影蛇と別れてから、私はまずマイホーム作りに取りかかった。
糸が燃えない。地面が熱くない。空気を吸っているだけで体力が削られない。
素晴らしきかな上層! 素晴らしきかなマイホーム!
やっぱり蜘蛛には巣が必要なんですよ。
中層じゃまともに巣なんて作れなかったからね。
糸は燃えるし、地面は熱いし、寝ている間にマグマへ滑落したら即ゲームオーバーである。
それに比べて、ここはまさに天国。まあ天国と言ってもダンジョン内なんだけど。
それでも糸が燃えない。大事なことなのでもう一回言うけど、糸が燃えない! 最高!
私は中層への入口に近い、程よい広さの空間に久々のマイホームを張り巡らせた。
久しぶりのちゃんとした巣、ちゃんとした拠点。
これでようやく、一息ついて落ち着ける——はずだったんだけど。
出来上がった巣の中は、思った以上に静かだった。
いつもなら、影の中に気配があった。
姿が見えなくても、そこにいると分かっていたのだ。
糸を張る時、逃げ道を考える時、魔物の気配を読む時、どこかで影蛇の感覚が重なっていた。
元々は一匹で生き抜いてきたんだから大丈夫、と思っていたんだけどな……。
ただ、完全にあいつを見失ったわけじゃない。
感覚を遠くへ伸ばす。【叡智】の力を使って、別れる直前に影蛇へ仕込んでおいた
本来なら、マーキングした相手の位置はもっと鮮明に分かるはずなのだ。マップ上に光る点が浮かぶみたいに、正確な場所も距離も一発で掴める。
けれど、影蛇の場合は違っていた。
マーキングの反応自体は切れていないし、あいつが生きていることも分かる。かなり遠くにいることも掴める。
けれど、マップ上に点として固定できるほど正確じゃないのだ。
方向も、距離感も、どこかぼんやりと霞んでいる。
支配者スキルの影響か、【慧眼】の干渉か、それとも影に潜むあいつ自身の性質のせいなのか。
あるいは、私には見えない
……まあ、今は追わないけどね。
マーキングを付けられたことには、影蛇もたぶん気づいていたはずだ。
けれど、あいつは何も言わなかったし、私も何も言わなかった。
だって、別に。
別に……ただの保険だから。
……いや、勝手に追跡用マーキングを仕込んだ怪しい自覚はありますけど!
でも仕方ないじゃん!
勝手に死なれたら困るし、勝手に消えられたらもっと困るんだから!
私が認めた相棒なんだから。私の影にいたんだから。勝手に死ぬのも、勝手に消えるのも絶対に許さない。
だから、見失うつもりなんてさらさらないのだ。
遠いけれど、反応は消えていない。ちゃんと生きている。
なら、今はそれでいい。
追おうと思えば、今すぐ追えるかもしれない。でも追わない。
あいつが自分で勝手に決めたみたいに、私も勝手に決めてやるのだ。
ただし、死にそうになったら話は別。
その時は問答無用で引きずり戻す。
これは決定事項。異論は一切認めない。
というわけで。私は私で、前へ進む。一匹で。
……一匹で、か。
脳内には並列意思たちが騒がしく存在しているのに、巣の中はやっぱり、どこか静かだった。
◇
それから数日間、私はマイホームを拠点にして過ごした。
食べる、休む、周辺の安全確認、また食べる、また休む。
それにしても、中層を突破して、火竜を倒して、火龍レンドまで討伐して、黒い管理者に遭遇して、邪神Dと電話して、影蛇が離脱した——って、ここ最近の出来事の密度がおかしすぎない!?
普通ならどれか一つだけで大事件でしょ!
私の蜘蛛生、怒涛のイベント詰め込みすぎでは?
