』
『俺も自分を信用してない』
『そこは安心させて!?』
無理なものは無理だ。
自分でも自分を信用できていない。
特に【魂欲】関連は、本当に何が起きるか分からない。
『ただ、少なくとも今は利害は一致してる』
『生き残りたいってやつ?』
『ああ』
『……じゃあ』
蜘蛛子が少しだけ迷う気配を見せる。
『仮同盟?』
『……やっぱり仮なんだな』
俺がそう返すと、蜘蛛子は即答した。
『信用できないからね!』
迷いのない返答だった。
まあ、そりゃそうだ。
『でも、最低限は協力する』
『ああ』
『危ないの来たら知らせる』
『了解』
『あと、休む時は片方が警戒』
『助かる』
『ただし、変なことしたら逃げる』
『それでいい』
むしろ、そのくらい警戒してくれた方がありがたい。
俺自身、今の自分が何をするか完全には信用しきれていないのだから。
『……で、お前は何ができるんだ?』
『私?』
『共闘するなら最低限は知っときたい』
『あー、なるほど』
少し間が空く。
『えーっと。糸』
『蜘蛛だなぁ』
『蜘蛛だからね!?』
即ツッコミが返ってきた。
『糸で罠張ったり、休憩用の巣作ったり。あと毒牙』
『近接もできるのか』
『怖いからあんまりやりたくないけどね!』
切実そうだった。
『あと速い』
『速い?』
『めっちゃ速い』
『自分で言うんだな』
『実際速いし!』
ちょっと得意げだった。
まあ、【韋駄天】による平均速度能力の上昇は半端ないからな。
『逃げる時は自信ある』
『それは助かるな』
『ただし、遅かったら置いていく』
『厳しいな!?』
『だって死ぬじゃん!』
『正論やめろ』
ぐうの音も出ない。
実際、蜘蛛子の速度についていける気がしない。
今の俺、完全に魔法寄り紙装甲だし。
『そっちは?』
『影移動と感知と毒』
『うわぁ、暗殺特化っぽい』
『その代わり紙装甲』
『仲間じゃん』
『嬉しくない仲間だな』
『わかる』
蜘蛛子がちょっと笑った気配がした。
『だから俺は普通にはついていかない』
『ん?』
『影を中継して移動する』
『あー、あの影潜るやつ?』
『そう。周囲の影を使ってついていく』
『便利だなそれ!?』
その直後。
蜘蛛子の気配が少しだけ止まった。
『……いや待って?』
『ん?』
何だ?
何か警戒するような事でもあったか?
『それってさ』
『うん』
『めちゃくちゃ忍者っぽくない?』
『急にどうした』
いやほんと、急にどうした。
『だって影移動だよ!?』
『蛇なんだけど』
『影忍蛇……?』
『やめろ』
なんか嫌だな……。
『でも便利だなぁ……』
『まあ、影がある場所限定だけどな』
『ここ迷宮だし、大体暗いけどね』
『まあな、というわけで無理に速度合わせなくていい』
『え、いいの?』
『合わせられる方が危ない』
『まあ、それはそうか』
蜘蛛子が納得したようだった。
『俺は影から索敵する。強い反応が来たら念話で伝える』
『索敵係かぁ』
『そんな感じだな。あと、戦闘になったら奇襲できそうならやる。無理そうなら逃げる』
『慎重派だ』
『死にたくないだけだ』
というか、この迷宮で無茶をするのは本当に危険だ。
原作知識があるからこそ分かる。
ここには、普通に即死級の化け物がうろついている。
『私は逃げるの得意だしねー』
蜘蛛子がちょっと得意げに言う。
実際、あの速度はかなり強いだろう。
『私は糸で足止めとか罠かなぁ』
『相性は悪くなさそうだな』
『確かに』
蜘蛛子が少し考え込む。
『私が動き回って、影蛇が影から不意打ち?』
『そんな感じ』
『うわぁ、敵からしたら嫌なやつだ』
『否定できない』
実際かなり嫌らしい。
蜘蛛子の速度と糸。
そこに影移動と奇襲が加わる。
敵からしたら最悪だろう。
◇
『……あ、そういえば』
蜘蛛子がふと思い出したように念話を飛ばしてくる。
『私、一応魔法系スキルもあるんだよね』
『魔法系?』
『【外道魔法】と【影魔法】』
『じゃあ魔法使えるのか?』
『いや全然?』
蜘蛛子が即答した。
『なんかよくわかんないんだよね。使おうとしても使えないし』
やっぱりか。
原作でも、蜘蛛子はかなり後になるまで魔法の扱いに苦戦していた。
となると、原作通りなら……。
『魔法を扱う補助系のスキルはあるか? 魔力を感じたり、動かしたりする系の』
『えーっと……』
蜘蛛子が自分のステータスを思い出してるのだろう。
悩ましい感じの声が聞こえる。
『そういうのは……ない?』
『感知能力を強化する系のスキルは? 周囲を見る感じの』
『……あー』
蜘蛛子が少し悩む気配を見せる。
『【探知】ならあるけど……』
『あー、そういう』
やっぱり原作通り【探知】を取ってるんだな。
『多分、その【探知】の中に【魔力感知】が含まれてる』
『え?』
『【探知】って色んな感知系の複合スキルっぽいし』
『あー……』
蜘蛛子が何かを察したような声を出す。
『で、【探知】って今使えてないのか?』
『うん。無理』
即答だった。
『あれ使うと、頭の中に情報が一気に流れ込んでくるんだよね』
『制御できないのか?』
『無理無理! 頭おかしくなる!』
