勝った。
勝ったのだ。
あの猿どもに。
あの数に。
あの投石に。
あの大猿に!
そして、地上百メートル近い岩壁とかいう、落ちたら即終了な地獄みたいな戦場で!
私は生きてる。
私は、逃げなかった。
いや、逃げられなかったとも言う。
そこは認める。
認めるけど。
逃げられない戦いを、逃げずに勝った。
今なら、何が来ても勝てそうな気さえしてくる。
勇者でも魔王でもかかってこいって言うもんよ!
……まあ、地龍は勘弁ね!
あれは無理。
普通に無理。
調子に乗るにも限度というものがある。
でも。
それでも。
私は勝った。
もう一度、私は喜びを噛み締める。
私は生きてるぞー!
生きて、勝ったぞー!
……と、全力で喜びたいところなんだけど。
体が動かない。
いや、動く。
一応動くんだけど、動きたくない。
糸を出しすぎた。
毒も使いすぎた。
避けすぎた。
落ちかけすぎた。
猿多すぎた。
大猿も多すぎた。
何あれ。
猿業界の総力戦?
私、猿に何したの?
いや、一匹倒したね。
倒したけどさ。
一匹で一族郎党総出の復讐は重いって。
そして、その総力戦をやり切ったあとに来た称号が【無慈悲】と【魔物の殺戮者】。
重い。
名前が重い!
やってることは間違ってない。
あいつら、こっちを殺すまで止まる気なかったし。
殺らなきゃ殺られてたし。
後悔はない。
ないけど、勝利のファンファーレにしては字面が物騒すぎる。
もっとこう、【生還者】とか【頑張った蜘蛛】とか、そういうのはないんですかね?
ないんですね。
知ってた。
◇
とりあえず、ひたすら猿の肉を食べたところだ。
味?
今それを聞く?
戦闘直後の食事に味を求めるのは贅沢というものだ。
燃料である。
SPである。
生き残った者の義務である。
とはいえ、あのタニシ虫よりは遥かにマシ。
あれと比べたら、だいたい何でもごちそうになる気がする。
比較対象が最低すぎるだけとも言う。
影蛇も食べていた。
ただし、少し離れた場所で。
さっき、あいつは言った。
『食う。けど、少し離れる』
その時は、あー、としか返せなかった。
理由は、なんとなく分かったからだ。
近すぎるとまずい。
蜘蛛子の魂を近くに感じ続けるのはよくない。
たぶん、そういうことなのだと思う。
猿戦の最中。
影蛇は、私の影の中に入った。
【影憑】。
あれは怖かった。
普通に怖かった。
だって、「お前の影を入口にして、感覚だけ重ねる」とか言われたのだ。
そんなの怖いに決まってる。
しかも相手は、魂がどうとか言ってる黒い蛇。
冷静に考えなくてもホラーである。
蜘蛛目線でもホラーである。
けど。
影蛇は、私の体を勝手に動かさなかった。
私の体は、最後まで私のものだった。
糸を出したのも、毒を落としたのも、避けたのも、踏ん張ったのも、私。
ただ、見えない場所が分かった。
死角から来る猿の腕。
飛んでくる石の軌道。
大猿が跳ぶタイミング。
糸が切れそうな場所。
言葉になる前に、危ない方向が分かった。
右。
下。
今。
引け。
跳ぶな。
そういうものが、頭の中というより、体の奥へ直接流れてくる感じ。
念話とも違う。
自分の考えとも違う。
でも、完全に他人の声でもない。
気持ち悪い。
怖い。
便利。
助かった。
感情が忙しい。
影蛇は危険。
それは変わらない。
でも、危険だから全部駄目、というわけでもない。
少なくとも、あの時の私は、影蛇がいなかったら死んでいた。
私は食べながら、さっきの戦いを思い出す。
逃げられなかった。
でも、勝った。
地龍にぶっ飛ばされた時の私は、逃げた。
逃げて逃げて逃げて、運良く生き延びた。
上層で危ない魔物に追われた時も、だいたい逃げた。
逃げるのは悪くない。
死ぬくらいなら逃げる。
それは今でも変わらない。
だけど、今回は逃げられなかった。
だから、戦った。
そして、勝った。
私一匹の勝利じゃない。
影蛇がいなければ、たぶん死んでいた。
それは認めるしかない。
認めるしかないんだけど。
……なんか悔しい。
影蛇を少し信用してしまった自分が悔しい。
いや、信用してない。
してない……かな?
してないこともない?
うーん。
考えるのが面倒になってきた。
私は猿肉を飲み込んだ。
考えるのは後。
まずは食べる。
食べて回復。
お残しダメ、絶対。
◇
そして、進化だ。
そう!
私はレベル10になったのだ!
めでたい!
超めでたい!
死にかけまくった結果のレベル10である。
全然めでたくない気もするけど、めでたいことにしておく。
進化できるのだから。
猿戦でボロボロになって、食べて、ようやく一息ついたところで進化。
忙しいな、私の蜘蛛生。
もう少し休ませてくれてもいいのでは?
