三度目の生は蛇の姿で   作:鯱タクワン

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12.二匹で、地上100メートルの攻防戦③

 一拍、遅れた。

 

 たったそれだけで、蜘蛛子が死ぬと思った。

 

 右か。

 左か。

 下か。

 上か。

 

 どこへ逃げればいいのか分からなくなった蜘蛛子の焦りが、念話越しに伝わってくる。

 

 いつもなら、俺が先に言っていた。

 

 右。

 下。

 石。

 回り込み。

 大猿の動き。

 通常猿の位置。

 糸を出せる場所。

 危険な方向。

 

 それを、蜘蛛子が迷う前に伝えていた。

 

 なのに、今は遅れた。

 

 分かっていたのに、声にするのが遅れた。

 

 いや、声だけじゃない。

 俺自身が、遅れている。

 

 影の中に沈みすぎている。

 岩壁の裂け目に潜んでいたはずの体が、もう半分以上、影と混ざりかけていた。

 

 冷たい。

 暗い。

 落ち着く。

 その感覚が、まずい。

 

 逃げ込めば楽だと、影の奥が囁いてくる。

 全部捨てて沈めばいい。

 体も、痛みも、恐怖も、飢えも。

 影になれば、考えなくて済む。

 

 そんなはずがない。

 俺は影じゃない。

 黒巳怜士だ。

 スモールグレイヴウンブラペントだ。

 

 まだ、生きている。

 そう言い聞かせる。

 言い聞かせないと、自分の輪郭が崩れそうだった。

 

 HPも、MPも、SPも、削れている。

 

 消耗すればするほど、影へ沈みたい欲が強くなる。

 魂を欲しがる声も大きくなる。

 自分を自分として保つ力が、削れている。

 

 さっきのレベルアップで一度戻ったはずなのに、また消耗してしまった。

 

 猿どもは、蜘蛛子だけを狙っていたわけじゃない。

 

 蜘蛛子には見えていなかっただろう。

 そんな余裕はなかったはずだ。

 

 けれど、俺のいる影にも石は飛んできていた。

 

 最初は偶然かと思った。

 ホームの近くを狙った投石が、たまたま俺の潜む裂け目に当たっただけだと。

 

 でも違った。

 

 何度もだ。

 

 俺が【不快】を撃った直後。

 【幻痛】を撃った直後。

 影を固めて猿を押し出した直後。

 影がわずかに揺れ、俺の気配が濃くなった瞬間。

 

 そこへ石が飛んできた。

 

 岩壁が砕ける。

 影が薄れる。

 潜んでいた裂け目が崩れる。

 

 そのたびに、俺は別の影へ逃げ込んだ。

 

 逃げると言っても、遠くへじゃない。

 

 蜘蛛子の周囲にある影へ。

 ホームの近くへ。

 戦場の中へ。

 

 離れすぎれば、蜘蛛子への警告が遅れる。

 近づきすぎれば、猿の手が届く。

 その中間を、影から影へ滑り続けていた。

 

 それでも、猿は追ってきた。

 

 影そのものを見ているわけじゃない。

 だが、こちらが魔法を撃つ瞬間は読まれている。

 

 俺も、復讐対象だ。

 

 昨日の猿を殺したのは蜘蛛子だけじゃない。

 

 俺も噛んで、殺した。

 だから、猿どもは俺も見ている。

 

 逃げられるなら、とっくに逃げている。

 けれど、逃げたところで終わらない。

 

 俺だけ遠くへ逃げても、猿の一部は俺を追う。

 それで蜘蛛子への圧が減るかもしれない。

 だが、その代わり、蜘蛛子から俺の索敵と警告が消える。

 

 投石が来る。

 回り込みが来る。

 大猿が跳ぶ。

 

 それを、あいつは一匹で全部捌くことになる。

 

 無理だ。

 

 今の蜘蛛子は、もう限界に近い。

 俺も限界に近い。

 それでも、二匹だからまだ持っている。

 

 片方が抜けたら、終わる。

 

 蜘蛛子も。

 俺も。

 

 だから、逃げるという選択肢はとっくに消えていた。

 

 大猿が次の跳躍姿勢に入った。

 通常猿が左右から回り込んでいる。

 

 蜘蛛子は、ホームの外側、崩れた岩壁に半分張り付いて、半分ぶら下がるような体勢になっている。

 

 糸は一本、右上の岩に引っかかっている。

 数本の足は岩壁に触れている。

 けれど、足場はない。

 