まあ、文句を言っても仕方ない。
まずは体を休めて、周辺の安全を確かめて、それから次のレベル上げだ。
あと一つ。
あと一回だけレベルが上がれば、私は次の段階へ進化できる。
進化すればもっと強くなる。
強くなればもっと生き残れる。
生き残れば、夢の迷宮脱出も見えてくる。
単純明快!
……のはずだったんだけど。
肝心の魔物が、まったく寄ってこない。
巣を張っても引っかからないし、出歩いても出くわさない。
たま遠くに発見しても、こっちの姿を認識した瞬間に全力で逃げていく。
なんで?
いや、心当たりはある。ありまくる。
【恐怖を齎す者】の称号を背負い、やけに威圧感を撒き散らしまくっている狂暴な蜘蛛。
客観的に見たら何その危険生物。
私じゃん!
そりゃ逃げるわ!
魔物だって命は惜しいし、私に捕まるイコール食われるだしね!
うん、納得。納得はした。
でも困るんだよ!
経験値が入らない! ご飯も手に入らない! 飽食のストックはあるけど、このままだと経験値稼ぎの面でじわじわ詰む!
せっかく進化まであと一歩のところまで来たのに、魔物が逃げ出すせいでその一歩が遠い。
……影蛇がいたら、なんて言ったかな。
私は糸の上で前足を動かした。
いない相手の反応を想像したって仕方ない。
あいつはあいつで一匹で進んでいるんだから、私も自分の足で進むしかないのだ。
というわけで、行動範囲を一気に広げることにした。
幸い、今の私は【空間魔法】が使える。
【叡智】が持つ詳細な地図データと組み合わせれば、今まで通ってきた場所へかなり正確に飛べるのだ。
マイホームを拠点にして遠くまで狩りに行き、疲れたら転移で戻る。危なそうなら即撤退、見つけた魔物は速攻で狩る。完璧なレベリング計画!
……問題は、上層の魔物が基本的にゲテモノばかりで不味いことくらい。
それ大問題では?
まあいいや、生きるため、そして経験値のためだ!
私はホームから空間を繋ぎ、意気揚々と狩りへ出かけた。
◇
探索は順調……と言いたいところだけど、やっぱり魔物の数が圧倒的に少ない。
いや、いるにはいるのだ。いるけど、全員ハイスピードで逃げていく。
こっちの姿を見た瞬間に脱兎のごとく逃げ出し、気配を察知されただけで散り散りになり、酷いやつになると姿を見せる前に通路の奥へ消えていく。
失礼な!
私はただの可憐でか弱い蜘蛛ですよ!?
……うん、自分で言ってて無理があるね。
経験値ー。
経験値どこー?
どこかにポロッと落ちてないかなー?
……本当に落ちてた。
そこにいたのは、エルローグラナト。蛇の魔物だ。
上層ではそこそこ強い部類。あいつを倒せば、確実にレベルアップできるはず!
ただ、一つだけ問題があった。
人間たちが、絶賛交戦中だった。
人間の数は五人。
二人が前に出て必死に蛇を食い止めようとしており、二人は地面に倒れている。
最後の一人は、その倒れている二人の治療をしている。
パッと見た感じ、絶望的にヤバい状況だ。
蛇の方が優勢。
倒れている二人も毒か何かに冒されているらしく、治療している人間が必死に魔法を注ぎ込んでいるものの、間に合うかはかなり怪しい。
さて、どうしようか。
放置する?
蛇が人間を全滅させるまで待って、それから漁夫の利で蛇を倒す?
……さすがにそれはないかなー。
別に人間の味方をしたいわけじゃないし、聖人君子でもないけど、目の前で死にそうな存在がいるのを面倒だからって理由で見殺しにしてスルーするのは、ちょっと後味悪いかな。
元人間としてどうなのって気もするしね。
それに、あの蛇は私の大切な経験値であり、ご飯であり、進化に必要な最後の一押しだ。
つまりこれは人助けではない!
獲物を横取りするだけであり、ついでに人間が生き残るだけ!
そういうことにしておこう!
