影の中は、進化前よりもずっと広く感じた。
いや、実際に空間が広がったわけじゃない。ただ、今まではただの避難場所だった影が、今は妙に自分の体の一部みたいに感じる。それに、消費するMPもほとんど無くなってるようだ。
……これが【影憑】の影響か?
他にも前の【影潜行】とは明らかに違う部分がある。
影に潜るだけじゃない。影を通して、何かに触れられるようになった感覚。
それが何かは、分かる。
魂だ。
……分かりたくなかったなぁ、これ。
とにかく、今は考えるな。まずは獲物だ。とにかく【魂欲】を誤魔化すためにも、何か倒して喰らう。
ちなみに、進化してすぐ一匹だけ魔物は倒した。どうにも【魂欲】が収まらなくて、近くにいたエルローフロッグを影から奇襲して仕留めたのだ。
肉は食えた。
不味かった。
そこまではいつも通り。問題は、その後だ。
魂を喰おうとしたが、駄目だった。
手応えがない。
影を通して何かに触れようとしても、表面を撫でているだけで、内側に入れていない感覚。
【自己理解】のスキルが、その理由をなんとなく教えてくれる。
魂に干渉するには、中に入る必要がある。
つまり、【影憑】で相手に入り込んだ状態じゃないと、魂は喰えない。
……いや待て。
魂を喰うためには、まず憑依しなきゃいけないってことだよな?
しかもその憑依には、相手が生きていて、無抵抗か同意が必要っぽいし。
………………。
思ったより、面倒な仕様してんなこれ。
というわけで、強すぎる相手は駄目だ。今の俺は魔法特化に寄ってしまったし、正面戦闘は進化前と変わらない貧弱なものだ。
奇襲して、弱らせて、仕留める。それしかない。
そう考えながら、【熱感知】と【魔力感知】を広げる。
……いた。一つ。
大きい反応。
——いや、大きすぎないか?
熱も魔力も、今まで見てきた魔物とは桁が違う。感知スキル越しでも伝わってくる、ヒリつくようなプレッシャー。明らかにヤバいやつだ。
これは避けるべき。絶対に避けるべき。
そう思ったのに。
【魂欲】のせいか、それとも進化直後の高揚感のせいか。
俺は、確認だけなら大丈夫だろうと考えてしまった。
影の奥から、そっと【鑑定】を飛ばす。
《地龍——》
最後まで読むより先に、全身が凍った。
地龍。
その二文字だけで、状況を理解するには十分すぎた。
終わった。
いや、まだだ。鑑定しただけだ。影の中にいるし、距離もある。気づかれてなければ……。
あれ?
何か周りをキョロキョロしてない?
こっちの方向、探ってるような……。
もしかして……気づかれてる?
ずしん。
鼓膜を突き破るような地鳴り。
次の瞬間——俺が潜んでいた影ごと、地面が吹き飛んだ。
うわあああああああああ!?
ヤバい死ぬ!
反射的に影から影へ逃げる。
間一髪! 背後を確認すると、さっきまでいた場所は、分厚い岩盤ごと粉砕されていた。
おいおいおいおい! 影に潜ってる相手へ向かって地面ごと攻撃ってどういうことだよ!? 俺の安全地帯を雑に壊すな!
いや、違う。これが格上か。
完全に失念していたが、【鑑定】された相手は強烈な不快感を感じるんだった。その不快感で何かがいると気づいて、場所を絞って、範囲ごと潰してきた。
つまり。
今までの戦法、格上には通用しない。
影に潜って、鑑定して、奇襲。そんな安全圏からの戦法は、格上には一切通用しない。相手が強ければ、鑑定した時点でバレる。影の中にいても、地形ごと壊されたら終わる。
完全に、俺の甘えだった。
……なんて冷静に分析してる場合じゃない!
逃げろ! 全力で逃げろ!
影から影へ潜りながら、必死に距離を取る。だが、地龍の反応は消えない。むしろ追ってきている。
なんで!? なんでそんなに執着するの!?
ちょっと鑑定しただけじゃん! いや、された側からしたらめちゃくちゃ不快なんだろうけど!
轟音。
後方の岩壁が砕ける。破片が飛び散り、その一部が影の中にいる俺の体を掠めた。
痛い。怖い。
痛い痛い痛い! 怖い怖い怖い!
《熟練度が一定に達しました。スキル【苦痛耐性LV4】が【苦痛耐性LV5】になりました》
《熟練度が一定に達しました。スキル【恐怖耐性LV1】を獲得しました》
《熟練度が一定に達しました。スキル【恐怖耐性LV1】が【恐怖耐性LV2】になりました》
《熟練度が一定に達しました。スキル【恐怖耐性LV2】が【恐怖耐性LV3】になりました》
今じゃない!
いや嬉しいんだけど今じゃない!
逃げる逃げる逃げる!
俺は必死に逃げていた。
けれど、【魂欲】のせいで頭の奥がずっと疼いている。それは【恐怖耐性】を獲得し、恐怖へと回す思考が減ったことで、より鮮明に強くなった。
足りない。欲しい。喰いたい。
うるさい! 今それどころじゃないんだよ! 喰う前に喰われるわ!
それでも、欲は消えない。
あの地龍の魂を喰いたい。
強い。大きい。圧倒的だ。だからこそ欲しい。
……ふざけるな。あんなのに手を出したら死ぬに決まってるだろ!
理性と本能が、真っ向から噛み合わない。思考が引き裂かれるみたいだ。
余計な欲が邪魔をして思考が乱れる。逃げ道の判断が遅れる。影の選択を間違える。
その一つ一つの遅れが、致命的となっていった。
目の前の地面が砕けていく。次々と退路が潰れる。
そして最終的に。
背後には迫り来る地龍。前方には……穴。
底が見えない程の巨大な縦穴だ。
落ちたら普通に死にそう。でも、後ろに戻っても死ぬ。
……詰んだ。
逃げ場なし。勝ち筋なし。時間もない。ここまで分かりやすい
……いや、違う。選択肢が一つだけ残ってる。
それが正解かどうかは分からない。でも、この方法なら。地龍に潰されるくらいなら。
穴の底に影があることを祈って。
その影にタイミングよく潜れることを祈って。
穴の方へと飛び込んだ方が、まだ生存の目がある。
……いや、冷静に考えたら大分イカれてるなこれ。
でも!
地龍に殺されるよりはマシ!
うおお!! 行くしかねぇ!!
そして俺はそのまま、底なしの暗闇が広がる縦穴へと飛び込んだ。
TIPS:【影憑】と【魂欲】
【影憑】は、影を媒介として対象の魂に侵入し干渉するスキルである。
弱体化または無抵抗の相手に対して成立し、干渉状態でなければ魂を喰らうことはできない。
また、同意によって成立した共存状態では、対象の魂を喰らうことはできず、捕食には一度干渉を解除する必要がある。
【魂欲】は、他者の魂を求める衝動であり、肉体的な空腹とは別種のものである。
魂を喰らう、あるいは共存することで一時的に緩和されるが、完全に消えることはない。
この衝動は捕食本能ではなく、死に傾いた存在が生に触れることで均衡を保つための性質である。
そのため、より強く質の高い魂と相対した時ほど強い渇望を引き起こす。
なお、【外道無効】を持っているはずの主人公がここまで強く【魂欲】に苦しんでいるのは、進化したばかりの空腹と同じで、進化してから一度も生の魂に触れてないからである。
そのため【外道耐性】も持ってないような個体がこの種族へと進化した場合は明白だろう。