 落ちてはいない。

 だが、戻れてもいない。

 

 判断を間違えれば掴まれる。

 掴まれれば終わる。

 

 外からでは、間に合わない。

 影を伸ばしても、蜘蛛子が動くより一拍遅い。

 声で伝えても、蜘蛛子が理解するより一拍遅い。

 

 その一拍で死ぬ。

 

 今は、そういう状況だった。

 

『影蛇!?』

 

 蜘蛛子が俺を呼んだ。

 警告が来ないからだ。

 いつもなら飛ばしていたはずの声が、間に合わなかったからだ。

 

 情けない。

 呼ばれるまで、俺はまだ外からどうにかしようとしていた。

 

 違う。

 もう、それでは間に合わない。

 外から支えるだけでは足りない。

 

 なら。

 影を伝って、中へ入るしかない。

 

 蜘蛛子の影へ。

 蜘蛛子の感覚へ。

 

 あいつが動くより前に、危険を渡す。

 言葉になるより前に、方向を渡す。

 

 それしかない。

 

 だが、勝手にはできない。

 今の俺は、俺自身が信用できない。

 

 蜘蛛子の魂は近すぎる。

 あの魂に触れたら、俺が何を思うか分からない。

 

 いや。

 分かっている。

 欲しいと思う。

 だからこそ、許可がいる。

 蜘蛛子が選ばなければならない。

 

『蜘蛛子、聞け』

 

『な、に!? 今それどころじゃ――』

 

『分かってる! 分かってるけど聞け!』

 

 思ったより強い声が出た。

 

 蜘蛛子が一瞬だけ黙る。

 

 俺も、自分の声に少し驚いた。

 

 落ち着け。

 いや、落ち着いてる場合じゃない。

 

 でも、伝えろ。

 短く、間違えずに。

 

『【影憑】を使う』

 

『影憑?』

 

『お前の影を入口にして、感覚だけ重ねる。体は奪わない。動かさない』

 

『いやいやいや怖い怖い怖い!?』

 

『俺も怖い!』

 

『そっちも!?』

 

『当たり前だろ! 今の俺を一番信用してないのは俺だ!』

 

 言ってしまった。

 でも、嘘はつけなかった。

 

 今の俺は、かなりまずい。

 

 MPも削れている。

 SPも削れている。

 HPだって無傷じゃない。

 

 消耗すればするほど、衝動が強くなる。

 

 魂欲。

 影へ沈みたい欲。

 自分を保つ力が削られていく。

 

 だから、蜘蛛子の影へ入るなんて、本当は最悪だ。

 

 最悪だけど。

 それでも、外から見ているだけでは間に合わない。

 

『拒否するならしない』

 

『この状況で!?』

 

『でも、このままだと死ぬ!』

 

 猿の手が伸びる。

 

 一本。

 二本。

 

 大猿が、次の跳躍に入ろうとしている。

 

 もう猶予はない。

 

『選べ、蜘蛛子』

 

 言いながらも、内心では「早くしろ!」と叫んでいた。

 

 いや違う、急かすな。

 

 怖いに決まってる。

 

 影に入る?

 感覚を繋げる?

 そんなもの、普通に嫌だろ。

 

 俺でも嫌だ。

 

 でも、このままだと死ぬ。

 

『……勝手に動かしたら噛むからね!?』

 

 蜘蛛子の声が返ってきた。

 

 震えていた。

 怒っているようで、怖がっている声だった。

 

 でも、許可してくれた。

 

『噛める状態ならな!』

 

『むかつく! いいからやれ!』

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 俺は影を伝った。

 

 自分が潜んでいた岩壁の裂け目。

 そこから、砕けた岩の影へ。

 垂れた糸の影へ。

 蜘蛛子の腹の下に落ちる影へ。

 

 影から影へ、体をほどくように滑り込む。

 

 外から近づくんじゃない。

 影の内側を通って。

 蜘蛛子が作る影の奥へ。

 

 そこへ、俺は沈んだ。

 

 いつもの影とは違う。

 

 冷たい。

 けれど、熱い。

 暗い。

 けれど、白い。

 

 蜘蛛子の影。

 蜘蛛子の足元。

 蜘蛛子の感覚の裏側。

 蜘蛛子の魂のすぐ近く。

 

 近い。

 近すぎる。

 

 魂の匂いがした。

 喉が鳴りそうになる。

 牙を立てたくなる。

 

 だが、そこに触れた瞬間、壁のようなものを感じた。

 

 同意による【影憑】。

 

 共存状態。

 影を重ね、感覚を繋げるための形。

 この状態では、相手の魂を喰えない。

 喰うためには、この繋がりを壊し、共存を侵入に変えなければならない。

 

 その理解が、本能みたいに流れ込んでくる。

 

 喰えない。

 喰ってはいけない。

 それなのに、欲しい。

 

 最悪だ。

 

 喰えないのに、近い。

 喰えないのに、匂う。

 喰えないのに、落ち着く。

 

 違う!