蜘蛛子が全力で否定する。
『だから今は切ってる。怖いし』
『その状態だと、多分、魔力そのものを認識できてない』
『……あ』
蜘蛛子が止まった。
『便利そうだから取ったのに……』
『まあ、あれ上位スキルっぽいしな』
『絶対初心者向けじゃないよね!?』
『それはそう』
『せっかく【外道魔法】とかあるのに!?』
『まあ、魔力をちゃんと認識できるようになれば変わるかもしれない』
『ほんとに?』
『断言はできないけど、少なくとも今よりはマシになると思う』
『希望が薄い!』
『俺は、魔力を感じて動かす感覚を使って魔法を発動してる。だから方向性は合ってると思う』
『おお!』
蜘蛛子の食いつきが一気に良くなった。
『どうやるの!?』
『説明むずいんだよなこれ……』
俺の場合、【自己理解】で感覚的に理解している部分が大きい。
『なんかこう……体の中に流れてる力を意識して、それを動かす感じ……だと思う』
『雑ぅ!』
『俺もそう思う。それに、結局は魔力を認識できないと多分きつい』
『探知のせいかぁ……』
蜘蛛子がぐったりした気配を出す。
『うわぁ、あいつマジ余計なことを……』
『便利ではありそうだけどな』
『便利すぎて他を殺してる感じ!?』
『多分』
蜘蛛子の気配が露骨に沈む。
『ないわー……』
どうやら本気で落ち込んでるらしい。
まあせっかく取ったスキルがこれだもんな。
『まあでも』
蜘蛛子が少し気を取り直したように言う。
『影蛇が魔法使えるなら、最低限火力役はいるってことだよね?』
『いや、今はそこまで火力ないぞ』
『え?』
『そっちと持ってる魔法の種類は大体同じだな』
『……こっちは詳細知らないけど、どんな感じなの?』
『現状、搦め手寄りだな』
精神に干渉したり、影を使ったり。
正面からドカンと火力を出すタイプじゃない。
『じゃあ火球バーン! みたいなのは?』
『できない』
『えぇ……』
蜘蛛子が露骨にガッカリした。
『いやまあ、今後は取っていくつもりだけど』
『あ、予定はあるんだ』
『今の進化、完全に魔法寄りっぽいからな』
ステータスも露骨だった。
MPと魔法能力だけ異様に伸びて、他は全く伸びてない。
どう考えても、「魔法を使え」と言われている構成だ。
『だからそのうち、普通の属性魔法とかも覚えると思う』
『おおー』
蜘蛛子がちょっと嬉しそうになる。
『じゃあ、私は糸と機動力で、影蛇が奇襲と魔法?』
『そんな感じになると思う』
もし今後、【影憑】をもっと使いこなせるようになれば。
蜘蛛子の機動力と身体能力。
そこに、俺の魔法や感知能力を重ねることもできるかもしれない。
……いや。
流石に今考えることじゃないな。
【自己理解】で、【影憑】が魂へ干渉するスキルだということは理解している。
だが、どこまで干渉できるのかは別問題だ。
感覚的には分かっても、実際に試したわけじゃない。
身体操作にまで踏み込めるのか。
意識へ影響するのか。
そもそも共存状態がどういう扱いなのか。
危険そうな情報だけは嫌になるほど分かるくせに、詳細はまだ曖昧だった。
そんなものを、今の蜘蛛子に話せるわけがない。
ただでさえ、魂を求める怪しい蛇としてギリギリ許容されてる状態なんだから。
『……影蛇?』
『ん?』
『なんかまた変なこと考えてない?』
『……考えてない』
『今ちょっと間あったよね!?』
『気のせいだ』
『絶対違う!』
鋭いなこいつ。
◇
『じゃあ、移動しながら休める場所探す感じでいいか?』
『固定の巣は作らない?』
『この辺で定住は怖いしな』
『だよねー』
蜘蛛子も同意した。
この場所は広すぎる。
しかも、どこから何が来るか分からない。
長く留まるには危険すぎた。
『休憩用の簡易巣をお前が作る。俺は影から周囲を警戒。小型を狩りながら移動』
『強い反応が来たら即逃げ』
『特に龍系』
『絶対逃げる』
そこは完全一致だった。
『……じゃあ、仮同盟ってことで』
『ああ』
『あくまで仮だからね?』
『分かってる』
『変なことしたら逃げるし、可能なら殺す』
『それでいい』
本当に。
それくらい警戒してくれた方が助かる。
俺自身、俺を信用しきれていないのだから。
『じゃあ行く?』
『ああ』
蜘蛛子が動き出す。
速い。
マジで速い。
白い弾丸みたいな勢いで岩場を駆けていく。
『うおっ、速っ!?』
『ふふーん!』
なんか得意げだ。
俺は少し距離を取りながら、影の中を移動した。
近くにいると落ち着く。
だが同時に、欲しくなる。
酷く危ういバランスだった。
それでも。
少なくとも今は、一匹で迷宮を彷徨っていた時より、ずっとマシだった。
まずは生き残る。
神になるとか、その先だ。
……まずは目の前の蜘蛛を襲わないこと。
とりあえず、話はそこからだな。
TIPS:魔物同士の協力関係
魔物同士の協力関係は、同種の群れ以外では極めて稀である。
特に高知能個体ほど縄張り意識や捕食関係の影響が強く、異種間協力は長続きしにくい。
そのため、異種魔物同士による継続的共闘は、多くの場合、強い利害一致か特殊事情によって成立する。