(※すでに読んでくださった方には申し訳ありませんが、戦闘描写や一部の流れを調整しているため、改めて読んでいただけるとありがたいです)
(※この前書きは数日後に削除予定です)
熱い。
中層に足を踏み入れるのは、これが初めてじゃない。
火耐性の訓練で、少しだけなら入ったことはある。
けど、地龍カグナから逃げ込む形で、準備も休憩もなしに来るのとは話が違った。
『あっつ!? やっぱりあっついんですけど!?』
『同感だ!』
『どうにかして!?』
『できるならしてる!』
蜘蛛子が地上を駆ける。
俺はその後を追う。
背後から地龍カグナの気配は、もう追ってきていない。
多分、あいつもわざわざ中層まで突っ込む気はなかったんだろう。
それは助かった。
助かったんだが。
前にはマグマ。
横にもマグマ。
下手に進めば熱で死ぬ。
戻れば地龍がいるかもしれない。
やっぱり最悪じゃねぇか。
『影蛇! あれ!』
蜘蛛子の声に、【探知】の意識を向ける。
マグマの中。
赤く揺れる液面の下に、動いている反応があった。
【鑑定】で確認する。
エルローバラドラードだ。
火属性の魔物。
俺の覚えている中層の魔物と同じなら、マグマの中から火球を撃ってくるタイプだ。
倒すなら、撃たせてMPを削って、地上へ出てきたところを狙うのが基本になる。
『やる?』
『いや、待て。中にいる間は不利だ』
『待つの?』
『こっちからマグマに飛び込むよりはマシだ』
『それはそう』
マグマの中にいる相手へ、こっちから近づくのは論外。
蜘蛛子の糸も熱で弱る。
俺の影も、火の光が揺れすぎて安定しない。
なら、出てくるまで待つ。
そう考えた直後、マグマがぼこりと泡立った。
『撃ってくるぞ!』
『げっ!』
火球。
赤い塊が、一直線に飛んでくる。
蜘蛛子が跳ぶ。
俺も横へ滑る。
さっきまでいた地面に火球が直撃し、熱と破片が飛び散った。
『影蛇、あれ連発されたら面倒なんだけど!』
『だから撃たせる。MP切れ狙いだ』
『うわ、地味!』
『生き残るための地味さだ。ありがたく思え』
蜘蛛子は不満そうにしながらも、物陰へ飛び込む。
俺も別の影に潜り、火球の軌道を【探知】で拾う。
火球が飛ぶ。
避ける。
隠れる。
また飛ぶ。
また避ける。
相手に撃たせながら、地形を確認する。
足場、逃げ道、火球の間隔、相手の浮上位置。
……と、そこでふと思った。
待つ必要、あるか?
蜘蛛子の糸は届きにくい。
近づけば焼かれる。
マグマの中にいる相手へ、蜘蛛子が飛び込むわけにもいかない。
けど、俺の魔法なら届く。
『蜘蛛子、少し試す』
『何を?』
『魔法なら、マグマの中にも届く』
『あ、確かに。でも――』
蜘蛛子が止める前に、俺は闇魔法を撃ってしまった。
黒い弾が、マグマの中に沈む魔物へ叩き込まれる。
続けて毒魔法を薄く広げる。
効きは浅い。
マグマの中にいる相手へ通る威力なんて、たかが知れている。
けれど、無意味ではないだろう。
すると、魔物の意識がこちらへ向いた。
『影蛇! めっちゃそっち見てるよ!』
『見てるな!』
次の瞬間、火球が俺へ飛んできた。
影へ沈む。
だが、火の光で影が揺れる。
足場も悪い。
魔法を撃った直後で、反応が一拍遅れた。
まずい。
『こっち!』
蜘蛛子の糸が俺の体に絡む。
引っ張られる。
直後、さっきまで俺がいた場所を火球が焼いた。
『危なっ!?』
『危ないのはこっちの台詞なんですけど!?』
『悪い!』
そこからは、酷かった。
俺が魔法を撃つ。
敵が俺を狙う。
蜘蛛子が糸で引く。
俺が土魔法で壁を作る。
蜘蛛子が横から牽制する。
魔法は届く。
攻撃はできる。
削ることもできる。
ただし、当然ながら敵意がこっちに向く。
