『大量の猿が来たぞ!』
その単語だけで眠気が吹き飛んだ。
いや、吹き飛んだというか、叩き潰された。
大量?
猿?
来た?
……来た!?
『え、待って、何? 猿? 大量?』
『下だ。もう近い』
『下!?』
私は慌ててホームの外を覗き込んだ。
そして。
『……うわ』
思わず声が漏れた。
《アノグラッチ LV7 ステータスの鑑定に失敗しました》
《アノグラッチ LV8 ステータスの鑑定に失敗しました》
《アノグラッチ LV6 ステータスの鑑定に失敗しました》
《アノグラッチ LV3 ステータスの鑑定に失敗しました》
︙
いた。
猿がいた。
しかも、いっぱい。
いっぱいというか、かなりいっぱい。
いや、なにあれ。
岩陰から出てくる。
下の方の岩場から、ぞろぞろと。
しかも、一方向じゃない。
あっちからも。
こっちからも。
岩の裂け目みたいな場所からも、次々と猿が姿を現している。
なんでこんなにいるの?
もしかして、昨日のあいつの仲間?
一匹倒しただけで?
一匹倒しただけでこの数?
猿社会、復讐心強すぎない?
『影蛇』
『なんだ』
『これ、絶対私たち狙いだよね?』
『だろうな』
『嫌なんだけど!?』
猿どもは、迷いなくこっちを見ていた。
このホームは岩で偽装してある。
遠くから見れば、ただの岩壁の出っ張りに見えるはずだ。
というか、見えるように頑張って作った。
私の糸と、影蛇の影で。
なのに。
猿どもは、まっすぐこっちを見ている。
完全にバレている。
なんで?
あれ?
昨日、影蛇が言ってたよね?
あの猿、死ぬ時にめちゃくちゃ大声出してたから、魔物が寄ってくるかもって。
確かに言ってた。
言ってたけど。
これは、そういうレベル?
寄ってくるかも、で済む数?
『昨日の咆哮のせい?』
『可能性は高い』
『高いじゃなくて絶対でしょこれ!?』
『断言はできない』
『こういう時だけ慎重!』
嫌だ。
非常に嫌だ。
でも、文句を言っている場合じゃない。
下の猿どもが動き始めた。
一匹が岩壁へ手をかける。
続いて、二匹。
三匹。
十匹。
もっと。
岩肌に爪を食い込ませ、ゆっくりと登ってくる。
速いわけではない。
でも、確実に登ってくる。
しかも数が多い。
多すぎる。
下から見上げてくる猿の目が、いちいち怖い。
『うわっ、登ってきた!?』
『来るぞ!』
『「来るぞ!」じゃないんだけど!?』
いや、落ち着け私。
こういう時は冷静に。
まず逃げ道。
そう、逃げ道だ。
ホームは高所。
地上から離れている。
下から猿が登ってくるなら、上に逃げればいい。
蜘蛛の機動力、舐めてもらっては困る。
私は糸を上へ伸ばした。
天井近くの、高いところの岩肌へ。
粘着糸が伸びる。
張り付く。
……はずだった。
ぺた。
ずるっ。
『あれ?』
糸が滑った。
もう一度。
ぺた。
ずるっ。
『あれあれ?』
貼り付かない。
いや、完全に貼り付かないわけじゃない。
けど、いつもの粘着力が出ない。
岩肌の表面が妙につるつるしている。
糸が食いつかない。
足を伸ばして、上側の岩に触れてみる。
ずるっ。
『うおっ!?』
危なっ!
普通に滑った!
え、なにこれ。
罠?
上の方だけワックスがけされてる?
誰が?
迷宮管理者?
やめてくださいよ!
『上、無理! 糸も足も滑る!』
『やっぱりか』
『やっぱりって何!?』
『いや、こういう岩質なんだろ』
『今ちょっと知ってた感じ出たよね!?』
『気のせいだ』
『絶対気のせいじゃないやつ!』
問い詰めたい。
非常に問い詰めたい。
でも今は後。
上は無理。
なら横だ。
壁伝いに横へ逃げる。
猿が下から登ってくるなら、こっちは横移動で距離を取る。
そう思って、ホームの外側から岩壁へ足をかけた瞬間。
『右!』
『え?』
ガンッ!!
すぐ近くの岩が砕けた。
石だ。
下から飛んできた石。
猿が投げた石。
『うひゃあ!?』
私は慌ててホーム側へ引っ込んだ。
下を見る。
地上に残っている猿たちが、石を拾っている。
投げる。
また投げる。
岩壁にぶつかる。
砕ける。
届いている。
ここ、地上百メートル近いんだけど?
届くの?
その肩どうなってるの?
猿じゃなくて投石兵では?
