三度目の生は蛇の姿で   作:鯱タクワン

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18.進化②

 鰻が沈黙した。

 

 ついさっきまでマグマの中を泳ぎ回り、火球を吐き、こっちを焼き殺そうとしていた化け物だ。

 それが今は、ただの死骸になっている。

 

 勝った。

 そして、俺たちは二匹とも進化可能になった。

 

『えー、ダブル進化なのに?』

 

『同時にはしないぞ』

 

 蜘蛛子の声に、俺は即答した。

 

『片方が進化している間、片方が見張りだ』

 

『それはそう』

 

 進化中は意識が落ちる。

 つまり、完全に無防備になる。

 

 ここは中層。

 マグマだらけで、火属性の魔物がそこらにいる。

 二匹揃って意識を失うとか、自殺志願にもほどがある。

 

『さて、どうするか』

 

 俺と蜘蛛子は、鰻を見る。

 

 長い。

 でかい。

 硬い。

 

 食料としても魅力的だが、それだけで終わらせるには惜しい。

 

『これさ』

 

『何だ?』

 

『全部食べる前に、使えるんじゃない?』

 

 蜘蛛子が鰻の死骸の周りを歩く。

 

『こいつ長いし、硬いし。丸めたら壁になりそうじゃない?』

 

 その言葉に、俺は内心納得した。

 

 ああ。

 原作でも、そんな感じだった。

 

 鰻の死骸を使って、安全を確保する。

 進化中の無防備な時間を乗り切るために、こいつの体を壁代わりにする。

 

 ただ、今回は蜘蛛子一匹じゃない。

 俺もいる。

 土魔法も使える。

 

 なら、まったく同じ形にする必要はない。

 

『いけると思う』

 

『でしょ?』

 

『胴体を巻いて、内側に空間を作る。崩れそうな所は土で支える』

 

『おお。建築担当、頼んだ』

 

『発案者も手伝え』

 

『はいはい』

 

 蜘蛛子が糸を飛ばす。

 

 中層の熱で長くは保たない。

 それでも、一瞬引っかけるだけなら使える。

 

 俺は【土魔法】で足場を整え、鰻の体を支える。

 胴体をとぐろのように巻き、隙間を土で塞ぐ。

 

 最後に、蜘蛛子が鰻の頭を上へ動かし、蓋のように乗せた。

 

 雑ではある。

 けど、龍鱗は硬い。

 下手な岩壁よりは、よほど頼りになる。

 

『完成?』

 

『完成、ということにしておこう』

 

『鰻シェルター』

 

『名前はそれでいいのか?』

 

『分かりやすいからよし』

 

 完全な安全地帯とは言えない。

 けど、ただ岩場で進化するよりは遥かにマシだ。

 

 進化が終われば、残りも食べる。

 そのためにも、まずは無事に進化を終わらせる必要がある。

 

『で、どっちから?』

 

『蜘蛛子が先でいい』

 

『いいの?』

 

『ああ。俺が見張る』

 

『じゃあ、お言葉に甘えまして』

 

 蜘蛛子は軽く言った。

 

 けど、その声に少しだけ緊張が混ざっているのが分かった。

 

 特にここは中層。

 進化する場所としては、かなり危ない。

 

『進化先は?』

 

『ゾア・エレ』

 

 蜘蛛子が短く答える。

 

『小型で、戦闘能力と隠密性が高いらしい』

 

『蜘蛛子向きだな』

 

『でしょ? 小型高性能こそ正義』

 

『否定はしない』

 

 巨大化すれば、単純な力は上がるだろう。

 

 でも蜘蛛子の戦い方は回避と毒と奇襲が中心だ。

 小型のまま強くなる進化先があるなら、そっちを選ぶのは自然だろう。

 

『じゃ、行くよ』

 

『ああ。周りは任せろ』

 

『変なことしたら進化後に毒漬けね』

 

『しない』

 

『よろしい』

 

 蜘蛛子が鰻シェルターの中心へ入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蜘蛛子の気配が、鰻シェルターの内側で静かになる。

 

 進化が始まった。

 

 俺はシェルターの外へ出て、入口に近すぎず、離れすぎない位置に体を置く。

 

 蜘蛛子の進化を見張るのは、これが初めてじゃない。

 

 猿戦の後も、俺は少し離れた場所で待っていた。

 