中層で、火属性魔物のヘイトを蛇一匹で受け持つのは無理があった。
『影蛇、また来る!』
『分かってる!』
土魔法で壁を作る。
火球がぶつかり、土壁が砕ける。
熱風が吹き抜ける。
風魔法で押し返す。
その隙に闇魔法を撃つ。
さらにヘイトがこっちに向く。
駄目だ。
これは駄目だ。
理屈としては間違っていない。
けど、俺の回避能力が足りていない。
『出るぞ!』
『今度こそ!』
何発も火球を撃った後、魔物の動きが鈍った。
マグマの中から、赤熱した体が這い上がってくる。
地上に出た。
なら、こっちの番だ。
蜘蛛子が前に出る。
俺は距離を取ったまま、土魔法で足元を崩す。
風魔法で火の粉を散らす。
影魔法で視界の端を揺らす。
外道魔法で相手の意識をそらす。
そこへ闇魔法を叩き込む。
黒い弾が、赤熱した鱗にぶつかって弾けた。
続けて、毒魔法を細く絞る。
赤熱した体表にできた傷口へ、毒を流し込む。
蜘蛛子が踏み込む。
毒をまとわせた爪に、【破壊強化】と【斬撃強化】を乗せる。
真正面から長く触れるのは危険だ。
だから一撃だけ。
赤熱した体表にできた傷口を、蜘蛛子の爪がさらに裂いた。
蜘蛛子はそのまま踏み込みすぎず、すぐに横へ跳んで距離を取る。
俺の闇魔法がもう一度撃ち込まれる。
敵の体が大きく揺れた。
そこへ俺が毒魔法を重ね、内側から動きを鈍らせる。
エルローバラドラードが地面に崩れる。
《スキル【強欲】の効果により、対象からスキル【火耐性LV1】を奪取しました》
《【火耐性LV1】が【火耐性LV1】に統合されました》
お、来た。
火属性の魔物なら、火に耐えるためのスキルを持っている。
それを【強欲】で奪う。
自然に焼かれて【火耐性】を上げようなんて考えたら、先にこっちが焼け死ぬ。
だったら、火の中で生きている奴らから奪った方が早い。
我ながら、実に【強欲】らしい耐性の強化法だと思う。
『影蛇、平気?』
『平気じゃないけど、少しはマシになった気がする』
『それ平気って言わないんだよなぁ』
『奇遇だな。俺もそう思う』
中層攻略開始、まずは一戦。
勝った。
勝ったんだが……。
『今の、次もやる?』
『……やり方を変える』
『でしょうね』
蜘蛛子の呆れた声が刺さる。
魔法で攻撃はできる。
けど、ヘイトが俺に向く。
この中層で、魔法を撃ちながら火球を避け続けるのは危ない。
蜘蛛子の糸がなければ、今のは普通に焼かれていた。
『選択肢は二つだな』
『ほう。聞こうじゃないか』
『一つは、相手のMP切れを待つ』
『地味だけど、安全だね』
『もう一つは、俺が魔法で削る。ただし、その時はお前に動きを任せる』
『私に?』
『【影憑】を使う』
『却下』
早い。
当然だろうな。
『まあ、最後まで聞け』
『聞いてから却下する』
『それは却下前提じゃないか?』
『内容次第で却下しない可能性がほんの少しだけある』
『低いな』
『日頃の行い』
言い返せない。
『猿戦の時みたいなやつじゃない』
『じゃあ何?』
『表層接続――まあ名前は今つけたんだが、【影憑】を完全に通す前の入口だけを使う』
『入口だけ?』
『ああ。お前の影に引っかかるだけだ。感覚は読まない。MPもSPも流さない。魂の奥にも踏み込まない。動きは全部お前任せ。俺は魔法と【探知】に集中する』
『じゃあ、私の中に入るわけじゃない?』
『入らない。お前の影に憑くだけだ。見える位置は近くなるけど、感覚は読めない。指示も【遠話】で出す必要がある』
『じゃあ猿戦の時のアレとは違う?』
『違う。あの時は、表層だけじゃ足りなかった』
猿戦の時は、敵の数も、圧も、死角も多すぎた。
蜘蛛子の糸。
回避。
反応。
敵の重心。
俺の探知。