……影蛇がいたら、何か言ったかな。
あの二人は助かるのか。治せるのか。治した後、人間に襲われる危険はどれくらいか。
そんなリスクを真面目に計算しそうな気もするし、あのよく分からない【慈悲】のスキルのせいで、案外あっさり助ける道を探すような気もする。
結局のところ、あいつが何を考えているかなんて、私には確定できないんだけど。
あー、もう!
いない相手のことを考えてる場合じゃない!
私は素早く天井の死角へ移動した。
助けに来たぞー、なんてヒーロー気取った演出をする暇はない。
さっさと獲物を殺して、さっさと撤退!
蛇の頭上へ回り込み、糸で足場を作り、【空間機動】で必殺の位置へ狙いを定める。
そして、鎌を一直線に振り下ろした。
斬撃強化や、ステータス強化スキル、そして毒!
鋭い鎌が、蛇の頭殻を問答無用でぶち抜いた。
《経験値が一定に達しました。個体、ゾア・エレがLV19からLV20になりました》
《各種基礎能力値が上昇しました》
《スキル熟練度レベルアップボーナスを取得しました》
《スキルポイントを入手しました》
《条件を満たしました。個体、ゾア・エレが進化可能です》
よし、きたあああああ!!
ついに来た! 進化可能!
やったー! これでまた一歩、強くなれる!
生き残った人間たちは、開いた口が塞がらない様子で呆然と私を見上げている。
まあ、気持ちは分かるよ。
自分たちが死にかけていた強敵の蛇を、上から降ってきた謎の蜘蛛が一撃で瞬殺したんだから。
理解が追いつかないのも無理はない。
さて、それじゃあ蛇の死体を回収してサクッと帰りますか。
そう思ったところで、地面に倒れている二人が目に入った。
……うーん、ヤバいな。
このままだと普通に死ぬぞこれ。
治療役の魔法も出力が弱すぎるし、体内を回る毒の解毒が全然追いついていない。
んー……ここまで手を貸したよしみだ、毒の治療までやっていくか!
私は倒れている二人のところへ移動した。
治療役の人間がヒッと短い悲鳴を上げ、構築していた魔法が乱れる。
いや、そんなに怯えなくても。
まあ無理もないか、どう見てもヤバい蜘蛛の魔物だしね。
【治療魔法】を発動。
体内の毒を綺麗に中和し、激しい傷口を塞ぎ、削れたHPを一気に全回復させる。
苦しんでいた人間たちの荒い呼吸が、一瞬でスッと落ち着いた。
治療していた人間が、信じられないものを見るような目でこっちを見ている。
はいはい、驚くのは分かりましたから。
これ以上関わると面倒なので、あとは自分たちで帰ってくださいねー。
私が蛇の死骸を糸で回収しようとした、その時だった。
人間の散らばった荷物の中に、乾燥した果物っぽいものを発見した。
え……甘いもの?
これ、甘いものでは!?
人間たちの荷物からこぼれたものらしい。
戦闘中に落としたのかもしれない。
えーっと……。
私、この人たちの命を救ったよね?
蛇も倒してあげたし、完璧に治療までしてあげたよね!?
命の恩人として、これくらいの報酬をもらったって罰は当たらないよね!?
ダメなんて言わせないよ!
私は乾燥果物を糸で素早く回収した。
もちろん、メインの獲物である蛇の死骸もセットだ。
そして、まだ呆然としている人間たちを残して、マイホームへ転移した。
◇
無事に帰宅!
やっぱマイホーム最高!
そして、まずはこの果物!
進化? そんなのあとあと!
今は蜘蛛生初の甘味を味わうことに全力を尽くすのだ!
念のため、【叡智】で鑑定。
乾燥クリクタの実。
甘味あり。
MP回復効果あり。
ただのおやつじゃなくて、回復アイテムだった。
……人間たち、これ必要だったかも?
でもまあ、瀕死の重症を完治させてあげたんだから、対価としてはお釣りが出るくらい妥当でしょ?