 近づきすぎれば危ない。

 離れすぎれば守れない。

 

 遠すぎず、近すぎず。

 それは今も変わらない。

 

 ただ、ここは中層だ。

 周囲はマグマ。

 熱が感覚を狂わせ、敵は火球を撃ってくる。

 

 俺は【探知】を広げる。

 

 マグマの流れ。

 岩場の陰。

 火属性魔物の気配。

 

 その中で、鰻シェルターの内側から蜘蛛子の気配がする。

 

 静かで、無防備で、近い。

 

 喉の奥が渇くような感覚は、まだある。

 けど、今さら驚きはしない。

 

 これは俺の中にある。

 ないことにはできない。

 

 なら、蜘蛛子に向かないように、別のもので満たすしかない。

 

 しばらくして、マグマの中で何かが動いた。

 

 俺は【影魔法】と【土魔法】で足場と影を作り、闇の槍と毒魔法を重ねる。

 

 瀕死に追い込むまで、時間はかからなかった。

 

 完全に死ぬ前に、【影憑】で干渉し、魂を喰らう。

 

 蜘蛛子ではなく、敵で満たす。

 今までもそうしてきた。

 これからもそうする。

 

 そう決めて、俺はまた周囲へ意識を戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どのくらい時間が経ったのかは分からない。

 

 中層には昼も夜もない。

 マグマの赤い光が、ずっと辺りを照らしている。

 

 それでも、蜘蛛子の気配が変わったのは分かった。

 

 鰻シェルターの内側で、蜘蛛子がぴくりと動く。

 

『……終わった?』

 

 少しして、もぞもぞと蜘蛛子の体が動いた。

 

『終わったっぽい』

 

『無事か?』

 

『たぶん』

 

『たぶんは不安なんだが』

 

 いつもの蜘蛛子の声だ。

 

 俺は少しだけ力を抜く。

 

 無事に目覚めた。

 それだけで十分だった。

 

 蜘蛛子が鰻シェルターの中から出てくる。

 

 見た目が劇的に変わったわけではない。

 けれど、一目で分かった。

 

 強くなっている。

 

 体の輪郭が、前より引き締まって見える。

 脚の先は鋭さを増し、前足はまるで小さな鎌のようだった。

 

 一目で、攻撃の鋭さが増していると分かる。

 

 【鑑定】する。

 

 しっかりゾア・エレになっていて、進化は成功していた。

 

 蜘蛛子が軽く跳ねる。

 

 その動きも、前より速い。

 体の反応が明らかに違う。

 

『体の感じは?』

 

『軽い。あと、なんか強い』

 

『雑な感想だな』

 

『でも実際そんな感じ。あと、お腹すいた』

 

『進化直後だからな』

 

『めっちゃすいた。でも、動けないほどじゃないかな』

 

『【過食】か?』

 

『たぶん。【鑑定】で見た感じストックが減ってるから』

 

 蜘蛛子が鰻の死骸を見る。

 

 声が真剣だった。

 

『食べていい?』

 

『俺が進化している間、見張れるか?』

 

『食べながら?』

 

 蜘蛛子が鰻を見る。

 

『……いや、すぐには無理っぽい。まず鱗剥がさないと食べられないやつだ、これ』

 

『なら、見張りながら準備してくれ』

 

『了解。鱗剥がししながら見張る』

 

『シェルターを全部崩すなよ』

 

『そこは分かってるって』

 

 蜘蛛子は鰻の龍鱗へ前足を当てる。

 

 進化したばかりの鎌みたいな前足が、硬い鱗の隙間に入った。

 

『お、前よりやりやすいかも』

 

『見張りも忘れるなよ』

 

『分かってるって。食べ物のためにも、ここで死ぬわけにはいかないし』

 

『理由はともかく、頼もしいな』

 

『でしょ?』

 

 軽い声。

 

 けど、蜘蛛子はすでに鰻シェルターの外側へ意識を向けていた。

 

 進化直後で腹は減っている。

 目の前には鰻がある。

 鱗剥がしもしないといけない。

 

 それでも、見張りはする。

 

 なら、任せられる。

 

『じゃあ、次は俺の番だ』

 

『いってらー。変な進化先選ばないようにね』

 

『努力する』

 

『そこは断言して?』

 

 断言できれば苦労はしない。

 