俺のMPとSP。
あの状況で全部を噛み合わせるには、感覚まで重ねるしかなかった。
『まあ、あの時はこっちも余裕なかったしね』
蜘蛛子が、少しだけ声を落とす。
『猿多すぎ。死角多すぎ。糸も回避も、外から指示されてるだけじゃ間に合わなかったと思う』
『だろうな』
『だから、あれは仕方ない。……怖かったけど』
『悪い』
『今回はそこまでしないってことね?』
『ああ。やる必要がないなら、やらない。お前が避ける。俺が撃つ。それだけだ』
『……私を乗り物扱いしてない?』
『してない』
『今の間、絶対してるやつ』
『してない』
『まあ、理屈は分かったけど』
蜘蛛子が少し考えるように黙る。
嫌なのは当然だ。
俺だって逆の立場なら嫌だ。
自分の影に、別の何かが憑く。
それだけで普通に気持ち悪い。
まして、俺には【魂欲】がある。
蜘蛛子の魂は近い。
近すぎる。
触れたい。
噛みつきたい。
喰らいたい。
そう思ってしまう。
けれど、同意状態の【影憑】では喰えない。
喰えないから安全、なんて言う気はない。
喰えないだけで、欲が消えるわけじゃない。
だから、表層だけ。
感覚も、魔力も、魂も、必要以上には繋げない。
喰う方向へは絶対に踏み込まない。
蜘蛛子の動きに乗るだけ。
『嫌なら、MP切れ待ちでいい』
『……変なことしたら即切る』
『分かった』
『奥まで入ったら殺す』
『入らない』
『感覚とか読んだら?』
『読まない』
『魂とか喰おうとしたら?』
『それは論外だ』
『ならよし!』
蜘蛛子は文句を言いながらも、完全には拒まなかった。
そのことに、少しだけ安心する。
同時に、少しだけ怖くなる。
安心できてしまうことが、怖い。
◇
それから、俺たちはしばらく中層を進んだ。
足場を探す。
マグマの流れを避ける。
熱が少しでもマシな場所を選ぶ。
蜘蛛子の糸がどの程度まで耐えられるか確認する。
戦闘よりも、環境確認の方が多かった。
途中で何度か火属性の魔物を見つけたが、全部と戦ったわけじゃない。
面倒そうなら物陰でやり過ごす。
倒せそうなら、相手のMP切れを待つ。
早めに削れそうなら、俺が魔法で攻撃する。
ただし、その時は表層接続を使う。
蜘蛛子の腹下に落ちた影へ触れる。
影の表面に、自分を引っかける。
奥には入らない。
感覚は重ねない。
MPもSPも流さない。
蜘蛛子の動きに乗るだけだ。
蜘蛛子が跳べば、俺の視点もその影についていく。
蜘蛛子が壁を走れば、俺の魔法の起点もその影に引かれて動く。
俺は【探知】で周囲を読み、【遠話】で指示を飛ばしながら、魔法を撃つ。
『右』
『はいよ』
蜘蛛子が跳ぶ。
火球が外れる。
俺はその移動に乗ったまま、闇魔法を撃った。
黒い刃が、マグマの中の魔物へ突き刺さる。
効きは浅い。
けれど、意識はこっちへ向く。
『次、左』
『了解』
蜘蛛子が避ける。
俺は撃つ。
移動は蜘蛛子。
攻撃は俺。
役割を分けるだけで、かなり楽になった。
いや、楽と言っても、中層基準での話だが。
《スキル【強欲】の効果により、対象からスキル【火耐性LV1】を奪取しました》
《【火耐性LV1】が【火耐性LV1】に統合されました》
《スキル【強欲】の効果により、対象からSPを奪取しました》
《SP最大値が微上昇しました》
《スキル【強欲】の効果により、対象から平均防御能力を奪取しました》
全部が狙い通りというわけじゃない。
火耐性を狙って、SPが来る。
火耐性を狙って、防御能力が来る。
火耐性を狙って、別のものが来る。
相変わらず、【強欲】は都合よく選ばせてくれない。
それでも、火属性の魔物を倒すたびに、俺はできる限り奪う方向を寄せた。
火に耐える力。
