上層に戻ってから、しばらく蜘蛛子は浮かれていた。
『糸が燃えない!』
岩壁に貼り付いた糸を、蜘蛛子が引っ張る。
蜘蛛子は本気で嬉しそうだった。
中層では、ただそこにいるだけで削られた。
空気は熱く、地面は焼け、糸は燃える。
蜘蛛子の得意な動きも、あの場所ではかなり潰されていた。
けれど、ここは上層だ。
糸が燃えない。
ただそれだけのことを、何度も確かめている。
『ああ、素晴らしき上層! 熱くないだけで最高!』
黒。
D。
神。
依存。
選択。
頭の奥には、まだ全部残っている。
それでも、蜘蛛子が本気で喜んでいるのを見ると、少しだけ胸の重さが薄れた。
魔物の気配はあった。
けれど、近づいてこない。
通路の奥にいた小型の魔物が、こちらに気づいた瞬間、身を翻して逃げた。
別の気配も、蜘蛛子の進路から外れるように遠ざかっていく。
『……逃げたな』
『逃げたね』
『【恐怖を齎す者】の称号か』
『名前が嫌な称号、仕事してるね』
蜘蛛子が微妙そうに言う。
『襲われないのは楽だけどさ。なんかこう、釈然としない』
『効果は便利だろ』
『便利かなー? レベル上げにもご飯にも魔物は必要だからなー』
蜘蛛子らしい返事だった。
上層は、中層よりずっと楽だ。
少なくとも今は、そう見える。
けれど、安全になったわけじゃない。
地龍がいる。
マザーがいる。
もっと先には、魔王もいる。
俺が知っている物語の先には、今の俺たちではどうにもならない相手がいくらでもいる。
黒が来た。
Dが来た。
この世界の裏側が、少しだけ顔を出した。
もう、ただ迷宮を進んでいるだけでは済まない。
だから本当なら、離れる理由なんてない。
蜘蛛子のそばにいた方がいい。
影に潜っていた方がいい。
危険を見つけて、道を選んで、逃げ道を確保して、必要な時に補助する。
火竜戦でも、火龍戦でも、それは役に立った。
俺は、役に立てた。
それは事実だ。
事実だからこそ……。
『影蛇』
『何だ?』
『また考えてる』
『そう見えるか?』
『見える』
蜘蛛子が影を覗き込むように視線を落とした。
『管理者が出てきた後から、ずっと変でしょ?』
『変にもなるだろ』
『それはそうだけど』
蜘蛛子はそれ以上、すぐには踏み込んでこなかった。
蜘蛛子自身も、まだ整理できていないのだろう。
Dに何を聞かされたのか。
黒が何だったのか。
管理者とは何なのか。
自分が何に巻き込まれているのか。
重すぎる話を聞かされて、理解しろと言われても無理がある。
それでも蜘蛛子は進んでいる。
文句を言いながら、糸を張りながら、足を動かしながら。
俺も進まなければならない。
そう思うのに、俺の意識はDの言葉へ戻る。
Dは、俺だけに話した。
蜘蛛子には聞こえないように。
俺には、蜘蛛子へ話された内容が届かないように。
絶対にわざとだ。
蜘蛛子へ聞かせた話。
俺へ聞かせた話。
それぞれ別の場所を刺すために。
腹が立つ。
あいつの手の上で考えているみたいで、腹が立つ。
でも、考えないわけにはいかなかった。
蜘蛛子が神へ至る未来を、俺は知っている。
そして、その方法も思い出していた。
あれは、ただ強くなり続けた先に自然と届いたものではない。
旧文明の兵器、UFO。
Gフリート。
そこにあった、暴走しそうになったGMA爆弾を、蜘蛛子は取り込んだ。
その莫大なエネルギーを吸収した結果、神へ至った。
けれど、あれは道と呼べるものじゃない。
事故だ。
奇跡だ。
蜘蛛子だったから耐えた。
蜘蛛子だったから呑み込めた。
蜘蛛子だったから、神化という結果に繋がった。
普通なら、吸収する前に消し飛ぶ。
あのまま爆発して終わる。
少なくとも、俺が真似していいものじゃない。
それに、仮に同じことができたとしても、二度はない。
あれほどのエネルギーを抱えた暴走兵器が、都合よく何個も転がっているわけがない。
蜘蛛子がそれを取り込めば、それで終わり。