妥当です!
では、いただきます。
……あまい。
あまい!
あまいいいいいいい!!
前世で食べた果物と比べれば、そこまで美味しいわけじゃない。
乾燥していて瑞々しさはないし、ちょっと渋みもある。
でも、甘い!
蜘蛛に転生してから初めて食べる、ちゃんとした甘味。
幸せすぎる……!
私は口の中で、最後のひとかけらまで噛みしめるように味わった。
——そして、食べ終わった後に、ふと思ってしまった。
……影蛇にも、一口くらい食べさせてやったら良かったかな。
いいや、無理なんだけどね!
あいつ今ここにいないし、実は一個しかなかったし!
そもそも蛇の魔物が乾燥果物を食べて美味しいと感じるかも謎だし!
でも……甘いって分かったら、どんな反応をしたんだろう。
ほんの少しだけ、悪いことをしたような気分になった。
本当に、ほんの少しだけだけどね!
だって一個しかなかったし……。
私が助けた報酬だし……。
進化前のご褒美だったし……。
仕方ない! うん、これは不可抗力!
……まあ、次もし見つけることがあったら、一口くらい残しておいてあげてもいいけどね。
私は名残惜しく口元を動かした。
ごちそうさまでした。
美味しいものは、何も考えずに美味しいと素直に味わえるのって、やっぱり最高だね。
さて!
余韻にも十分浸ったことだし、そろそろ進化しますか!
今回は準備万端だ。
ホームはあるし、食料はあるし、安全もそれなりに確保してある。
問題があるとすれば、【禁忌】のスキルだ。
禁忌。
名前からして嫌な予感しかしないスキル。
【叡智】でも詳細が一切分からないからこそ、余計に恐ろしい。
もうすでにLV9まで上がっているし、今回進化したら、LV10になってもおかしくない。
でも、ここまで来てしまった以上、回避なんて不可能だ。
何が起きても受け止めるしかない。
Dのことだ。
カンストした瞬間に即死、みたいなつまらないことはしないはず。
あいつなら、死なせずに眺めて楽しむ方を選ぶ。
……それ、死ぬより酷い目に遭う可能性があるのでは?
よし、考えるのはやめよう!
出たとこ勝負、それしかない!
進化先は三つ。
グレータータラテクト。
エデ・サイネ。
オルトカディナート。
グレータータラテクトはなし。
大きくなるのは困る。
小ささと機動力を捨てる気はないし、アラクネを目指すなら余計に巨大化は避けたい。
オルトカディナートは魔法型。
罠や知能に優れる系統らしい。
悪くはないんだけど、もうこの先に進化先が存在しないっぽいし、知能なら元人間の私には最初から十分備わっている!
となれば、エデ・サイネ一択。
ゾア・エレの上位進化。
死を象徴する小型の蜘蛛型魔物。
戦闘力も隠密性も上がる。
いいんじゃない?
これなら今の私の戦闘スタイルとも完璧に合致するし、小型のまま圧倒的に強くなれる。
しかも、上位進化への道もしっかりと見える。
叡智がなかったら迷っていたかもしれない。
叡智様、マジで頼りになります!
というわけで!
エデ・サイネに進化開始!