熱に焼かれない性質。
この中層で生きるための適応。
少しずつ。
本当に、少しずつ。
《スキル【強欲】の効果により、対象からスキル【火耐性LV1】を奪取しました》
《【火耐性LV1】が【火耐性LV1】に統合されました》
《熟練度が一定に達しました。スキル【火耐性LV1】が【火耐性LV2】になりました》
ようやく、上がった。
これで楽勝。
……なんてことはないが、それでも楽になった。
その間にも、何度かレベルは上がっていた。
けれど、進化可能になるにはまだ届かない。
中層の魔物は強い。経験値も多い。
それでも、次の進化までは遠かった。
倒した魔物は、肉を食べるか【影憑】で魂を喰う。
肉は食べなければ体が保たない。
魂の方は、俺の【魂欲】を少しだけ静かにしてくれる。
とはいえ、魔物食は基本的に不味い。
それはもう、上層でも下層でも嫌というほど分かっている。
中層の魔物も例外ではなく、熱いし、食べにくいし、だいたい不味い。
けど、食べなければ進めない。
そう思っていた時だった。
『影蛇、あれ』
『……お』
マグマの中から、ぬるりと出てきた魔物。
口がでかい。
見た目は、ナマズみたいな何か。
【鑑定】で確認する。
エルローゲネセブンだ。
ステータスもスキルも、知っている範囲内。
けど、俺の中ではその情報より先に、別のことが頭に浮かんでいた。
ナマズ。
原作で蜘蛛子が美味しくいただいた、中層の当たり食材。
あくまで知識として知っているだけなので、味まで俺が分かるわけじゃないが、少なくとも食料として期待はできるはずだ。
『やるぞ』
『え、急にやる気』
ナマズがマグマの中で身をくねらせる。
大きな口が開いた。
火球じゃない。
こっちを丸ごと飲み込むつもりの動きだ。
『来るぞ!』
『口でかっ!?』
ナマズが地上へ這い上がり、そのまま大口を開けて突っ込んでくる。
蜘蛛子が跳ぶ。
避ける。
けれど、完全には離れない。
『蜘蛛子、口だ!』
『口!?』
『毒を入れろ! 中からなら通る!』
『なるほど分かりやすい!』
ナマズがもう一度、大口を開けて突っ込んでくる。
蜘蛛子はギリギリまで引きつけた。
俺は横から風魔法で火の粉を散らし、土魔法で足場を少しだけ盛り上げる。
突進の角度が、ほんのわずかにズレた。
その瞬間、蜘蛛子の前に、液体の球状になった蜘蛛毒が生まれる。
【毒合成】で作った、蜘蛛子自身の毒。
ナマズは、蜘蛛子の代わりにその毒の球を丸ごと飲み込んだ。
直後、ナマズの巨体が大きく跳ねた。
『うわ、効いた!?』
『効いてる!』
ナマズが苦しげにのたうち回る。
マグマの熱をまとった体が地面を叩き、火の粉が散った。
俺は闇魔法を撃ち込む。
蜘蛛子は距離を取りながら、さらに毒を重ねる。
【毒合成】で生み出した蜘蛛毒の球が、もう一度ナマズの顔へ落ちる。
口元から入り込んだ毒が、内側からナマズを蝕んでいく。
ナマズが大きく痙攣し、動かなくなった。
『……食べていい?』
『いいぞ』
『では、いただきます』
蜘蛛子が食べる。
俺も食べる。
……うまい。
魔物食は基本的に不味い。
それはこの世界に来てから嫌というほど思い知らされている。
けど、これは例外だった。
熱いし、見た目は完全に魔物だ。
けど、味だけなら転生してから一番まともだった。
なるほど。
これは確かに、原作の蜘蛛子が探し回るわけだ。
『影蛇』
『何だ?』
『このナマズっぽいやつ、あり』
『ありだな』
『次から見つけたら狩ろう』
『中層攻略の目的が増えたな』
『美味しいものは正義』
蜘蛛子のテンションが、目に見えて上がった。
気持ちは分かる。
中層は暑い。きつい。最悪だ。
でも、たまに美味いものが食える。