 俺は鰻シェルターの内側へ入る。

 

 外には蜘蛛子がいる。

 鱗を剥がしながら、見張ってくれている。

 

 それだけで、思ったよりも安心できた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて。

 

 進化先の確認だ。

 

 俺は【鑑定】で、自分の進化候補を確認する。

 

《進化先の候補が複数あります。次の中からお選びください。

 グレイヴウンブラペント

 モルス・グレイヴ

 リーメン・ヴェイン》

 

 三つ。

 

 まず、グレイヴウンブラペント。

 

《グレイヴウンブラペント:進化条件:スモールグレイヴウンブラペントLV10:説明:ウンブラペント種と呼ばれる蛇型の魔物の希少種の成体。影と魂への適性を持ちながらも比較的安定した戦闘能力を持つ》

 

 これは普通の進化先だろう。

 スモールが外れる。

 幼体から成体になるような進化。

 

 安定はしていそうだ。

 けど、今の俺が抱えている問題を解決してくれる気はしない。

 

 次に、モルス・グレイヴ。

 

《モルス・グレイヴ:進化条件:スモールグレイヴウンブラペントLV10、【影憑LV5】、【外道魔法LV5】:説明:グレイヴウンブラペント系の小型の魔物。影と外道魔法による魂干渉に優れ、対象の魂への干渉をより深く行える》

 

 条件を見た時点で、少し嫌な予感がした。

 

 【影憑】。

 【外道魔法】。

 

 これは、今の俺の種族をそのまま深くした進化に見える。

 

 強くはなる。

 間違いなく強くなると思う。

 

 けど、今の俺がこれを選んだら、多分まずい。

 

 蜘蛛子の魂を喰いたいという衝動が、今より強くなるかもしれない。

 

 流石にこの状況では選べない。

 

 最後に、リーメン・ヴェイン。

 

《リーメン・ヴェイン:進化条件:一定以上のステータスを持つ小型蛇型モンスター、治療系スキル、【影魔法】:説明:生と死の境界に棲むとも言われる、小型の蛇型の魔物。命を断つ力と繋ぐ力を併せ持ち、影を通して生命の流れに干渉する》

 

 条件が、かなり違う。

 

 リーメン・ヴェインは、スモールグレイヴウンブラペントから進化できる。

 けれど、条件を見る限り、今の種族の性質をそのまま深める進化ではなさそうだった。

 

 モルス・グレイヴに入っていた【影憑】や【外道魔法】が、条件にない。

 必要なのは、治療系スキルと【影魔法】。

 

 俺の場合、治療系スキルは【奇跡魔法】が該当したんだろう。

 

 普通なら、毒や薬に関わるスキルと、【暗殺者】みたいな称号で得る【影魔法】が必要になるような進化なのだろう。

 少なくとも、【魂欲】を強める方向の進化には見えない。

 

 それだけで、少し期待してしまった。

 

 この進化なら、今の俺にまとわりついている魂への飢えを、切り離せるんじゃないか。

 

 ただ、不安もある。

 

 モルス・グレイヴは、今の俺の種族をそのまま深める進化に見える。

 危険ではあるが、戦闘能力だけなら間違いなく強くなるはずだ。

 

 それに比べて、リーメン・ヴェインは横道だ。

 特殊ではあるが、単純な強さに繋がるかは分からない。

 

 中層で、強くなるかどうか分からない進化を選ぶのは怖い。

 

 けど、モルス・グレイヴを選べば、俺は今よりもっと蜘蛛子の魂を欲しがるかもしれない。

 

 それは駄目だ。

 

 進化で消えるスキルもある。

 原作で見たアノグラッチの進化系は、進化することで【復讐】が消えていたはずだ。

 

 なら、【魂欲】も消えるかもしれない。

 完全に消えないとしても、薄れるかもしれない。

 

 期待しすぎるな。

 そう思う。

 

 けど、前例はある。

 それなら、選ぶ理由になる。

 

『影蛇?』

 

 外から蜘蛛子の声がする。

 

『大丈夫?』

 

『大丈夫だ』

 

『進化先、変なのあった?』

 

『まあ、少しな』

 

『やばそう?』

 

『やばそうなのもあった』

 

『選ばないよね?』

 

『選ばない』

 

『よろしい』

 

 短い会話。

 