《個体、ゾア・エレがエデ・サイネに進化します》
意識が沈んでいく。
これで、私はもっと強くなる。
一匹で判断して。
一匹で動いて。
一匹で強くなる。
影蛇——あんたが影の外へ行ったなら、私は私で、自分の足で先へ進むよ。
そう心の中で呟いたところで、意識が完全に落ちた。
◇
《進化が完了しました》
《種族エデ・サイネになりました》
《各種基礎能力値が上昇しました》
《スキル熟練度進化ボーナスを取得しました》
︙
《熟練度が一定に達しました。スキル【禁忌LV9】が【禁忌LV10】になりました》
《スキルポイントを入手しました》
《条件を満たしました。禁忌の効果を発動します。インストール中です》
《インストールが完了しました》
◇
——目が覚めた。
最悪だった。
禁忌。
確かにこれは、文字通りの『禁忌』だった。
こんなもの、知らなければよかった。
世界、システム、女神、管理者、人族、魔族、勇者、魔王、スキル、称号、魂、エネルギー、そして——壊れかけた世界。
まだすべての情報を理解したわけではない。
流れ込んできた情報の全体像すら掴み切れていない。
それでも、今分かっている分だけで十分すぎた。
知りたくなかった。
知らなければ、ただ迷宮で生きているだけでよかった。
魔物を倒して、食べて、進化して、強くなって、外の世界へ飛び出す。それだけで、幸せだったのに。
なのに、知ってしまった。
世界がどうしようもなく傷ついていること。
人族も魔族も、その上で好き勝手していること。
システムが何のためにあるのか。
女神がどうなっているのか。
管理者が何を守り、何を守れなかったのか。
胸糞が悪い。
吐き気が込み上げる。
最悪だ。
D——あいつ、本当に性格が悪い。
禁忌なんて名前のスキルをカンストさせた相手に、こんな情報を叩き込んで、一体どうしろっていうのか。
しかも、これで終わりじゃない。
知ってしまっただけで、すぐにどうにかできる力が手に入るわけじゃない。
スキルもステータスも跳ね上がった。
進化して圧倒的に強くなった。
今の私は、以前とは比べものにならないほど強い。
でも、それだけでは足りない。
この世界の裏側にあるものを知ってしまった今、ただ迷宮で強い魔物になっただけでは、何も届かないと分かってしまった。
管理者。神。システムの外側。
そういうものがある。
でも、どうすればそこに手が届くのかは分からない。
禁忌は世界の真実を容赦なく脳内に叩き込んできたけれど、親切な攻略本なんかじゃないのだ。
何をすれば全部解決するのかなんて、書いてあるわけがない。
なら、強くなるしかない。
今まで通り、魔物を倒して、食べて、レベルを上げ、スキルを鍛え、そして進化する。
できることを増やしていく。
それしか道はない。
それしかないのに、脳裏に焼き付いた世界の真実が重すぎる。
世界の命を使えば、システムは動くことは分かってしまった。
だからこそ、身勝手な考えが頭をよぎってしまう。
人族も魔族も、まとめて全員消してしまえばいい。
そう思ってしまうくらい、この世界は腐っている。
でも、そんなことをすればあの黒い男——管理者ギュリエディストディエスが黙っちゃいない。
今の私じゃあいつには逆立ちしても勝てないし、そんな単純な殲滅で解決するほど甘い構造じゃないことも分かってしまっているのだ。
腹が立つ。
どうしようもなく、腹が立つ!
この狂った世界にも、システムにも、好き勝手生きている人族や魔族にも、管理者ギュリエディストディエスにも、邪神Dにも。
そして、何も知らずに真実を知ってしまった自分自身にも!