それだけで、進む理由が少しだけ増えた。
◇
その後も、俺たちは少しずつ中層での戦い方を形にしていった。
蜘蛛子が前。
俺が後ろ。
蜘蛛子が毒をまとわせた爪で切り込み、俺が魔法で足場や壁を作る。
敵がマグマに潜った時は追わず、必要なら火球を撃ち尽くすのを待つ。
早く倒したい時は、表層接続で蜘蛛子の動きに乗り、俺が魔法で削る。
土魔法で足場を作る。
風魔法で火の粉を散らす。
影魔法で視界をずらす。
外道魔法で相手の意識をそらす。
闇魔法で直接削る。
毒魔法で傷口を蝕む。
蜘蛛子も糸は使えないわけじゃない。
けれど、中層の熱では長く保たない。
だから拘束ではなく、一瞬の牽制や回避補助に使う程度に留める。
ただし、表層接続は万能じゃない。
感覚を重ねない以上、細かい動きは【遠話】頼りになる。
伝え方を間違えれば、蜘蛛子の回避と俺の魔法は簡単にズレる。
『次、下』
『下!? 下ってどっちの下!?』
『足元!』
『最初からそう言え!』
蜘蛛子が跳び、火球が足元を焼いた。
『悪い』
『あとで反省会ね!』
『はい』
それでも、何度か繰り返すうちに、言葉は短くなっていった。
『右』
『はい』
『上』
『了解』
『待て』
『止まる!』
何度か繰り返すうちに、表層接続の使い方も少しずつ分かってきた。
『今回は削る。表層で行くぞ』
『りょーかい。乗客は暴れないように』
『乗客じゃない』
『さっき乗り物扱いしてたくせに』
『してない』
『はいはい』
蜘蛛子の影へ憑く。
火球が飛ぶ。
蜘蛛子が避ける。
俺が闇魔法を撃つ。
敵が地上に出たところで、蜘蛛子が毒をまとわせた爪で切り込む。
長くは触れない。裂いて、離れる。それだけだ。
何度か繰り返すうちに、俺たちの動きは少しずつ噛み合っていった。
慣れた、というには早い。
安全になった、なんて言う気もない。
けれど、猿戦の時みたいな拒絶はもうなかった。
その事実に、少しだけ安心する。
同時に、少しだけ怖くなる。
蜘蛛子の魂は、やっぱり近い。
表層接続では、魂の奥までは入らない。
感覚も重ねない。
ただ憑いているだけ。
それでも、近いものは近い。
触れたい。
喰らいたい。
その欲は、完全には消えない。
だから、俺はそのたびに【自己理解】で切り分ける。
戦闘補助。
魔法の照準。
火球の回避。
蜘蛛子の魂。
それらを混ぜるな。
混ぜたら、いつか間違える。
『影蛇』
『何だ?』
『今、変なこと考えてない?』
『……考えてない』
『間があった』
『気のせいだ』
『ふーん?』
蜘蛛子の声は軽い。
けど、たぶん全部が冗談じゃない。
俺が危ういことを、こいつは少しずつ分かってきている。
それでも、拒絶しない。
それがありがたい。
同時に、重い。
……いや。
今は考えるな。
中層でやるべきことは単純だ。
進む。
倒せる敵を倒す。
火耐性を奪う。
魔法を試す。
表層接続の加減を覚える。
そして、死なない。
それだけだ。
◇
ナマズを食べてから、蜘蛛子のやる気は明らかに上がった。
『ナマズー』
『探すな』
『ナマズー!』
『気持ちは分かるが、食欲で動くな』
『美味しいものは大事』
『否定はしない』
否定はしない。
実際、あれは美味かった。
けど、美味いものを探して死んだら意味がない。
そう思っていた矢先だった。
『蜘蛛子』
『……うん?』
俺の【探知】に反応があった。
マグマの流れの向こう側。
細長い何かが、ぬるりと動いていた。
ナマズじゃない。
もっと長い。
もっと速い。
【鑑定】で確認する。
エルローゲネレイブ。
鰻みたいな見た目の中位竜。
たしか、ナマズの進化系に近い相手だ。
これは、本来なら気軽に手を出す相手じゃない。