 噛むな、喰うな。

 

 触れるだけだ。

 支えるだけだ。

 

 俺は、蜘蛛子の影の底から、自分の感覚を押し上げた。

 

 熱。

 魔力。

 生体反応。

 猿の筋肉が動く予兆。

 投石の角度。

 大猿の重心。

 伸びてくる腕の軌道。

 蜘蛛子の糸がまだ届く場所。

 切れかけた糸の張力。

 

 言葉にする前に、感覚が蜘蛛子へ流れていく。

 

 右。

 下。

 危ない。

 そこじゃない。

 今。

 引け。

 跳ぶな。

 丸まれ。

 

 俺がそう伝えるより先に、蜘蛛子の方へ意図が滲んでいく。

 

 逆に、蜘蛛子の焦りも流れてきた。

 

 どれが右!?

 足多いんですけど!?

 怖い。

 痛い。

 でも、動ける。

 

 その感情が、言葉になる前に伝わってくる。

 

『うわっ!? なにこれ!?』

 

『喋るな、動け! 右の足、先に抜け!』

 

『右ってどれ!? 足多いんですけど!?』

 

『お前の右前から二本目!』

 

『細かい!』

 

 蜘蛛子が動く。

 

 俺が動かしているわけじゃない。

 蜘蛛子が、自分で動いている。

 

 俺は方向を示すだけ。

 危険を流すだけ。

 

 猿の手がどこから来るか。

 どの糸がまだ使えるか。

 どこへ体重を逃がせば千切れないか。

 それらの情報を渡す。

 

『左、糸!』

 

『分かってる!』

 

 蜘蛛子が糸を出す。

 別の岩へ引っ掛ける。

 体が少し持ち上がる。

 猿の手が届く直前で空を掴む。

 

『下、毒!』

 

『はいよ!』

 

 蜘蛛子が体を捻り、足元の猿へ毒を落とす。

 一匹が落ちる。

 

 その動きに、俺の影も重なる。

 蜘蛛子が糸を出す瞬間、俺は影からわずかに力を流す。

 

 蜘蛛子自身のSPが増えたわけじゃない。

 けれど、俺のSPを影越しに重ねることで、糸を出す負担が少しだけ軽くなる。

 

 蜘蛛子が体を捻る。

 俺の感知が先に危険を渡す。

 蜘蛛子の動きが無駄なくなる。

 それだけで、消耗が少し減る。

 

『なんか、体が軽い!?』

 

『俺の分のSPも流してる! 長くは無理!』

 

『助かる! でもそれ先に言って!?』

 

『言う余裕がない!』

 

 実際、余裕なんてない。

 

 蜘蛛子の動きへMPとSPを流すたびに、俺の中身が削れていく。

 

 蜘蛛子のステータスが増えたわけじゃない。

 増えているのは、使える燃料だけだ。

 しかも、俺の分。

 

 予備のバッテリーを無理やり繋いでいるようなもの。

 

 効率がいいわけがない。

 

 流すたびに、俺の意識が影へ沈む。

 影の奥が近くなる。

 だが、これで蜘蛛子はまだ動ける。

 

 なら、やるしかない。

 

『上だ! 体を丸めろ!』

 

『了解!』

 

 蜘蛛子が体を丸める。

 大猿の腕が、さっきまで蜘蛛子の胴があった場所を通り過ぎる。

 

 風圧だけで糸が震える。

 岩壁が砕ける。

 直撃していたら、終わっていた。

 

『怖っ!?』

 

『怖がるのは後!』

 

『お前も声怖い!』

 

『こっちも怖いんだよ!』

 

 叫びながら、俺は影を伸ばす。

 蜘蛛子の影から、黒い棘のように。

 

 大猿の腕を貫くほどの力はない。

 だが、軌道をずらすくらいならできる。

 