俺が同じものを使う余地なんてない。
当たり前だ。
当たり前すぎる。
なのに俺は、どこかで勘違いしていなかったか。
蜘蛛子が神になる未来を知っている。
その隣にいれば、自分も同じ場所へ近づける気がしていた。
けれど、違う。
蜘蛛子の道は、蜘蛛子だけのものだ。
同じ影にいたところで、同じ奇跡を二匹で分け合えるわけじゃない。
俺は、俺の道を探すしかない。
Dの言葉を認めるのは癪だった。
あいつに誘導されているようで、腹が立つ。
盤面の上で、いいように転がされている気がする。
けれど、この結論だけは否定できなかった。
蜘蛛子の神化は、俺の神化ではない。
そして、俺が蜘蛛子の影にいる限り、俺はどうしても蜘蛛子の未来を基準にしてしまう。
蜘蛛子が進む未来。
蜘蛛子が生き残る未来。
蜘蛛子が神へ至る未来。
その隣にいる自分を想像してしまう。
自分で道を探す前に。
自分で何かを掴む前に。
蜘蛛子の影の中で、役に立つことに満足してしまいそうになる。
それでは駄目だ。
これから先、蜘蛛子はもっと危ない。
俺ももっと危ない。
だからこそ、ただの補助役のままでは足りない。
いつか本当に並び立つためには。
蜘蛛子の影にいるだけじゃなく、俺自身が進まなければならない。
守りたい。
失いたくない。
それらの気持ちは本当だ。
命を救いたいと思うのは、多分、【慈悲】の方へ傾いた俺の本心だ。
けれど、離したくないと思うのは、【強欲】の方へ傾いた俺の本心でもある。
どちらも嘘じゃない。
どちらも俺だ。
だから厄介だった。
守りたい。
失いたくない。
必要とされたい。
近くにいたい。
どれも本当で、どれも欲だった。
正しい理由も。
醜い理由も。
混ざって、区別がつかなくなる。
けれど、そこで止まるのは違う。
俺は、ただ蜘蛛子の影にしがみつきたいわけじゃない。
蜘蛛子の隣にいたい。
蜘蛛子の進む先に、俺もいたい。
置いていかれたくない。
守りたい相手を、守れるだけの自分が欲しい。
欲しい。
蜘蛛子の隣に立てる俺が欲しい。
蜘蛛子に必要とされるだけじゃなく、蜘蛛子と並んで進めるだけの力が欲しい。
影の中は心地いい。
近くにいられる。守っている気になれる。役に立てる。
でも、そこで満たされてしまったら、俺はずっと影の中にいる。
蜘蛛子の未来に寄りかかったまま、自分の道を探さなくなる。
それは嫌だ。
俺は欲しい。
だからこそ、取りに行かなきゃならない。
蜘蛛子の影にいるだけじゃ手に入らないものを。
『影蛇』
蜘蛛子の声が、さっきより低かった。
『何を考えてるの』
逃げられない声だった。
蜘蛛子は立ち止まっていた。
上層の暗い通路。
糸の張れる壁。
燃えない足場。
その中で、じっとこちらを見ている。
言わなければいけない。
ただ、説明できることと、できないことがある。
神のこと。
未来のこと。
蜘蛛子がこれからどうなるのか。
俺の中には理由がある。
けれど、その理由の大部分は、今の蜘蛛子に言っていいものじゃない。
それでも、何も言わずに離れるのは違う。
だから、俺が口に出せる範囲だけを選ぶしかなかった。
『少し、別行動しよう』
蜘蛛子が止まった。
『……は?』
短い声だった。
怒鳴ったわけではない。
けれど、その一音で空気が冷えた。
『少しでいい。俺は、一度影の外で動くべきだと思う』
『誰が決めたの?』
『俺だ』
『私には相談なし?』
『……ああ』
『ふーん』
蜘蛛子はそれきり黙った。
怒鳴られるより、その沈黙の方が痛かった。
当然だ。
蜘蛛子から見れば、俺は何かを隠している。
それも、おそらく蜘蛛子に関係することを。
そのくせ、説明もせずに勝手に別行動を決めた。
怒られて当然だった。
『Dに何か言われた?』
『きっかけはそうだ。でも、決めたのは俺だ』
『なにそれ言い訳?』
『否定はしない』
『説明は?』
『全部はできない』