 それだけで、少し落ち着いた。

 

 俺は進化先を選ぶ。

 

 リーメン・ヴェイン。

 

 これにする。

 

《個体、スモールグレイヴウンブラペントがリーメン・ヴェインに進化します》

 

 そう念じた瞬間、意識が沈んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《進化が完了しました》

《種族リーメン・ヴェインになりました》

《各種基礎能力値が上昇しました》

《スキル熟練度進化ボーナスを取得しました》

 

 ︙

 

《熟練度が一定に達しました。スキル【神性領域拡張LV5】が【神性領域拡張LV6】になりました》

《進化によりスキル【魂欲】が変質しました》

《進化によりスキル【境脈視LV1】を獲得しました》

《進化によりスキル【影流操作LV1】を獲得しました》

《スキルポイントを入手しました》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が、ゆっくりと浮かび上がる。

 

 最初に感じたのは、空腹だった。

 

 けれど、限界というほどではない。

 代わりに、【過食】に溜め込んでいたストックが大きく削られている感覚があった。

 

 進化で持っていかれた分を、そっちが肩代わりしてくれたらしい。

 蜘蛛子と同じで、ここでも【過食】がいい仕事をしたわけだ。

 

 進化は終わっている。

 

 けど、進化中の天の声は覚えていない。

 眠っていたのだから、聞こえるわけがない。

 

 だから、何が変わったのかは、自分で確かめるしかない。

 

 【自己理解】で、自分の内側を確認する。

 

 種族は、リーメン・ヴェイン。

 新しくスキルが増えた感覚がある。

 

 【境脈視】。

 【影流操作】。

 この二つだ。

 

 そして、【魂欲】。

 

 消えていない。

 ただ、前と同じでもない。

 

 ……変質している。

 

 消失じゃない。

 削除でもない。

 統合でもない。

 

 【復讐】みたいに、進化で消えるスキルもある。

 なら【魂欲】も消えるかもしれない。

 

 そんな期待は、外れた。

 けれど、何も変わらなかったわけでもない。

 

 まずは増えたスキルの確認をしてみる。

 

 鰻シェルターの内側が、さっきまでと違って見える。

 

 いや、実際に見えているものは同じだ。

 鰻の体。

 土魔法で埋めた隙間。

 外で揺れるマグマの赤い光。

 

 けれど、それらの間に、細い筋のようなものが見えた。

 

 影。

 魔力。

 肉体。

 空気の熱。

 

 それぞれの境目に、流れのようなものがある。

 【探知】で確認するものとは違う感覚。

 

 これが、【境脈視】か。

 

 次に、影が動かしやすくなったことに気づいた。

 

 岩場に落ちた影。

 鰻の体が作った影。

 自分の体の下にある影。

 

 それらへ意識を向けると、今までよりも滑らかに魔力が通る。

 

 【影流操作】。

 

 名前の通り、影の流れを操作するスキルらしい。

 

 まだLV1だ。

 できることは多くない。

 万能ではない。

 

 それでも、表層接続や影への移動は、今までより安定しそうだった。

 

『影蛇? 起きた?』

 

 外から蜘蛛子の声がする。

 

『起きた』

 

『おー。無事?』

 

『たぶん』

 

『たぶんは不安なんですけど?』

 

 蜘蛛子が鰻シェルターの隙間から覗き込む。

 

 進化後のゾア・エレ。

 一目で強くなったと分かる姿。

 小さな体はそのままなのに、前よりずっと危険な魔物に見えた。

 

 その足元には、剥がされた龍鱗が何枚も転がっていた。

 鰻の胴体には、すでに肉が見えている部分もある。

 

『……もう食べてるのか?』

 

『ちょっとだけ。ちゃんと見張ってたよ』

 

『本当だろうな』

 

『本当本当。あと、影蛇が進化してる間にスキルポイント確認してたら、【忍耐】が取れそうだったから取った』

 

『……【傲慢】と同じようなやつか?』

 

『たぶん。で、称号も来た』

 

『称号?』

 

『【忍耐の支配者】。それで【外道無効】と【断罪】も増えた』

 

『……しれっと何を取ってるんだ』

 

『保険は大事。あと、邪眼系スキルも解禁されたっぽい』

 

『邪眼?』

 

『名前からして強そうじゃない? 取りたい。すごく取りたい』

 