 影を固める。

 押す。

 

 重い。

 ふざけるな。

 重すぎる。

 

 MPが削れる。

 意識が沈む。

 影の中が、さらに深くなる。

 

 まだだ。

 まだ沈むな。

 今沈んだら、蜘蛛子ごと終わる。

 

 蜘蛛子が毒で猿を殺す。

 その瞬間、俺と蜘蛛子両方に経験値が流れ込んできた。

 

 影と感覚が重なっているからか。

 俺の感知も、俺の影も、蜘蛛子の攻撃に重なっているからか。

 システムは、それを完全に別々の戦闘とは処理しなかったらしい。

 

 だが、喜んでいる余裕はない。

 

 まだ足りない。

 レベルが上がるほどの経験値に達していない。

 

 蜘蛛子を支えるために、俺のMPもSPも削れていく。

 

 猿はまだいる。

 大猿もまだいる。

 このままでは、また止まる。

 そして止まれば死ぬ。

 

 何かが必要だった。

 

 この状況を解決できそうなものは、一つしかなかった。

 

 ずっと見なかったことにしていたスキル。

 取得候補に表示されていた、七大罪スキル。

 

 【強欲】。

 

 殺した相手から、能力を奪う支配者スキル。

 

 原作通りなら、奪えるものはランダムかもしれない。

 

 ステータスか。

 スキルか。

 魔力か。

 

 何が来るかは分からない。

 

 でも。

 俺は魂に触れる。

 【影憑】もある。

 【魂欲】もある。

 【自己理解】もある。

 

 希望的観測かもしれない。

 でも、完全に選ぶのは無理でも、方向くらいは寄せられるかもしれない。

 

 今欲しいのは、スキルじゃない。

 

 攻撃力でもない。

 

 魔力、そして体を動かすための力。

 蜘蛛子を支え続けるための燃料。

 この一手を繋ぐためのMPとSPだ。

 

 でも、駄目だ。

 あれは危険だ。

 七大罪スキルは精神へ影響する。

 

 俺には【外道無効】がある。

 

 だから、外から魂や精神へ食い込む干渉なら、かなり弾けるはずだ。

 

 だが、今の問題はそれだけじゃない。

 

 【強欲】が呼び起こす欲望。

 【魂欲】が求める魂。

 影へ沈みたい衝動。

 

 それらは外から押し付けられた状態異常というより、俺の中にある欲望そのものに近い。

 

 【外道無効】で多少マシにはなるかもしれない。

 

 でも、完全に消せるとは思えない。

 

 しかも、今の俺には【魂欲】がある。

 消耗のせいで、それを押し込める力も落ちている。

 

 さらに今は、蜘蛛子の影の中だ。

 蜘蛛子の魂が近すぎる。

 

 こんな状態で【強欲】を取る?

 

 馬鹿か。

 正気じゃない。

 絶対にまずい。

 

 でも。

 

 蜘蛛子の体が、また崩れかけた。

 糸が一本切れる。

 蜘蛛子の焦りが、声になる前にこっちへ流れてくる。

 

 怖い。

 動けない。

 間に合わない。

 

 怖い。

 怖いけど。

 今取らなければ死ぬ。

 

 取っても、後で壊れるかもしれない。

 

 なら、後で壊れる方がまだマシだ。

 

 どうやらレベルアップによって、スキルポイントも増えていたらしい。

 俺は、取得候補に意識を叩きつけた。

 

《現在所持スキルポイントは320です。

 スキル【強欲】をスキルポイント100使用して取得可能です。

 取得しますか?》

 

 取得だ。

 

《スキル【強欲】を取得しました。残りスキルポイント220です》

《熟練度が一定に達しました。スキル【禁忌LV1】が【禁忌LV3】になりました》

《条件を満たしました。称号【強欲の支配者】を獲得しました》

《称号【強欲の支配者】の効果により、スキル【鑑定LV10】、【征服】を獲得しました》

《【鑑定LV8】が【鑑定LV10】に統合されました》

 

 うるさい。

 今は確認している暇がない。

 ただ、何かが、魂の奥に嵌まったことだけは分かった。

 

 理解できた。

 分かってしまった。

 【自己理解】が、今取ったばかりのスキルの輪郭を、恐ろしいほど早くなぞっていく。

 

 殺した相手から、何かを奪う。

 そう言えば簡単だが、本質はもっと悪い。

 

 殺した相手の魂が崩れる瞬間、その一部を自分の魂へ貼り付ける。

 