『つまり、言えないことがあるってこと?』
『そうなるな』
『それ、私に関係ある?』
答えられなかった。
蜘蛛子は、じっと影を見ている。
『関係あるんだ』
『……ああ』
『勝手だね』
『そうだな』
蜘蛛子は小さく息を吐いた。
それ以上、すぐには責めてこなかった。
責められない方が、きつかった。
『でも、言えることもある』
『何』
『火竜戦も、火龍戦も、俺たちは噛み合いすぎた』
『いいことじゃん』
『いいことだ』
そこは否定しない。
否定してはいけない。
『蜘蛛子は強い。俺も、役に立てた。二匹で動けば、できることは増える』
『なら』
『でも、このままだと頼りきりになる』
蜘蛛子が黙る。
『蜘蛛子が俺の補助に慣れる。俺も、蜘蛛子の影にいることに慣れる。危ない時、まず一匹でどうするかじゃなく、相手に任せることを考えるようになるかもしれない』
『……』
『これから先、もっと危ない相手が出てくる。マザーもいる。地龍もいる。管理者なんてものまで出てきた』
『分かってる』
『だからこそ、一匹で動ける時間がほしい。お互いに』
『お互い?』
『ああ。蜘蛛子も俺も、自分だけで判断して、自分だけで動く時間が必要だと思う』
それだけなら、まだ綺麗な理由だった。
けれど、それだけじゃない。
『それと』
『まだあるの?』
『ある』
影の中で、体が重くなる。
『俺の中の欲が、強くなってる』
蜘蛛子の視線が変わった。
『魂欲?』
『近い。でも、喰いたいとか、そういうのじゃない』
『じゃあ何』
『近くにいたい。離れたくない。影にいたい。守りたい。必要とされたい』
言葉にすると、ひどく生々しかった。
けれど、もう誤魔化せなかった。
『置いていかれたくない。蜘蛛子の隣にいたい。お前が進む場所に、俺もいたい』
『……』
『欲しいんだと思う』
『何が』
『蜘蛛子の隣に立てる俺が』
蜘蛛子は何も言わなかった。
『今のまま影にいれば、俺は多分満たされる。近くにいられる。役に立てる。守っている気になれる』
『……それの何が駄目なの』
『それで満足したら、俺はずっと影の中にいる』
自分で言って、胸の奥が痛んだ。
『俺は、蜘蛛子の影に隠れていたいんじゃない。隣に立ちたい』
『……』
『だから一度、影の外で動きたい。蜘蛛子がいなくても考えて、選んで、戦えるようになりたい』
『それで離れる?』
『ああ』
『……本当に面倒くさい蛇』
『自覚はある』
『そこは否定してよ』
『できない』
蜘蛛子は小さく地面を蹴った。
責めるというより、納得できないものを足元へ落とすような動きだった。
『あんたは役に立った』
『……ああ』
『火竜も、火龍も、二匹で倒した』
『ああ』
『そこを勝手に否定するなよ?』
その言葉に、息が詰まる。
蜘蛛子は怒っている。
けれど、ただ責めているわけではない。
俺が役に立ったことまで、自分で汚すな。
そう言われた気がした。
『否定はしてない』
『してるように見える』
『……そうか』
『そう』
蜘蛛子は静かに言った。
『私は納得してないし、許してもない』
『ああ』
『でも、今のあんたがこのまま影にいても駄目そうなのは分かる』
蜘蛛子は影を見た。
『だから、少しだけなら認める』
『……いいのか?』
『よくない』
即答だった。
『よくないけど、止めても今のあんたはずっと変なままでしょ』
『……そうかもしれない』
『そこは否定してよ』
『できない』
蜘蛛子はそっぽを向いた。
怒っている。
納得していない。
それでも、拒絶ではなかった。
『少しって、どれくらい?』
『……分からない』
『そこは分かっとけよ』
『……すまん』
蜘蛛子が小さく地面を蹴る。
今度は、さっきより弱かった。
『じゃあ何? 別の道行くの?』
『そうなるな』
上層の通路は、いくつも枝分かれしている。
その一つ。
細く、暗く、奥へ続く道。
俺が一匹で進むには、ちょうどいい。