ただ、向こうはもうこっちに気づいていた。
鰻が身をくねらせる。
次の瞬間、火球が飛んできた。
『速い!』
『避けろ!』
蜘蛛子が跳ぶ。
俺も土魔法で壁を作る。
火球が地面に当たり、爆発する。
さっきまでの火属性魔物とは違う。
火力も速度も、明らかに上だ。
逃げるか。
戦うか。
考える暇は、ほとんどなかった。
鰻がマグマから這い上がる。
細長い体が地面を滑るように動き、大口を開けて迫ってくる。
『影蛇!』
『表層で合わせる!』
『了解!』
蜘蛛子の影へ憑く。
奥には入らない。
感覚は重ねない。
けれど、蜘蛛子の動きに乗って、【探知】と魔法を合わせる。
『右!』
『はい!』
火球を避ける。
闇魔法を撃つ。
『下がれ!』
『うわっ!?』
鰻の尾が地面を叩き、破片が飛ぶ。
風魔法で火の粉を散らし、土魔法で足場を作り直す。
鰻は速い。
硬い。
しつこい。
まともに削るのはきつい。
『口を狙う!』
『また!?』
『ナマズと同じだ。外から削るより、中に毒を入れた方が早い!』
『分かりやすいけど危ない!』
『危ないから合わせる!』
鰻が火球を吐く。
蜘蛛子が避ける。
俺が風魔法で火の粉を散らす。
その隙に、蜘蛛子が【毒合成】で液体の球を作る。
ナマズの時よりも、タイミングはずっと厳しい。
相手が速い。
口を開ける時間も短い。
それでも、やるしかない。
『来る!』
鰻が口を開け、突っ込んでくる。
蜘蛛子は真正面から迎えた。
もちろん、まともに受け止めるためじゃない。
ギリギリまで引きつけて、毒を口に入れるためだ。
俺は土魔法で足場を少しだけせり上げる。
風魔法で火の粉を払い、影魔法で一瞬だけ視界をずらす。
鰻の突進が、わずかに乱れた。
『今!』
『食らえ!』
蜘蛛子が作った液体球状の蜘蛛毒が、鰻の開いた口へ飛び込む。
鰻がそれを飲み込んだ。
直後、鰻の体が大きく跳ねる。
『効いた!』
『まだだ!』
鰻が暴れる。
地面を叩き、火の粉を撒き散らし、苦し紛れに火球を吐く。
俺は土壁を作る。
蜘蛛子が横へ跳ぶ。
表層接続のまま、俺は闇魔法を口元へ撃ち込む。
蜘蛛子はさらに毒を重ねた。
液体の球状にした蜘蛛毒。
今度は口元ではなく、傷口へ。
それでも、内部に入った最初の毒が効いているのか、鰻の動きは明らかに鈍っていた。
『もう一押し!』
『分かってる!』
蜘蛛子は糸を使わず、鰻の動きが鈍った一瞬を狙って踏み込んだ。
毒をまとわせた爪に、【破壊強化】と【斬撃強化】を乗せる。
口元の傷へ、毒をまとわせた爪を叩き込む。
長く触れれば、こっちが焼かれる。
だから、切り裂いた瞬間に蜘蛛子は跳び退いた。
俺の闇魔法が重なる。
さらに毒魔法を傷口へ流し込む。
鰻の巨体が、最後に大きく痙攣した。
そして、動かなくなる。
《スキル【強欲】の効果により、対象からMPを奪取しました》
《MP最大値が微上昇しました》
ログが流れる。
その直後、蜘蛛子がぴたりと動きを止めた。
ほとんど同時に、俺の頭にも声が響く。
《経験値が一定に達しました。個体、スモールグレイヴウンブラペントがLV8からLV9になりました》
《各種基礎能力値が上昇しました》
《スキル熟練度レベルアップボーナスを取得しました》
《スキルポイントを入手しました》
《経験値が一定に達しました。個体、スモールグレイヴウンブラペントがLV9からLV10になりました》
《各種基礎能力値が上昇しました》
《スキル熟練度レベルアップボーナスを取得しました》
《スキルポイントを入手しました》
《条件を満たしました。個体、スモールグレイヴウンブラペントが進化可能です》
『……来た』
蜘蛛子が、短く言った。
それだけで、だいたい分かった。
レベル。