『横移動も無理っぽい!』
『移動中に当たれば落ちるな』
『分かってるよ!?』
石そのものが即死級かと言われると、多分そこまでではない。
痛いのは間違いないけど、即死ではないはず。
でも、壁に張り付いて移動している時に当たれば話は別だ。
落ちる。
地上百メートルから落ちる。
死ぬ。
少なくとも、死ぬほど痛い。
いや、死ぬ。
うん。
死ぬわ。
『つまり?』
『迎え撃つしかない』
『やっぱりそうなる!?』
やっぱりそうなるらしい。
上は無理。
横も投石で危険。
下は猿。
詰みでは?
いや、詰んでない。
詰んでないと思いたい。
ここにはホームがある。
糸もある。
高所という地の利もある。
猿どもは登ってこなければ私たちに届かない。
なら、登ってくる途中で落とせばいい。
そう。
落下ダメージこそ正義。
高所防衛戦、開始である。
『影蛇、下の動き見て!』
『見てる。正面に多い。右側から回り込む個体もいる』
『右ね!』
『左下にも投石役。顔出しすぎるな』
『注文多い!』
『死ぬよりはマシだろ』
『それはそう!』
私は糸を出した。
粘着糸。
壁に沿わせる。
猿の進路を塞ぐように、横へ。
縦へ。
斜めへ。
とにかく広く、蜘蛛の糸の壁を作る。
登ってくるなら、登る場所を全部罠にしてやる。
猿の一匹が、その粘着糸に突っ込んだ。
べたり、と体が貼り付く。
よし止まった!
そのまま後続も詰まる!
……と思ったんだけど。
『え、待って!?』
後ろから来た猿が、捕まった猿の背中を踏んだ。
足場にした。
さらに上へ登る。
ちょっと待て。
仲間だよね?
仲間を足場にするの?
助けるとかないの?
猿社会、復讐心は強いのに仲間意識は雑なの?
『捕まったやつを踏んでくるんだけど!?』
『連携してるな』
『連携の方向性が嫌すぎる!』
慌てて糸を追加する。
踏み越えた猿の腕に絡める。
足に絡める。
さらに毒玉を作って、上から落とす。
命中。
猿が苦しむ。
そのまま壁から剥がれ落ちた。
落ちた猿が、下の猿を巻き込む。
数匹が崩れる。
『よし!』
『左、投石!』
『はい!?』
考えるより先に、体が動いた。
影蛇の声を聞いた瞬間、私は横へ跳んでいた。
直後、さっきまで頭があった場所に石がぶつかる。
岩が砕ける。
破片が体に当たって痛い。
でも直撃はしていない。
助かった。
『助かった!』
『次、正面。速いのが一匹来る』
『了解!』
私は反射的に糸を出す。
正面の猿が、予想より速く登ってきていた。
糸が猿の腕へ絡む。
猿はそれを力任せに引き千切ろうとする。
強い。
普通に強い。
『止まれっての!』
さらに糸を重ねる。
でも猿が止まらない。
ほんの少しずつ、こちらへ近づいてくる。
『【幻痛】』
影蛇の声が、低く響いた。
次の瞬間、猿の腕がびくりと震える。
傷はない。
血も出ていない。
けれど、猿はまるで腕を噛み千切られたみたいに顔を歪め、岩を掴む力を一瞬だけ緩めた。
『今!』
『分かってる!』
私はさらに糸を出し、猿の腕と脚へ絡める。
猿の体が壁から浮く。
そこへ、影蛇のいる岩壁の裂け目から、黒い槍のようなものが伸びた。
影。
固まった影が、猿の横腹を叩く。
刺すというより、押し出す一撃。
それだけで、猿の体勢は完全に崩れた。
猿が壁から剥がれる。
落ちる。
『ナイス! 今の何?』
『さっき拠点作る時に使った、影魔法の応用だ』
『良いね! 便利!』
『便利だけど、燃費きつい!』
『あ、やっぱり?』
影蛇の気配が、ほんの少し薄くなった気がした。
今の一撃。
見た目ほど気軽に使えるものではないらしい。
『連発は無理だ! 押し込むくらいなら何とか!』
『十分!』
《熟練度が一定に達しました。スキル【連携LV1】を獲得しました》
『……お?』
『どうした?』
『【連携】スキル、取れた』
『ん? あ、こっちにも来た』
影蛇の声が、少しだけ意外そうだった。
どうやら、向こうにも同じ天の声(仮)が聞こえたらしい。
連携。
うん。
まあ。
してるね。
している。
非常に不本意ながら、している。
『不本意ながら?』
『思考読むな』
『声に出てたぞ』
『出てた!?』
『念話だけどな』
『それは出てるのと同じ!』
いや、落ち着け。
今はツッコミしてる場合じゃない。
猿はまだ登ってくる。
どんどん登ってくる。
捕まえても、落としても、次が来る。
糸に引っかかった猿を踏み台にする。
落ちた猿の死体を足場にしようとする。
毒で苦しむ仲間すら乗り越えてくる。
なんなのこいつら。
怖い。
普通に怖い。