まあ、進化中は眠るようなものだから、休みと言えば休みか。
本当に休みになるかは知らないけど。
『今から進化する』
影蛇に念話を送る。
『分かった。見張っておくよ』
『近づきすぎ注意で』
『分かってる』
『ほんとに?』
『今までよりさらに分かってるさ』
その返事に、少しだけ笑いそうになった。
影蛇の返事が、さっきより少しだけ軽かったのが嬉しかった。
猿戦の最中は、ずっと切羽詰まっていた。
今も疲れているのは分かる。
でも、少しだけいつもの調子が戻っている気がした。
『じゃ、寝る』
『寝ろ』
『襲われそうだったら、猿の時みたいに起こしてね』
『進化中って起こせるのか?』
『それは……どうなんだろ?』
『まあ、できれば頼らずに済む展開がいい』
『それはそう』
私はホームの残骸を補修し、どうにか寝られる場所を作った。
正直、ホームと呼ぶにはだいぶ壊れている。
仮ホームの残骸。
元ホーム。
ホームだったもの。
……悲しいので、ホームと呼ぶことにする。
糸を重ねる。
体を丸める。
そして、スモールポイズンタラテクトへの進化を選ぶ。
意識が、ゆっくり沈んでいく。
深く沈む前、少し離れた場所に、黒い気配があった。
近すぎない。
でも、遠すぎない。
多分、見張りをしている。
まあ、今はそれでいいか。
私は、その気配を最後に感じながら、意識を手放した。
◇
《進化が完了しました》
《種族スモールポイズンタラテクトになりました》
《各種基礎能力値が上昇しました》
《進化ボーナスにより、スキル熟練度を取得しました》
︙
《スキルポイントを入手しました》
おはようございます。
無事目覚めることができました。
ということで、進化・完了!
いやー、体が軽い。
軽いというより、強くなった感じかな?
全体的に一回り性能が上がった。
よし。
いい。
これはいい。
猿戦で死にかけた分、ちゃんと報酬がないとやってられないからね!
とはいえ、感動に浸っている暇はない。
進化後だから、進化前に食べたところなのにまたお腹空いてきた。
ここはやはり、残ってる猿どもに私の糧になっていただこう。
『起きたか』
『起きたよ』
『問題は?』
『多分なし。進化成功』
『よかった』
短い返事。
でも、安心している感じは伝わった。
影蛇は、やはり少し離れた岩場にいた。
影の中ではなく、岩の上。
進化前より、少しだけ気配が落ち着いている。
もしかしたら、私が寝ている間に何かしていたのかもしれない。
けど、詳しく聞くのはやめた。
魂がどうとか、影がどうとか。
今聞いても、たぶん私の頭が追いつかない。
それに。
私が寝ている間、影蛇はちゃんと見張っていた。
それで今は十分だ。
『影蛇は?』
『生きてる』
『それは見れば分かる』
『なら問題ない』
『問題ない返事じゃないんだけど』
『細かいことは追々』
『追々が多すぎる』
『俺もそう思う』
うん。
やっぱり、少しだけ調子が戻っている。
さっきまでより軽い。
でも、距離はまだ少し遠い。
そこは変わらない。
近すぎず、遠すぎず。
今のところは、それが影蛇の決めた距離らしい。
まあ、いい。
完全にいなくなるよりは、ずっといい。
戦力的に。
うん。
戦力的に。
◇
それから、私たちは移動を再開した。
壊れたホームに長居する理由はない。
猿の死体も食べた。
進化も終わった。
なら、先へ進むしかない。
下層は相変わらず広い。
強そうな反応は避ける。
食べられそうな魔物は狩る。
危ないなら逃げる。
この辺は、もう慣れてきた。
影蛇は、以前より少し離れた場所を移動することが増えた。
でも、索敵はしてくれる。
危険な反応があれば教えてくれる。
私が狩る時には、必要なら外道魔法や影魔法で補助してくれる。
つまり、役には立つ。
やっぱり便利。
そして、ちょっと遠い。
この「ちょっと」が、妙に気になる。
別に寂しいとかではない。
ない。
たぶん。
『右奥、大型反応』
『避ける?』
『避ける』
『了解』
即決。
命大事に。
猿戦の後だ。
今の私は、危険に挑む気分ではない。
いや、普段からあまり挑みたくはないけど。
影蛇は時々、影から出て岩の上を這っていた。
それが少し変だった。
黒い蛇が影に潜らず、普通に這っている。
いや、それが普通なんだけど。
影蛇の場合、普通じゃない。
『影に入らないの?』
『入りすぎるとまずい』
『そっか』
『便利だからって使いすぎると碌なことにならない』
『それは分かる』
便利なスキルほど危ない。
そんなこともあるだろう。
私も実感している。
【探知】とか。
……うん。
あれは便利なスキルというより、情報量で脳を殴ってくる危険物だけど。
まあ、それは横に置いて。
影蛇の【影憑】も、多分その類だ。
便利。
強い。
でも、長く使うと危ない。
影蛇自身も、それを分かっているのだろう。
だから、距離を取っている。
影にも沈みすぎない。
分かる。
分かるんだけど。
やっぱり、少し落ち着かない。
◇
そのあとは、しばらく平和だった。
いや、エルロー大迷宮下層で平和って何?