 縫い付ける。

 継ぎ足す。

 自分の魂の器を、無理やり大きくする。

 

 だから、能力が増える。

 だから、容量が増える。

 だから、相手が持っていた何かが、自分の中に残る。

 

 けれど、器が広がることと、その器を満たすだけの中身があることは別だ。

 

 空いた場所は、満たされることを求める。

 広がった器は、もっと欲しがる。

 

 それが【強欲】。

 

 奪えば奪うほど、強くなる。

 強くなるほど、空白が増える。

 空白が増えるほど、さらに欲しくなる。

 

 本来はランダム。

 何を奪えるかは分からない。

 

 けれど、俺は魂へ触れられる。

 

 完全に選べるわけじゃない。

 だが、方向は寄せられる。

 いや、寄せられるかもしれない。

 

 その程度だ。

 

 魔力を狙っても、スキルが来るかもしれない。

 スキルポイントかもしれない。

 ステータスかもしれない。

 何もかも、いつも通りランダムに流れるかもしれない。

 

 俺の魂への干渉は、まだそこまで精密じゃない。

 

 それでも、何もしないよりはずっとマシだ。

 

 蜘蛛子が毒で猿を殺す。

 その瞬間を、俺は影の底から掴んだ。

 

 俺が噛み殺したわけじゃない。

 けれど今、俺は蜘蛛子の影にいる。

 感覚を重ね、動きのタイミングを重ね、攻撃の瞬間に俺の影も触れている。

 

 だから、届く。

 

 崩れかけた魂へ、【強欲】を差し込む。

 

 ランダムかもしれない。

 外れるかもしれない。

 でも、今は魔力だ。

 

 寄越せ。

 蜘蛛子を支えるためのMPを。

 お前の中に残った魔力を。

 魔力を巡らせる器の欠片を。

 

 寄越せ!

 

《スキル【強欲】の効果により、対象からMPを奪取しました》

《MP最大値が微上昇しました》

 

 戻る。

 魔力が戻る。

 枯れかけていた感覚に、青い火が流れ込む。

 

 俺の中の魔力が、現在値ごと押し上げられる。

 

 単に回復したわけじゃない。

 最大値ごと、奪った分だけ増えた。

 

 猿の魂の欠片が、俺の魂へ継ぎ足された。

 

 器が、広がった。

 

 動ける。

 まだ動ける。

 

 戻ったのは、俺のMPだ。

 蜘蛛子のMPじゃない。

 蜘蛛子のSPでもない。

 

 増えたのは、俺の中身だ。

 けれど、影憑で繋がっている今なら、それを蜘蛛子の動きへ流せる。

 

『まだ動ける!』

 

『私が!? 影蛇が!?』

 

『どっちもだ! 多分!』

 

『多分!?』

 

 雑な返事しかできない。

 

 でも、動ける。

 まだ支えられる。

 まだ死なせずに済む。

 

 その代わり、喉が鳴った。

 

 満たされたはずなのに、もっと欲しくなった。

 

 魔力は戻った。

 動くための力も戻った。

 

 けれど、魂の空白は満たされていない。

 

 今のは魂を喰ったわけじゃない。

 

 相手の魂の一部を切り取って、俺の器を広げただけだ。

 器が広がれば、そのぶん空白も増える。

 そこを満たすには、本来なら経験値を積むか、魂のエネルギーを取り込むしかない。

 

 魔力を奪った。

 器を広げた。

 

 なのに、その器を満たすだけのものはない。

 

 腹が減る。

 魂が欲しい。

 

 もっと。

 もっと。

 すぐ近くに、蜘蛛子の魂がある。

 

 温かくて。

 死の気配があって。

 綺麗で。

 欲しくて。

 

 だが、呑まれてはいない。

 

 外から押し付けられた衝動なら、【外道無効】で弾ける。

 俺の意思を塗り潰し、俺自身の思惑と違う行動をさせようとする干渉なら、かなり抑え込める。

 

 けれど、これは完全な外部干渉じゃない。

 

 【魂欲】は、足りない生の魂を補おうとする俺自身の性質だ。

 影へ沈みたい衝動も、スキルに操られているというより、種族そのものに近い欲求だ。

 

 【強欲】は、それらを外から無理やり植え付けるというより、俺の中にある欲を増幅してくる。

 

 だから、完全には消せない。

 