数が多いだけでも嫌なのに、動きが嫌らしい。
投石でこちらの動きを止める個体。
壁を登る個体。
横へ回り込もうとする個体。
捕まった仲間を足場にする個体。
全部がバラバラに見えて、ちゃんとこっちを追い詰めている。
『右から三匹。中央は囮っぽい』
『囮とか使うな猿!』
『なら、右を崩す』
『崩す?』
また、影蛇のいる裂け目から黒い影が伸びる。
さっきほど鋭くはない。
けれど、棒のように固まった影が、右側から登っていた猿の腕を横から弾いた。
「ギッ!?」
猿の爪が岩肌から外れる。
完全には落ちない。
けれど、体勢は崩れた。
『そこ!』
私はすぐに糸を出す。
絡める。
足を取る。
猿がもがく。
そこへもう一度、影が横から押し込む。
猿が落ちた。
『ほんと便利!』
『だから燃費は悪いと言ってるだろ』
『でも便利!』
『否定はしないけどな。左下、投石準備してるぞ!』
『ほんと忙しい!』
糸を出す。
避ける。
毒を落とす。
また糸を出す。
その間にも、天の声(仮)は何度か頭の中に響いていた。
《熟練度が一定に達しました。――》
《熟練度が一定に達しました。――》
何かのスキルレベルが上がったらしい。
多分、糸とか毒とか回避とか、その辺。
けど、今は確認している余裕なんてない。
通知を聞いて喜ぶ暇があるなら、次の石を避ける。
スキルの確認は、死ななかった後でいい。
影蛇の警告に合わせて体を動かす。
考えるより先に動く。
疑っていたら間に合わない。
そのことが少しだけ悔しい。
でも、助かっているのも事実だ。
仮同盟。
悪い隣人。
役に立つけど怖い蛇。
その声を、私はさっきから何度も信じて動いている。
信じている、というより。
信じざるを得ない。
だって、信じなかったら死ぬ。
『蜘蛛子、正面抜ける!』
『分かってる!』
私は正面へ糸をまとめて出した。
猿が避ける。
その避けた先へ、さらに糸。
絡む。
捕まる。
落ちる。
落ちた猿が、下の猿を巻き込む。
よし!
この調子ならいける!
そう思った瞬間。
下の猿たちの動きが変わった。
正面へ集まっていた猿が、左右へ広がり始める。
私の真下を避けるように。
毒玉が落ちる場所を避けるように。
糸の濃い場所を避けるように。
『……学習してる?』
『してるな』
『しないで!?』
猿たちは、ただ突っ込んでくるだけじゃない。
こちらの攻撃を見て、動きを変えている。
それも、一匹二匹じゃない。
群れ全体が、少しずつ攻め方を変えてくる。
嫌だ。
ものすごく嫌だ。
この戦い、長引けば長引くほど不利になる。
糸は無限じゃない。
MPもSPも無限じゃない。
影蛇だって、さっきから影に潜ったまま索敵と魔法を使っている。
【不快】だけじゃない。
【幻痛】に、影を固めた妙な槍。
便利だけど、そのたびに気配が少しずつ薄くなっている気がする。
気配を消している、というのとは少し違う。
影の中へ、体ごと沈んでいっているみたいな感じ。
……正直、よく分からない。
でも、なんとなく。
あれは長く続けていいものじゃない気がした。
『影蛇、大丈夫?』
『まだな』
『その「まだ」やめて!?』
『右、来るぞ』
『はいはい!』
糸を出す。
猿を絡め取る。
毒を落とす。
投石を避ける。
落とす。
また登ってくる。
また落とす。
また来る。
猿は減っている。
確かに減っている。
落ちた個体もいる。
毒で動かなくなった個体もいる。
でも。
下を見ると、まだいる。
まだまだいる。
岩陰から、さらに来る。
さっきより少し遠い場所から、また新しい猿が姿を見せる。
終わりが見えない。
高所。
糸。
毒。
影蛇の索敵、【不快】と【幻痛】。
それから、燃費の悪そうな影魔法。
全部使って、なんとか押し留めている。
でも、まだ始まったばかりだ。
私は糸を出しながら、心の中で叫んだ。
こんな数、聞いてないんですけど!?
いや、誰に聞くんだという話だけど!
下から湧き上がる猿の群れは、なおも岩壁を登り続けていた。
TIPS:【連携】
【連携】は、複数の個体が互いの行動を合わせることで獲得するスキルである。
単に同じ敵と戦うだけではなく、相手の位置、動き、攻撃のタイミングを把握し、自分の行動をそれに合わせる必要がある。
同種の群れや、長期間共に行動する個体同士は取得しやすい。
ただし、深い信頼関係が必須というわけではない。
一時的な共闘であっても、行動の噛み合いが一定以上に達すれば取得する場合がある。
スキルレベルが上がると、複数個体での攻撃・防御・回避に補正がかかる。