その時、ふとスキル候補の中にある名前が頭をよぎった。
【無限通話】
転生者に与えられる固有スキルの一つ。
念話の上位互換。
面識のある相手なら、距離を無視して声を繋げられるスキル。
必要スキルポイントは、5000。
高い。
今の俺には足りない。
けれど、転生者の固有スキルとして見れば、これは明らかに安い。
【慧眼】で取得候補を見れば分かる。
転生者の固有スキルは、基本的にどれも必要ポイントが桁違いだ。
本人の魂や適性に合わせて与えられる、ほとんど専用の力。
それを後から取ろうとしている時点で、普通のスキルとは比べものにならない。
その中で【無限通話】だけは、まだ現実的な数字として表示されている。
遠話。
念話。
影を介した接続。
蜘蛛子の影に潜り、表層で繋がり、時には深く情報を重ねる戦い方。
ここまで積み重ねてきた俺の性質と、かなり噛み合っているのだろう。
これだけ適性があって、それでも5000。
なら、転生者の固有スキルというものは、それだけ個別性が強いのだ。
本人のために作られた力を、別の魂が取るというのは、それほど重い。
安い。
安いはずなのに、今の俺には届かない。
それを見て、少しだけ安心してしまった。
足りないから、取れない。
取れないから、今は繋がれない。
離れると決めた直後に、繋がる手段を欲しがっている。
そんな自分に、嫌気が差した。
けれど、欲しいと思ったことまでは否定できない。
今は取れない。
今は取らない。
それだけだ。
『影蛇?』
『何でもない』
『何でもない顔じゃない』
『蛇の顔色が分かるのか?』
『分かる。今のあんた、すごく嫌そうな気配がする』
『そうか』
『そう』
蜘蛛子は不満そうに言った。
『危なくなったり、死にそうになったら?』
『逃げる』
『逃げられなかったら?』
『死なないようにする』
『答えになってない』
『蜘蛛子もな』
『私は死なないし』
『俺も死なない』
『言ったね?』
『そっちもな』
少しだけ、空気が緩んだ。
『本当に行くの?』
『ああ』
『今ならまだ、やっぱりやめたって言えるけど』
胸が詰まった。
それは、効きすぎる。
『残りたい』
思わず本音が出た。
蜘蛛子が黙る。
『残りたい。影にいたい。近くにいたい。守りたい。必要とされたい。置いていかれたくない。隣にいたい』
言葉が止まらなかった。
『全部欲しい』
蜘蛛子の気配が、わずかに揺れた。
『だから、今は離れる』
『……意味分かんない』
『俺も、全部分かってるわけじゃない』
『じゃあ、分かってからにしなよ』
『分かるまでここにいたら、多分離れられない』
それが一番怖かった。
Dに言われたからじゃない。
蜘蛛子のためだけでもない。
俺自身が、もう分かっている。
この影は心地いい。
心地よすぎる。
欲しいものに似たものが、ここにはある。
近さも、役割も、安心も、全部ある。
けれど、似ているだけだ。
俺が本当に欲しいものとは違う。
『勝手に迷って、勝手に決めて、勝手に行くんだ』
『そうなる』
『最低』
『そうだな』
『反論しろよ』
『できない。けど、撤回もしない』
『ほんと……』
蜘蛛子はそう言った。
けれど、声は静かだった。
納得したわけではない。
許したわけでもない。
ただ、俺が本気で言っていることだけは分かったのだろう。
その沈黙の中で、蜘蛛子の視線が少しだけ鋭くなる。
何かが触れたような気がした。
糸ではない。
魔法でもない。
もっと薄い、視線の跡のようなもの。
けれど、次の瞬間には分からなくなった。
『……何かしたか?』
『別に』
蜘蛛子はぷいと前を向いた。
『今の間は何だ』
『別に』
『怪しいんだが』
『別にって言った』
『……そうか』
追及する気力はなかった。
蜘蛛子はそれ以上、何も言わなかった。
ただ、どこか不機嫌そうに地面を蹴る。
『行けば』
『……ああ』
『ただし』
蜘蛛子の声が、少しだけ低くなる。