『取れるのか?』

 

『ポイントが足りない』

 

『だろうな』

 

『ぐぬぬ』

 

 軽い調子で言っているが、内容は軽くない。

 

 【忍耐】。

 【忍耐の支配者】。

 【外道無効】。

 【断罪】。

 そして、邪眼系スキルの解禁。

 

 原作通りなら、それは蜘蛛子にとってかなり大きな転機になる。

 

 俺の知っている流れなら、ここから蜘蛛子は【探知】も扱えるようになっていく。

 さらに、邪眼系スキルを取れるようになったなら、攻撃手段の幅も増える。

 

 蜘蛛子は蜘蛛子で、俺が進化している間にやれることをやっていたらしい。

 鱗を剥がし、見張りをし、少し食べ、さらに【忍耐】まで取っている。

 

 そして、蜘蛛子を見た瞬間、魂の奥で【魂欲】が動いた。

 

 けれど、それは前と同じものではなかった。

 

 喰いたい。

 そういう衝動は、ほとんどない。

 

 蜘蛛子の魂を喰らって満たしたい。

 そういう、今まで俺の中にあった欲は、かなり薄れている。

 

 代わりに残っているのは、もっと静かな感覚だった。

 

 近くにいると、落ち着く。

 

 蜘蛛子の魂が、俺の届く範囲にある。

 気配が分かる。

 繋がりが途切れていない。

 

 それだけで、妙に安定する。

 

 喰いたいわけじゃない。

 取り込みたいわけでもない。

 

 ただ、離れると落ち着かない。

 影の届かない場所へ行かれると、妙に不安になる。

 

 【強欲】の方は変わっていない。

 

 奪って、広がった分を、エネルギーで満たしたい。

 その欲は元からあった。

 魂を喰うことで代用できていただけで、別に蜘蛛子の魂である必要はない。

 

 けれど、【魂欲】は違う。

 

 生へ戻るために魂を喰いたい。

 そういう欲ではなくなった。

 

 けど、魂に関する欲が消えたわけでもない。

 

 魂の近くにいたい。

 繋がっていたい。

 離れると落ち着かない。

 

 そういう方向へ、形を変えた。

 

 蜘蛛子を喰いたい欲は、ほとんど消えた。

 それは間違いない。

 でも、欲しがり方が変わっただけでもある。

 

『影蛇?』

 

 蜘蛛子の声で、意識が戻る。

 

『何か変』

 

『……進化直後だからな』

 

『そういう変じゃなくて』

 

 蜘蛛子が近づいてくる。

 

 近くにいると落ち着く。

 そう感じた瞬間、無意識に影が蜘蛛子の方へ伸びかけた。

 

 俺は、それを止める。

 

『今、影動いた?』

 

『……気のせいだろ』

 

『ふーん』

 

 蜘蛛子は少しだけ俺を見る。

 

 警戒、というほど強いものではない。

 ただ、変化を確かめているような目だった。

 

『前みたいに、魂喰いたくなる感じは?』

 

『かなり薄い。ほとんどない』

 

『じゃあ、よくなったんじゃない?』

 

『……そう簡単に言っていいのか?』

 

『だって、喰われそうじゃないなら前よりマシでしょ』

 

 蜘蛛子が軽く足を動かす。

 

『で、今のは?』

 

『……近くにいると落ち着く。離れると少し落ち着かない。そういう感じだ』

 

『うわ、面倒くさい』

 

『否定できないな』

 

『でもまあ、相棒が近くにいると落ち着くってことなら、別に変でもないんじゃない?』

 

 蜘蛛子は、わりとあっさりそう言った。

 

 俺の方が、少し言葉に詰まる。

 

『……そういうものか?』

 

『知らないけど。少なくとも、私を食べたいよりは全然いい』

 

『それはそうだな』

 

『ただし、勝手に奥まで入るのはなし!』

 

 それで終わり、と言わんばかりに、蜘蛛子はそれ以上追及しなかった。

 

 拍子抜けするくらい軽い。

 けれど、その軽さに少し救われた。

 

 前より安全になった部分はある。

 でも、完全に安全になったわけじゃない。

 

 表層だけ。

 戦闘中だけ。

 奥へは入らない。

 

 その線を守る。

 

 それだけだ。

 

『で』

 