《熟練度が一定に達しました。スキル【怒LV1】を獲得しました》
……ああ、そう。
どうでもいいよ。
怒りなんて、今さらスキルにされなくても十分ある。
私は新しい身体を強く引き締めた。
エデ・サイネの体は、以前より圧倒的に強靭だ。
小型のサイズを維持したまま鋭くなったし、隠れるのにも、動くのにも、戦うのにも向いている。
けれど、まだまだ足りない。もっと力がいる。
考えるべき課題は山積みだ。
知ってしまったこと、整理しなければならない情報も多すぎる。
【叡智】がその処理をフル回転で支えてくれている。
情報を分類し、今すぐ思考すべきことと、後回しにすべき課題を切り分けていく。
それでも、重い。
重すぎる。
その圧倒的な重圧の中で、私はふと、影蛇が別れ際に残した言葉を思い出した。
あの時、あいつはすぐには理由を語らなかった。
けれど最後には、私に関係ある話だと認めたのだ。
今なら少しだけ、気持ちが分かるかもしれない。
あいつが言えなかった理由。言ったところで理解できない理由。理解できたら、私が壊れるかもしれない理由。
影蛇が知っていたものが、この禁忌の真実と全く同じものだったかは分からない。
禁忌そのものではなく、別の形の知識だったのかもしれない。
けれど——似たような絶望的な重みを、あいつはずっと一人で抱え込んでいたんじゃないか。
知ったら、知らなかった頃には戻れないもの。
言葉にした瞬間、相手の見ている世界を変えてしまうもの。
あいつは、そんなのを一人で抱えていたのかもしれない。
……馬鹿じゃないの、ホントに。
そんなもの抱えて、ずっと私の影にいたのなら、私に言えよ。
けれど……言えなかったあいつの葛藤も、今の私なら理解できてしまう。
禁忌を知る前の能天気な私に、今知ったことを説明できるか?
無理、絶対に無理だ。
言葉にしたところで伝わらないし、伝わったら伝わったで、もう二度と戻れなくなるのだから。
この真実を知る前と後じゃ、世界の見え方が根本から違いすぎるのだ。
それに——
『全部、欲しい』
あいつは、そんなことも言っていた。
何が『全部』だ。
もしかして、私のことも入っているのか?
欲張りにも程がある。
あいつが何を考えて、何を欲しがって離れたのか。
具体的なことはさっぱり分からない。
分からないけど、勝手にそんなことを言って、勝手に離れるな。
欲しいなら、自分で取りに来い。
隣に立つって言うなら、ちゃんと戻ってこい。
次会ったら、そこも含めて全部問い詰めてやる。
だからといって、許したわけじゃない。
私はまだ怒っているし、納得もしていないし、説明だって全然足りていない。
あいつが何を知っていて、何を隠して、何を考えて離れたのか。
それはあいつの口から直接聞く。
絶対に逃がさない。
マーキングの反応を辿る。
遠いけれど、消えていない。
生きている——少なくとも、今は。
追おうと思えば、追えるかもしれないけれど、今は追わない。
あいつは一匹で進むと決めたのと同様に、私も一匹で進むと決めた。
ただし、死にそうになったら話は別だ。
勝手に離れるのは少しだけ認めたけれど、勝手に死ぬのは認めていないし、勝手に消えるのも認めていない。
これは決定事項。
私が決めたんだから、ちゃんと守れよ、影蛇。
私はさっき倒した蛇の死骸を喰らい、進化で減ったSPを戻した。
思考を無理やり動かして、体を起こす。
甘味を味わった時の幸せはまだ少しだけ残っているけれど、その上から禁忌の情報が重くのしかかってくる。
最悪だ。面倒くさい。全部投げ出したい。
でも、知らなかったことにはできない。
なら、進むしかない。
私は死なない。
影蛇も死なせない。
そのためにも、もっと強くなる。
上層のぬるま湯じゃ全然足りない。
逃げる魔物を追いかけるだけでは、先に進めない。
今の私に必要なのは、もっと濃い経験値、もっと強い敵、もっと大きな成長だ。
下層。
地龍がいる。
強い魔物がいる。
危険も多い。
でも、行く。
一匹で判断して。一匹で動いて。一匹で強くなる。
転移する。
目的地はエルロー大迷宮、下層。
危険度は上層の比じゃないけど、その分強い魔物がいる。
経験値がいる。スキルがいる。力がいる。
このクソッタレな世界をどうにかするために。
私が、私のために生き残るために。
私は、暗い迷宮の底へ足を踏み出した。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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お気に入り登録、感想、評価など、本当にありがとうございます!
とても励みになっています!
ただ、毎日投稿はさすがにしんどかったので、今後は少し投稿間隔を空ける予定です。
多分、毎週投稿くらいになると思います。
これからも無理のない範囲で続けていきますので、よろしくお願いします。
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