『戻ってこい』
その言葉に、体が止まった。
『勝手に離れるのは、少しだけ認める。でも、勝手に死ぬのは認めない』
『ああ』
『あんたは、私が認めたんだから』
蜘蛛子は、こちらを見ないまま言った。
『私の影にいたんだから。私がいいって言うまで、勝手に死ぬな。勝手に消えるな』
ひどく傲慢で。
ひどく蜘蛛子らしい言葉だった。
『……分かった』
『本当に?』
『もちろん』
『戻ってきたら怒る』
『それは怒るのか』
『怒る。納得してないから』
『理不尽だな』
『理不尽で結構』
そこで、少しだけいつもの調子が戻った。
喧嘩ではない。
納得でもない。
ただ、蜘蛛子は俺を送り出すことにした。
認めた相手が勝手に進むのは気に入らない。
けれど、今ここで止めることも違うと分かってしまった。
だから、条件を付けた。
戻ってこい。
勝手に死ぬな。
勝手に消えるな。
それだけを、俺に押し付けた。
俺は影から出た。
上層の岩場に、蛇の体を乗せる。
蜘蛛子の影から離れる。
ただそれだけのことなのに、体の奥が冷えた。
いつもなら、すぐそばに蜘蛛子の気配があった。
浅く重ねた感覚を通して、動きの癖や、視線の向きや、糸を張る直前の気配が伝わってきた。
けれど、これから距離が開けば、それも薄れていく。
届かなくなる。
当たり前だ。
離れるというのは、そういうことだ。
静かになった。
軽くなった。
そして、ひどく心細くなった。
『影蛇』
『何だ?』
『勝手に分かった気になるなよ』
『……ああ』
『戻ってきたら、ちゃんと説明しろ』
『分かった』
『今よりちゃんと』
『分かった』
『どうせ今のあんた、うまく説明できないでしょ』
『そうだな』
『全く……』
『行ってくる』
『……行ってこい』
蜘蛛子は、こちらを見ないまま言った。
『次会ったら、ちゃんと聞くから』
『……ああ。またな』
『うん。また』
蜘蛛子はそれ以上何も言わなかった。
俺も言わなかった。
細い通路へ向かう。
蜘蛛子とは別の道。
暗く、狭く、先の見えない道。
一歩。
また一歩。
背後の気配が遠ざかる。
蜘蛛子の影が遠くなる。
その影に戻りたい衝動が、何度も俺を引き止める。
けれど、戻らない。
Dの思惑通りに動いているのかもしれない。
それでも、これはDの命令じゃない。
俺が選んだ。
俺が間違える。
俺が責任を持つ。
蜘蛛子の道は、蜘蛛子のもの。
俺の道は、俺が探す。
俺が欲しいものは、蜘蛛子の影にいるだけじゃ手に入らない。
だから、取りに行く。
そうしなければ、多分俺は、いつまでもあの影の中で落ち着いてしまうから。
上層の暗い道を、一匹で進む。
火の熱はない。
蜘蛛子の気配も、もう近くにはない。
それなのに、胸の奥だけが、焼けるように痛かった。
TIPS:【傲慢】と【強欲】
支配者スキルは、誰でも同じように獲得できるものではない。
必要なスキルポイントは、魂の性質や適性によって大きく変わる。
少ないポイントで獲得できたということは、それだけその性質に深く噛み合っているということでもある。
【傲慢】に適性がある者は、自分を基準にして世界を見る。
認める。
認めない。
許す。
許さない。
その判断の中心には、常に自分がいる。
だから、自分が認めたものが勝手に失われることを許さない。
それは優しさや心配であると同時に、自分の判断を絶対のものとして扱う性質でもある。
【強欲】に適性がある者は、足りないものを求め続ける。
力が欲しい。
場所が欲しい。
隣に立つ資格が欲しい。
置いていかれない自分が欲しい。
その欲の中心には、常に満たされない自分がいる。
だから、自分が欲しいものを簡単には諦めない。
それは執着であると同時に、足りないものへ手を伸ばし続ける性質でもある。
【傲慢】は、自分が認めたものを勝手に失わせない。
【強欲】は、自分が欲しいものを諦めない。
似ているようで、向いている方向は違う。