 蜘蛛子が、剥がした鱗の山を軽く押しやる。

 

『影蛇も起きたし、本格的に食べよう』

 

『しっかり残しておいてくれたんだろうな?』

 

『ちゃんと残してるって。ちょっとしか食べてないし』

 

『ちょっと、の基準が不安だな』

 

『進化後の空腹基準ではちょっと』

 

『余計に不安だ』

 

 俺も腹は減っている。

 進化で削れた【過食】のストックも戻しておきたい。

 

 安全確保に使った食べ物の壁。

 蜘蛛子が鱗を剥がしてくれたおかげで、ようやく本来の用途に戻せる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鰻は、普通に美味かった。

 

 中層に入ってから、ナマズに続く当たり食材である。

 

 熱くて硬くて強かった。

 けど、美味い。

 

『うまっ』

 

 蜘蛛子が分かりやすくテンションを上げる。

 

『やっぱり、うまっ』

 

『先に食べてただろ』

 

『美味いものは何度でも美味い』

 

『まあ、それはそうだが』

 

『ナマズも美味しかったけど、これもあり』

 

『苦労した甲斐はあったな』

 

『強い敵は美味しい。つまり強敵は食材』

 

『その理屈で突っ込むなよ』

 

『分かってるって』

 

 本当に分かっているのか怪しい。

 

 けど、食べることで【過食】のストックが戻っていく感覚はある。

 進化で削られた分は、だいぶ埋まった。

 

 蜘蛛子も同じだろう。

 夢中で鰻を食べている。

 

 俺も肉を飲み込む。

 

 美味い。

 ちゃんと美味い。

 

 問題は、【魂欲】の方だ。

 

 喰いたい欲はほとんど消えた。

 けれど、近くにいると落ち着く。

 離れると落ち着かない。

 

 厄介だ。

 

 けど、前よりは制御しやすい。

 そう思うことにする。

 

『影蛇』

 

『何だ?』

 

『進化して、何できるようになったの?』

 

 蜘蛛子が鰻を食べながら聞いてくる。

 

『まだ確認中だが、影の流れが前より見やすく、操作しやすくなった』

 

『影の流れ?』

 

『たぶん、表層接続は前より安定する』

 

『おお!』

 

 蜘蛛子が一瞬だけ感心したような声を出す。

 

 それから、すぐに釘を刺した。

 

『ただし、勝手に試すのは禁止』

 

『分かってる。戦闘中だけ。表層だけ。奥は禁止』

 

『よし』

 

『それで、蜘蛛子の方は?』

 

『私は、なんか軽い。あと攻撃しやすそう』

 

『鎌みたいになってるからな』

 

 蜘蛛子が前足を軽く動かす。

 その動きは、進化前より明らかに鋭い。

 

『それと【忍耐】か』

 

『そう。【傲慢】と同じ感じなら、たぶん役に立つはず』

 

『使い方には気をつけろよ』

 

『分かってるって』

 

 まあ、蜘蛛子ならどうにかするだろう。

 今の蜘蛛子にとって、耐える力が増えるのは悪いことじゃない。

 

 蜘蛛子は糸と毒と回避。

 俺は影と魔法。

 

 中層での戦い方も、進化前よりずっと安定するはずだ。

 

 もちろん、中層が楽になるわけではない。

 マグマは熱い。

 敵は火属性。

 足場は悪い。

 

 でも、進化した。

 

 強くなった。

 

 それだけは確かだ。

 

 鰻シェルターだったものは、もうほとんど残っていない。

 食べられない部分以外は、二匹でしっかり食べ尽くした。

 

 進化で減った【過食】のストックも、ある程度は戻せた。

 ここまで食べれば、すぐに倒れることはないだろう。

 

 安全地帯としては、もう使えない。

 けれど、食料としての役目は十分に果たした。

 

 なら、ここに居続ける理由はない。

 

『行くか』

 

『中層攻略再開?』

 

『ああ』

 

『やだなー』

 

『同感だ』

 

『でもナマズは探す』

 

『目的を間違えるな』

 

『美味しいものは大事』

 

『否定はしないが、死なない範囲でな』

 

『分かってるって』

 

 蜘蛛子が軽く跳ねる。

 俺も影へ意識を向ける。

 

 進化前より、影の境目が見える。

 マグマの光で揺れる影も、どこまでなら通れるかが前より分かる。

 