自分で言ってて意味が分からない。
でも、本当にしばらく魔物には出会わなかった。
猿の群れに巻き込まれたせいか。
それとも、あれだけ大騒ぎしたから周囲の魔物が離れたのか。
理由は分からないけど、進むなら今しかない。
ただ歩いているだけなのも暇なので、移動しながら上げられそうなスキルを使う。
糸を少し出して、操る。
毒を確認する。
感覚を確かめる。
影蛇も、少し離れたところで、影以外の魔法らしきものを色々と使っていた。
土っぽいものや風っぽいものが動いていたので、あいつもあいつで訓練しているらしい。
そんなことをしながら進んでいると、空気が変わった。
最初に気づいたのは、熱だった。
暑い。
最初は気のせいかと思った。
戦闘後で体が熱いだけかもしれない。
進化した影響かもしれない。
そんなことを思った。
でも、違う。
進むほど、確かに暑くなっている。
『暑くない?』
『暑いな』
『影蛇も暑いんだ』
『まあそりゃな。それに、熱感知がうるさい』
『なるほど』
影蛇が暑さにうるさいのか、熱感知がうるさいのかはともかく、暑いものは暑い。
周囲の岩も、少し赤みを帯びているように見える。
空気が乾いている。
肌……いや、外殻?
体表?
とにかく体に熱がまとわりつく。
嫌な暑さだ。
エアコンが切実に欲しい。
夏場はエアコンの効いた部屋で半分引きこもるタイプだった私に、この暑さはきつい。
そして、道。
道が、少しずつ上向きになっている。
上り坂だ。
今まで下層をさまよっていた私たちが、上へ向かっている。
上。
つまり!
『もしかして……』
『ああ』
影蛇の声が、少しだけ明るくなった気がした。
『下層の終わりが近いかもしれない』
その言葉を聞いた瞬間、体の奥から力が湧いた。
下層の終わり。
この地獄みたいな下層が?
あの地龍とか、猿とか、強敵だらけの下層が?
終わる?
マジで!?
私は足を速めた。
『ちょ、速い!』
『だって下層終わるかもしれないんだよ!?』
『油断するなよ!』
『分かってる! でも急ぎたい!』
『気持ちは分かるが、死んだら終わりだぞ!』
『それはめちゃくちゃ分かる!』
分かる。
死にたくない。
でも、進みたい。
この先に下層の終わりがあるなら。
中層があるなら。
地獄が一つ終わるなら。
足が勝手に進む。
坂を登る。
熱が増す。
空気が揺らぐ。
岩の色が変わる。
赤い。
熱い。
黄のスタミナが減る。
速く走りたいのに、長くは続かない。
速度があっても、持久力がないとこうなるのか。
これ、地味に弱点だ。
覚えておこう。
でも今は、それよりも!
坂の先に、光が見えた。
いや、光というより。
揺らめく赤。
熱の赤。
私は、坂を登り切った。
その先に広がっていたのは、今までの下層とはまったく違う景色だった。
広い空間。
赤く照らされた岩壁。
地面を流れる、眩しいほどの熱。
マグマである。
うん。
なるほど。
暑いわけだ。
『……中層?』
『多分な』
影蛇が答える。
私は、しばらくその赤い景色を見つめた。
下層が終わった。
あの地獄みたいな場所を抜けた。
猿戦も越えた。
進化もした。
そして、ついに。
『下層、終わったああああああああ!!』
全力で、念話で叫んだ。
影蛇が少し黙った。
『……元気だな』
『元気にもなるよ! 下層終わったんだよ!?』
『まあ、気持ちは分かる』
『でしょ!?』
『ただ、目の前はマグマだ』
『うん』
『次の地獄が始まったとも言う』
『言わないで!?』
でも、今だけはいい。
今だけは、喜ばせてほしい。
下層は終わった。
次は中層。
暑そう。
いや、めちゃくちゃ熱い。
マグマとか見えてるし。
というか、あれ?
今、HP減ってない?
……減ってる。
え?
ただ立ってるだけで?
この距離で?
嘘でしょ!?
やっと下層を抜けたと思ったら、地形ダメージありのマグマ地帯?
神様、蜘蛛に厳しすぎない?
いや、神様がいるかどうかは知らないけど!
でも。
私たちは、下層を抜けた。
猿の群れを越えた。
生き残った。
だから、今はそれで十分だった。
中層攻略、開始だ!
次回は主人公周りの設定をまとめた、設定集①です。