いや、多分それだけじゃない。
進化。
蜘蛛子も、とうとうそこまで来た。
『進化か?』
『うん』
同時。
たぶん、本当に同じタイミングだった。
俺は一度、先に進化している。
スモールウンブラペントから、スモールグレイヴウンブラペントへ。
その分だけ、レベルは一度リセットされて、そこからまた積み直してきた。
しかも、俺には【強欲】がある。
倒した魔物から、経験値だけじゃなく、能力やスキルも奪っている。
なのに、蜘蛛子は俺と同じタイミングで進化可能になった。
【傲慢】。
原作知識としては知っていた。
経験値と熟練度を増加させる、最悪に便利で、最悪に危険な支配者スキル。
分かっていた。
分かっていたつもりだった。
けど、隣で見ると話が違う。
こいつの成長速度は、おかしい。
『影蛇?』
『いや』
俺は熱で荒れた息を整えながら、蜘蛛子を見る。
『俺も進化できる』
『おお! じゃあダブル進化じゃん!』
『同時にはしないぞ』
『えー』
『片方が進化している間、片方が見張りだ』
『それはそう』
蜘蛛子が少し不満そうにしながらも頷く。
進化。
この体が変わる。
種族が変わる。
もしかしたら。
この魂を欲しがる感覚も、ここで少しは変わるのかもしれない。
そんな期待が、ほんの少しだけ胸の奥に浮かんだ。
中層の熱は、相変わらず俺たちを焼いている。
けれどその時だけは、少しだけ。
先へ進める気がした。
TIPS:【影憑】の接続段階
【影憑】は、影を媒介として対象へ憑くスキルである。
ただし、一口に【影憑】と言っても、接続の仕方によって危険度と効果は大きく変わる。
もっとも軽い使い方は、影蛇が便宜上「表層接続」と呼んでいるもの。
これは、対象の影に憑くだけの状態である。
対象の体を動かすことはできず、感覚を読むこともできない。
MPやSPを流すこともできず、魂の奥へ踏み込むこともない。
あくまで、対象の影に引っかかり、その移動に乗るだけである。
そのため、影蛇は蜘蛛子の動きに任せて回避しながら、自分の【探知】と魔法に集中できる。
ただし、感覚共有はないため、細かい指示は【遠話】で行う必要がある。
指示が遅れたり、言葉が曖昧だったりすれば、蜘蛛子の動きと影蛇の魔法は簡単にズレる。
一方、猿戦で使ったものは、表層接続よりも深い「共存接続」とでも呼ぶもの。
あの時は、敵の数、圧、死角が多すぎた。
外からの指示だけでは間に合わず、蜘蛛子の糸、回避、反応、敵の重心、影蛇の探知、MP・SPの補助まで噛み合わせる必要があった。
そのため、感覚まで重ねた。
共存接続では、感覚の共有や、MP・SPの補助が可能になる。
連携精度は大きく上がるが、その分だけ魂の距離も近くなる。
影蛇の【魂欲】が刺激されやすく、蜘蛛子にとっても違和感や不快感が強い。
さらに深く踏み込めば、魂へ干渉する「深層干渉」となる。
これは弱った敵や無抵抗の相手に対して、魂へ干渉するための使い方であり、蜘蛛子相手には基本的に使ってはならない。
整理すると、以下のようになる。
表層接続。
対象の影に憑き、移動に乗るだけ。
安全性は比較的高いが、感覚共有や補助はできない。
共存接続。
感覚、MP、SPの一部を重ねる。
戦闘補助としては強力だが、魂の距離が近くなり危険。
深層干渉。
魂そのものへ踏み込む。
捕食や魂干渉に繋がるため、蜘蛛子相手には論外。
なお、同意状態の【影憑】では、対象の魂を喰らうことはできない。
しかし、喰えないことと、欲が刺激されないことは別である。
蜘蛛子の魂は、影蛇にとって強く惹かれるものだ。
だからこそ影蛇は、表層接続であっても【自己理解】によって、自分の欲と戦闘補助を切り分ける必要がある。