 まだ扱いきれない。

 でも、使える。

 

 俺たちは進化した。

 

 蜘蛛子はゾア・エレに。

 俺はリーメン・ヴェインに。

 

 そして、俺の中の欲も変わった。

 

 消えたわけじゃない。

 解決したわけでもない。

 

 ただ、形を変えた。

 

 それだけなら、まだいい。

 

 問題は、蜘蛛子の方だ。

 

 ゾア・エレ。

 【忍耐】。

 そして、【外道無効】。

 

 もう、ここまで来た。

 

 原作通りなら、この先の蜘蛛子は一気に変わる。

 

 俺の知っている流れなら、ここから蜘蛛子は【探知】も扱えるようになっていく。

 少し先では【並列意思】が動き出し、連携を取る。

 さらに【鑑定】と【探知】が極まれば、Dが【叡智】を渡す。

 

 そうなれば、蜘蛛子は魔法の扱いでも一気に先へ行く。

 

 今は俺の方が魔法を使えている。

 けど、それも長くは続かない。

 

 蜘蛛子が強くなるのはいい。

 生き残れる可能性が上がるなら、喜ぶべきことだ。

 

 でも、それは同時に、蜘蛛子が俺の知らない速度で遠くへ行くということでもある。

 

 俺の影が届かない場所へ。

 俺の魔法では追いつけない場所へ。

 俺の理解より先へ。

 

 ……落ち着かないな。

 

 喰いたいわけじゃない。

 縛りたいわけでもない。

 

 けれど、見失いたくない。

 

 リーメン・ヴェインになって変わった【魂欲】が、静かにそう告げている。

 

 近くにいたい。

 繋がっていたい。

 置いていかれたくない。

 

 そんな感覚。

 

『影蛇』

 

『何だ?』

 

『置いてくよ』

 

 蜘蛛子が先に走り出す。

 

 軽い声。

 いつもの調子。

 

 けど、その一言に、少しだけ胸の奥がざわついた。

 

『すぐ追いつく』

 

『ならよし』

 

 蜘蛛子は振り返らない。

 

 俺はその少し後ろを進む。

 

 近すぎず。

 遠すぎず。

 

 影の届く距離で。

 

 けれど、その距離がいつまで届くのか。

 

 それだけが、少し不安だった。

 

 中層の赤い光の中、俺たちは再び歩き出した。




TIPS:スモールグレイヴウンブラペント進化先候補詳細

・『グレイヴウンブラペント』
進化条件:スモールグレイヴウンブラペントLV10
ウンブラペント種の希少種の成体。
幼体から成体へ移行する標準的な進化先。
小型ではなくなる分、身体能力と生存性が上昇する。
影や魂への適性は残るが、特殊な魂干渉に特化するというより、安定した戦闘能力を得る方向の進化。
モルス・グレイヴに至れるほど【影憑】や【外道魔法】を伸ばせなかった個体が、この進化先に進むことが多い。

・『モルス・グレイヴ』
進化条件:スモールグレイヴウンブラペントLV10、【影憑LV5】、【外道魔法LV5】
グレイヴウンブラペント系の小型特化進化。
スモールグレイヴウンブラペントの性質をそのまま深める進化先。
小型のまま機動力と隠密性を保ち、影と外道魔法による魂干渉に優れる。
ただし、【影憑】と【外道魔法】を条件に含むため、魂への干渉衝動が強まりやすい。
【魂欲】に振り回されている個体が進化した場合、自我や判断力をさらに削られる可能性が高い。

・『リーメン・ヴェイン』
進化条件:一定以上のステータスを持つ小型蛇型モンスター、治療系スキル、【影魔法】
生と死の境界に棲むとも言われる、小型の蛇型の魔物。
命を断つ力と繋ぐ力を併せ持ち、影を通して生命の流れに干渉する。
スモールグレイヴウンブラペント専用ではなく、条件を満たした小型蛇型魔物が到達しうる特殊進化。
通常は、【毒合成】から得られる【薬合成】と、称号【暗殺者】などで得られる【影魔法】が条件達成の鍵になる。
この進化に至る個体は【魂欲】を持たない場合が多く、【魂欲】が変質したのは異例な事態。
進化時、【境脈視LV1】、【影流操作LV1】を獲得する。
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