 ただ、呑まれにくくはなる。

 【外道無効】が余計な干渉を削り、【自己理解】がそれを欲望として切り分ける。

 

 だから、まだ耐えられる。

 今選ぶべきものじゃないと、分かっていられる。

 奪うなら、猿からだ。

 

『影蛇?』

 

 蜘蛛子の困惑が流れ込んでくる。

 

 何をしたのか。

 影蛇は大丈夫なのか。

 怖い。

 でも、助かった。

 

 そんな感情が、言葉となる前にこちらへ滲む。

 

 その温度に、俺の中の空白が反応した。

 

 違う。

 そっちじゃない。

 説明している余裕もない。

 

 今、蜘蛛子の魂を意識したら駄目だ。

 意識を向けるべきなのは、猿。

 奪うなら、猿からだ。

 

『猿を見ろ! 動け!』

 

『どういうこと!?』

 

『説明は後! 今は動け!』

 

 我ながら支離滅裂だった。

 でも、これ以上、蜘蛛子の魂を意識したくなかった。

 

 近すぎる。

 甘すぎる。

 落ち着きすぎる。

 欲しくなりすぎる。

 

 だから、戦闘へ意識を向ける。

 

 猿。

 猿だ。

 猿を見ろ。

 猿を殺せ。

 

 蜘蛛子じゃない。

 猿を。

 

『右、二匹! 上から大猿!』

 

『わ、分かった!』

 

 蜘蛛子が動く。

 

 俺の感覚を受け取って。

 

 自分の意思で。

 

 糸を出す。

 体を捻る。

 毒を落とす。

 

 俺は影から猿の腕を弾く。

 【幻痛】を入れる。

 【不快】を重ねる。

 そして、蜘蛛子が倒した猿の魂に【強欲】を差し込む。

 

 奪う。

 

 今度は魔力じゃない。

 

 体を動かす力。

 踏ん張る力。

 糸を出す負担を肩代わりするためのSP。

 

 寄越せ!

 

《スキル【強欲】の効果により、対象からSPを奪取しました》

《SP最大値が微上昇しました》

 

 熱が戻る。

 体の奥に、動くための余力が戻る。

 

 これも蜘蛛子のSPじゃない。

 増えたのは俺の中身だ。

 けれど、影憑で繋がっている今なら、それを蜘蛛子の動きへ流せる。

 

 それでも、次も狙い通りに来るとは限らない。

 

 スキルかもしれない。

 スキルポイントかもしれない。

 ステータスかもしれない。

 完全なランダムに戻るかもしれない。

 

 けれど、無理やり魔力と活力の方向へ寄せるしかない。

 

 頼むから、今は外れるな。

 

 また少し、MPが増える。

 また少し、SPが増える。

 また少し、器が広がる。

 また少し、飢えが増す。

 

 最悪だ。

 最悪のスキルだ。

 

 でも。

 動ける。

 

 蜘蛛子を、まだ支えられる。

 

 だったら今は、それでいい。

 

 後で壊れるなら、後で考える。

 

 今は。

 今だけは。

 死なせない。

 死なない。

 

 そのために、俺は奪う。




TIPS:支配者スキル【強欲】

【強欲】は、七大罪系支配者スキルの一つであり、殺害した対象から能力をランダムに奪う性質を持つ。
奪えるものは、ステータス、スキル、スキルポイント、魔力、生命力など多岐にわたり、通常は保持者自身にも正確な選択はできない。
その本質は、殺害した対象の魂の一部を、自身の魂へと継ぎ足すことに近い。
これにより保持者の魂の器は拡張され、能力や容量は増大する。
しかし、器が大きくなることと、その器を満たすだけのエネルギーがあることは別である。
魂の器が広がれば、そこに生じた空白を満たそうとする欲望もまた強まる。
そのため【強欲】は、単に力を奪うスキルではない。
奪うほどに強くなり、強くなるほどさらに欲しくなる。
その循環こそが、【強欲】の最も危険な性質である。
なお、称号【強欲の支配者】によって得られるスキルは【鑑定LV10】と【征服】。
【鑑定LV10】は、秘されていない全ての情報を鑑定可能にし、自身の欲望を満たす対象を見出す力となる。
【征服】は、征服者の威光によって味方を鼓舞する力であり、自身の欲望によって獲得した配下や戦力を活かす能力とも言える。
つまり【強欲】とは、奪う力であると同時に、奪ったものを抱え込み、従え、さらに欲するための支配者スキルである。
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